1.而今
大学に入学して間もなく、奇怪な事件に巻き込まれゴールデンウィーク真っ最中に俺はまた犯罪者にされそうになっている。
『沈黙の螺旋』という言葉をご存じだろうか。端折って説明するとある意見がマイノリティかマジョリティかはマスコミが持続的に報道することによってマジョリティの方の意見が増大され、マイノリティの意見は沈黙へと収束してかき消されてしまう。
今回の事件ではマスコミ役がとある女となるわけであるがめんどくさいことこの上ない事態に直面している。
平成も終わり、現代の日本で人為的に部屋に閉じ込められているのだ。
監禁とか幽閉とか細かい言葉の違いはどこにあるんだろうとどこか冷静な自分をおいておくとして、どのようにこの致命的な勘違いを閉じ込められたこの状態から解くべきか、それをまず最優先に考える必要がある。
「どうしたものか……」
なぜこのような事態に至ったかを後述するとして、すべての元凶はあの女にあるといっても過言ではない。
もちろんあの女とは加賀美奈々幸、その人物である。
奈々幸にも原因があるのだがこれまでの出来事が奇天烈すぎてまだ夢の中にいるようである。
むしろそうあってほしい。
ここではまず奈々幸との出会いを説明したい。
奈々幸と出会ったのは大学に入学して、オーラン(オールラウンドサークル)に見学に行った時だった(正確にはそれ以前に出会っていた)。
よくある入学時の新入生歓迎のサークル勧誘でオーランの存在を知ったわけだ。
高校生活という十代で一番輝かしい時間を勉学につぎ込みやっとの思いで大学に入学した。
うだつの上がらない高校生の時とはおさらばして、いわゆる大学デビューというやつを一念発起して行おうと考えていたわけである。
その足掛かりとしてサークルに入り、人間関係を豊かにすることを以前から考えていたのである。
ただここ数年間、オシャレや友人付き合いを大学合格という宿願の対価にしてきた俺にとってはどうすれば新しい環境で友人やあわよくば恋人を作れるのかはまったくもって無知蒙昧だった。
またコミュニケーション能力という目に見えない現代社会ではSSR並に重宝される能力を高等学校や予備校以外の場所で習得しなければならないらしく、この日行われていたサークル勧誘ではただただチラシを渡されるばかりで大学の広場を右往左往していた俺にある人物が声をかけてきたわけである。
「もう入るサークル、決めましたか?」
肩掛けバッグにもらったチラシを詰めようとしていた時、後ろから女性の声が聞こえた。
すぐさま振り返ると『令嬢』というにふさわしい程の美人がそこにはいた
どう説明していいかわからないが目玉が三回ほどぎょろぎょろと回転させたことを今でも覚えている。
「あ、あ、いや、まだ回って見ていて……」
俺は持ち前の対人能力不足と勉強しまくって滑舌を高校に忘れてきたために突然話しかけられ挙動不審この上ないこととなっていただろう。
言葉に詰まっていた俺にその令嬢はナイチンゲールもかくやと言わんばかりに優しく緩やかに語り掛けてくれた。
「私、オールラウンドサークルの『リース』っていうサークルの副代表なの」
「……オールラウンド?」
最近までテレビはもちろんネットも必要最低限にしか使用していなかった俺にとっては馴染みのない言葉だった。
なぞるように口に出し、疑問形で返してみる。
「あ、オールラウンドサークルっていうのは一つのことに集中して活動するっていうよりかはスポーツだったり旅行だったりいろいろなアクティビティに参加して交流を深める感じのサークルなの」
「略してオーランとか言ったりします」
「……遊ぶイメージが強い印象ですね」
ここでも受験シーズンに培ってきた俺のネガティブ思考が先行していらぬ言葉が口に出しまう。言ってからやってしまったと落胆した。
「ふふふ」
片手を口元にあて隠すように笑う。白いカジュアルなワイシャツに黒いロングスカートをまとった彼女のセミロングの黒髪ゆるふわウェーブが優雅に笑いとともに揺れる。
