72話 書き換わる世界 ~クロノスディレクシオン~
ラグナル皇帝はロラン達がロストシップの亡霊をまるで小麦を収穫するようにいとも容易く狩っていく光景とロランの常識を逸脱する規模の魔法を間近で見ているうちに『やりきれない思い』が心に満ちていた。
自分達があれほど悩まされていたロストシップの亡霊とタコ型生命体やウミヘビ型生命体のクリーチャーが次々に一掃されていく。本来、両手を挙げて喜ぶ場面であるのだが理屈ではなく心が目の前の現実を受け入れたくなかったのである。
この皇帝の思いは、宰相であるフレイディスやリンデンス兵も抱いており、その場にいたリンデンスゆかりの者達は拳を強く握りしめ自分自身の【無力感】と戦っていた。
『アルクトゥルスチャリオット【恒星の戦車】』にてロストシップの亡霊を完全に消滅させたロランはシールド付きの兜を脱ぎ右脇に抱えると、200年前の嵐により沈没しアンデッドと成り果てロストシップの船団を率いていた『ノルン・デ・リンデンス』王子の傍らにいた【老婆】の元へと近づいていく。
老婆は骨だけとなったノルン王子の左腕を【声にならない叫び】をあげながら慈しむように抱いている。
ロランがこの老婆を海岸に連れてきた動機は老婆に対する哀れみではなく老婆の存在に対し【違和感】を感じたからであった。
ロストシップの甲板で【老婆】を見た際、一瞬、老婆の姿に重なるように20歳前後でブロンドストレートの若く美しい女性が見えたからである。
この現象を『そのまま』にする事は何か大きな存在を失ってしまうと直感したロランが『理力眼』に魔力を結集させ老婆を見つめた瞬間、老婆の姿は20前後でブロンドストレートの若く美しい女性の姿に固定された。
この刹那、ロランは自分が存在する【次元、時間、空間】に大きな【ゆらぎ】の伝搬を感じる。
さらに『理力眼』を使用し女性を分析すると、女性が身に纏っているスーツはダイヤモンドの3倍の硬度を持つ【カーバイン】を線維に加工し製造された赤と黒で構成されたスーツであり、この世界には存在しないはずのスーツであること。
左手の人差し指と親指との間に存在する母指内転筋近傍に『氏名、生年月日、種、性別、年齢、血液型、所属、階級、シップに対するアクセス権などの情報』が記録された【マイクロチップ・インプラント】が埋め込まれている事を確認できた。
ロランは続けて『理力眼』を使用し女性に埋め込まれている【マイクロチップ】の情報を取得していく。
『氏名は【レイチェル・ロンド・冷泉】、出生は【西暦3051年7月1日】、種は遺伝子操作された【デザイナーベビー】、性別は【女性】、血液型は【AB型】なんだね。所属は【Earth Federal Government A Time-Space Administration Bureau:E.F.G.A.T.S.A.B【エフギャツァブ】:地球連邦政府 時空管理局】で階級は【少尉】と…』
『遺伝子操作によりテロメアが再生する不老体あり、シナプスのネットワークを密にすることで認知能力を向上させ、250の難病に対する対抗遺伝子を組み込まれた【不老不死】のデザイナーベビーで、かつ【地球連邦政府 時空管理局】に所属の女性とは…』
ロランは、またレイチェルの右腕『二の腕』の中央に【生体感受性インク】を使用したタトゥーが施されていることも見逃さなかった。
『【生体感受性インク】を使用することで【健康状態】をタトゥーの色から把握出来る仕組みなのか。ある意味レイチェルはこの世界では『超越者』だ。レイチェルがこの世界に存在するということはどこかに【時空を超えるビークル】が存在するということか』
と考え込んでいるとアルジュが、ロランがまた悪い癖を出していると思い、
「ダーリン!なぜこの若く美しい女性をロストシップの甲板から肩に担いで『こ・こ・に』連れて来たんですか。本当に少し目を離すと次から次へと…」
とものすごい剣幕でロランを問い詰めだした。ロベルトはというとロランより賜ったバングルを腕に嵌めながら
「我が君、戦闘中でも子孫繁栄のため見目麗しく頑丈そうな女性を手中に収められるとはそれでこそ我が君でございます。」
と恍惚の表情をしながらロランを褒め称えた。
ロランは『はぁ、やれやれだね』と思いながらアルジュの話の内容でアルジュはこの女性を甲板にいたときから【若く美しい女性】として認識していることに気づき、
『ロストシップの甲板から連れてきた際は【老婆】であり、その様子はアルジュとロベルトは見ていた。それなのに、あたかも甲板にいた時もレイチェルは若く美しい女性であったという認識の口振りだ。先程の【次元、時間、空間】の【ゆらぎ】と何か関係があるのだろうか…』
