3.而今3
ある人物に講義棟の講義室に来るよう伝えられたロウはその場に着くと呼んだ張本人ともう一人別の人物が待ち構えていた。ロウは彼らに思いもよらない言葉をかけられ急展開を迎える。
久我山慧は屈託のない笑顔で俺に告げた。
「復唱します。オールラウンドサークル『リース』をやめていただきたいのです」
「どういうことだよ?」
「ロウさんのためなんです」
今度は白雪恵麻が対照的に眉をひそめて困った様子でそう言った。
「だからなんでだ?俺、なにか問題行動でもしたか?」
先日、久我山から夕方にここ講義棟の部屋へ来るよう言われ、今に至るのだがとんちきなことを言い放ったのだ。
「あなたのためです」
「私たちはある組織に属しています」
俺は文字通り頭中が真っ白になった。何言ってるんだこいつら。
久我山が俺の思考を読み取ったかのようにその笑顔を一変して無表情、というか真面目なものにしてきた。
「……今、私たちはある女性を追っています。その女性は特異な体質を持っていてその体質により特定の人物に危害を与える可能性があります」
俺は咄嗟に切り返した。
「いやいや、そういうオカルトじみたことはほかのサークルでやってくれよ。何かの団体の勧誘なら一片の余地なくお断りだ」
「私たちは何一つ冗談を言っていません。そして何かの宗教や思想を強要するようなことはありません。ですが現状を理解いただきたいと考えています」
「白雪さんの言う通り、私たちは至って正気です」
久我山は白雪の説明に重ねるように私たちは至ってまともです、と言わんばかりに奇天烈なことに筋を通そうとしてきた。
「……俺からするとあまり愉快な話に聞こえないのだが」
「おっしゃる通りです。この話は人命に関わります。場合によっては大多数の人間に関係してきます」
「お願いします。お話だけでも聞いてください!」
真っすぐな眼差しを向けた白雪が勢いよくこちらに頭を下げるとロングでグレーのプリッツスカートとポニーテールが大きく揺れた。それと同時に久我山もゆっくりと深くお辞儀をしてきた。
俺は十数秒ほどの沈黙ののち開口した。
「わたっか。ただし聞いた後どう考えるかは俺次第だ」
「ありがとうございます!」
白雪の表情は曇天から快晴へと明るく移り変わった。
「私からのお呼び立てしておきながら疑念を持たれるような言動をしてしまい申し訳ございません」
久我山は重ねて非礼を詫びるように頭を下げた。
俺は自身が立ちっぱなしであることに気が付き、近くの折りたたまれた椅子を倒しそこに座った。
それを見た久我山たちも同じく座った。
「別にいいけどもうちょっと前置きを作った方がいいと思うぞ。『突飛な話で恐縮ですが』とか」
久我山は下げた頭を戻し、最初の微笑みを取り戻しこちらに顔を向けた。
「善処します」
遺恨を残す、程ではないが何か引っかかる物言いに感じる。この時、特に意見はしなかったが。いらだっていたので久我山のことを心の中で微笑みの貴公子と名付けた。
「改めてお話をさせていただきます」
「ある人物が特異な体質を持っているということなのですが率直に言うとその人物は奈々幸さんです」
「彼女のその体質によって既に被害が出ていると考えられています」
話の途中で悪いが、と一言添え俺は続けた。
「なぜ奈々幸がその特異な体質をもっているとわかるんだ?」
率直に久我山に疑問をぶつける。
「はい。彼女であると考えうるまでの我々のこれまでの活動の流れをお伝えしたいと思います」
「ある研究所にて素粒子の観測を行っていたところごく短時間ではありますが地球上で特定の素粒子が増加することが判明しました。この発生源を探っていくと何名かの人間から素粒子が発せられていることがわかったのです。以後彼らを放出者と呼称します」
素粒子、物質を作る最小のものというのが俺の認識だった。それ以上の知識はない。引き続き黙って久我山の話を聞く。
「人間から熱放射などはあれど素粒子が放出されるというのは今までにありません。もちろんは放出者の体重などの変化はありません。まだわからないことがほとんどですので確実なことは言えませんがこれは端的に言うと無から何かを作り出すといった行為に等しいレベルです」
「そして放出者を追跡し観測することを始めたのが我々の組織です。ここではこの組織を『Q』と呼称させていただきます。世には公表されていない組織ですので」