「今の説明だとそうなるね。もちろんそれぞれの学科の先輩だったりからテストとかにアドバイスをもらったり、就活の時にはサークル参加者や卒業した先輩からのフォローがあるから入っておくだけでも結構得だと思うよ」
「縛りが強いクラブ活動とは違って参加したいときに参加してもらうっていう方針だからおすすめだよ」
「はい、これウチのチラシ。サークル塔の203号室が私たちの部屋だからよかったら訪ねてみてね」
そういって彼女は手を振って去っていった。
大きな瞳、きりっと整った顔のライン、優雅でいてどこか怜悧な雰囲気をまとった彼女にこの時には既に惹かれていた。
渡されたチラシを握りしめながらしばらく立ち尽くしていた。数分後に我に返りこの後に重要な学科の説明会があることを思い出しそそくさと移動する。
学科全体の入学説明会は新1号館と呼ばれる大学中央に位置する現代的なビルの講堂で開かれるらしい。
1階と目的階には誘導員がおり、すぐに講堂の指定された椅子に着くことができた。
程無くして担当者と思われる人物、数名が講堂に現れ説明を始めた。
学年主任から挨拶から始まり履修登録方法や各施設の場所、利用方法などを学科の担当者から淡々と説明された。
いつの時代も変わらない杓子定規な講釈はもちろん頭に入らず、令嬢のことをばかりが頭の中に広がった。その時、人として一番最初に聞くべきことを忘れていた。
令嬢の名前を聞き忘れていたのだ。
確か彼女はサークルの副代表と名乗っていた。もしかしたら、さっきもらったチラシに彼女の名前が明記してあるかもしれない。俺はバッグに急いでしまったチラシの束からオーランサークル『リース』のそれを探す。
「……あった」
自分でも聞こえるか聞こえないかの小ささで独り言をつぶやく。
『オールラウンドサークル『リース』!一緒に交流を深めませんか!』
サークル名、活動内容、部室またうたい文句じみたものが青色と黄色を基調としたチラシにポップに描かれていた。どうやらチラシの使用は大学側の認可を受けているらしく認可印のようなものが押されていた。
結果としては彼女の名前は記載されてはいなかった。
徒労とはまさにこのことで自分でもなぜこんなに焦って彼女の名前を探したのか今でも謎ではある。
しかし男(少なからず俺は)とは悲しい生き物でやはり気になる異性について一つでも情報が欲しくなってしまう。
ここで俺は『リース』に見学しに行くことが頭によぎった。
このチラシによると大学の広場から歩いて数分程度で令嬢の言っていたサークル塔があるらしい。
サークル勧誘のその日に部室に彼女がいるのは当然であろう。
「よかったら訪ねてみてね」
このフレーズが脳内でリフレインされる。十代後半男性は実に単純である。
不思議なもので自然とそのサークル塔へと赴こうという意思が固まっていた。
説明会も終わり、名前順で座っていたため自然と俺は最前列となっていたのだが一気に後方が賑やかになる。他の同じ高校から来たであろう男子たちが群れになったり、女子同士が自己紹介を始めている。
最初にして最難関の場面、自己紹介あるいは友人作りである。
読者諸君、特に大学を目指す貴君貴女に特に伝えておきたいのは友人作りは可能な限り早い方がいい(大体の教育機関では当たり前と言えば当たり前か)。
これは時間がたてばたつほどグループが形成され、なかなか友人関係の構築が難しくなっていくからである。
学科全体のレクリエーションなどはあるが自己紹介の場面などはほぼないため人間関係が希薄だと卒業まで「そんな人いたっけ?」という状態は間々ある。
また顔見知りではあるが挨拶するレベルで特に話す間柄でもない同級生が増えていってしまう。
現金な言動とわかってはいるが授業やレポート提出の際に友人、上級生を頼る場面もあるためやはり友人関係は広いことに越したことはない。
語るまでもないが読者諸君のご賢察のとおり、大学入学のためにこじらせにこじらせた人間的最低限のコミュ力を持ち合わせ、ほんの少し勇気を地元に忘れてきた俺はただただ帰宅の準備を進めるだけだった。
膨大な資料を肩掛けバックとトートバッグにしまう作業をしていた時に窓際に座っていたある人物がふと目の中に入った。
