『悪夢のような現実』
――事の顛末は、俺が自宅で晩酌していた時のことだ。
「はあ……」
つい先日、成人を迎えた俺は調子に乗ってビールを箱買いし、上手いと信じていたビールの苦さに後悔しながらも、毎晩ちびちびと一缶ずつ空けてビールの処理をしていた。
「……まじで馬鹿だった」
つまみに買ったさきいかを食べてはビールを体に流し込む。
そんなことを毎日続けていたお陰でビールの苦味とアルコールにも多少は慣れてきた。
だが、俺の体はどうやら酒に強い構造ではなかったらしく、一缶飲み終える頃には体が火照り、頭がふらふらしてくる。
すると、決まって思い出してくるのが、あの子との思い出――。
「なんで……あの時助けられなかったんだよ俺……」
毎日思い出しては、目頭が熱くなる。
過ぎ去ってしまった時間は巻き戻せない。
前を向いて進むしかない。
そんなこと、わかってても出来ない。
あの子が大事で、大切で、好きで、大好きだ。
「はあ……」
センチメンタルになり、自分の言葉に苦笑いしたその時だった。
「――あ?」
凄まじい衝撃音とともに、突然視界がぐるぐると回った。
それと同時に額から液体が溢れるように流れ目に入ってくる。
「――っ! な……なんだ……?」
液体で染みる目を閉じると同時に頭痛がいきなり激しくなり、全身が痺れたように感覚が鈍くなっていく。
――これ、もしかしてアルコール中毒ってやつか……?
そう思った矢先、胸の辺りに激しい違和感を感じた。
目を閉じたまま、触ってみると、何か温かい液体がドクドクと流れてくる。
何か壮絶に嫌な予感を覚え、目を擦って瞼を開く。
そして視界が開けると、何故か世界が赤みがかっていた。
「なんだ……これ……」
見えるもの全てが赤みがかっていることもそうだが、それよりも光景そのものに驚嘆した。
自分が今までいたはずの部屋はどこにもなく、あるのは瓦礫の山のみ。
恐る恐る、俺はドクドクと液体で濡れている胸に視界を向けた。
「……なんじゃこりゃ」
人は驚きすぎると逆に冷静になるといういうのはどうやら本当らしい。
真っ赤に染まった胸。
体内から溢れ出る大量の赤い液体。
止めどなく溢れ続けるそれは、頭に一つのことだけを過らせる。
死――。
状況がわからない。
何がどうしてこうなった。
裂けた胸の傷から痛みはほぼ感じない。
目が霞んできた。
血が止まらない。
意識が遠退いていく。
「――様! 人が!」
「マジすか!? くっ、――――――め。レイ―――――態は?」
何か、声が聞こえる。
「――ダメで――」
「―――――――――――――――」
どうやら、いよいよダメらしい。
何も聞こえない、見えない、感じない。
俺は……おれは……。
その中で、ふと脳裏に過ったのは……。
――ああ、どうせ死ぬならあの子に会えるといいな……。
俺の意識は、そこで完全に途切れた。
*
「――さい」
声が聞こえる。
「――てください」
頭の心地が良い。
すごくちょうどいい柔らかさの枕を敷いてるみたいな感覚。
「起きてください」
頭の感触の気持ちよさに心地良さを覚えつつも、うっすらとした意識が誰かの呼び掛けではっきりとしてくる。
「――ん」
「おはようございます」
「おはようございま……す……」
瞼を開き、視界がゆっくりと広がっていく。
寝ぼけたまま、反射的に挨拶を返しかけたところで思考が停止した。
目の前には、紫色のショートカットに紫紺の瞳をした、眼鏡を掛けた美女。
その目前にあるのは手で掴めるくらいの二つの山。
「……え、え?」
「起き上がれますか?」
「は、はい」
思考が停止をしていると、美女が心地良い声で語りかけてきたので、またしても反射的に俺は体を起こした。
どうやら、知らぬ間に俺はこの美女に膝枕をされていたらしい。
「閻魔様、起きました」
「ん、了解っす」
何がなんだかわからないままでいると、美女が誰かを呼んだ。
声がした方角に目を向けると、そこにはサラサラストレートの金髪の、肌が透き通るように綺麗な男がいた。
男は、王様が座るような……いや、魔王が座るような禍々しくも立派な椅子に腰掛け、右手側にある本立てにセットされている分厚い本を読んでいたらしく、美女が声を掛けて少ししてからこちらを向いた。
何これ? どういう状況?
