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精錬

 私は、どこへ向かうの――


 大学のキャンパスにあるカフェテリアは大型連休明けで緩んだままの雰囲気を隠さない。その窓際のカウンター席でなににもピントを合わせずに外を眺めている。

 異性と肩を並べ楽しそうに歩く人。

 スマホにくぎ付けになりながら突進するように歩く人。

 ベンチで友人と大いに盛り上がる人。

 今にも死んでしまうのではないかと思うほど顔色の悪い人。

 ここでじっと眺めているだけでも本当に色んな人がいる。

 今までその事実を知っているようで知ろうとしていなかったんだと今は思える。

 郊外の丘に連れて行ってもらった日からおよそひと月が経ち、五月も半ば。爽やかな風は湿気を帯び始め、青々と生い茂る学内の草木は確実のその勢力を拡大し始めている。

 今年のゴールデンウィークは、その大半を悠さんと過ごした。

 地元の各学校から臨時のオファーに出向いた時は、顧客のニーズの確認と方針の合意に向けた打ち合わせの準備を任せてもらい、アシスタントとして円滑な作業の実現に貢献できた実感を得ることができた。

 急な依頼にも関わらず迅速かつ親切な対応をありがとう、と言われる悠さんは、特に気にするそぶりもなくいつでもどうぞと返すだけ。

 もっと自分の成果に対して胸を張ってもいいのではないか、と言ってみたものの案の定彼は「相手が満足できるのはプロとして当たり前」としか言わなかった。

 地元の町内会でグランドゴルフ大会の様子の撮影に駆り出された時は、撮影の手伝いというよりも順番を待つ方々との会話の相手をすることがほとんどだった。

 ――孫が遊びに来ていて可愛くて仕方がない。

 ――温泉に行ったら腰が少し楽になった気がする。

 ――ウォーキングの道でいつもすれ違う犬がどうしても私に吼えちゃう。

 ――オレオレ詐欺の電話が来たから少しノッてみたけど怖くなってすぐ切った。

 などなど、彼らとの会話には休憩という文字はない。

 何も手伝えていなかったことを気にかけている旨を伝えると、悠さんは首を横に振った。普段通りニコニコと浮かべる笑顔は崩れない。彼らの自然な会話を引き出せる対応ができているだけでも被写体を魅せるという意味では十分アシストしてくれている、と言っていた。

 不動産会社の依頼に同行した時は、ドレスコードとしてスーツ着用を知らされていたこともあり、パンツスタイルのものを着用して臨んだ。

 服装に指定を受けたのは初めてだったので何事かと思ったけれど、現場は小規模ながら立派な欧州風民家。

 同行していた不動産会社の方と、もう一人同行者がいて、その人はブライダル関連の会社の人だった。

 つまり、この建物はゲストハウスウェディングとしての利用を主としたものだった。その日の撮影はこの物件の売り込みに利用する資料をこさえるためのものだった。

 しかしそれだけではなかった。悠さんはちょっと申し訳なさそうに私に被写体になって欲しいと頭を下げたのだった。

 さすがに動揺を隠せなかった私に、ブライダル会社の社員が「後ろ姿だけで正面は結構です」と付け加えてくれなければ断っていたかもしれない。

 式場(欧州風民家)のあちこちで、スタッフをイメージした立ち姿をキープする。

 トレイを抱えて歩く。

 バインダーを用いて何かを書き込む雰囲気で立つ。

 二階へ上る階段に足をかける瞬間。

 実際に想定されるシチュエーションで、顔が映らないギリギリまで攻めた撮影を続けられた。

 被写体として立つのがこんなにも気を張るものなのかと思い知った。

 なるほど、モデルさんはこの何倍もの重圧に耐えて、かつ自分自身を表現しているのか。

 ただ一言仕事と言っても、職種や状況によって必要とされる資質は大きく異なるということは何となく察しが付いた。

 これらは同行した現場のほんの一部。

 初めての場所や人との仕事を目の当たりにするたびに、無知な自分が情けないと思うくらい新しい発見をすることができる。

 物事の優先順位も、仕事の意味も、目的も、成果の価値も、現場によって全然違う。

 丁寧で正確な作業が尊ばれるところもあれば、速度重視でとにかく数をこなす必要がある場合も多い。

 悠さんの仕事の手伝いを始めてからというもの、彼自身から受ける衝撃はもちろん、連れて行ってもらえる現場で出合う社会人の方々との交流がぐんと増えた。それらはこれまでの知識や価値を多角的に捉えるきっかけにするには十分過ぎるくらいの経験を私に与えてくれた。