ここで俺は疑問が湧いた。
「なぜ放出者をひとっところに置いておかないんだ?観測に協力してもらえばいいだろ」
「おっしゃる通りです。我々も放出者に対してアプローチをかけようしました。結果としては中止となりました」
「なぜ?」
「……あまりロウさんを怖がらせるようなことは言いたくないのですが」
白雪がやっと口を開いたかと思うと元の曇天の表情よりもひどい顔色になっていた。忙しい女子だ。そんな顔したら恐ろしいことしか待っていないだろうよ……。
久我山が淡々と説明する。
「つぶさに周りの人間関係や素粒子などの変化を観測していましたがこの素粒子がどうやら特定の人物に作用している可能性が出てきました」
「調査を進めていくと奈々幸さんが気分を害すると素粒子が放出されるといったことも判明しました。そして気分を害するようなことをした人物は意識が低下し神経衰弱、人によっては行方不明などになっています。組織の人間が放出者にアプローチすると何が起こるか予想が付きません。これが我々の彼女に直接干渉しない主な理由です」
「……たまたまじゃないのか?」
「我々は奈々幸さんの影響を受けた人物の保護を行ってきました。あわせて調査、聞き取りを進めていくうちに影響を受けた人物たちの初期症状にある傾向が見られました」
「傾向?」
「記憶の欠落です」
いまいち整理がつかない俺をのぞくように見ていた白雪が問うように語り掛けてきた。
「ロウさん、奈々幸さんと出会ってからこれまでに一度でも時間の経過などに違和感を覚えたことはありませんか?些細なことでも構いません」
「……」
「奈々幸さんの発言、行動、感情、状況……」
白雪がポツリポツリと言葉を並べていく。
今日までの奈々幸とのやり取りを思い出す。
面白くないことにここ最近、俺には記憶の欠落までには至らなくとも奈々幸と接する際に違和感があったのは確かだった。忘れっぽくなっていると感じてはいた。殊、奈々幸に関わる事柄について。
学食、ソフトボール、レクリエーション……
認めたくはなかったが。
「あったとしたら?」
「即座に奈々幸さんと距離を取っていただくことを推奨します」
「……すでに俺は嫌われるようなことをしていたってことか」
「現状その可能性があると言えます。彼女を調べてから数年程度で導いた仮説ですので確かなことはまだ……」
俺は目をつむり深く呼吸した。
面白くない冗談だ。からかうにももう少し現実的な理由付けをすべきだったな久我山。白雪も同じ高校出身と言っていたし共作した質の悪いオカルト話だろう。
それに奈々幸から離れてもいいがサークルをやめると杠葉先輩と過ごせる時間が減ってしまうではないか。
「まぁ信じるかどうかは俺次第って最初に言ったからな」
久我山は俺の言葉から真剣ではないことを察したらしい。目線を俺からやや天井の方にずらし考えるように言った。
「……私は影響を受けた方々に関わってきました。最初は彼らも大した症状ではありませんでした。ですが結果はお伝えした通り現状、悲惨なこととなっています」
続いて白雪も食いついてきた。
「症状はゆっくりと進みますがある日を境に急速に悪化します。私たちと一緒に行動していたにもかかわらず記憶がない、何をしていたかわからないといった状態になります。最後は……」
人間関係をおろそかにしていた俺でも2人の表情は騙そうなどというものではないことは見て取れた。
「……仮に俺がサークルをやめたとしてもだ、俺が奈々幸のその体質とやらから解放されるのは何か保障はあるのか?」
「今、唯一この症状を遅らせる手立てとして挙げられているのが放出者との物理的な距離を置くことです」
「もし俺が距離を置いてもほかのサークルメンバーに作用する可能性もゼロではないんだろう?」
「その可能性も十分にあります」
「久我山や白雪はどう考えてるんだ?自分たちもひどい状況に陥るかもしれないんだぞ?」
「私たちは覚悟をもってこの仕事に臨んでいます。現状はロウさんの安全の確保が優先されます」
自らを犠牲にしてでも、ということは分かった。
正直、俺にとってこれまでの話はトンデモ空想科学の域をでない。
「話を整理したい」
「どうぞ」
