深淵から覗くもの
『Now, guys, start according to the plan! (各自、作戦通りに始めろ!)』
ナインワードからの無線で、とあるグループが動き出す。
小田原線の南新宿駅、参宮橋駅と、千代田線の代々木公園駅近くから、白人や黒人、ヒスパニック系の男女が代々木公園に向かって歩いていく。
その様子を、電信柱に張り付いた、紙や小枝で作られた昆虫が覗いていた。
「なるほど、篠田の予想通りだな」
壊滅師の布施 桂がビルの上で、イヤホンマイクにそう呟いて重いため息をついた。
『バラバラか?』
五人目の白 宇轩が片言の日本語で尋ねる。
「あぁ、ちょうど西側にばっかりだ。南新宿駅の方から四人、参宮橋駅の方から三人、俺の代々木公園駅の方には三人。全て代々木公園に向かってる」
『私の方だけ、四人、お腹痛い』
「肋骨折れてんだから、無理はすんなよ。李 徐蓮も、倒そうとしなくていいからな。離れた場所からの足止めだけでいい」
『うるさい、チョッパリが私に命令するな!』
話を振られた、四人目の李 徐蓮はそう憎まれ口をたたく。
嫌なら手伝わなければいいのに、文句を言いながらも、素直にしたがっている。まったく、こんなに反抗的な李 徐蓮を、篠田はどうやって懐柔したのであろうか。
桂は下手に刺激しない方がいいだろうと、口をつぐんでいると、白 宇轩は心配を口に出した。
『ナインワード、大丈夫か?』
確かに先ほど、式守神を持ってしても敵わなかったのだ。万が一、白 宇轩の前に現れても、怪我が完治していない彼には辛いだろう。
李 徐蓮も自分の前に現れた所を想像したのか、聞こえない程度に息を飲み込む。この二人はナインワードの実力を知っている。そうなるのは仕方が無いだろう。
「あぁ、それには別の人物が当たるから、ナインワードはこちらには来ないと篠田は言っていた。だから心配なしだ」
それが誰なのかは桂も聞いていない。
篠田は簡単に「大丈夫、大丈夫、足止めだけだし、いける、いける」と言っていた。
「とにかく、俺たちは無事に終わらせて、篠田にビビンバを奢らさせてやろう」
JR原宿駅近く、竹下通り。
その少し上りになっている前で、ナインワードはその人物と対峙していた。
坂の上には、身長が低く、釣り目で、黒く長いストレートのロングヘヤーを風になびかせている少女。
この時期にはピッタリの黒いロングコートを羽織った、折坂 砂那である。
彼女は代々木公園方面に顔を向けていたが、ナインワードがやってきたことに気づき、彼に視線を向けた。
この場所は、篠田は明治神宮や、代々木公園を囲うように物事を進めていたので、彼が今居る場所を、隠れて確認するためにここに現れただけだ。
なのに、砂那がこの場所にいたのは偶然か、それとも、こちらの動向を読んだ必然なのか。
「キミとは、奈良で一度会っているな。ここに居るのは、篠田に頼まれてか?」
「……………」
砂那は何も答えない。
だが必然とすれば、自分は随分と甘く見られたものだ。
奈良では手加減していたので、何かを勘違いをしたのだろう。
「キミがこのまま去るなら、手は出さない。しかし、向かってくるのであれば、悪いが、手加減はできない。今回の件は、キミが思っているほど単純なことではない」
彼を知っている人物なら、それがどれほど危険な警告だと分かるだろう。しかし、砂那はナインワードに向かって歩き出した。
仕方が無いとナインワードは詠唱を口にする。奈良での戦闘を思い出すと、まだまだ経験の薄い、幼い少女。少し痛い目に合えば、こっちの実力が解るだろう。
そこをいきなり十囲いで囲われる。
前もって準備されていたのであろうか。しかし、それでは足止めに成らないと、ナインワードは詠唱を止め、右腕の入れ墨だけで行う、簡易的な九字切りを放った。
それだけで簡単に囲いは壊れ、砂那は解っていたかのように、躊躇なくナインワードの目の前までやってくる。そして、どこから出したのか、両手に握られた、自分の身長ほどある大きな大剣で、ナインワードに切りかかった。
なるほど、これが自信の理由か。奈良で手の内を見せてなかったのは、彼女も同じということなのだろう。
しかし、っとナインワードは口元を緩める。
いくら土御門 定長との戦ったダメージが残っていようが、こんな大きな大剣、躱すのはたやすい。
ナインワードは軽く後ろに跳び、大剣が届かない距離を開けた。
自分に接近戦を挑むなど、こちらの手の内を知らなすぎる。
ナインワードが最も得意とするのは、魔法の肉体強化による接近戦。その敵に近づくための空間移動。
そして、囲いを壊し、式守神を壊滅する、囲い師殺しの九字切り。
彼女が囲い師である限り、ナインワードには歯が立たない。