 最近、これまでの私が知る世間・世界がとんでもなく小さく、視野の狭いものだったんだと思い返すことが増えた。

 大学でしか会わないような友人らにもそれぞれのコミュニティがあって、各々の夢や目標を持っているのかもしれない。

 必死に就職活動を頑張っている人には、頑張らなければならない理由や状況があるのだろう。盲目的に活動している人を小馬鹿にしていた少し前の自分を思い出すとちょっと後悔の念を抱く。

 こんなにもたくさんのことに思考を巡らせるのはとても久しぶりな気がする。

 就職活動に関しては、すでに大学四年の五月も半ば。焦るべき時期ではある。なにせすでに内定を得て残りの学生生活を謳歌しようとしている学生が多く、何となく「まだ決まってないのかよ」とでも雰囲気が言っているような気もするくらいだ。

 私の代までギリギリ十二月解禁なわけで、そう考えると半年もズルズル引きずっているのは事実。一方で最近は不思議と焦ることがなくなったように思える。

 なるようになるさ。

 就活に失敗したところで死ぬわけじゃないのだから。

 わずかでも妥協して内定を急げば、絶対に後悔する。そんな気がする。

「やあやあ、調子はどうかね望月クン」

 わざとらしい似非教師臭さを隠しもしない耳に馴染みのある声が私を呼んだ。

 振り向けば大学二年の頃から付き合いがある田所(たどころ)()(かげ)が、カフェの新作サンドイッチとアイスティーを載せたトレイを持ってふふん、と笑いかけていた。

 昼を一緒に食べようと事前に誘われていたので一応取っておいた横の席に彼女はトレイを置いた。椅子に座りながらバッグを足元に置いて千蔭は腰を下ろす。

 特に気になる物音を立てることのない素早い所作だった。私がそんなところを見ているとは露知らず、彼女はさっそうとアイスティーを二割ほど一気に飲んでサンドを一口かじる。

 音が気にならない無駄のない動きができるところが彼女の魅力の一つだと思う。

 私はバイトを通じてそれを身につけたけれど、彼女は最初に会った時からそうだった。

 元々マナー等に厳しい家庭で仕込まれたのかもしれないけれど、千蔭の動きは美しい。

「は? なにこれチョー美味いんですけどー。BLTサンドを丸ごと揚げてカツにしてさらにサンドさせるとか、発想の勝利じゃん。マジ神。罪の味がする」

 喋らなければ。

「千蔭、とりあえず新作に手を出すってのは相変わらずなのね……」

「定番も良いけど、挑戦してなんぼだし。私生活も仕事も趣味も勉強も何もかも。全部ぜーんぶ、常に新しい挑戦を繰り返さなきゃ面白くないっしょ?」

 いかにも「今私名言っぽいこと言ってやったぜ」みたいなことを言いたげなふふん、というドヤ顔をとりあえず小突いておく。

 千蔭の言う事にも一理あるのはわかるようになった。

 けどこいつは喋り始めるとなぜか品性を失う。いやまぁ異性と喋ると途端に豹変するような奴よりはるかにましなんだけれども。

 呆れてため息を漏らしている間に、気が付けば彼女の手にあったBLTサンドカツサンドは綺麗になくなっていた。満足げにアイスティーで口直しをしている彼女を見ていると、それだけでいつも和んでしまう。