俺は数十秒ほど頭の中で整理し自らに言い聞かせるようにしゃべり始めた。
「奈々幸は特異的な体質で特定の素粒子を放出する。放出した素粒子は特定の人物に作用し害を与える。そして俺が害を受けている人物であり、すでに自分でも認識できるくらいに初期症状が出ている」
俺はしゃべり続けた。
「『Q』という団体は俺に奈々幸から離れるよう推奨している。そうすれば今出ている症状が抑えられる可能性があるということだったな」
「ご理解が早く助かります」
久我山が俺の方に微笑みを向ける。忌々しい。
俺はすでに何を言うか決めていた。
「結論から言うと俺はサークルをやめない」
久我山、白雪は口を一文字にして目を見開いた。
「この話が本当だった仮定して、俺がサークルにいようがいまいが症状は進行する可能性がある。現状、俺だけ奈々幸の体質の影響を受けているのだとすれば俺がヘイトを買えば被害は俺だけで済む」
「理解はできますが共感はできません。最悪の場合を想定していますか?」
「わかってるよ。ただ俺は久我山と白雪の態度も気に食わない。自分たちは被害を受けても構わないっていう姿勢がいけ好かない。俺が嫌われてるっていうだけの話だろ。それだったら俺がこの始末をつければいい話だ」
白雪が諭すように俺に語り掛けた。
「お気持ちはうれしいです。理解いただきたいのは奈々幸さんの体質はまだまだ未知のものです。これまでの被害はそれぞれのタイミングで1人だけでしたが被害が拡大して同時期に複数人の被害が出る可能性もあります……」
可能性、という言葉を上げればキリがない。堂々巡りに感じ嫌気がさしたのだろう。俺は声を荒げてしまった。
「俺は!」
「……俺は……折角知り合えた、できた仲間っていうにはまだ早いかもしれないが知り合いをなくしたくないんだ……」
自分でも本心かどうかわからない言葉が口から出てしまった。最後の方は消え入りそうだった。
久我山は真剣な表情で、白雪がうれしそうな困った表情でお互いの顔を見合った。
言ってから恥ずかしくなって下を向いてしまった。
恥ずかしくてたまらなかったが必死になって付け加えるように言葉を添える。
「それに先輩たちに会えなくなるのも嫌だし、もしサークルをやめて大学内で顔を見合わせて気まずくなるのもいただけない」
白雪が肩にかかったポニーテールを触りながら意地悪そうに笑う。
「杠葉先輩に会えなくなるのも寂しいですもんね」
「なんで杠葉先輩でてくる!?」
はぁ、とため息をつく久我山。
「もう少し目線を抑えるというか隠す努力はした方がいいと思いますよ」
「……べ、別に意識とかはしてない!」
「大学生にもなってそれでは先が思いやられますね」
俺は半ば無理矢理、話題を切り替えた。
「奈々幸についてだ!可能性の話をするのであれば今後、悪くなることもあればその逆もあるはずだ。今回のケースでは俺を実験台として使えばいい。回復が不可能になれば見捨ててくれても構わない」
決して志は高くない無駄な正義感と責任感を持ち合わせた俺が無責任な発言をしてしまったと今でも思う。
久我山は柔和な顔つきになる。
「私たちは決してあなたを実験台とするような行為にさらしません。ですがこれから先は覚悟が必要です。どこまで続くかわからない奈々幸さんの体質にさらされ続ける覚悟です。私たちもロウさんがどうなるかわかりません。ですがどのような状況になっても見捨てはしません」
久我山と白雪がこちらをまっすぐ見つめていた。
「僕たちはサークル仲間ですから」
黄昏時、夕日がどこかさびし気な講義室を照らしていた。
俺は大学に入って初めて友人ができたように感じた。
まだ説明してほしいことが多くあるがこの日はこれまでとして俺らは解散することにした。
最後に久我山から
「このことはくれぐれも奈々幸さんには内密にお願いします。言っても信じてくれそうにありませんが」
と念を押された。
よくわからない状況になったのは確かだ。悠々自適に大学生活を謳歌し大学デビューを果たそうとした矢先にトンデモオカルト話をされたわけだ。
普通、何かの勧誘かと感じる方が自然だと思う。
だが、俺はこれから後悔してもしきれない事態になることをこの時はまだわかっていなかった。
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