2.而今2
大学のサークル『リース』に入ることとなった主人公ロウは加賀美奈々幸の一癖ある行動に翻弄される。新たなメンバーも加わりサークルの新入生を対象としたレクリエーションを行う。奈々幸の新たな側面がうかがえた。その後とある人物から声をかけられその場へと向かうのだが……
先に奈々幸とのセカンドコンタクトまで話したと思うがここではサークル『リース』での新入生を対象にした校内にある施設を歩き回るレクリエーションについて話そうと思う。
履修登録をすました俺はその後初めて、大学の講義を受けることとなった。
実際受けてみると自分が思っていた授業とさして変わらず、基本的に一方的な座学をその日は一通り受けた。ほぼほぼ入学当初は各学問の概論のような講義であり、簡単に言うと入門編みたいなものである。
また自分の専攻と関わりのない学問も単位のために取るような授業が大学にはあった。
法学、心理学、必修であったが体育のような授業もあった。
その日の講義はほとんど受け終わり、することがなくなった俺はそれとなくサークル『リース』へと向かおうとしていた。
天真爛漫な杠葉先輩の笑顔が最初に浮かんだ。どこか天然系な感じもあるが柔和であり、多くの所作から格式の高い、名家出身の人物のような印象を受けていた。安直ではあるが高嶺の花とはまさに彼女のことを指すのだろう。
しかし俺には不倶戴天とまではいかないが入学早々、辛酸と苦虫を煮詰めて飲まされるような気持ちに陥らされるほどの錯覚を覚える、忌々しい人物もこのサークルに入ったわけである。
サークルに入会することを保留にしていたのだが彼女の一言によりなし崩し的にリースに入会することとなった。
読者諸君はすでにご推察とは思うが改めて伝えておきたい。その彼女こそが加賀美奈々幸だ。
奈々幸の容姿はテレビドラマでヒロインを演じる女優かそれ以上に完成されていたが性格そのものは包み隠さず述べさせてもらうと変人である。
その謂われとなるエピソードがこの短い間に何件か起こっていた。
奈々幸は微生物の座学の授業で最後の質問の場面で
「この講義の本質的な面白さはどこにありますか?また学ぶことでどのような楽しさを獲得できますか?」と講師に聞いた。
この授業は一年生を対象にした必修科目であるため必然的に同じ学科の一年生がほぼすべてその教室にいたわけである。
そのすべての眼差しを奈々幸は一身に受けた。語るべくもないが講師さえも思いがけない言葉に唖然と言った表情だった。
奈々幸の突飛な質問に俺は頭が痛くなった。
残念ながらこの学科で知人と呼べる人物は彼女をおいてまだ他にはいなく、また少なからずとも同じサークル仲間である奈々幸が悪目立ちしているのに耐え兼ね俺はゆっくりと目をつむり溜息を床に向けて流す。
学びに来ているのだからそういったことは本来、自分から探すものであると俺は感じていた。
これで終わっていれば、いささか珍妙ではあるが入学当初に入って来たやる気のある学生の一人であるという認識で終わっていたであろうが何を考えたのか今度はきょろきょろし始め、見つけたといわんばかりに俺の方を向き、「ロウ!あなたもそう思うでしょ!」と言い放ったのである。
俺はさぞ驚いた顔をしていたであろう。鳩が豆鉄砲を食らうとかそんなレベルの話ではない。
彼女の言っていることが唐突すぎて理解は及ばなかった。
「……君もこの講義に疑問がありますか」
講師が俺に冷淡な目を向ける。
「あ、いや、その自分は楽しく受けさせてもらっています……」
あまりにも驚きすぎたためこの時の記憶がいまいち判然としない。
奈々幸は俺に侮蔑に近しい表情を向けていたのである。
生まれて初めて女性に対して「この女……●●●」と放送禁止用語を思ったことは心の奥底に秘めておきたい。
また体育の授業ではソフトボールを行っていた際にはファーストを守っていた俺は必然的に内野ゴロなどがあるとコースアウト目的でこちらに投げられることが多くなる。
あわせてこの大学の体育の授業は男女混合。
言わずもがな、奈々幸もこの体育に参加している。そして奴は同じチームでレフトを守っている。
この頃は俺の考えが浅かった。というか奈々幸に対してまだ理解が及んでいなかった。
結末はご高察の通りだ。
