真円
「………ベネディクトさん」
「危険な感じがしたから、様子を見に来たが、今回のお前は無茶し過ぎだぞ」
ベネディクトに少しあきれ顔で苦言を言われ、篠田は言葉を詰まらせた。
「よりによって、こんなものを呼び出すとは、――――お前、これの呼び出しかたを知っていたな?」
少しだけ声のトーンが低くなったベネディクトの問いかけに、篠田は今度は目線を外す。
「………ただの偶然です」
「ふんっ、偶然ねー。まぁ、そう言う事にしておいてやる。で、コイツで、あの黒い囲いを切ろうと考えたのか?」
それは、横浜の保土ヶ谷の黒い囲いの事なのだろう。
篠田はその問いかけには答えず、目線を外したまま、ただ、力無くその暗い何かをチラッと見た。
「判っているのだろう、篠田。あの黒い囲いの中に、アンナはもう居ない。居るとしたら、これと同じものだろうよ」
そう言って、ベネディクトは暗い何かを顎でしゃくった。
人間大の、表面が淡く輝いている、闇より暗いそれは、明確な意思がある様ではなく、フラフラと漂う様に進んでいる。
「だけど、こんなもの、どうやって横浜まで連れて行く気だ? 言葉はもちろんだが、こちらと意思疎通が出来るかすら怪しい。憑いてもらうのには無理があるだろう」
多くの使い魔を所有し、中には外なる神と呼ぶものさえ従えているベネディクトは、見ただけでそう結論付けた。
「可能なはずです! だって、」
「アンナは、融合出来たからか?」
「………」
「私も、蒼に聞いたから知っている。もし、コイツが式守神様に憑いてくれなかったら、お前もアンナの様に、融合するつもりだったのか?」
「いえ、そこまでは………」
「さっきの行動を見る限り、そうとしか思えんがな」
図星だったのか、篠田は口を継ぐんだ。
「それがどれだけ危険な事か、お前は知っているだろ! 全く、お前といい、あいつといい、責任を感じすぎなんだよ。お前達は、あの時、立派に抗った。多くは助けられ無かったが、お前達も被害者なんだ。悪いのは未国 弘文だ。これ以上、あの男の尻拭いなんてしなくてもいい」
ベネディクトは落ち着かすためなのか、諭す様に会話して行く。
篠田はどこか自嘲気味に笑った。
「そんな立派なもんじゃ無いです。これは、………格好の悪い、俺のわがままなだけです」
「………わがまま、ね」
その様子にベネディクトは軽くため息を吐いた。
「それで、どうする? 願いが叶うまで、これにお願いしてみるか?」
「待て待て、勝手に話を進めるな!」
そこで要約、アガットが会話に加わる。
「そろそろ私も口出しさせてもらうぞ! 篠田といったな? これ以上、この東京を危険に晒すな!」
目を吊り上げたすごい形相だが、ヨーロッパの妖精のような、可愛らしさが拭いきれないアガットに対して、篠田は口を噤む。
篠田は三人目のレナード・ヴィレットと、アガットの戦いをのぞき見していて、彼女の実力を知っている。
街を半壊させた、天才魔法使いのレナード・ヴィレットでさえも、この天使のような少女に、まったく敵わなかったのだ。
「怖い怖いお姉さんが、あぁ言ってるぞ。さて、どうする? 諦めるのか? それとも、私達と敵対して、自分のわがままを貫き通してみるか?」
ベネディクトこ意地悪な質問に、篠田は再びその、暗い何かをチラッと確認する。
その暗い何かは、ゆっくりとベネディクト達から離れて行く。スピードは歩くより遅いのだが、確実に遠ざかって行っていた。
それからは、まるで意思を感じないし、現在も何か目的や目的地が有る様には感じ取れない。
アンナはこんなものを、どう説得したのだろうか。
篠田はしばらく考え込んでいたが、大きく息を吐くと、夜空を見上げた。
周りからは、囲い師として天才と言われているが、結局、俺はあいつらよりも一歩足りない。
「確かに、これ以上は他人に迷惑をかけれないですね。………諦めます」
「そうか、それなら、早くこれをどにかしないとな不味いな」
「ああ、模擬戦といこうか」
そのアガットの言葉が癪に障ったのか、ベネディクトは激しく彼女を睨んだが、今は言い返さなかった。