わけがわからん。
真紅の瞳を宿した切れ長の目を見て、少し心が怖じ気づく。
見た目は完全にヤバい系の人だ。
頭には、黒い角のようなものが二本生えているようにセットされている。
ヤバい系界隈ではああいうファッションが流行っているのだろうか。
一声も発することなく、嫌な想像をしていると男が語りかけて来た。
「お、その顔は何がなんだかわからないって感じっすね。わかるっすよ。普通、そうっすもんね」
男は正に俺の心の中を読むように思っていたことを当ててくる。
「まずなんすけど、意識を失う前、自分がどうなってたか覚えてるっすか?」
そういえば、俺は一体……。
自分の記憶をゆっくりと探っていく。
そして、思い出されるのは――。
「そうだ!」
俺は、すかさず全身をまさぐるように触る。
「あれ、怪我がない……」
確かにあの時俺は施しようのない傷があったはず。
あれは夢だったのか?
じゃあ今の状況は?
「どういうことだ……? わけがわかんねえ……夢……?」
「残念ながら夢じゃないんすよ。さて、思い出したようなのでとりあえず始めるっすよ」
わけのわからない状況のまま、金髪の男は右手側の本に目を向けて語り始めた。
「えー、あなたの名前は福山瑛人。それで間違いないすか?」
「あ、ああ……ってなんで名前……」
この金髪の男とは初対面だ。
何故俺の名前を知ってるんだ?
金髪の男は、俺の声を聞いても返事だけに頷き、早口気味に言葉を続ける。
「じゃあ続けるっす。福山瑛人。出身は地球は日本の〇〇県〇〇市。年齢は二十歳。現在は親元を離れ県外の大学に通う大学生。全科や人道に反する行為はこれまで特にはなし。なんとも平凡すね」
ざっとしたものではあるが、なんで俺のことを……。
あの本には俺の個人情報でも書かれてるのだろうか。
ていうか、最後の一言は余計だろうが。
大体の人間は他人から見れば平凡な人生なんだよ。
そんなことを金髪の男の言葉を聞いて考えていると、衝撃的な言葉が金髪の男から放たれる。
「そして、死因は餓者髑髏の攻撃による胸部裂傷での失血死……てところすかね」
「……は?」
失血死? 誰が? てか、がしゃどくろってなんだよ?
そんなことを再び考えながら、目の前のことから目を逸らそうとするが、どこか頭の中では理解していた。
全てが現実であると。
あの胸の痛みも、自分の体内から血が失くなっていく喪失感も、痛みも、死に近づいていく暗闇も、全部に鮮明に思い出せる。思い出してきた。
そして、この今の現状も何となく察しがついた。
どうやら、俺が多分いるのは死後の世界とかそんな感じなのだろう。
だとすれば、目の前の男は……。
「てところで、福山瑛人さん。あんたには今のところ二つの選択肢があるっす。それは――」
「ちょっと待ってくれ。その前に尋ねたいことがある」
人が色々考えている間にも、勝手にどんどん話を進める金髪の男に対し、俺は割り込む様に口を挟んだ。
「なんすか?」
「まず、その言い振りからして俺は死んだってことだよな?」
「そうっすね」
「てことは、ここはあの世みたいなところってことか?」
「厳密に言えば違うっすけど、まあ、そんなもんっす」
「そうか……」
どうやら、俺の考えは大体合ってるっぽい。
あとは――。
「以上っすか? なら続けるっすけど」
「いや、まだ――」
訊きたいことがあると言いかけた時だった。
「閻魔様。急ぎなのはわかりますが、あまりにも説明が足りなさすぎます。これでは彼も何もわからない状況です」
