動き出す者たち 一人目
―――― 一人目 ――――
渋谷、神宮通公園。
細長い、沿線沿いの公園のベンチに腰かけているのは、白のニットと、オレンジのロングスカートを履いた少女。
腰には美容師が付けるような腰バックをつけて、中にはお札や百均のステンレス製の串が見える。
ミディアムな髪に緩くウエーブを掛け、赤いフレームのメガネをかけているのは、一人目。
一番最初に、篠田により式守神に憑いてもらった少女、総本山の囲い師、上高井 翠だ。
彼女は俯き、表情は見えなかった。
『時が来れば、式守神を一度だけ俺の指示通りに出してくれ』
そして、ついにその約束の日がやってきた。
ジャリっと砂を擦る音がして、翠の座っているベンチに前に男が現れる。
現れたのは、ジーンズにスニーカー、Tシャツの上に軽いジャンパーを羽織るといったラフな格好をした、七尺三寸の和弓を持った男。
壊滅師の布施 桂である。
「篠田からの伝言だ。約束通り、式守神を出してくれ」
翠はゆっくりと顔を上げていく。
その表情は、何故か睨んだように鋭い。
「………」
桂は自分の想像とは違う、翠の表情に戸惑う。
彼女は今までの魔法使い達とは異なり、争うことなくこちらの約束に従ってもらえると思ったのだが。
「約束、守ってくれるか?」
「………えぇ、約束は守るわ」
そんな表情とは裏腹に、翠は素直にベンチから立ち上がり、自分の後ろに意識を集中した。
「出てきて、我が式守神、祓戸狭霧神」
翠の後ろには四メートルは越える、大柄の赤黒い肌を持つ鬼が現れる。
霧ヶ峰の鬼は、荒い鼻息を一つ吐いたが、動くことは無く、ただ静かに翠の後ろに佇んだままだ。
素直に従う翠に、桂はその表情は緊張からだと解釈して、ゆっくりと弓に矢を番う。
矢は、霊力の載せやすい乙矢。
弓は射法に則り、打起こしから、ゆっくりと引かれていく。
「それでいい、そのままで居ろ」
こちらの指示通り、動かない祓戸狭霧神を狙い、桂は弦を引き切った《会》の状態に来た時、翠は口を開いた。
「ねぇ、あなた、――――私の事を、バカにしてる?」
桂が何かを答える前に、翠は素早く左手で十六芒星を描いていた。
「なっ?!」
そのスピードは素早い。
桂は一歩も動けず、驚いた様子で自分を囲う十六囲いを見渡した。翠は当たり前のように言う。
「囲い師に場所を指定しておいて、なにも準備をしないと思ったの?」
確かに囲いの準備をする時間は十分にあっただろう。しかし、彼女は篠田から説明を受けて、納得してこの場所に居ると思っていた。だから、彼女との戦闘は考えていない。
これは不味い。完全に翠を見くびった。
桂はすぐさま、囲いを破るために矢を放つ。
威力の高い乙矢が囲いに当たり爆ぜる。しかし、一本では十六もの囲いは壊せない。桂はさらに、四本もの乙矢を使い囲いにダメージを与えてから、貫通する甲矢を使い、なんとか彼女の十六囲いを破壊した。
そして、いったん距離を開けてようとして後ろに跳んだが、そこに、今度は祓戸狭霧神からの追撃。
大きな拳が、視界の外から桂を狙う。
髪を掠るほどギリギリにその拳を避け、転がり、次の矢を手にっとった途端、今度は十八囲に囲まれた。
「――――これは、」
連続の囲い。
桂は足元を見る。
辺りにお札は見当たらないが、砂でもかぶせて見えなくしてあるのだろう。これでは、一体、どれほど囲いの準備をされているのか分からない。
相手に有利なフィールドで、このまま後手に回わっては駄目だと、再び囲いを破壊するため、桂は手に取った矢を弦に番へた時、翠が左手を前に出した。
「この囲いを壊したどころで無駄よ! 貴方の矢が尽きるまで、囲い続ける準備はあるわ!」
「………」
桂はゆっくりと弓を下ろす。
そこまで周到な準備をされていては、再びこの囲いを壊し抜け出して所で、今と同じ結果だろう。このままでは、彼女の式守神を壊滅する事は出来ない。
しかし桂は腑に落ちなかった。
「何故だ? あんたと篠田は仲が良いだろ? なのに、従うのは嫌なのか?」