アガットは、ユラユラとどこかに進む、暗い何かを凝視して言った。
「理解の出来ないと言っても、これは霊体なはずだ」
「あぁ、囲いから出て来たし、蒼の根本的衝動は、霊体を自分の腕に捕える、だから霊体には違いはないだろ」
「そこまでは解るが、この身体の奥から現れる恐怖は何だ? これは、知らないものに対する恐怖心ではない。これを知っていて、怖いと思う類の恐怖だ。身体と言うより、もっと奥に現れる恐怖心なんて、私も初めて味わう」
「そうだな。………それでどうだ? 行けるか?」
ベネディクトのその言葉に、アガットは顎の下に手を置く。
「流石に、素手でこいつに触りたくはない。かと言って、理解出来ない霊体だ。攻撃魔法を打ち込んで、これが薄れたまま動き回り、魂を消し去り続けることになっても困るな」
「確かに。それなら、あんたの根本的衝動で、こいつごと、この辺りを宇宙の彼方に飛ばすなんてのはどうだ?」
確かにアガットは、三人目のレナード・ヴィレットの式守神、笠ノ芋疱瘡明神を指先一つで、空気圧によって砕き四散されたのだ。
しかし、その壮大な案に、アガットは首を振った。
「力加減が難しい。極限まで力を抜いても、こいつは宇宙までは行かず、その場で破壊してしまうだろうな。そうなったら、この辺りまで東京湾にしてしまうだけだ」
しかめっ面したまま、アガットは意見を述べた。
「なるほどな、私の窮極の門の守護者も、中を出して、いけるかどうかだしな」
「そんなのも出すな! 東京どころか、世界を終わらせるつもりか!」
大きすぎる力も万能ではないのか、二人には打つ手があまり無さそうである。しかし、これをそのまま放置すると、ゆっくりとだが、東京の人々の魂を消しながら進んで行ってしまう。
被害が無い内に、何とかしてしまわないと。
そこで篠田は手を挙げだ。
「それなら、俺がやっても良いですか?」
確かに魔法や使い魔で壊滅して、霊体を薄れさすより、囲いで祓った方が安全だろう。しかも呼び出した本人だ。成功する確率は高い。
「囲うのか?」
「えぇ、やってみます」
霊体で、しかも囲いで呼び出したのなら、囲いで返せる可能性は高い。
しかし、呼び出せたのは巨大な霊体を一気に還し、穴を広げたからであって、普通の五十囲いでは無理だ。
ならば、それよりも多角に囲わなければならない。
篠田なら、それは可能だろうと、ベネディクトは頷き、二人は篠田から距離を取る。
「すいません、大きく囲うので、この辺り一帯も囲いの中に入ります。一緒に引っ張られるので、使い魔は出さないで下さい」
「あぁ、わかった」
前もって囲いの準備していたのだろう。そこから彼は、お札も貼りに行かず、意識を集中して行く。
そして、篠田は懐から紙を取り出すと、まるで初心者の囲い師のように、紙に書かれた芒星をなぞって囲っていく。
篠田の指と合わさる様に、明治神宮も入るほど大きく、代々木公園を囲って行く。
しかも、先程の五十囲いのような薄い囲いではない。
線が幾十にも重なっていき、まるで光のドームの様になり、代々木公園が囲われていく。
長く、ずっと図形をなぞっている篠田に対して、ベネディクトはあからさまに驚いた声をあげた。
「おいおい、お前一体、幾つに囲っているんだ?」
その言葉に返答せず、篠田は集中して、指を動かしていく。
先ほどの闇より暗い何かを呼び出す、囲いの持続よりも、この囲いは、もっともっと集中力が必要な為だ。
以前、上高井 翠に尋ねられた事がある。
『篠田さん、なんで囲いは、百八が限界なの?』
『えっ? 別に限界じゃ無いけど』
軽い感じで篠田が答えると、翠は驚きの表情をした。
『限界じゃ無いの?! だけどみんな、最強の囲いだって言ってるのに?』
『あぁ、限界じゃ無い。百八以上は、角度がシビアになるだろ? 角度が一度でもズレると、囲いが発動しないから、みんなそう思ってるだけだ』
『角度の問題なの?』
『だから、測らずにお札を差して行くのは、百八ぐらいが限界。実際は、道具とか使って、キッチリ測れば出来るはずなんだ。今ならGPSのアプリとか使ってな。ただ、道具を使ってキッチリなんて、時間がかかり過ぎるから、現実的では無いから意味ないけどな』