どこか憂いに満ちた雰囲気をまとい、首元まで伸びたボブヘアの女の子。
素直に、率直に言おう。彼女は美人だった。
目鼻立ちはきりっとしていたが十代の幼さがまだ残る女性。
先の令嬢とは違いどこか張り詰め、孤高というにふさわしい雰囲気をまとっといた。
彼女はこちらの視線に気づいたらしくゆっくりと顔をこちらに向けた。
お互いの目線が合う。
初見では気づかなかったが彼女の瞳は緑色というか俺には虹色のような瞳に見えた。
後々知ったことだがこの虹彩の色は中東系の人に見られるそれらしかった。
容姿は明らかに日本人なのだが瞳だけが異彩を放っていたために驚きが自身の目線を外させてくれなかった。
10秒程度だと思うがその時間が続いた。
先に動いたのは彼女の方だった。彼女は荷物をリュックサックかなにかにまとめ始めたのである。
我に返った俺は同じく荷物をまとめてサークル塔へと移動しようとしていた。
「何か御用?」
いそいそと手を動かしていたがやや張り詰めた声色によりピタリと止めてしまった。
声のした方を向くと虹色の瞳を持った彼女が俺の目の前に立っていたのである。
今思うと同じ一回生と会話をしたのがここが初めてである。
「あ、いや……」
俺は言いよどんでいた。
それはコミュ力どうこうとかの問題ではなく、彼女の出で立ちがあまりにも完成されていたからである。
鼻筋はしっかり通っており、きりっとした眉毛、唇は薄いピンク色、顔の輪郭はシャープ過ぎずかといって豊かすぎもしない適度な肉付。
遠くから見ていた眼差しはまじかで見るとこれ以上にないアーモンド形で大きな瞳がこちらを見つめていた。
オーラという言い方をしてよいのであればそれが尋常ではなかった。実際に発光しているわけではないが輝いて見える。
そんな彼女にどう反応してよいか、というか思考が停止していたというのが実際だ。
「意味もなく、人の顔見つめないでくれる?」
彼女の言葉からは抑えた怒気が窺えた。
確かに彼女にはそう見えたかもしれない。率直に反省はしていた。
「えっと……瞳がきれいだなと……すみません……」
「ふん!」
彼女はそう言って前方の引き戸から早々と退出していった。
最後のふん!は正直アニメのキャラクターでしか聞いたことがないようなセリフだったためにそう気分は悪くはなかった。勘違いされないように注意書きさせていただくが俺は特殊性癖は持ち合わせってはいない。
内心、「あぶねー」と思い大学にはいろいろな人物がいるものだと感じた。
周りの数名が異彩を放った彼女とのやり取りに目線だけこちらに向けていたらしく、居心地が悪くなった俺はとっととここを去ろうと身支度を整えそそくさと1階まで階段で降りた。エレベーターだと気まずくなる予感がしたためである。気まずくなる友人知人はいないのだが。
一階に降りると、太陽が傾きかけていることが三方向がガラス張りの窓により見通しのよさから窺えることができた。
新一号館からサークル勧誘が行われていた広場へと歩みを進める。すでに各サークルはこの日の勧誘活動に用いた備品を片付けが始まっていた。
「サークル塔に行ってみるか……」
意を決してサークル塔へと向かう。
意思は固まっていたもののやはり緊張するものは緊張する。
新しい環境に身を投じる時にはそれなりの用意、心構えと最初の一歩が肝心である。
サークル塔までの道すがらファーストインプレッションをより良いものにするため足らない頭をフルに活用して脳内初対面挨拶ロールプレイを行う。
部活や同好会の活動には最初の印象で組織の位置付け(格付け)が決まってしまうことがある。ある種のカーストのようなものだと思ってほしい。
そんなこんなで脳内にコミュ力不足なりに様々なシチュエーションを描いたが結果としてあたって砕けろという元も子もない帰結にいたった。
令嬢の説明通り、数分程度でサークル塔らしき建物に着いた。
モダンな近代建築物といった雰囲気で全体的にコンクリートの打ちっぱなしのような外観で大きな円柱上の建物と考えていただきたい。