スポーツ経験者らしい男子がバッターボックスに立ち、初球をレフト線に引っ張り、強烈なゴロが普通の安打となる……はずだった。
俺はレフトに転がったボールを見送り、ほうけていたわけである。バッターだった男子もヒットと確信したために小走りにファーストに向かって来る。
だがこの奈々幸という女は一味違う。
奴は猛ダッシュでボールに突っ込んできた。
ワンハンド、つまりグラブだけを地面に近づけ、ボールをキャッチ。
そのまま、ソフトボールを握りしめ勢いをつけてこちらに投げ込んできた。つまるところ、レフトゴロを狙った格好だった。
人間の意識には特定の瞬間に物事が認識できないタイミングがあるそうだ。
この時がそうだったのであろう。
次の瞬間にはボールが「シュー」っと風を切って俺の眼前まで来た。
目覚めた時には保健室のベッドの上にいた。ちょうど額にあたったらしく脳震盪を起こしたと保健室の担当者が説明してくれた。
おそらく直撃した時には鈍い音が響いたのだろう。体育の担当者が慌てふためき、俺の方に飛んできたらしくそのまま保健室に直行だったようだ。
球技は嫌いではないがこの時ばかりは恐怖を覚えた。
「取れないあなたが悪いわ」
後に奈々幸とこのことを話した時に反省の色が何一つ見えない口調で言っていたことを今でも覚えている。ほうけていた俺も悪いがいたわる言葉をかけるのが筋ってものだろう。
場面が変わり、とある日の昼食時。
昼食をとるときはいくつか候補があるが俺はよくサークル塔の方にある学食に通っていた。
単純にうまくて安いからである。
その日はアジフライ定食を食べようとしていた。空いている席に座りとあることに気づく。
箸を取り忘れていた。
そのこと気づいた俺は取ってきたアジフライ定食をお盆事そのままその席のテーブルに置いていたわけだ。せいぜい数十秒くらいだろう。席を空けていたわけであるがその間にマジックが起こった。
席に戻ってきた俺はすぐにあることに気がついた。アジフライが3尾の焼きししゃもに変身していた。俺は何が起きたか理解できず、意味もなく机の下なども探す。
どこにも見当たらない。
俺のアジフライは焼きししゃもへと成り下がってしまった。
もしかしたら誰かの席と間違えたのかと思い5分ほど考え混んでいたら、
「ししゃも嫌いなの?」
と女性の声がした。
声のした方を向くと奈々幸がお盆をもって返却棚へと食器を下げようとしていた。
「あ、いや、アジフライ定食をとって来たんだけどししゃもになってて、意味がわからんかもしれな」
俺が言葉を言い切る前に奈々幸は告げた。
「それ、私が交換してあげたの。ししゃも好きそうだったから」
奴はそういって颯爽とその場を去っていった。一片の迷いもなく闊歩していった後姿はランウェイで衣装を魅せるモデルのような立ち居振る舞いにさえ見えた。奈々幸の身長は一般女性のそれよりも高いためより際立った。
それはそれとして普通に窃盗である。
まだヤバイ話は尽きないがこれぐらいにしておきたい。思い出すと俺の社会通念という常識を持ち合わせた脳みそが奈々幸の珍妙な一挙手一投足により崩壊しそうだからだ。ご理解いただきたい。
そろそろ楽しい話でもしたいものである。
リースの先輩方が話していたレクリエーションが週末行われるといった説明を先日うけた。それがこの日だった。
俺は午後の授業を終え、杠葉先輩の可憐な雰囲気を想像し悦になりながら部室へと向かう。
サークル塔の入口すぐの横にあるコンクリートの螺旋階段を上ることにもう慣れた自分がどこか恨めしくなる。
当初は入会を保留しようとしていたが奈々幸の歯に衣着せぬ物言いと自分のことなかれ主義な部分(もとい、もの言えぬ部分)でうっかり入会をしてしまった。
まぁ、先輩方いわく掛け持ちOKだそうなので徐々に姿を消すといった手法も思い浮かんだが犬も食わない責任感を持ち合わせていたのと杠葉先輩の悲しむ顔を思い浮かべると心が痛むのでこの手法は一時中止とした。
203号室まで来ると自然とのぞき窓から誰がいるかを確認する。
今回出席していたのは西宮先輩、杠葉先輩の他に見知らぬ男女2人が机を囲んで座っていた。新入生か上級生かわからなかったがとりあえず部室に入ることにした。
「……ども」
簡単な会釈で済ました。普通に挨拶するだけなのだがまだまだ抜けないコミュ力不足が邪魔をする。
