93話 腐敗の神殿『バンシュロイア』(2) ~ロード・ウォッチャー~
「御待ちしておりました…私は大使の『サハラ・ノルン』です…お見知りおきを…」
褐色の美女は柔らかな笑顔でロラン達を出迎える。
「サハラ大使…私は『ロラン・フォン・スタイナー』です…宜しくお願いします…」
本来は社交辞令の挨拶を済ませ直ぐにでも"腐敗の神殿"に調査に行く予定であった。
しかし、ロランは立ち止まりサハラに対し無意識に思いもよらない言葉を口にした。
「…フ…フロレンティーナ……」
ロランの言葉を聞いたサハラの瞳からは涙が溢れ出す。
サハラはなぜ自分が泣いているのか理解できず、その場を取り繕う言葉を残すとホールを後にした。
ロランとサハラの様子を見ていたアルジュはロランが悪い癖を出したと勘違いし問い詰める。
「うっ…うん…ダーリン!…まさかサハラ大使と以前何かあったのですか…」
「なぁ…何を言ってるんだアルジュ…大使とは今あったばかりだよ…」
「では…さっきのフロレンティーナって何ですか…人目を避けてのデートの時はそう呼んでいるのですか…手が早すぎます…ダーリン!」
この後、ロランはアルジュに対して1時間かけて釈明し皆を呆れさせる。
何とかアルジュをいさめたロランは、各自に用意された部屋に行き30分後にホールに集合するよう指示を出すと皆を解散した。
部屋に行くまでにすれ違う大使館の職員には人族とともに現地採用と思われる獣人もいた。
『フォルテアとは違うな…ケトムに来た感じがする…』
あと少しで用意された部屋に到着する矢先、通路の中央に黒いローブを羽織った背の低い老婆が突如床から現れた。
「…やはり…御越しになりましたか…"ロード・ウォッチャー"…アマデウス・アマルティア・クロノス…」
『ロード・ウォッチャ―…?…アマデウス・アマルティア・クロノス…?」
老婆が現れた瞬間、周囲がというより世界が停止した。
止まった時の中でも意識を保つ事ができたロランは
『この状況はまずい…』
と瞬時に察し魔力と霊力を高め"竜現体"となるも全く動けずにいた。
「…さすがは"ロード・ウォッチャー"…時が止まった世界で意識を保ち肉体を昇華させるとは…」
「…しかしその12翼と半竜半人の姿は…本来の貴方様の姿ではございません…」
「"狂気"に身をゆだね…"理性"を捨て去り…"怒り"で力を暴走させるのです…さすればロランという人格を消滅でき…真の…」
ロランは竜現体となっても動く事ができないため、額の『理力眼』に魔力と霊力を集結させ『理力眼』の禁忌能力…
"未来で獲得する能力"を開放し『世界の情報の書き換え』の発動と共に【冥界の王】の力を発動させる事を決意する。
『時間と空間は密接に関連する…【冥界の王】の力で空間を切り裂き続け老婆がいる空間に強大な重力を発生させれば…空間が歪み時間の流れに"ひずみ"が生じるはず…』
『同時に元の世界での記憶の一部を対価とし【理力眼】の未来で獲得する能力を発動させ、老婆がこの空間に存在できないと"世界の情報を書き換える"…』
ロランがどんな攻撃を仕掛けてくるか察知した老婆はロランに謎の言葉を残すと姿を消した。
「…その目が未来に獲得する能力を使用して、婆婆を消滅させようとは嘆かわしい…」
「腐敗の神殿【バンシュロイア】の番人に"自分が何者なのか"…御聞きなされ…」
老婆が消えると共に時間が動き出す。
ロランは竜現体を解くと用意された部屋に入り先ほどの出来事を振り返る。
『恐れていた事が起こった…時間を制御する者に対して僕はこんなにも無力なのか…』
『…それに"ロード・ウォッチャー"とは何なんだ!…ケトムに来てから変な事ばかり起こる…』
考えが纏まらぬまま着替えを済ませホールへと向かう。
ロランは全員がホールに集まった事を確認すると大使館の扉を開け外に出る。
外に出ると一行は魔法鞄から"魔道一輪車"を取り出し背中に黒刀と手斧、ホルスターにバイパーT31拳銃を装備しフルフェイスのヘルメットを被る。
ロランは魔道一輪車に跨り勢いよく号令をかける。
「さぁ…皆、出発だ…」
黒いスーツを身に付け自動で動く一輪車に搭乗した集団が街中を通った為、獣人達は大変驚きなかには両膝をつき祈る者まで現れた。
3時間後、ロラン達は街を抜け腐敗の神殿【バンシュロイア】が存在する密林の入口に辿り着く。
まだ、密林の入口だというのに体長が50㎝はある巨大なムカデや15㎝の蜘蛛、3㎝はある蟻や白蟻、丸く巨大なゴキブリとゾウムシ、蛇と見まごうほどのミミズに胴が長い30㎝はあるダンゴムシが足元を覆いつくしていた。
さらに巨大なシダや木々の幹には20㎝はあるカブムシやクワガタにコガネムシ、空中には30㎝はあるトンボやカゲロウに似た昆虫が飛び回っている。
"ガサ…ガサガサ" "ギューギュー" "シュー…シュー…" "カッホーカッホー…"
時折、鳥の鳴き声が聞こえるものの、蟲達が密林を移動する時に発生する音や鳴き声が予想以上に不気味であり一同のテンションを急速に低下させていく。