203号室と聞いていたために2階にあるだろうと推察し階段を探そうと考えたがすぐにそれは見つかった。
階段を上り始めると螺旋階段になっており、すぐさま二階へとたどり着く。
道なりに進んでいくと201、202とA4判程度の大きさののぞき窓がついた鉄製の扉の横にナンバープレートが付いていた。
それを追うように目をやり203号室の前へとたどり着いた。
読者諸君に改めて進言しておきたい。サークル、クラブやコミュニティに参加する際は下調べをした方がよい。単刀直入に言うと大学という場所はしっかりとした活動内容があり闊達に活動している組織もあればグレーな活動をしていたり、大学や生徒の自治組織から認可を受けず活動をしているグループが存在するからである。
自分語りとなってしまうが興味本位で占い師に占ってもらう機会がありその際に一番印象に残っている言葉がある。
『あなたは小さな賭け事には勝つことができるが、大きな賭け事には負ける傾向にある』と。
賭け事をやらなければ、大博打をするような性格ではないことは俺自身が一番わかっていたことではあるが後々これが自身の行動指針に影響すると気づくのはまた別のお話。
俺の行動力はマイナスに働くことがしばしばある。今回のオーランへと赴いたことが大学の自主活動での最初で最大のミスである。
「いた……!」
203号室ののぞき窓の奥には先の令嬢、男子一人と女性一人が話し合っている様子がうかがえた。
入る前に深呼吸する。
ゆっくりと目を閉じ、鼻から息を吸って口からはきだs……
「こんにちh」
バンッ!
令嬢は思いのほかそそっかしい性格のようだ。彼女がこちらの存在に気づき飛んできてくれたらしい。
鉄製の重厚なドアが勢いよく俺の左肩にクリティカルヒットしたようだった。加えて外側のドアノブが脇腹に差し込まれた格好だ。
目をつむっていた俺は回避も予測もできなかったわけである。
「っつ……こんにちは~……」
痛みを噛み殺しながらなれない笑顔を作る。
「ごめんなさい!痛かったでしょ!ごめんね!ホントにごめんね!」
慌てて令嬢は頭を下げて謝罪した。優美な佇まいからあふれ出る謝意に対して俺はすぐさま心苦しさを感じる。痛みに快楽を覚える性癖は持ち合わせていないがなぜか歯がゆい。
「大丈夫ですよ!意外と丈夫なので。自分」
「来て早々、手荒い歓迎になっちゃったね。どうぞ入って」
脇腹をさすりつつ部室に入ると女性がこちらを見てくすくす笑っており、男性の方もこちらを見ていたが仏頂面に我関せずといった雰囲気だった。
誰しも新しいグループや組織に足を踏み入れる時には緊張するものと思うが俺は過度に反応することがあるため取り急ぎ自己紹介をした。
「こちらの副代表の方にご、ご紹介いただき参上しまっした」
一拍の間があり、先に口を開いたのは前髪が長くやや覇気のない男性の方だった。
「そんな、緊張しなくてもいいよ。運動部じゃないし」
気だるく投げやりな言い方だったが存外、新参者に包容の姿勢を窺わせた。
「僕は渡良瀬川。2年生。農学部」
「ははは、ごめんごめん。私はサークル代表の西宮です。3年生だよ。獣医学部だどうぞ座ってくれ」
いじわるな笑みを浮かばせたショートヘアの茶髪女子が一番近い椅子の方向に手を向けられ俺は背もたれがない丸椅子にいそいそと座った。
部屋は十畳弱程度の広さで、中央には長机、右端にはPCデスクがありそこはやや年代物のパソコンがあった。
旅先で購入したであろうペナントや過去のメンバーの写真が壁に貼り付けてあったり、本棚には置物などが飾られていた。
写真の中には白い縁がついたものもあり、このサークルの歴史を垣間見れた。
コンクリートの打ちっぱなしの部屋の奥は学校によくみられる引き違いの大きな窓があり、見渡しがよく夕方になりかかった空と校内に植えられた樹木が見て取れた。
部屋を見渡していた俺に令嬢は部室に備え付けられた冷蔵庫から緑茶を取り出し、「どうぞ」といって俺の目の前においてくれた。
「改めましてよろしくね。杠葉亜里沙です。さっきも紹介させてもらった通りこのサークルの副代表をしています。生物学部だよ」