いや、仲が良いどころか、好意を抱いていると思っていた。なのに、ここに来て裏切る様な行動を取るのは何故なのか。
翠はその問い掛けに、厳しい表情を少しも変えず、逆に問いかけた。
「あなたの方こそ、この計画を分かっていて手伝っているの?」
戦闘にはなったが、彼女はナインワードが連れてきた魔法使いではない。桂は素直に答えた。
「………究極と言える式守神を呼び出す儀式だ。誰が憑いてもらうかまでは知らないが」
その答えに、翠は呆れた顔をとった。
「その為に、私の式守神を壊滅するの?」
これからの行動を分かっていた翠に対して、桂は押し黙った。
彼女はどこまで知っているのだろうか。
「そんな方法で、本当に究極の式守神なんてものが出てくるなんて思っているの? いえ、そもそも、究極の式守神なんてものが、本当に居ると思っているの?」
「………さーな、そこまでは解らない。俺は篠田に義理が有るから、計画に付き合っているだけで、詳しい内容までは知らない」
桂の答えを聞き、翠はイラついた様に頭を振る。
「だったら、その理由を考えようとはしなかったの? 何故、こんなにも遠回りなんだって」
そして、溜息を一つ吐き、結論を出した。
「話にならないわ! あなたでは無い、篠田さんを出しなさい!」
「………」
しばらく翠と睨み合っていが、その彼女の真剣な瞳に、桂はスマートフォンを取り出した。
それは言い負かされたからでは無い。
彼女の鋭い瞳の奥に、不安の影を見てしまったからだ。
篠田はすぐに電話にでた。
『………終わったのか?』
桂はチラッと電線のスズメを見てから答えた。
「視てたんだろ? ――――交代だ篠田。俺じゃない、彼女はお前を待っている」
桂はそれだけを伝えると電話を切り、戦闘意思が無い事を表すために、地面のくぼみを使い、弓から弦を外した。
「篠田が来る。俺はもう、手出ししないから、この囲いを解除してくれないか?」
しばらく、翠は桂を睨んでいたが、ゆっくりと左手を払い、十八囲を解除した。
「ありがとう。それと………俺も、その理由を知りたいから、ここに居ても良いかな?」
彼女は頷きもせず、目線を外し何も答えなかったが、桂は道具をしまうと、近くの木にもたれ掛かった。
しばらくすると、篠田はゆっくりと歩きながら、明治通りから翠の前までやってくる。
その表情は珍しく真面目だ。
篠田は少し離れた場所に居る桂と、彼女の後ろの祓戸狭霧神を見てから、目的を話した。
「上高井、――――悪いが、今からお前の式守神を壊滅する」
それは薄々、気付いていた。
真っ直ぐな篠田の瞳に、翠はゆっくりと目を閉じる。
「篠田さん、それは、私の祓戸狭霧神が、奈良の阿紀神社で祀られる前は、霧に紛れて数千人もの人を喰い殺していた、凶悪な神様だから?」
篠田はその問いかけに、何も答えない。
翠はさらに言葉を続けた。
「だけど、それって、あなたが憑けた、他の式守神達も全て同じよね。どれもこれも、人類にとって、大きな災害をもたらしたような神様たち………」
美福門前院は当時の天皇陛下を騙し、その時代を牛耳ろうとたくらんだ。
笠ノ芋疱瘡明神は疫病という厄介で、桁外れな、億単位の人類を殺した。
三眼八面頬は、幾千の人を喰っただけでなく、気に入った憐みのある魂を、その首に捕え離さない。
牛殺五節巨旦は、鬼門に佇み、何百万という人々を虐殺した。
そして、本来この場で壊滅するはずであった、姥ヶ池の大蛇は、自分の快楽のために幾千もの人を喰らい殺した。
そう、全ては、式守神のするには適していない、多くの人々を殺して来た、人類の敵とさせる存在達だ。
「そんな危険な神様をその場で祓わず、あなたは式守神として他人に憑けて、この東京まで持ってきた。それは、何故か………」
好きだったからこそ、篠田の行動を目で追い、砂那から聞いた情報とかけ合わせ、気付いてしまった答え。