俺の後ろでずっと待機していた眼鏡のお姉さんが、俺の気持ちを代弁するかのように金髪に言葉を投げかけた。
「……それもそうっすね。すみません。僕も焦ってたみたいっす。事態が事態なもんっすからね。それで、何を訊きたいっすか?」
眼鏡のお姉さんの言葉に、図星を突かれたかのように金髪は顔をしかめた後、これまでの早口から少し落ち着いた様なトーンの喋りになり、ちゃんと俺の言葉に耳を傾ける姿勢を作る。
「じゃあそうだな……簡潔にでいいから、分かりやすく俺の今の状況、そしてあんたらが何者なのかを教えて欲しいんだが……」
なんとなくは分かる。
だが、状況はなるべく詳細に把握しておきたい。
俺の言葉に、金髪ははっとしたような顔つきになる。
「あれ? 僕まだ名乗ってないですっけ?」
その言葉の直後、後ろからため息が聞こえてくる。
「まだ名乗っていません。……まあ、私も人のことは言えませんが」
眼鏡をくいっと上げてそう言うお姉さんの口から、何回か名前が呼ばれていたので、こいつが閻魔という呼び名であることはわかっている。
「じゃあ、まずは軽く自己紹介っすね」
そう言うと、金髪は軽く咳払いをして椅子から立ち上がった。
「僕は、この地獄において死者の魂及びそれに準ずるものを管理する責任者にして、罪人の魂に裁判を下す者。魔神・閻魔大王っす。以後、お見知りおきっす。で――」
閻魔が軽い自己紹介をして、眼鏡のお姉さんに視線を向ける。
それに合わせて、俺も視線を向けるとお姉さんも自己紹介を始めた。
「レイラと申します。種族はサキュバス。閻魔様の秘書をしております」
淡々とした話し方に、俺も思わず「どうも」と返すが、直後にお姉さんのサキュバスというワードに思考が引っ掛かった。
「……え、サキュバス?」
どう見ても、見た目は普通の美人だ。
髪色が紫なのが少し珍しいくらいで、それ以外は変わったところは見受けられないが……。
「今は仕事中ですので、極力TPOを弁えた格好をしています。本来の姿では、閻魔様も仕事になりませんし」
この人、今俺の思考を読んだみたいに俺の疑問に答えてくれた。
「ええ、サキュバスは男性の心理をある程度読むことが可能ですから」
「まじすか!?」
男心はしっかり掴むことが出来ますってことか。
さすがサキュバス……。
「失敬っすねレイラさん。別にレイラさんの本来のどスケベな姿を見たくらいでは僕は動じませんし興奮もしませんよ!」
俺がサキュバスの力に関心をしていると、閻魔が不服そうにレイラさんに物申してくる。
「……では、前にうっかり本来の姿で出勤してしまった時、閻魔様の視線を四六時中感じたのと、終業まで下腹部の辺りの服の布地がテントを張――」
「さあ!! 話が逸れてしまったっすね!! 自己紹介も終わったことですし、次の話へ進むとするっすよ!!」
レイラさんが男なら誰でも恥ずかしい暴露をされかけたところで、閻魔は強制的に話の軌道修正をしてきた。
レイラさんの本来の姿……気になる。
「……あとで少しなら見せても構いませんが」
「……まじっすか?」
超見たい。
あわよくば――。
「ちょっと! 話を進めるって言ってるじゃないすか!! 羨ま……私語は禁止っす!!」
閻魔の本気の嫉妬じみた本音が見え隠れしたところで、閻魔は語りだした。
「いいすか? さっきも言いましたが、瑛人さんは残念ながら死にました。死因はさっき言ったように胸の裂傷による失血死。蘇生も叶わないレベルでの死っす」
「あ、ああ……」
改めて突きつけられる己の死という現実。
テンションが急にだだ下がりである。