「やぁ、お疲れ様」
「こんにちは」
西宮先輩は片手を上げ陽気にこちらに反応し、杠葉先輩は白百合が如く気品を感じさせる笑顔をこちらに向け挨拶してきた。
「こんにちは」
「よろしくお願いします」
先に男子の方が軽く会釈をして追うように女子の方が挨拶してきた。
俺は空いている部屋の左側の席に座るため男女2人の後ろを通り、目的の席に着く。
「では改めて自己紹介をお願いしても構わないかな?」
早速、西宮先輩が挨拶を促す。
先に反応したのは同じく男子の方だった。
「はじめまして。海洋学部一年の久我山慧です。このサークルに以前にオープンキャンパスで知って入会してみたいと思いこちらに来ました。よろしくお願いします」
右斜め横に座った久我山と名乗る人物がこちらに向かって実にさわやかな笑顔で挨拶してきた。
久我山は端的にいえば男前だった。体は細すぎず、体全体の肉付きがよく体育会系の雰囲気を醸し出してはいたが人当たりはよく柔和な印象を受けた。
顔は塩顔とでもいうのだろうか。目じりがやや下がっていたが口角が自然と上がっており好青年といった感じだ。
高校であれば男女ともに人気が出そうな佇まいだった。そんな彼の人当たりの良さがこの短時間で伝わった。青いシャツに紺色のチノパンと無難な格好をしていた。
卑屈な俺からすると一生縁がないような人物のように見えた。
「はじめまして。私は白雪恵麻です。動物科学部です。一年生で、久我山君とは同じ高校出身です。私もオープンキャンパスの時にリースのことを知ってこちらに伺わせていただきました」
やや小柄であるがどこか幼さ、あどけなさが残るが端正な顔立ちだった。ポニーテールがチャームポイントでやや茶色く髪を染めていた。
白雪も人付き合いが豊富なのだろう。
物腰柔らかな雰囲気と社交性を持ち合わせて話しやすいオーラを醸し出していた。大きな瞳が優しくこちらを覗いていた。その日、白雪はパステルカラーのゆったりとしたワンピースに身をまとっていた。
俺が改めて両者に会釈をすると今度はこちらの番であると考え自己紹介をしようとした。
「よろしくお願いします。自分は……」
「ロウさん、ですよね?」
久我山は俺が自己紹介をすます前に俺のここでのあだ名を言い当ててきた。正直、何故その名前を知っているのかと不思議に思ったがすぐに答えが分かった。
「なんで……」
と疑問形で暗に知っている理由を聞いた俺。
「必修科目で一年生はある程度同じ教室にいることが多く、あなたともう一人の女性が注目の的となっていたの拝見しました」
「私も同じく。ロウさんのお名前は聞いたことがあります」
奈々幸の行動は同じ一年生内でも広まっていたらしい。おそらくあの講師とのやり取りのときだろう、というかむしろ今はそれしか思いつかない。
「もう名前を知られているってことは結構人気者だったりするのかい?」
「いや、加賀美が授業中に自分の方に話しかけてきてそれが注目の的になったというか」
「加賀美さんが講師の方に面白い質問をしていたこともありますけど、彼女はかなり一年生の中で異彩を放っているので話題になっています」
フフフ、といったふくんだ笑いした白雪が補足した。
「加賀美さんはどこかミステリアスでルックスも素敵ですしね」
杠葉先輩が素直に奈々幸について語った。
初日にここであったときは特に話題にはあがらなかったがやはりといっていいだろう。
奈々幸は一年生の中でもまた上級生にも徐々にその特異な性格とモデルや女優をやっていると言ってもまかり通る容姿が関心を集めていた。
俺が知らないだけで以前のようなおかしな行動を他でも行なっていることに違いない。
正直、奈々幸が誰かと楽しく談笑しているといった場面に遭遇していない。まだ入学したてでそこまでの人間関係を構築するほうが難易度は高いと思うが。
俺の個人的なイメージだが奈々幸の見た目やあのオーラならすぐさま人気を集めそうなものであると考えていた。
そんな話をしていると奈々幸と渡良瀬川先輩が同時に部室に入って来た。
「お疲れ様」
「お疲れ様〜」
「失礼します」
渡良瀬川先輩がはてっといった顔をして久我山らに一瞥して西宮先輩の方に顔を向ける。
「改めて自己紹介をお願い」