「――――そんな悪い神様なら、生贄にしても心が痛まないから。それと、神と呼ばれるほど大きな魂なら、四年前の横浜の時のように、四十三人もの魂を使わないでも、五つでほどで間に合うから」
横浜の保土ヶ谷に現れた、蒼が持っている《アンナの腕》と呼ばれる何か。それの呼び出す方法。
翠はそこまで話すと、ようやく目を見開き、真正面から篠田と対峙した。
「――――篠田さん、あなたは、アンナの腕と呼ばれるナニカを、再現させようとしている」
そこで篠田は、何かを隠すように目線を外す。
ここでそんな表情はしてほしくは無かった。いつもみたいに、とぼけて欲しかった。
しかし、その表情を見て、翠は自分の答えに確信が持てた。
「そう、やっぱりあなたは、安奈の後を追うつもりなのね」
篠田は要約、軽い感じでその台詞を否定した。
「上高井、それは考えず過ぎだ」
「………嘘ばっかり」
翠は左手を上げた。
「追わさせないし、祓戸狭霧神も壊滅させない! ――――私は、あなたを止める!!」
そして素早く、左手で二十五芒星を描き、篠田を二十五囲いで囲う。
これは、翠の限界の囲い。
全く囲いが出来なかった彼女が、彼の横に立つために、一年間必死に努力してきた成果だ。
この囲いはそう簡単に壊されないはず。それに壊されたとしても、まだまだ囲う準備は出来ている。
何度も何度も囲って、彼を諦めさせる!
そんな翠の囲いを、篠田は寂しそうに見ていた。
この二十五囲いは、明らかに他の囲い師よりも綺麗だ。
ここまで綺麗な囲いなら堅固で、自分の九字切りや、三火八雷照単体では壊せない。
篠田は少し諦めたように瞳を閉じた。
そして、静かに自分の式守神を出した。
「出て来い、我が式守神、三火八雷照」
バチィ!っと、ひときわ大きな音を立てて、彼の後ろには、いつもの人影が現れる。
それをされると、自分では歯が立たなくなるのを、翠は解ってる。
篠田の使っている技は、李 徐蓮が察した通り、《憑き物》と全く同じだ。
自分の式守神に肉体の主導権を渡し、肉体が無意識にセーブしている限界以上の力を出す技である。
筋が切れようが、骨が砕けようが、お構いなしの一撃が放てるし、霊力は術者と式守神が合わさり、何倍にもなる。
しかしそれは、一歩でも間違うと、自分の肉体が壊れる可能性のある、諸刃の剣だ。
そしてこの技は、式守神に憑いてもらっている者なら誰しもできるように感じるが、肉体が壊れるのを承知で主導権を渡せる、絶対的な信頼関係と、微かに残る自我で、式守神に精密な指示が出来無いと成立しない。
それほど難しいものなのだ。
彼は自分の式守神を消し、一つだけ身震いをした。
来る!
そう感じた翠は、さらに囲うため左手を前さに出した。
刹那だった。
翠は、決して目を逸らしていない。しっかりと目を見開き、警戒をして篠田を見ていた。
だが、次の瞬間、彼女は身体をくの字に曲げて飛んでいた。
そのままの勢いで、長いスカートを捲れ上げさせ、白い下着をさらけ出しながら、何度も地面を転がり、公園の木に背中を強打してようやく止まった。
身体中の痛みと、追いつかない理解。
お腹と背中に激しい痛みを感じ、呼吸が出来ず、その場で悶えながらのたうち回る。
捕らえたはずの自分の二十五囲いが、瞬きもせぬまま壊され、歯を食いしばる時間も無く、篠田に腹を殴られたのだ。それが目で追えなかった。
これが彼の本気。
口を大きく開け、よだれを垂らしたまま、なんとか呼吸を戻すと、直ぐに自分の式守神に命令した。
「祓戸っ………、さっ、狭霧神」
翠を隠すように、縦長の狭い神宮通公園が霧に包まれた。
その霧は特殊なのか、翠や祓戸狭霧神の霊力さえ隠してしまう。
「………」
篠田は懐から、数枚の折った鶴を取り出した。
羽を開け、息を吹きかけ飛ばす。
これは式神。
数十羽の折り鶴と、近くに止まっていた季節外れのスズメが、霧の中に一斉に入っていく。
霧の中では、翠が近くの木にしがみ付きながら呼吸を落ち着かせ、なんとか立ち上がったところだった。
そこに篠田が、鋭い音を立てて、翠の後ろに居る祓戸狭霧神に雷を纏った拳を叩き込んだ。
