2.『夕闇の邂逅』
不味い……。
これだけ近づかれたら、逃げることはもう無理だ。
なら、今はとにかくこいつの問いに答えて時間を稼ぐっきゃない。
「さあ、答えなさい! 返答次第では、さっきのあの言葉のことも水に流してあげる」
ポマードのこと、めっちゃ根に持ってやがる。
ていうか、よく見ると顔がめちゃくちゃ怖い。
決して、俺から見れば綺麗とは言えない顔だ。
だって怖いのほうが先にくるし。
だが、口さえ見えなければそれなりに美人に見えるような気もする。
いや、というより俺がここで答えるべき言葉は一つしかない。
「その……他の人はどうかわからないですけど、俺は綺麗な方だと思います……」
さあ、これでどうだ……!
「そう、ありがと。じゃあ、お礼に……その首掻っ切って一発で楽にしてあげるわ!」
口裂け女は、そう言って裂けた口の口角をこれ以上ないくらい上げると、右手の鎌を俺の首にめがけて思い切り振るってきた。
「っぶねえ!!」
俺は反射的に体の重心を後ろに倒して、なんとかその鋭い一太刀をかわした……と思った。
「……はあ? あんた、人間じゃないの?」
直後、俺の首の薄皮が切れたのだろう。
首に少しの痛みが走り、そこからは血ではなく黒いモヤのようなものが煙のように漏れ出てきた。
「……人間だよ。今はまだ仮だけどな」
くそ、このくらいの傷ならまだ大丈夫か?
俺は、傷口を左手で抑えながら反撃するべく、地面に着いた右手に力を集中させて反撃態勢を整える。
「仮? まあいいわ。次は外さない」
口裂け女は再び鎌を構え、鎌の刃先に風が巻き起こるように集まっていく。
次は多分、さっきの”鎌鼬”を使って来る気だろう。
隙を見逃すな。
一瞬でもタイミングを間違えば、今度は確実にやられる。
「死になさい!」
……今だ!
「……何!?」
口裂け女の腕が大きく振り被さった瞬間、俺は右手から地面を伝って口裂け女の体へと影を這わせて、腕の動きを影をとぐろ状に巻き付かせて封じた。
「くそガキが! 小賢しい真似を!」
口裂け女は、鬼のような形相で俺に近づこうと一歩踏み出してくる。
「動くな!」
俺は、すかさず左の手のひらを口裂け女にかざし、今度は直接影を放出して口裂け女の首へと這わせた。
「く……!」
そのまま左手を握りしめ、それに連動するように影が口裂け女の首を絞めていく。
「て……め……え……!」
口裂け女は、搾り取るような怒声を出し、火事場の馬鹿力と言わんばかりの力を発揮し、右腕を動かそうとあがいてくる。
それを、俺は動かれないように、右手を強く握りしめ動かないように力み続ける。
こいつ、首絞められてるってのになんて力だ!
抵抗する口裂け女に、俺は歯を食いしばり、手がつりそうになるくらいに力み続ける。
すると、徐々に口裂け女の力が弱まっていき、やがて白目を向いてうつ伏せに倒れ伏した。
「やったか……?」
俺は、思わずフラグ的なことを呟いた後、影は解かずに口裂け女の顔元まで近づいてみた。
……倒れたふりして噛み付いてきたりしないよな?
念のため、影で口裂け女の足先から口元まで縛り直してから、口裂け女の耳元で俺はある言葉を囁いた。
「ポマード」
…………。
「あ、あんなところにべっこうあめが」
…………。
反応がない、どうやらただの屍のようだ。
とまあ冗談はさておき、俺の影は触ったものの感触などがわかる。
口裂け女の脈は動いてるっぽいので、死んではいないようだ。
というか、妖怪の類いってそもそも死んだりするのだろうか。
物語によっては死んだり不死身だったり様々だが、この俺のいる世界だとどうなるのだろうか?
ん、こいつ意外と胸があるな。
妖怪とはいえ、こいつも女だ。
俺を殺そうとしてきたやつだ。
少しくらい、感触を堪能しても――
「見つけたわよ!」
「ごめんなさい! 疚しい気持ちはありました!」
突然の声にびっくりした俺は思わず本音が声に出た。
「さあ口裂け女、覚悟なさ……い……?」
「……え?」
直後、その声が後ろから聞こえたことに気づき、振り向くとそこには一人の女性が呆けた顔で構えて立っていた。
「……誰?」
そして、俺を見ると一言そう言って首元へと視線を向け、そして俺の影を伝って縛られている口裂け女へと移していき……。
「まさか……新種の物怪?」
「いや待て、俺は――」
「――あ、そんなことより! そこの物怪! その女性を離しなさい! そうすれば今回は払うのを見逃してあげるわ!」
そう言って、俺を睨みつける目の前の人物。
肩甲骨の辺りまであるであろうとても目立つ銀色の髪、水色の瞳を宿したどこかやる気がないように見える垂れ目、そしておでこを出しているためよく見える整えられた顔立ち、そして……。
「さもなければ、私が陰陽師としてあんたを払う!」
銀髪以上に目立つ、巫女さんの衣装を身に纏ったそいつはそう言って俺を指さしてきた。
「だから人の話を……!」
「なら、その女性を早く離しなさい」
「いや、こいつは駄目だ。また暴れられたら困る」
「そう、じゃあ交渉決裂ね。覚悟!」
しまった! 言い方!
