4.且緩々
先日、久我山、白雪からとんちきな話を打ち明けられた。
彼らは『Q』という組織に属し、奈々幸を追っている。目的は俺の保護と奈々幸の観察。どうやら奈々幸の不満を買った俺は彼女の体質『記憶の忘却』の影響を受けているようだ。
その影響を受け続けると深刻な状態となってしまうらしい。
いまだに信じ切れてはいないがすでに初期症状として記憶の欠落、違和感を覚えていた。
大学に入れば平々凡々な日々を過ごせると勘ぐっていたわけだ。サークル『リース』に所属し容姿端麗、所作は名家の出であるかのように美しい杠葉先輩と甘いキャンパスライフを送りたいと夢見ていたのだがどうも雲行きが怪しい。
ここではゴールデンウィーク前までのことを語りたい。
この日、講義は昼過ぎに終わり、当たり前のように部室があるサークル塔へと向かおうとしていた。
この時間に誰かがいるかは疑問だったが、まだバイトなどを行っていなかった俺にとって放課後を過ごす場所はサークルのみだったので自然と足がそちらへと向いてしまう。
サークル塔の階段を上り、部室へとたどり着くと中には西宮先輩がすでにいた。獣医学部の西宮先輩であるが忙しくはないのだろうかとややあきれ気味になったが重い扉を開けて彼女に挨拶をする。
「やぁお疲れ様!」
西宮先輩は笑顔で明るく振舞いこちらに挨拶した。オレンジ色のショートヘアがふわふわ揺れる。
「お疲れ様です。西宮先輩だけですか?」
「ああ、講義の空き時間があったので部室で時間をもてあましているよ~」
大学の講義には講義がない時間が講義と講義の間にあることから、絶妙な暇な時間ができることがある。
「そうだ!そういえば今回のゴールデンウィーク、何か予定は入ってる?」
西宮先輩からそう聞かれた俺は一考してから回答した。
「特に予定はないです。サークルで何か催し物でも行うんですか?」
「くくく……」
彼女は不敵な笑みをこちらに向けた。なんか怖え……。
トントンと部室の扉がノックされる。
すぐに扉が開けられると奈々幸、久我山それと白雪が部室に入って来た。
久我山、白雪の2人と先日、奈々幸に関して話し合ったがその様子をおくびにも出さなかった。
奈々幸に関してはこちらを一瞥して表情も変えなかった。虹色の瞳は我関せずと語っていた。今のところ俺に変わった症状は出ていない。
久我山たちからあんな話を聞いていたし、俺の奈々幸に対する見方が変わるのも無理もない。いかんせん一歩間違えれば、次の瞬間、三途の河原を歩いているかもしれない。これからは爆弾を取り扱うように繊細に取り扱わなくては。
「こんにちは」と軽い挨拶をすますと空いている席に各々が座った。
「ちょうどよかった。これからゴールデンウィークの予定について説明しようと思っていたんだが何か予定あるかな?」
久我山、白雪ははてといったような顔をしてお互いの顔を見合わせた。
奈々幸は即座に返答した。
「私は特に予定はありません」
会社勤めのバリバリに働く女性社員よろしく、はっきりと言い放った。
「僕も特に予定はありません。何かイベントですか?」
私も、と白雪が久我山の返答に追うように自身のスケジュールに問題ないことを伝えた。
奈々幸の返答を聞いたのち久我山が白雪とのアイコンタクトで意思疎通をしてイベントに参加する方向で考えているようだった。
それを聞いた西宮先輩は満面の笑みをこちらに向け、両手を腰に当て胸を反らした。
「よろしい!」
「我がオーランサークルはゴールデンウィークに長野の山荘に赴き、新入生との交流を深めたいと考えております!」
「突然のことと思うのも致し方ないが、私たちは毎年新入生との交流を促すためこの時期に遠出してひと時の遊興を満喫したいと考えています」
ようは一年生との交流というお題目があるが実態は先輩方もハメを外したいということだろうと推測した。
「それは面白そうですね」
久我山がスマホのバーチャルアシスタントのように暖かい無機質な言葉を返した。
「山荘でどんなことするんですか?」
今度は興味ありげな白雪が尋ねる。
「バーベキュー、肝試し、沢で涼んだり、花火やったり……可能な限り遊びつくすのが今回の目的である!」