驚いたことに杠葉先輩は俺と同じ学部だった。
「自分も生物学部です」
それを伝えると彼女はパァっと明るく真夏に咲くヒマワリのような笑顔を見せた。
「本当!?うれしい……同じ学部に後輩ができた!」
「そらぁ後輩はできるだろ」
西宮先輩は眉を八の字にしながら口角をあげ杠葉先輩の言葉に軽く突っ込んだ。
「だけどたまたま声をかけた子が同じ学部なのはうれしいわ。海野先輩が生物学部だったけど卒業しちゃったからどこか心細くて」
「まぁまずは彼は見学に来ただろうからサークルの紹介とかからが無難だと思うけど」
今度は渡良瀬川先輩が杠葉先輩にフォローをいれる。
「それもそうね!……まずはリースについてなんだけど概ねさっき説明した通りここはオールラウンドサークルでいろいろなアクティビティや旅行などを通じて学生生活を楽しく過ごすことを目的としたサークルです」
続けて杠葉先輩が話す。
「直近で大きなイベントは卒業生との卒業旅行をおこなったの。この時は小樽の方に行っていろいろ食べて回ったわ」
「旅行以外にも街で行われているイベントに参加したり、ボランティア活動とかにも参加してます」
西宮先輩が天井の方に目をやり、思い出しながら
「最近だとラフティングが面白かったね」と語った。
「……テストや実習の時にはみんなで協力して単位とってるよ。過去問だったり講師のクセを話し合ったり……」
渡良瀬川先輩が一応、といった感じに学業について補足したようだった。
俺はふと疑問に思ったことを口にする。
「参加されてる方って他にもいらっしゃるんですか?」
上級生三人が一斉に顔を見合わせる。
つい最近まで人間同士のコミュニケーションをおろそかにしていた俺でもまずいことを聞いたかもしれないと感じたわけである。
苦笑の表情を浮かばせた杠葉先輩。ハハハと乾いた笑いをする。
「サークルや部活って掛け持ちOKだから……来れる時に来るっていう形になりやすい活動もあるんだよね~……バイトもあるしね」
つまるところ幽霊部員もいるような言い草に感じられた。
「毎日来る必要はない。が可能な限りイベントなどには参加してもらいたいのが私たちの本心だね」
西宮先輩が不敵な笑みを浮かべながら、入ったなら来るようにと言わんばかりの眼差しを向けてきた。
「なるほど……」
もらったペットボトルのお茶の頭をカチッとひねりキャップを取り口に運ぶ。
この時、俺は足りない頭をフル回転にして何が正解かを考えた。差して取り柄のない俺にとって無限のような選択肢が樹形図のように脳内に広がった。
悪い人たちではなさそうであるが正直、わからないことが多かったわけである。
大学の授業についていけるかやそもそも一人暮らしの大学生活をうまくやっていけるかなど前途多難だった。
無駄に責任感を感じる質の俺は入ったはいいが来れなくなるなどの心配があることや他のサークルなども見てまわり、それから入会を決めるといった考えもあったからである。
保留、その二文字が頭に浮かんだ。
お茶を何口かに分けて飲むそぶりを見せて時間を作った。
……ガチャ。
飲んでいたお茶を机に置いた瞬間に先ほど入って来た扉の開く音がした。
ちょうど出入口となるドアを背にしていたので俺だけ誰が入って来たかわからなかった
。
「失礼します。リースっていうサークルはここであってますか?」
杠葉先輩がぱちくりと瞬きをして、来訪者に笑って見せた。
「あってますよ!こんにちは!さっきの……」
どうやら女性、おそらく同じく新入生だろう。このタイミングでサークルに訪問してくれるとは僥倖。
バスケットボールのスクリーンを思い描き彼女と互い違いに抜けるようにすればこちらに注目を少なくして部室を抜けられる。尾を引かない退場の仕方。
一言、断りを入れてこの場をあとにしよう。そう考えた俺は無難な言葉を脳内の薄い辞書からピックアップした。
「……あなた……」
部屋に入って来た彼女は座っている俺の右横まで来るとポツリとそう言った。
どうやら俺の方に向かって言っているらしかった。
ゆっくりと彼女の方に目をやる。