「それで、本来死んだ意思ある生物には、いくつかの魂の選択があるっす。まず、生前に何かしらの罪を犯した者。これは、生物によっては変わってくるんすけど、人間の場合、まず、生前の善行と罪の重さを天秤にかけるっす。まあ、罪を犯した時点で何かしらの刑が執行されるのは確定なんすけど、善行の多さによって刑が軽減されたりするっすね」
「質問いいか?」
「いいっすよ」
「罪って具体的はどんなものを指すんだ? 例えば、日本の法律で行けば軽犯罪から重罪まで色んなのがあるけど」
罪と判断される基準はどこなのか。
これは、国によって変わってくるし、個人の価値観にもよって変わってくる曖昧なものだ。
人なんて、大体は何かしらの罪を犯すし間違えもする。
そこら辺は一体どうなっているのだろうか。
「良い質問っすね。流石大学生っす。目のつけどころにセンスを感じるっす」
何故かノリノリの閻魔は、そう言うと罪の基準について話してくれた。
「罪とは、その生を全うする上で非道的なことをしたかどうか、が大きな基準っすね。人であるなら、まあ大体の犯罪行為は当てはまるっす。それに至る過程がどうであれ」
「……じゃあ、個人が考えるこれは自分の中で大きな罪を犯したと思うのは?」
「そういうのは関係ないっすね。そんなことでいちいち地獄送りにしてたら地獄の人口密度が過密化しててんてこまいになるっすから」
「そうか――」
「……その質問をしてくるってことは、何か自分でそういうのを抱えてるってことすかね? ま、時間が勿体ないので訊かないっすけど。そろそろ話を続けてもいいっすか?」
「ああ」
「それじゃあ、次に罪を犯してない魂の選択っすね。これは二つあるっす。一つ目は、魂のみの存在として所謂天国でのんびり気が済むまで過ごす。二つ目は、魂に残っている記憶も人格も全てを消去して、新たにまっさらな魂として浄化し生まれ変わるか。瑛人さんは、本来であればこの二択が選択肢としてあるっす」
閻魔は、わざとなのか言葉に引っ掛かりを持たせるような言い方でそう語る。
俺が、それに気づいているのを察しているのか、閻魔はさらに話を続けていく。
「けど、瑛人さんの場合、死因が特殊というか、瑛人さんの世界ではありえない死にかたをしてるのが問題になってくるんすよ」
「……そういや、がしゃどくろ……がどうのこうのって言ってたな」
がしゃどくろ、その名前は知っている。
妖怪の一種で、巨大な人骨の姿で人を襲うやつだっけっか?
「ええ。瑛人さんの世界でも名前くらいは知られてる有名な骨の妖怪っす。実はそいつ、悪さばかりするもんっすから地獄で捕らえて人に危害を加えられないようにしていたんすけど……」
そこまで言って、急に口ごもる閻魔。
……なんとなく話が見えてきた気がする。
漫画、ラノベ、アニメは沢山観てきた。
これはあくまで現実の話であるが……いや、今のこの状況はフィクションっぽいが……。
とにかくである。
この流れで行けば――。
「実は、どうやったのかはわかってないのですが、その餓者髑髏が脱獄しまして。たまたま逃げた先が瑛人さんの元いた世界の、瑛人さんが住んでいるアパートの上空だったのです」
口ごもる閻魔に代わり、レイラさんがそう言った。
ほら、やっぱり。
「そこに運悪く、たまたま瑛人さんのみがアパートにいたようで、そのまま餓者髑髏が潰したアパートの下敷きになり、おまけに餓者髑髏の爪先がたまたま瑛人さんの胸元に引っ掻かり、瑛人さんは今に至るというわけです」
「なんか……その言い方だとまるで俺がたまたま物凄く運が悪かったやつみたいに聞こえるんですが……」