渡良瀬川先輩に向けて久我山と白雪の方に挨拶をするよう促した西宮先輩。
先程と同様に挨拶をした。
渡良瀬川先輩もそれに呼応するように改めて挨拶した。
奈々幸の番である。
「加賀美奈々幸です。よろしくお願いします」
「加賀美さんもこのサークルに参加していたんでね!お話ししたかったけどなかなかできなくて……」
「そう?いつでも話しかけてもらって大丈夫。あと私のことは奈々幸って呼んでもらえるとありがたいわ。ちょっと思うところがあってね」
わずかに頬をあげた明るい表情はほとんど変わらないように見えたが憂げな機微がうかがえたのは俺の思い込みだったのかその時はわからなった。
俺が冒頭から「奈々幸」と言っていたのはこのことが発端である。
「ではこれからは奈々幸と呼ばせてもらおう。サークルの諸君も以後そうするように」
西宮先輩はチームリーダーとして優秀な人物であった。言葉には表せない奈々幸のそこはかとない思いを汲み取りつつその場の空気を一掃するように言葉をその場の全員にかけた。
「早速だけど、時間も限られてるしレクリエーションをしていこうと思う」
「今いるメンツで7人。多ければチーム分けしてって考えていたんだけどこのままでいこうと思う」
心の片隅に感じていたところではあったが先輩方は結局3人のみなんだろうかという言葉はここでは飲み込んだ。
今回のレクリエーションは大学内にある施設を回って何がどこにあるかを見てまわるものだった。入学したての学生との交流と早く大学に馴染んでもらおうといった主旨だ。
部室を出て、先にレクリエーションの支度をした俺に追うように外に出てきた久我山が声をかけてきた。
「よろしくお願いします。改めまして久我山慧と申します」
「ロウさんはなぜこのサークルに来られたのですか?」
ごく普通の当たり障りのない質問をしてきたと感じたのを今でも覚えている。
話はそれるが人は他者と会話するときには12個の話題を持っているべきであるという考えがあるらしい。
人付き合いをおろそかにし人当たりの良さなど微塵もない俺はその時、全くそんなことは知らずこちらも当たり障りのない返答をしたと思う。決して杠葉先輩目的でやましい気持ちがあるとはおくびにも出さなかった。むしろ純真である。
「自分は……この間やってたサークル勧誘で杠葉先輩に声をかけられて見学しに来たらそのまま入ったって感じかな」
「僕たちも同じような感じですね。自由度が高くて参加しやすそうだったからです」
「もう入会を決めた感じ?」
「はい。白雪……さんも入るつもりです」
敬称をつけるのに間があったことが気になった。
「……同じ高校出身なのによそよそしい感じだ」
「同じ高校ではあるのですがクラスが違ったので」
「なるほど」
他のメンバーが部室から一斉に出てくる。
一年生、上級生の女子はすでに和気藹々といった雰囲気で特に白雪が楽しそうに話していた。
意外だったのは奈々幸の笑う顔が見られたことだった。これまでに楽しそうな顔を見たことがなかった。思いのほか無邪気に笑うものであると感じた。
「あの先生、まだそんなことしてるんだぁ」
歩きながら部室の外の廊下に出た杠葉先輩が白雪と笑いながら話していた。
「ここでたむろしてると邪魔になるから下に降りようか」
女性陣が談笑しているのを見ていた俺らに渡良瀬川先輩が階段の方に手をやり先導した。
俺らは後ろについて廊下の突き当りにある螺旋階段を下りて行った。そのあとに女性陣もついてきた格好だった。
時計はつけていなかったが午後5時前くらいだったと思う。この時期は日没まで時間がまだあった。
サークル塔周辺ではその他のサークルが活動していた。手品やジャグリングをしている人やバレーボールで遊んでいる人などこの時間でも多くの人が活動していた。
入学前は教室で講義を受けるイメージが強く大学生活に想像力が働かなかったが大学というのは思いのほか賑やかなのだ。
どのように自分が過ごしたいかによって変わってくるがその選択肢は広い。
「やらせてください!」
気温が下がり心地よい夕方の風に酔いしれているといつのまにか奈々幸がジャグリングをしている男性に話しかけていた。ネズミでも見つけた猫のように一瞬にして移動していた。
戸惑いがあった男性が奈々幸の好奇心からくる勢いに負けたのかあっさりとシガーボックスを渡した。