巫女服を着たそいつは、俺めがけて何か札のような物を投げつけてきた。
「式神召喚、狛犬!」
そして、そう唱えると札から煙が巻き上げられ、そこから神社に置かれているような正しく狛犬のような顔をした四足歩行の獣が姿を現した。
「その子は対物怪用式神。噛み砕かれれば物怪も一発で地獄へ御陀仏よ!」
「まじかよ!」
転生して早々地獄にとんぼ返りとか洒落にならねえぞ!
どうにか逃げようと思った瞬間、狛犬は一瞬で俺の目の前にやってきてその鋭い犬歯を首元へ突きつけ――
「…………あれ?」
やられたと思い目を瞑ってから数秒、何も起きず恐る恐る目を開けるとそこに狛犬はいなかった。
「コマちゃん……?」
そして、巫女服女が俺の後ろを唖然とした表情で見ているので、それにつられて後ろを振り向くと……。
「……は?」
そこに映った光景は、俺に向かって鎌を振り下ろさんとすぐ側まで迫っていた口裂け女と、鎌を持った腕を噛み付いて動きを止めていた狛犬の姿があった。
多分、狛犬にビビった時に拍子で影を解いてしまったっぽい。
てか……。
「てめえ、狸寝入り漕いてやがったな」
「物怪が首絞められた程度で気絶するわけないじゃない……!」
口裂け女の噛まれている腕からは、俺と同様に血ではなく黒いモヤのようなものが漏れ出ていた。
「え……口裂け女? どういうこと?」
そして、俺が危機一髪の状況で脂汗をかく中、状況を理解しきれていない巫女服女が同様したような声を発した。
俺は、すぐに口裂け女と距離を取り巫女服女に言った。
「おい! さっき口裂け女がどうこうとか言ってたよな? なら、こいつを先にどうにかしてくれ!」
「く……それもそうね。コマちゃん! 払って!」
俺の言葉に渋々従うように頷くと、巫女服は狛犬に大雑把な指示を送ると、狛犬は首の力を使って口裂け女を思い切り上へとぶん投げた。
「は……?」
口裂け女は、突然空中に投げ出され驚きの表情を見せる。
直後、狛犬が地面を蹴って口裂け女を追うようにジャンプしたのも束の間、地上から十メートルぐらいのところで口裂け女に追いつき、そのまま口裂け女の胴体へと狛犬の鋭い牙が襲いかかった。
「げ……」
一瞬、グロテスクな光景が繰り広げられるのが脳裏に過る。
だが、狛犬が口裂け女の胴体を噛み砕き真っ二つになったと同時に、その部分から黒いモヤが大量に漏れ出すとともに口裂け女の身体が透けていき瞬く間に消えていった。
「ナイス! コマちゃん!」
そして、狛犬も役目を終えたかのように地面に落下しながら、身体が透けていき地面に着地する頃にはその姿を消した。
「え……コマちゃん? なんで勝手に帰ったの?」
すると、巫女服女は驚いたようにそう呟く。
どうやら、狛犬が帰ったのは彼女にとっても予想外だったっぽい。
「まあいいや……。コマちゃん、さっきもあなたを攻撃するどころか、寧ろ助けてたみたいだし。少なくとも、悪い物怪ではないみたいだけど……何者?」
「何者って言われても……」
まさか、馬鹿正直に転生したって言っても信じてもらえるわけないし、変な目で見られるのが目に見えてる。
「現状は迷子とだけ……あと、俺は物怪とやらじゃない。一応人間だ」
「一応って何? じゃあ、その首筋から漏れてるのは何? そんなの、普通の人ならありえないよね?」
「あー、これはなんというか……」
当然のことを突っ込んでくる巫女服女。
さて、どう答えるのが正解だ?
実はこれは地獄で閻魔に与えられた仮の肉体だとか言っても、転生してきたって言う並に信憑性がないだろうし。
……あー、面倒くせ。
「……なあ、ギルドってどこにある?」
「ちょっと、人の話聞いてた? 質問を質問で返すなって習わなかったの?」
「聞いてたし、ちゃんと習ったよ。ギルドに行けば、多分説明出来ると思う」
「ほう……その心は?」
「そこで人と会う約束してるんだけど、その人が俺が人間だって証明をしてくれると思う」
まあ、厳密に言えば人ではなくサキュバスなわけだが。
「なるほどね。その人の名は?」
お、こいつ、もしかして意外と話が通じるタイプの奴だったのか?
初見の感じからはそんな風には見えなかったが。
「セイラさんって人なんだけど……」
俺がそう答えると、巫女服女はどこか納得したような表情を見せ、小さく息を吐いた。
「……やっぱり。そういうことなら、案内してあげる」
「まじか。それはありがたい」
転生早々、手酷い目に遭ったがとりあえずはなんとかなりそうだ。
こいつも、察するにセイラさんを知ってるっぽいし。
「こっちよ。えーと……」
そう言って、指さした方向へ進みかけたところで巫女服女が立ち止まった。
「……ああ、俺は瑛人。福山瑛人だ」
「瑛人ね。私はコトミ。兒玉琴美よ。とりあえず、よろしくね」
コトミはまだ警戒心を少し持っているのか、無愛想な顔でそう言うとその歩をギルドへと向かうべく進み始め、俺もそれに従うようについていった。