もうお遊びサークルである。社会貢献的な側面もあるのだと考えていたがまだその片鱗さえも見せていない。これからあるものだと信じたい。
「ぶっちゃけ日々の実験やレポートから解放されたい!」
西宮先輩はこぶしを高らかに掲げ言い放った。
俺もゆくゆくはこうなってしまうのだろうか。少なからずとも学業くらいは精進できるような人間でありたい。
「肝試し……」
やや顔を曇らせた白雪がボソッと聞こえるかどうかの声を発した。顔色から察するにホラーなものが苦手な様子だった。
「それで西宮先輩、具体的なスケジュールはどんな感じですか?」
「いい質問だ!ロウ氏!」
こちらに指をさして意気揚々とした様子だった。当たり前のことを聞いたまでである。
「日程はゴールデンウィークの火曜日から金曜日までの3泊4日を予定している」
「朝7時に新宿駅に集合、高速バスで長野駅まで行って現地ではマイクロバスを用意してもらって送迎してもらう。帰りは午後2時くらいに出発して新宿についたら現地解散だ」
かなりざっくりとした日程を教えてもらった。
「移動費とかはどうすればいいでしょうか?」
「いい質問だ!奈々幸女史!」
明朗快活とはこの人のことを言うのだろう。まぁ誰に対しても対応を変えないのはこの人のいいところではあるが。
「申し訳ないが移動費に関しては実費でお願いしたい」
しかし、と西宮先輩が続ける。
「宿泊費などそのほかの諸経費はタダだ」
これは正直驚いた。学生の寝泊りなので大した宿舎ではないにしろ移動費以外がタダになるとは思いもよらなかった。
「ありがたいお話なのですがどういった理由で費用が免除されるのでしょうか?」
久我山が至極真っ当な質問をした。この場の一年生全員が気になるところであろう。
「今回、お世話になる山荘は古くから本学と提携していてね、大学側から補助が出る格好なのだよ。私の先輩方もお世話になっていてここ何年も使わせていただいているし山荘との関係も良好。そのほかのところでもサークルから運営費で賄えるからお得にイベントに参加できるってわけ」
「なるほど、それはありがたいですね」
一瞬の間があったが今度は白雪が質問した。
「何か持って行った方がいいものはありますか?」
「特段、特別なものは必要ないけど川遊びをする予定だから濡れてもいい服とか水着、サンダルとかかな。あとはその分の着替えかな?」
「今言ったイベント以外にもシークレットにしていることもあるから楽しみにしていてよ。絶対に驚くと思うからさ!詳細は追って連絡する」
そんな会話をしていると渡良瀬川先輩が部室に入って来た。
「こんにちは」
相変わらずダウナー気味の口調で挨拶をする。
「渡良瀬川君、お疲れ様。丁度、一年生諸君にゴールデンウィークの歓迎会について説明していたところだよ」
「ああ、去年のあれですね。……何とは言いませんがほどほどにしておいた方がいいと思いますよ」
「まぁ、楽しめる程度に企画するつもりだから心配無用だ!」
渡良瀬川先輩はややあきれた表情を見せた。
この場では何とも言えないが凝った催し物でも行うつもりなのだろう。
そうそうと西宮先輩が言った。何かを思いだした様子だった。
「ゴールデンウィークの最初の土曜日にボランティア活動の一環で海浜公園のごみ拾いを行う予定なんだった。そっちの準備はどうかな?」
「こっちは杠葉さんとすでに参加手続きは済ませてありますよ。あとは参加する人の数が出そろえばほとんど事前準備は整います」
「それは結構。そしたら今度の木曜日に参加できる人にここに集まってもらって説明とか準備するって感じでいいね」
何やら社会奉仕活動をすでに予定済みのようだった。
西宮先輩が一年生の方に説明をし始めた。
「こっちの件も突然で申し訳ないが海浜公園で砂浜のごみ拾いを予定しているんだ。唐突なことだから参加できる人だけで構わないのだけどうかな?」
「私は参加します」
奈々幸は相も変わらず即答した。
「ありがとう」
俺はここであることが気になった。
「先輩方はどなたが参加される予定なんですか?」
「今のところ私、杠葉ちゃん、渡良瀬川君そして奈々幸が参加予定だね」
俺の矮小な頭脳のシナプスが爆発的に活性化した。この表現が正しいかわからないがとにかく杠葉先輩が参加するという言葉に脳内の演算がすぐさま回答をもたらした。