なのに、砂那はナインワードとの距離があいたことで、チラッと代々木公園方向に目線をむける。
ナインワードは少し眉毛を釣り上げた。
なるほど、彼女は今の状況を理解していない。現在、どれほど危険な状況なのか。
ナインワードは再び詠唱を唱えた。
「I'm a warrior. What I want to get in this crazy world is a strong body.And after a pale dream, one person reaches the end.……… a madman with consciousness! (俺は戦士。この狂った世界の中で手に入れたい物は、強靭な肉体。そして、淡い夢を見た後に、一人最期を迎える。………意識を持った狂人!)」
ナインワードの魔力が肉体の内部まで入り込み、筋肉を盛り上げ、今まで着ていた茶色いコートは引き裂かれる。そこから、皮膚が褐色に変わり、鉄のように硬化する。それに伴い、肉体は鎧のようにな異形に変わっていく。
その様子に砂那も意識をナインワードに戻した。
しかし、もう遅い。
ナインワードは一歩で距離を詰め、砂那に向かってその拳を振り放った。
そのころ篠田は、代々木公園の中央広場で、左手を前に差し出し、目を閉じて意識を集中していた。
今まで施したことのないほどの、大きな囲いを囲っている最中である。
そんな最中に、横浜の保土ヶ谷での塾よりも前に話した、アンナの言葉を思い出していた。
四年前。
アンナは小石を拾っては、庭のアスチルベの葉っぱに向かって、投げつけながら篠田に話していた。
『俊、囲いの本質を知っている人って、どれだけ居るのかな?』
『本質? 囲いって、霊を霊界に還す手段じゃねーの?』
『それは状態よ。私が思うに囲いとは、霊体を還すだけの手段ではなく、道を作る手段だと思う』
『道を作る?』
『そう、本来なら、行き来が出来るはずなの』
『ふーん、だったらさ、霊界から死者も呼び出せるって言うのか?』
『たぶんね』
『それが本当なら、囲いの穴を大きくしたら、人間だって、行き来が出来るかもな』
篠田は冗談交じりにそう言った。
『そうね。でも、行けるのなら、わたしがいきたいのは、もっと遠くだけど』
その冗談に、アンナは立ち上がると、顔をあげ、遠くの空を眺めながら、真面目に答えた。
それは、憧れた夢を語るみたいに、とても嬉しそうに。
初めてそんな彼女の表情を見た篠田は、その時から、彼女の心の内が気になった。
『もっと遠く? 霊界より遠くって何処だよ?』
『さぁ、何処だろ? 神様のいる世界とか、別世界とか、別次元だったり? だけど、そんなのが在るのなら、いく価値はあると思わない? わたしはこの世界の、真実が知りたいの』
彼女はそう言って笑った。
そして、そんな世界を見て、アンナは何を思ったのだろうか。
現在、篠田は目を閉じたまま、代々木公園よりも大きく、さらに大きく意識を広げて、五体の、人類の敵とされる神様が壊滅された場所まで広げた。
そして、遠く、遥か遠くを想像する。
まるで、宇宙の最果てまで。
《遥か遠くを想像した意識》
そこから、ゆっくりと五十芒星を描いていく。
これが正しいのかは自信が無い。だけど、あの横浜でアンナが使ったのは、五十囲いだった。
代々木公園を中心として、美福門前院、牛殺五節巨旦、三眼八面頬、笠ノ芋疱瘡明神、そして、祓戸狭霧神。
この五体の壊滅した式守神の残骸を取り込むようにして、大きな五十囲いが出来て行く。
これほどの大きな囲いでは、囲い自体が薄く、普通の霊体は素通り出来てしまうし、生物も通り抜けしてしまう。しかし篠田が欲しいのは、あくまでも、壊滅により薄れた五体の式守神の霊体。
彼らは壊滅されたことで動けず、囲いの外には出れない。
これは、祓う時に囲いの中心に出来る、穴の膨張に必要なもの。
篠田は左手をにぎりつぶした。
薄れた五体の強い霊体が、囲いの中心に空いた小さな穴に吸い込まれて行く。
《穴を広げるための、多くの魂》。
それにより、囲いの穴を広がる。
ただ、人間が通れる広さには到底及ばない。通れて大きな霊体ぐらいだろう。
あの時、何が出て来て、アンナと蒼の力となったのか。
篠田は握りつぶした、左手を前に出したままそのまま耐えた。
後は己の技術。この状態を、俺がどこまで持つかだ。
祓った後の囲いの中心の時間の長さ。
《穴の持続》。
その時、ただの感覚だが、その囲いの中心の、小さな穴の向こうの深淵から、何かが覗いている気がした。
物語は本当の意味で、終盤にかかっています。
何年も放置して、なんとか終われそうです。
来年までに終わらさなければ、また書く時間がなくなるんだな、頑張らなくては。