そう言って、その時は笑ったが、そう、キッチリ測ればそれ以上の囲いは出来るのだ。
ただ、その囲えるだけの霊力があるかどうかも必要だが。
篠田は唇を噛んだ。
キツイ。
芒星を描いているだけなのに、一気に霊力が抜けていく。
あと少しなのに、指先も震えて来る。
最後まで集中しないと、少しでもズレれば成功しない、精密機器の様な繊細な囲いだ。
もう、代々木公園内は光のドームで外からは見えない。
「っ――しっ、三百六十囲い!!!」
篠田は肩で息をし、片膝をつきながら、右手で震える左手を支えて、何とかその囲いを完成させた。
これが、ほぼ限界の囲い。
お札からお札の一辺の角度が、正確にキッチリ一度区切りの、三百六十度の囲いだ。
ここまでの囲いは、維持するだけで、力が吸い取られ、立っている事すら出来ない。
あとは、囲いの中心に意識を集中して、左手を握りつぶすだけである。
全力を出せば、東京どころが全世界が危ない、強力な使い魔を従えるベネディクトや、最強の魔法使いと謳われたアガットが、その囲いに驚き、言葉を無くしていた。
「ぅ、ゔおっーーーっっっ!!!!」
大声を上げながら、篠田は左手を握ろうとするが、まるでビクともしない。
「ぉおっーーーっ!!!」
時間にしては数十秒だが、それが長く、何分もの間、握り潰そうとしていると感じた。
「篠田っ!」
思わずベネディクトがその名を呼ぶ。篠田は覚悟を決めると、左手を大きく掲げ上げると、勢いよく地面に叩きつけた。
「潰れろぉぉぉぉぉーーーぅ!!!」
公園の土と言っても、長年踏み締められ固まった土だ。石を殴ったように、拳からは血が飛び散りる。
しかし、反動で少し握れた。
よし! 行ける!
篠田は何度も何度も、左拳を地面に叩きつけた、血だらけになりながら言った。
「こっちの、要件を聞いてくれねー、お前には用がねーんだよ! とっとと、還りやがれ!!!」
最後は囲いの中心に向かって、左手を握りしめる。手の中の何かを握りつぶした感覚があり、囲いの中心に穴が現れた。
だが、その、暗い何か吸い込まれず、平然と動き離れていく。
「なっ! くそ!」
篠田は吸い込まれるまで、穴を持続させるため、目を瞑り、意識を集中するが、その暗い何かはまるでなびかない。
多分、これが本当に最高となる、三百六十度囲いの中を、何事も無いように歩いていく、それの姿を見て、篠田は驚きで目を見開いた。
「うっ、嘘だろ?」
全身全霊で、今まで誰も使ったことの無い、三百六十もの囲いを使っても、この暗い何かは祓うことが出来ない。
その様子にベネディクトは顔を顰めた。
「霊体だと言うのに、囲いでは祓えないのか?」
もう限界だった。篠田は力が抜けていき、思わず左手を開く。
その瞬間、あの見事な、光り輝く囲いは消え去ったが、暗い何かは、何も起こっていないように優雅に、公園の外に向かって進んでいく。
篠田の限界の囲いですら、祓えなかった。
それは、暗い何かは、囲い師にはどうも出来ないと言うことだ。
そう、今ここに居るものでは無事に終わらす事が出来ない。
「厄介だな。霊体のはずだが、こいつが何なのか理解に苦しむ。さて、どうするか?」
アガットがそう呟く中、ベネディクトは電話をかけだす。
相手は現状を分かっていたのが、すぐに電話に出た。
「蒼か、そこまでで良い、悪いがすぐに来てくれ」
今は彼に頼るしか、無事に終わらす手立ては無かった。
次で間章に入るつもりが、延びました。
次回で一応は区切りが付きます。
そこから、間章来て、ようやくラストです。
ここ数年、中々書く時間が無くて、すいません。
さて、もう少しだけ頑張りたいけど、もうすぐ、最大の難関で、しばらく書けないかも。
すいません。
でも、必ず終わらします。
大丈夫、広げた風呂敷の回収は、ある程度はできてるはずです。
それよか、とりあえず、よくよく考えたら、ここまで主人公が出てないけど、全然違和感ないな。
一応、蒼が主人公なのですけど、この章で、ここにきて、初めて名前がでたね。
大丈夫か、主人公。