「私さー、就職やめたわ」

「……は?」

 だが、その和んだ心は直後の爆弾発言で一気に乱れた。

 あり得ない。

 私とトントンか、分野によっては私よりはるかに優秀である彼女が就職を諦めるなど、いったい何が起きたんだ。まるで想像もつかない。

 私はそうとう驚いた顔をしていたらしく、千蔭が苦々しい顔で後頭部を軽く掻いた。

「いやー、父さんが今の彼氏と結婚してくれって言いだしちゃってさ。拒否権無くて」

 千蔭の言葉を理解するのに数秒かかった。

 親の意向で人生を決められてしまうなんて許せないだろう。そんなのは間違っている。

 千蔭本人にだってやりたいことや望む進路があったはずだ。

 そう思った私の怒りが伝わったのか、「どうどう」と馬をあやすようなノリで私を抑えようとするジェスチャーをする。

 どうやら彼女はその道を納得して受け入れたらしかった。

「いやね、うちのお父さん病気でさ。もう長くないんだって。前々から私の晴れ姿を見るまでは……ってずっと言ってたんだけど、まさか本気だったなんて思ってなくって。だから彼と相談したの。元々結婚を前提に付き合ってたから、少し早いけどその時が来たのかもしれないねって」

 そこまで言い切って、千蔭は一度ドリンクを口に含んだ。

 いつの間にか彼女から遊びの雰囲気が霧散している。受け入れたという言葉が信じるであるかのように、その姿や瞳に諦めのような悲壮感はみじんも感じられなかった。

「ただ彼の両親が便乗して結婚の条件として、私に家庭に入ってほしいって横槍を入れてきたわけよ。前時代的で超頭悪いなぁって思ったんだけどさ。こちとら優先順位が違うわけですよ」

 しれっと義理の親になる人たちを批判しているものの、彼女は鼻で笑うだけで私を真剣に見つめたままだ。

「仕事を始めるのに遅いは無い。でも、人はいずれ死ぬ。死は待っちゃくれない。なら私が優先すべきことは決まってるじゃん……てね。彼は自分の親の馬鹿げた要求に何度も何度も謝ってくれたけど、私はその条件を呑んだってわけ」

 なんとなく気まずく思える沈黙が十数秒生まれた。

「完全にプライベートの話だよね。なんで、それを私に?」

 率直に聞くしかなかった。千蔭に対して気遣いは無用。彼女はそういった気遣いをあまり好ましくは思わないと知っているからだ。

 すると案の定彼女は小さく笑った。

「どっかの誰かさんが迷子のままならさ、そういう決め方だってあるんだぜって教えたかった。状況に流されることだって全部が全部悪いわけじゃない。自分のための人生で、自分のために真剣に悩むべきことだけど、それだって絶対じゃない。誰かのために自分の人生を決めることだって、それは誰かを笑顔にしたいと思った自分の意思なわけだ。今年度入ってからの春奈を見てると、心配になったから」

 正直なところほぉ、と気の抜けた相槌を打つのが精一杯だった。

 以前から美しい所作以外は男勝りな豪胆さというか思い切りのよさがあるのはわかっていたのだけれど、それもここまでとは思いもしなかった。

 当然、思い切りの良さ、という表現だけではないだろう。本人も言っていたように彼氏さんともよく相談しての決意だと思う。

 人のためが自分のためになる。

 こんな身近にも、私の知らない価値観を持つ人がいた。彼女の思惑通り、そう思ってしまった。

「待って。私ってそんなに心配になるの?」

 間抜けな質問だったかもしれない。

 でも千蔭は穏やかに笑んだ。淑女のようなたおやかな笑みだった。

「先月まではね。でも今は違うな。先月までは本気で春奈がキレ始めるんじゃないかってヒヤヒヤしてたんだけどさ……いい刺激と出会ったって顔してる」

 透視でもしているのだろうか。

 短い付き合いの割に彼女は私の変化に結構気付く。

 ちょっとメイクを変えると「雰囲気違うけどメイク変えた?」と突っつかれ、靴を新調すれば必ず指摘され、私が母と揉めた日はなぜか抹茶ラテを奢ってくれる(私が抹茶ラテ好きなのは知ってる)。