最初はおぼつかない感じであったが何回か試行していると器用にシガーボックスを操り始めた。俺もそちらに近づき楽しそうにそれで遊んでいる様子を観察していた。
「器用なもんだな。なにかそれらしいことやってたのか?」
「いえ、特にやってはなかったけど一度はやってみたいと思って」
口元が緩んで楽しそうにジャグリングをしていた。
奈々幸がしばらくの間、楽しんでいるのか突然それをやめた。
「ありがとうございました」
奈々幸は軽く会釈してシガーボックスを男性に返した。
スンっといった感じにいつもの凛としているがどこか寂しそうな顔に戻った奈々幸。
その様子を見て若干動揺する俺。
奈々幸は様子を見ていた杠葉先輩と白雪の方に戻っていった。すぐにまた談笑を初めていた。
女心と何とやらと言うが今回の場合はエベレスト山頂の天候でさえももう少し変動の兆候を現すだろうと感じさせるほどコロコロと顔つきが変わりつかみどころがないと思った。
数分程度か、そんなこんなをしていた。周りの様子を見ているとサークル塔の方を見ていた渡良瀬川先輩が目に入った。
「西宮先輩、大丈夫ですか?」と大きめな声を203号室の方向に向けて放った。
「大丈夫、今行く!」と返答があった。
気が付かなかったが西宮先輩が先発した俺らの集団にいなかった。西宮先輩はいやはやといった感じにこちらにかけてきた。
ヒールが付いたサンダルの音がこちらに近づいてくる。
「部屋の鍵、そろそろかえてもらわないと時間がかかって仕方ないね。かみ合わせか何かが悪い」
「運営に言わないと、ですかね」
「私の方から言っておくよ。早々にレクリエーションを始めるとしよう」
西宮先輩から簡単に説明があった。レクリエーションといっても基本的には大学敷地内を練り歩くようだった。歩く間に先輩方または新入生同士でおしゃべりをして情報交換をする。
理系学部が入るこの大学では講義棟はもちろん研究棟、牧場、農場、試験場、放射線を扱う施設もあればいつも使う購買、学食、生徒が集うホールなどめぐる場所は多岐に渡る。
各学部によって使用頻度は異なる。海洋学部の生徒はそうそう農場に行かないし、農学部の生徒は臨海研究所などめったに使わないだろう。
話がそれたので当時のことを語りたい。
語りたいと言っておきながら語るべくもないが俺は読者諸君の知るところであるが杠葉先輩と話したかったわけである。そのために入会したといっても過言ではない。
ところがそうそううまくいかないのが我が人生である。
引き続き杠葉先輩、白雪、奈々幸の女性陣の話に花が咲いていたようで残った4名で雑談していたわけだ。
まずは俺としてはあまり使わないであろう牧場、農場などに足を向けた。
「私はたまに来るけどね」
西宮先輩は獣医学部なので利用する施設の幅は広い。
「僕はちょくちょく来る」
農学部の渡良瀬川先輩も自身の利用頻度を語った。正直、ほかの学部が何をやっているのか気にはなっていた。特に獣医学部など俺の知能では関わることはほぼないだろう。
「に、西宮先輩、獣医学部ってどんなことするんですか?」
俺は唐突に西宮先輩に質問した。自分の積極性に驚いたところである。
「んー、座学はもちろんやるけど実験、臨床、病理とか実地での勉強もあるよ。実際に動物に触れてみてって感じももちろんあるし、今だと悩ましい分野は薬理学でもちろん座学では理解できるけど実際の服薬、投薬となると正しい選択は……」
西宮先輩は良くも悪くも丁寧である。実に多くのことを教えてくれたが脳が処理落ちしそうな情報量をいただいていたので途中で大きくうなずき耳を傾けているふりをしたことは秘密としたい。
久我山は知性的で控えめ、そして社交性の高い人物ではあるがしたたかな男である。西宮先輩の話が長くなるだろうと察していたのだろう、渡良瀬川先輩とたわいのない話をしていた。俺の興味本位の質問に無尽蔵の知識を与えてくれる西宮先輩を止めてほしい。
入学したてで頼れる人物は皆無である俺にとって現状頼れるのは先ほど出会った一年生男子、一人のみである。
久我山の方に目をやるとこちらに気づいた。何を勘違いしたのかにっこり笑い、包み隠さず言わしてもらうと若干ではあるが気色悪い笑顔のみを俺に与え、渡良瀬川先輩と話し合いを続けていた。