「…………まあ、端的に言ってそうなっちゃうっすね」
俺の言葉に、それまで口ごもっていた閻魔が視線を逸らしながらそう返した。
「まじかよ……なんだそれ……」
下がっていたテンションが、さらに爆下がりである。
だが、今の話の中で、アパートの大屋さんと隣の部屋に住んでた独身のおっさんが無事だったってことは朗報だな……。
「……んで? 多分だけど、まだ話、続くんだろ?」
俺は、閻魔とレイラさんにそれぞれ一回ずつ視線を向けた。
すると、レイラさんは眼鏡をくいっと上げて「ええ」と言うと、再び語り始めた。
「今回、瑛人さんが死んでしまった原因ですが、こちらに過失があった結果のものです。本来であればあり得なかった死亡です。なので、地獄の"責任者"である閻魔様の責任でもあるわけです」
レイラさんが、責任者という言葉をやたら強調しながらそこまで話すと、渋々とした顔で閻魔が続きを話し始めた。
「本当に不本意なんすけど……とにかくそういうことで、今回瑛人さんにはお詫びの代わりになるかわからないっすけど、もう一つ、これからの選択肢を増やしたっす。それは--」
そして、閻魔がそこまで言いかけたところで、俺の口から思わずある単語がこぼれ落ちた。
「――転生?」
「お、分かってるっすね。そう、最近は色んな界隈で最早テンプレと化している異世界転生。それが、瑛人さんに与えられるもう一つの選択肢っす」
俺の言葉に、そんなフィクションだけの世界に起こりうるようなことを閻魔はさらっと出来ると言った。
まあ、俺からすればもう既に現在進行系のこの状態がフィクションのようなものだけど。
「ちなみに、転生する世界はっすね、瑛人さんの生きていた世界とは似て非なる世界。文明や科学技術は同程度の上、いわゆる”異能”ってやつを使える世界っす。どうっすか? そそらないっすか?」
「何それ。めっちゃ楽しそう」
異世界といえば、中世の西洋風な文明というのがお約束だが、文明が現代同様でその上異能が存在する世界とか、控えめに言って神ではなかろうか。
いや、でも……。
「ちょっと待て。仮にその世界で転生したとして、俺もその異能は使えるのか? ていうか、生活基盤とかはどうやって作れば――」
「大丈夫っすよ。そこら辺の心配はしなくとも、ある程度まではこっちから支援するっす」
「まじかよ。そりゃ助かるな」
そこまでしてくれるのであれば、そんなの転生一択に決まってる。
「それじゃあ、転生を選――」
そして、俺がそこまで言いかけた時だった。
俺は見逃さなかった。
閻魔の口元が、いやらしい口角の上げ方をしたのを。
「なあ、まだ話してないことあるか?」
俺がすかさずそう言うと、閻魔は舌を出してまるで子供がイタズラしたのがバレたかのような表情を見せた。
「ち、あと少しだったんすけどね」
こいつ、舌打ちしやがった。
「閻魔様。話したほうがいいですよ。彼に協力してもらいたいのであれば」
レイラさんが閻魔に諭すようにそう言うと、閻魔は「それもそうっすね」と言って俺を見て笑顔を見せてきた。
「いやー、実はっすね、瑛人さんを転生させるにあたって一つお願い事……というかっすね、条件があるんすよ」
「条件?」
なんだろう、話が少しキナ臭くなってきた気がする。
「はい。実は転生ってそんな簡単にポンポン出来るものじゃないんすよね。転生するには、それなりの実績が必要になってくるっす。例えば、世界を救ったとか、世界で偉大な記録を残したとか、そんな感じのやつっすね」
「は?」
待て待て。転生ってそんなハードル高いの?