この光景にはさすがにロランもテンションが下がったがピロメラとクリスフォードだけはハイテンションになっていた。
「公爵…これはすごい…見渡すかぎり新種ばかりですぞ…素晴らしい…」
一方、ピロメラは蟲を見るたびに「ゴクッ…」と喉を鳴らしフルフェイス越しであったが恍惚の表情をしていることが想像できた。
『そういえば、ピロメラは燕の妖精だったね…蟲は食料だものね…』
一同は左手に手斧を握り蔓や枝を切りながら"魔道一輪車"で進んでいくのだが、進む際に多くの蟲を踏むため蟲が潰れる「ぐちゃ…ぐちゃ…」という生々しい音に悩まされた。
暫くすると蟲が潰れる音に堪忍袋の緒が切れたアルジュは魔道一輪車を止め闇属性魔法の『漆黒のマリオネット』で多数の【ドラウグル】を召喚する。
さらにアルジュは刃渡りが2mの大鎌を多数召喚すると【ドラウグル】達に持たせ命令する。
「…お前達、よく御聞き…この先に神殿がある…そこまで邪魔になる枝や蟲をこの大鎌で排除すんだよ…さぁ…ぼやぼやしないで行っといで…」
怒りですっかり性格が豹変してしまったアルジュを説得できる者などいなかった。
ロランは思う。
『止まない雨はない…この調査でケトムの生態系が崩壊しない事をまずは祈ろう…』
クリスフォードは皆の気持ちを代弁しロランに訴えかけてきた。
「公爵…アルジュ嬢を止めなくて宜しいのですか…これでは我々は破壊者ですぞ…」
ロランは悲しい瞳をしながらクリスフォードに返事をする。
「…クリスフォード…僕がアルジュの三叉の槍で串刺しにされる姿を見たいのかい…」
一同はこの悪夢を早く集結させるため、腐敗の神殿【バンシュロイア】に到着するまで無言で突き進む。
【ドラウグル】達が開拓した道を2時間ほど走行すると"腐敗の神殿"が目視できる密林の出口に到着した。
腐敗の神殿【バンシュロイア】はピラミッド形状の土台の上にあり、大まかに言うと3つのブロックの重なりの上に建造されていた。
1つのブロックは15段の石段で構成され、高さ5m、最下層の幅は200mあり、上のブロックにいくほど高さは変わらないものの幅が少しずつ減少していた。
神殿と3ブロックから成るピラミッド状の土台の周りには、メタルブルーの蝶が多数舞っており幻想的な光景を醸し出していた。
しかし、そんな幻想は直ぐに消え去る。
腐敗が進行し皮だけで腕や足が繋がっているゾンビ達が数百体、目的もなくランダムな方向に動き回っていたのだ。
神殿と密林の距離は300m、先行し密林を切り開いていた【ドラウグル】達は密林から出たところで整列していた。
すると元の状態に戻ったアルジュだったが皆が予想していた発言をする。
「…ダーリン…【ドラウグル】達も頑張ってくれたからゾンビ達の魂を食べさせていいかしら…」
『リンデンスのロストシップにいたゾンビ達と異なり、この者達は人や獣人をヴァルハラに送っていない…罪なき魂は救済すべきだ…』
と考えたロランはアルジェに自分の考えを説明する。
「…アルジュ…ゾンビ達の魂を食べさす事は認められない…脳を破壊し魂を解放しよう…優しいアルジュなら分かってくれよね…」
アルジュは頬を膨らませながらもロランの指示を受け入れる。
「【ドラウグル】達よ…脳を破壊して…魂は絶対に食べない事…」
「さぁ、行ってらっしゃい…」
大鎌を持った【ドラウグル】達は数百体のゾンビ達を瞬く間に駆逐していく。
ロランは皆でゾンビ達を埋葬してから神殿に訪れようとゾンビに近づいた時、異変に気付いた。
通常、脳を破壊されたゾンビは魂が肉体から離れヴァルハラに旅立つのだがこのゾンビ達は脳を破壊されても魂が肉体から離脱せず、かといって復元しようともしない。
すると【RedMace】の参謀であるスティオンがロランに進言してきた。
「ロラン閣下、このゾンビ達は何者かにより魂が肉体に強制的に固定されております…閣下の御手を煩わせる訳には参りませんので、どうかここは私にお任せください…」
「…了解した…スティオン、君にこのゾンビ達の魂の浄化を任せよう…」
「…仰せのままに…」
スティオンは両手を天にかざし固有魔法である"天宮開放”を発動する。
両手から眩いばかりの光が天に向かって放たれ100m上空で複数の光の矢となってゾンビ達に降り注いだ。
ゾンビ達の魂がぞくぞくとヴァルハラに旅立っていく…
その後、ロラン一行はゾンビ達を全て埋葬し神殿へと向かう。
腐敗の神殿【バンシュロイア】は幅90m、高さ90m、ギリシャのパルテノン神殿を思わせる石柱が複数立ち並ぶ。
その石柱群の上には神殿名が書かれた三角形の石の屋根が設置され石柱から50m奥にはモスクを思わせる神殿が位置する"パンテオン"に似た神殿であった。
この腐敗の神殿【バンシュロイア】の調査でロランは"スタイナー計画"の全貌を知り…
選択を迫られる責任の重さから…真実を知った事を後悔する事になる…