虹色の瞳。完成された貌。初見ではわかなかったが佇まいも一流の女優のように堂々と、また凛としたものだった。
先ほどの学科の説明会の彼女である。また目が離せなくなってしまった。
「あ……ども……」
おそらく、たぶん、疑いようもなくここが俺の人生のターニングポイントと言ってもいいかもしれない。なぜ一回目の説明会での邂逅ではなくこの時なのかは俺にも説明できない。
しばらくの間があったのだと思うがこの時くらいからか記憶があいまいである。
入って来た彼女が俺に気づいていた時から杠葉先輩が気を使ったのだろう、鯉口を切っていた。
「二人はお知り合い?」
やや焦ったように微笑んで語り掛けた。
「えっと……」
言いよどんだ俺に対して
「いいえ」
と彼女がキッパリと明確に否定した。
「知り合い……ではないのですが同じ学科です」
苦々しく俺が注釈を入れる。
「まぁ!そうなのね!もう一人、同じ学部の下級生が増えたわ!」
なぜだろう。すでにサークルに入る前提のような言い回しに聞こえたのは俺だけではないはずである。
「立ちっぱなしもなんだからどうぞ、こちらへ」
俺が入って来た時と同様に椅子に手を向け座るよう勧める西宮先輩。
こちらをにらみ付けるようにして固まっていた彼女は目をつむり一拍して、部屋の奥の方に進んでいった。
西宮先輩と杠葉先輩の間に座った。
「では改めて自己紹介をしようか」
よどんだ空気を一蹴するかのように西宮先輩が切り出した。
西宮先輩から順に自己紹介していき彼女の順番になり、さっと立ち上がった。
「加賀美奈々幸です!いろんな経験をしたいと考えています!世界観が変わるようなことに出会ってみたいです!」
ここで俺は初めて彼女の名前を知った。奈々幸。珍しいが覚えやすいような名前であると感じた。
それと同時に最後の方の自己紹介にいまいちピンと来ていないという感想が俺の思考の大半を占めた。
緊張して必要以上のことを口走ったのだろう。
西宮先輩がこちらの方を向き、ウインクしてみせる。俺の自己紹介を促している様子だった。
奈々幸が座ったのを確認して自己紹介する。
二回目の自己紹介。どこか落ち着いていた。
一通りしゃべり終わると
「それじゃあ、あなたは『ロウ』ね」、奈々幸はそうこちらに言葉を放り投げるように言った。
隠すことなく率直に言わせてもらえるとあまり関わらない方がいい人物かもしれない。
それを示すように先輩方がきょとんとしていた。
「……というと?」
流石に渡良瀬川先輩もよくわからなかったのか奈々幸に理由を尋ねた
。
「最後の一文字をとってロウにしました。彼にはその方がお似合いです」
「あー……まぁ仲良くなるにはニックネームみたいなものがあってもいいかもね」
「ふふふ。サークル仲間同士だけの呼び名みたいのもあってもいいかもしれないね」
俺の人生経験がたりないのだろうか。先輩方が寛容なのだろうか。今となってはいまいちどっちでもよかったが奈々幸に一癖あったのは確かである。
「そうだ。今週末、大学の施設を回って紹介するレクリエーションを開く予定だからよかったら来てよ」
西宮先輩が思い出したように俺ら二人に語り掛けた。
「もちろん、入会希望ならいつでも来てもいいよ」と加えた。
どうやらまだ入る入らないの選択肢は残されていたらしい。
「私は!入ります」
奈々幸は強調してリースに入ることを示した。このことが厄介だった。
ここで「自分は遠慮しておきます」とは言い辛くなったためだ。
「自分も……お願いします」
成り行きで言ってしまった。コミュ力不足がここであたかも重たいボディブローとなって響いてくる。
貴君貴女らに後学のために伝えられることがあるとするとアサーティブな考えはしっかりと持っておくことが肝心である。
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作者の励みになります。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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