「じゃあ俺転生無理じゃん」
そんな大層なこと、やった記憶は一切ないし、俺ごときが出来るはずもない。寧ろ――。
「ええ。今のままでは無理っす。だから、瑛人さんには転生の前借りをして、あることをしてほしいっす」
そこまで言うと、閻魔の顔が真面目な顔つきに変わった。
というか、転生の前借りってなんだよ。
給料の前借りみたいな感覚で喋りやがって。
だが、閻魔の顔を見る限りは今までのおちゃらけてるような感じはない。
「転生の前借りのことはとりあえず後で訊くとして、そのしてほしいことってなんだ?」
「さっき話した餓者髑髏なんすけど、実は瑛人さんが殺された後、別の世界に逃げてしまったんすよ。で、その世界っていうのが、瑛人さんに転生してもらう世界っす。そこで、瑛人さんには転生したら餓者髑髏を探してもらいたいっす」
「……まさか、俺に倒せとか捕まえてこいとかって言う気じゃないだろうな?」
姿は見ていないから何とも言えないが、閻魔が使った表現まんまを信じるなら餓者髑髏ってのは爪先が触れただけで人の体を切り裂くようなやつだ。
そんなのと戦ったら、体が細切りにされそうだ。
「いや、瑛人さんには餓者髑髏の居場所を突き止めてもらうだけで大丈夫っす。場所さえわかれば、逃げられない限りは僕で処理するっすから」
「なら俺にも出来そうだけど……」
「いやー、本当なら全て自分でやれればいいんすけどね――」
閻魔はそう言うと、愚痴混じりに少し自分のことについて語った。
それは主に地獄での閻魔の仕事の内容だった。
毎日のようにやってくる死んだ者の魂の裁判に、地獄に落ちた魂の罰が正しく行われているかのチェック、刑務員を始めとした地獄で働く者の管理など他にもやることが沢山あるらしい。
レイラさんも、閻魔に手を貸しながら地獄全体のスケジュール管理で日々追われているらしい。
他に中間管理職的なやつはいないのかと訊いたのだが、皆昇進すると一年も持たずに辞職すると閻魔は言っていた。
どうやら、聞いた限りでは地獄はとんでもないブラックなところらしい。
だが、そうしていなければ地獄はすぐ無法地帯になりかねないから、仕方ないと。
だから、餓者髑髏を閻魔自らが現世に降りて捜索するというのは地獄が大変なことになるので出来ず、かと言って下の者たちの人手も足りないため、俺に転生の件を持ちかけた、ということらしい。
「でも、俺がやるのってそれだけでいいのか?」
「だけってことはないっすよ。なんたって、その世界に逃げこんだってことしか分かってないっすから。探すだけでもかなりの労力っす。まあ、瑛人さんが餓者髑髏を倒してくれるっていうならそれが一番っすけど、それは無理なんで」
「いや、それはそうかもしれないけど、なんかこうあるじゃん。お約束的なチート能力みたいなの与えられる展開、それがあれば俺だってもしかしたら」
「瑛人さん。僕、さっき言ったっすよね。出来る支援はある程度のものだって。そんなチート能力、僕に与える力はないっすし、そもそも、前借り転生にそんなこと出来ないっす。僕が出来るのは、瑛人さんの魂を核に、及び転生先の世界に適した肉体を貸し出すこと、それと地上で生活を送る上での最初の土台作りまでっす。もちろん、餓者髑髏に関係することであれば出来る協力は惜しまないつもりっす」
そこまで都合よくは出来ないってことか。
でも、閻魔も出来る協力はするって言ってたし、条件としてはそこまで悪くない気がする。
「まあ、実績として挙げるなら、『地上に降り立った世界を破滅しかねない怪物、餓者髑髏から世界を救った閻魔のサポートとして大いに役立った』ってところっすかね」
「閻魔様、そもそも餓者髑髏はこの地獄から脱獄して逃亡していますので、元を正せば責任の大元が閻魔様ですし、世界を救ったというのはいかがなものかと」
閻魔のドヤ顔に対し、レイラさんがそんなことを言うと閻魔はわざとらしく咳払いをして仕切り直すように俺に語りかけてきた。
「―――さて改めて……瑛人さん、これも何かの縁っす。僕たちに協力してくれないっすかね?」
そう言って満面の笑みを怪しげに浮かべる閻魔大王。
その笑った口からは、鋭く尖った犬歯が顔を覗かせている。
「こちらの不注意であなたを死なせてしまったこと、重ねて深く謝罪致します。そして、勝手ではございますがぜひ私たちにお力添えください。ご協力頂き、問題が解決次第、あなたの望みを可能な限り実現すると約束致しましょう」
続いてそう言うのは、閻魔の秘書のサキュバス――レイラさん。
「……わかった。やるよ。ただ天国でのんびりしたり魂リセットされるよりはマシだ。まだ人生も生き足りないしな」
「交渉、成立っすね。これからよろしくっす」
「微力ながら、瑛人さんへのサポートは尽力させていただきますね」
こうして、俺の短く終えたはずの人生がまた別の世界で始まろうとしていた。