「……確か自分も予定が空いていたと思うので参加させてもらってもいいですか」
白々しく俺は参加の意思を表明した。
久我山と白雪はどんな顔をしていただろう。奈々幸と距離を置くことを忠告しておきながら俺は自身の欲望に忠実に従った格好である。
あきれた顔をしていたに違いないがそんなことは知ったことではない。杠葉先輩とお近づきになれるチャンスであることに間違いないはない。
「もちろんだよ!ボランティア活動は社会奉仕活動だけど地域のことについて知るいい機会になるからぜひ参加してほしい」
久我山は「心苦しいのですが」と前置きをすると
「僕はその日予定がありますので遠慮しておきます」と苦笑いでやんわりと断った。
「私は参加できる予定ですので行かせていただきます」
白雪は参加する意思を示した。少なからずとも組織の2人のどちらかが奈々幸を観察ないし監視しておく必要があるのかもしれない。
「……そうしたら今回は6人参加ということで調整しておくよ」
渡良瀬川先輩が改めて参加人数を確認した。
そんなことを話している合間に西宮先輩が何かを思い出した様子だった。
「あ、次の講義、始まっちゃうわ。渡良瀬川くん、戸締りよろしく」
そういって西宮先輩はそそくさと身支度をして、部室のカギを渡良瀬川先輩に渡した。
「じゃあね~」
さわやかな笑顔で颯爽と部室をあとにした。残ったメンバーは西宮先輩を見送った。
「入学早々、いろいろイベントがあるから無理せず参加してほしい。どれも強制的なものはないから」
今回のゴールデンウィークのイベントも盛りだくさんだから期待していてくれと言う渡良瀬川先輩。
その後、特にすることもなく部室で各々は悠々自適に過ごした。
奈々幸は「予定があるから私は失礼するわ」と言って最初に部室を出ていった。
現状、あまり詮索はするべきではないだろう。下手に刺激して予期せぬ出来事に見舞われたらたまったものではない。
久我山、白雪も自然と帰宅するとのことだったため俺と渡良瀬川先輩が最後に残った。結局その日、杠葉先輩は部室に姿を表さなかった。
「そろそろ、僕らも帰ろうか」
そう言われた俺は身支度を整え、空いていた窓を施錠する。
「そういえばここの鍵の返却場所、知ってるかい?」
「いや、わからないです」
「じゃあそこまで一緒に帰ろうか」
渡良瀬川先輩の口調は他を寄せ付けない様子ではあったが面倒見がいいようだった。
2人で部室の外に出ると部屋を施錠しそのまま階段を下りる。
下りきると1階の建物の奥の方にサークル塔管理室なる部屋があり、渡良瀬川先輩の後に続いてその部屋に向かう。
部屋の中には2名の男子学生が長机に肩肘をついて座っていた。
「203のリースです。退館します」
そういってカギを男子学生の片方に渡した。渡良瀬川先輩は帳簿のようなものに必要事項を記入し一礼してそこを後にした。
管理室の扉に入るか入らないかのところで待っていた俺。
「こんな感じでカギは退館時に管理室に返却するんだ。入室するときもここにカギをもらいに行く。簡単だろ?」
「そうですね」
そんなやり取りをして、駅のある門の方に足を向ける。
2人で歩いていると気になることがあった。
「今日、杠葉先輩は来ませんでしたね」
「彼女はバイトとか家のことで忙しいから。本来はサークルに顔を出すのも結構大変みたいだよ」
俺は素直に杠葉先輩について聞いてみることにした。
「……杠葉先輩って結構な家柄の出身なんですか?」
「どういうこと?」
「なんかこう……佇まいというか、所作が普通じゃないというか」
「ああ、なるほど。彼女、噂だと親族の方がお医者さんだったり、獣医さんだったりをしているらしいよ。彼女と専攻が違うからそこまで詳しく聞く機会がなかったけど確かにお嬢様って感じだね」
「なるほど……」
この時、俺はそれ以上、杠葉先輩について詮索はしないでいた。率直に気分がいいものではないような感じだったからだ。渡良瀬川先輩にも申し訳なく思ったというのもある。
帰路。今度のボランティア活動で杠葉先輩に色々聞いてみたいという気持ちが湧いていた。
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