 よく気付く、という点をたまに指摘してみる度に「化粧や服とか女なら普通は気付くって」と誤魔化すし、気分については「顔によく出るもんねぇ」と笑って言われる。

「で、あれこれ考えてるみたいだけど……選択肢は絞れた?」

 いつの間にか一時間ほどの雑談を経て、思い出したかのように千蔭が私にニヤリとした笑みを向ける。

 彼女曰く、私に変化が見え始めたのはゴールデンウィークの少し前からだそうだ。

 悠さんと出会ったタイミングと合致するが、たかだかひと月程度で何が決まるわけでもない。

 でも、確かに私は変わり始めているような気がする。

 私が進みたい道は、まだ漠然としているものの形を得ようとしている気がする。

 だから苦笑で返すまでしかできない。

「その聞かれ方、答えやすくて助かるかも。確かに決まっちゃいないけど絞れ初めてはいるよ」

「そっか。なら、もう大丈夫だね」

 私の答えは、どうやら彼女を満足させるに足るものだったようだ。安心した、とまでは言い切れないものの嬉しそうに頬杖を突きながら私に微笑む。

 その笑顔が、胸の奥を熱くする。

「最近、いろんな分野のいろんな人と話す機会が多くてさ。話せば話すほど、私自身の小ささが見えて、ちょっとしんどいと思ってた」

 友達だから言えることもある。漏らせる思いもある。

 千蔭なら聞いてくれる。

「でも、私の周りにはこんなにすごい人、素敵な人がたくさんいるんだって思ったら、もっといろんな人に知ってほしいって思うようになったんだ。人の良いところを見つけて、本人が許す限りの範囲でその人の良さを、魅力を広めたい。そんな仕事もいいなってね」

 言い切って心がちょっと軽くなった気がする。お互いの笑顔がぶつかった。

 気が付けば私と千蔭はそのまま時間を忘れて喋り倒していた。

 ほんのりと薄暗くなったキャンパスで、二人して体をぐっと伸ばす。

「さて、ここまでくればモッチーの宿題はあと一つ二つ……三つ?」

「増えてる増えてる」

 モッチーという久しぶりなあだ名で不意打ちを食らったかと思えば彼女は、宿題なんて言い出す。千蔭はいつも、本当になんの前触れもなくわけのわからないことを言い始める。どこぞの誰かさんと似ている。

 数秒悩んだそぶりを見せた彼女は、結局立てた指を三本から二本に減らした。

 勢いに身を任せ過ぎた、とケラケラ笑いながら千蔭は肩をすくめる。

「大事なのはこれからじゃないの? ざっくり何をしたいかが見えてきたら、今度こそ自己分析を突き詰める。自分は何をするためにどんな人になりたいのか。ちゃんと考えておいた方がいいと思うな」

 一に自己分析。二に理想のイメージ。

 コロコロと表情を変え、最終的には困ったような顔でそう言った。

 なにをしたいか以上に、どんな人になりたいか。

 あまりピンと来ていない私の様子に当然の如く気が付いた彼女は、大雑把にぐっと親指を立てる。

「そんなのきっかけ一つでどうとでもなるさ。ファイト!」

 散々説教じみたことを言っておきながら、結局最後は彼女らしい風来坊な言葉だ。

 けど、おかげで熟考を始めるのは免れた。

 言いたいことを言い終えたのか、彼女はさっそうと帰っていく。

 私も家へと目的地を変え歩き出す。

 急に、足取りが重くぞわぞわとした感じが私を取り巻くような気がしてきた。

 父と鉢合わせてしまうかもしれない。

 母と目が合ってしまうかもしれない。

 先日聞いてしまった両親の想いの一端が、耳の裏にこびりついて剥がれない。

 それでもとうの昔に腹は括った。

 これ以上逃げ続けることはできないのかもしれない。遂に、正面から向き合い腹を割って話をする日が近付いたのかもしれない。

 この時期に私も本音をぶつけなければ、いつか後悔しそうな気がした。

 まだ日が長くわずかに明るい家路を私は小走りで辿った。

 早く帰って考えをまとめたい。戦いの準備を整えたい。

 人生においてたかが一つの通過点だとしても、今が全てだ。いつか「あの頃は子供だった」なんて笑い話にするために。

 自分の選択に自信を持つために。

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