速い、速すぎる。
完全に姿を隠した筈なのに、あっさりと破られ、もう次の攻撃に移られている。
こちらの体制は整えられず、彼の行動に目がついていかない。
戸惑う翠を押し跳ばし、篠田はさらに祓戸狭霧神に追撃する。
炎を纏わせた拳で、何度も祓戸狭霧神を殴りつける。
祓戸狭霧神は大きな手の平を広げ、篠田を掴み捕えようとするが、彼の速さや、式神の鳥の群れに視界を遮られ、掠りもせずに削られていく。
翠は為す術もなく、近くの木に身体を預けたまま立ち尽くしていた。
助けに行かなくてならないのだが、自分の囲える、最大の二十五囲いでも篠田は止められず、自分の式守神の攻撃もきかない。
たった一撃殴られただけで、身体は痛みと気怠さで立っているだけでやっとだ。
ドンドンと削られていく激しい攻撃の中、祓戸狭霧神は篠田から目を離して、翠を見た。
二人の視線が重なり、篠田の雷を纏った拳が祓戸狭霧神の太い胸板を貫き、彼は大きく叫んだように口を大きく開け、そして、ゆっくりと消えていった。
長い間、霧に紛れ、数千もの人を喰った鬼が、今、壊滅されたのだ。
最後に祓戸狭霧神が何を言いたかったのかは、その表情から読み取れなかった。
篠田は、疲れた様に肩で息をして、その場で膝をついた。祓戸狭霧神からの攻撃は受けなかったが、ここまで二回この技を使っている。身体への負担は大きかった様だ。
「何故なの? はぁはぁ、何故、あなたはそこまでして、アンナの後を追うの?」
篠田は顔を背けたまま、ゆっくりと立ち上がる。さらに翠は息が荒いまま言葉を続けた。
「そんなに、はぁはぁ、あっ、あの危険な力が欲しいの? 未国さんが持っているあの力が。あんなの無くったって、あなたは十分に優秀じゃない!」
桂は、翠を助かるでも無く、話の内容にも口出しもせず、二人の会話を離れた場所で聞いていた。
「もう、こんな危険なことは辞めて! 私はあなたを………」
篠田はその台詞を遮るように呟いた。
「上高井、悪い………、ここまでにしよう」
翠はその言葉で、下を向く。
すべて分かっていた。
自分の力の無さも、彼の気持ちも。
だけど、彼の向かう先が危険だとわかり、なんとしてでも彼を止めたかった。
しかし、式守神も失った今、もう、自分には何も出来ない。
悲しみに暮れる翠を残し、篠田は顔も見せぬまま、神宮通公園を後にした。
「おい!」
桂の呼びかけに、篠田は立ち止ったが、振り向きはしなかった。
「良いのか? あの子、あのまま置いてきて。あの子はお前の事を心配して、挑んできたんだぞ! それは、お前もわかっているんだろ?」
「良いんだ、これで」
珍しくまともに答える篠田に、これ以上は踏み込んではいけないと感じた桂は、話を変えた。
「まっ、確かに、ここからは一緒にいない方が良いな。………それより、こっちは白 宇轩が脱落したし、俺一人の時間稼ぎだから、あんまり期待するなよ」
「大丈夫、白 宇轩の肉体強化は治癒力も強化されるらしくって、もう、動けるってって言ってたから、手伝ってもらう」
そう、篠田はいつもの口調に戻って答える。
桂は呆れた顔をした。
「アバラ折れてたんだろ? 無茶させるなよ」
「それとな、李 徐蓮にお願いしたら、今回だけ限定で手伝ってくれるってよ」
「はぁ? あの李 徐蓮がか? おまえ相変わらず人をたらし込むのが上手だな」
「そんなんじゃねーよ。あいつは新大久保のビビンバに釣られたんだよ」
「まっ、こっちは人数がふえて良いけどよ」
それから、少しだけ空を眺めてから、篠田は宣言した。
「だったら、全て終わったら、新大久保でビビンバパーティーと洒落込むか」
「期待せずに頑張るよ」
そう言って、二人は分かれて街の中に消えていった。
二年ぶりの再開です。
やっと出来ました。
書けないから何とか乗り切り、無理でも書き続け、なんとか形になりました。
途中は酷かった。
山場は乗り換え、少しづつ書いていきます。
何とか、終わるまで頑張ります。