その点、同じ一年生の奈々幸はある意味、打開が彼女の領分と言っても差し支えないだろう。俺は奈々幸の予測の付かない行動に一家言ある。奈々幸の常識とか普通とかの考えには制御や管制ソフトウェアがインストールされてないらしい。
西宮先輩はかしまし娘三人を背にして俺と話していたわけである。
俺は西宮先輩の向こう側にいる女子三人も視界に入っていた。
そんな中とある人物が何かに気づいたらしく、『それ』を目で追い自然と体が動いていた。
こういった場合は疑いもなく奈々幸が主体である。
どうやら奈々幸は『それ』を捕まえたらしく、何を考えたのか自分の首に巻き始めた。
どうやら気づいているのが俺だけだったらしいが俺は自分の視界の中で何が起こっているのか認識できなかった。千言万語、西宮先輩の話は止まらずどちらに集中していいのかわからないでいた。
奈々幸の様子をうかがっていた俺に奈々幸はうれしそうに、無邪気にこちらに笑顔を見せた。
久我山も整ってはいるが彼とは異なり一流女優ばりの端正な顔立ちをしたこの時の奈々幸の笑顔はまぶしいものであった。
海外ではこういったのをクレイジーと称するのだろうか。
『それ』は見事な市松模様で首の周りは黄色く彩られ鮮やかなものだった。体長は判然としないが100センチメートルぐらいあったと思う。結果から言おう。ヤマカガシである。
仕舞には俺の視線は奈々幸にとらわれてしまいそれに気づいた西宮先輩に淡々としこたま怒られていたのは今となってはいい思い出である。
ただ張本人の奈々幸はしおらしくなるどころか明朗快活とはこの女のことを指すのであろうと言わんばかりに終始楽しそうだった。
その後、図書館、博物館などを回ったが私語厳禁な場所でその都度、奈々幸は俺を笑わそうとしてきた。今度は俺をやり玉にあげるつもりなのか。性悪説信奉者である俺のどぶ川のような色をした心は彼女の行為を悪意と感じていた。しかしながら存外、奈々幸は無邪気であった。
子供心を子供時代に置いてくるのを忘れてしまったのか奈々幸はイタズラするのが楽しくて仕方ないといった雰囲気であった。奈々幸ご所望のリアクションをこちらがすると満足そうな顔をするのだが慣れてきたころに何かを図られても食傷気味なる。
それが気に食わないらしく不満げな顔をする。俺は疲れていたのかその時の記憶が飛び飛びである。
西宮先輩にいたっては奈々幸の行動に気を取られ疲労の色をうかがわせっていたのは強く覚えている。
その日は午後6時過ぎにサークル塔の部室に戻り解散に至った。
翌週、その日は一通り講義を受け終わったころである。前日にとある人物に声をかけられ指定された時刻に指定された講義室に来るよう頼まれた。
改まってどんな用事なのか、わざわざ呼び出すこととは何だろうかと考えながら目的の場所に移動していた。指定された場所はずいぶん前に建てられた講義棟で鳥瞰すると縦に長く伸び階段状になって教室が連なっている三階建ての建物だ。
目的の講義室にたどり着き後ろの扉から入室するとその人物は木製の講義机に座っていた。正確には人物たちだった。
室内はすでに傾き始めた夕日が差し込んではいたものの学校と名の付くところはいつもなぜか不気味に感じるもので、その時もその人物たちの背中が怖く見えた。なんせ彼らと俺以外いないため余計それは際立った。
俺の存在を察したのかこちらを向き、向こうから声をかけてきた。
「こんばんは」
「あ、ああ」
うろたえていた俺は彼らとそこそこの距離があったためこちらから近づいた。
「どうしたんだこんなところで?」
俺は呼び出されてはいたが実際、何の話があるのか詳細を聞いてはいなかった。
「突然お呼び立てしまいすみません。突然なのですがお願いがあります」
「あ……うん。え?」
「オールラウンドサークル『リース』をやめていただきたいのです」
彼らの真剣な眼差しは一片の迷いも曇りもないものだった。
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作者の励みになります。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
これからもよろしくお願い申し上げます!