と考えていると、アルジュ同様、ロランがまた若く美しい女性を仲間に迎え入れようとしていることを警戒したルミールとアリーチェ、エミリアが顔を引きつらせ近づいてきた。
ファビアンはというと、笑いを堪えながら背後から3人を警護しつつ近づいてくる。
ロランは『ロベルトといい、ファビアンといい。なぜだろう、説教が必要な気がする』と思いながらルミールからレイチェルについての質問をさせないように、
「ルミール、君は【審判の天使】でもあったね。2つ尋ねたいことがあるけどいいかな」
ルミールは『私も龍神様に尋ねたいことがあったのに先を越されました…』と思いながらも「仰せのままに…」と返事をする。
「1つは、僕がこの女性をロストシップから連れ出す際、この女性は【老婆】ではなく【若く美しい女性の姿】だったかな」
ルミールは『龍神様はなぜ分かりきった事を確認するのだろう』と思いながらも、
「確かに龍神様はそこにいる【若く美しい女性】を肩に担がれて海岸へと向かっておりました…」
と回答してきたルミールに対しロランは再度質問を行なった。
「2つ目は、昨日『誓いの広場』に設置された水晶オベリスクに封印されし『ムネモシュネ』が語った【悲恋の恋物語】の内容を語って欲しい」
ルミールはますます『龍神様は一体どうなされたのかしら』と思いながらも、
「異国の赤い皮膚をした女性が、偶然、王子と出会い恋に落ちるも『身分の差』から結婚が認められず、2人船に乗り他国へ駆け落ちした当日嵐に遭遇し沈没。満たされない情念からロストシップの亡霊になったという御話だったはずです…龍神様も一緒にお聞きされたはず。」
ロランの聴いた【悲恋の恋物語】は『メラー海の海辺で養生していた王子と人魚が恋仲になるも2人の関係を良しとしない漁師達が王子を騙し嵐の海へと就航させ、結果、船は沈没。人魚は王子を助けに行くが時既に遅く。王子を騙した漁師に対する憎しみでロストシップの船団を作り上げ、メラー海を通行しようとする船を沈没させていった』という内容であった。
ロランは確信する。
『レイチェルは【時空を超えるビークル】でこの世界に発現した際、量子力学でいうところの【量子もつれ】の片方の量子のような存在となってしまったようだ。確か【量子もつれ】の関係に成ると片方の量子に変化を与えた場合、距離に関係なくもう片方の量子も瞬時に変化する関係だったな…』
ロランは現実が変化した理論として量子力学の二重スリット実験を思い起こした。
『それと量子力学の二重スリット実験だったかな。2つのスリットがある板の前方から電子銃で電子を放射するとスリット板の後方の壁には干渉縞が現れる。けれど、どちらのスリットから電子が出てくるのか観測機により観測しようとすると干渉縞が無くなる。コペンハーゲン解釈では【観察する事により現実が変化する】だったかな。』
『つまり、レイチェルと同じく異世界から転移した僕が彼女を【観測】したことによって、現実が変化したんだな。それにレイチェル自体が分岐因子なのかもしれない…』
ちなみにロランの【観測】によって現実が変化したことにより、世界は【整合性】を確保しようとレイチェルは高性能ホログラムで自分を老婆にみせていたと急速に現実と過去を書き換えていた。
なおも、ロランは思考を続ける。
『【量子もつれ】の状態が大前提であるが、今起こっている現象は未来で起こる現象に影響されるという【量子力学の逆因果関係】から考えを展開していくと、現実が変化した場合、時間を逆行し過去に遡って現象が改編されることになる。だから、皆の記憶が観測者である僕と異なっていたわけだ』
という一応の結論を得たロランはレイチェルをこのまま放置することは将来に対し圧倒的なリスクを背負う事に繋がると判断し強制的に配下にすることを決めると、アリーチェとルミールに対して
「アリーチェ、ルミール。このレイチェルの存在は僕に匹敵するほど危険な存在だ。だから『レイチェル・ロンド・冷泉』をスタイナー家の【時間管理者】として客人待遇として受け入れたいのだがいいかな…」
と2人の許しを求めるロランに対しアリ―チェ、ルミールは、
「ロラン様…」「龍神様…」、「「御意のままに…」」
とロランの要請を受け入れた。
客人待遇は長い間アリーチェ一人だったが、同じく『不死』の能力を持つルミールも最近、客人待遇となっていた。
2人の許可を得たロランは白骨化した腕を抱え泣き叫ぶ続けるレイチェルに対し、
「君の名は『レイチェル・ロンド・冷泉』!君の存在は世界に対しあまりにも危険過ぎるためこのまま君を放置することはできない。だから君をスタイナー家の【クロノスディレクシオン】として迎え入れる。君に選択肢はない。一緒に来てくれ…」
と言い終わるとロランはレイチェルに左手を差し出す。
するとレイチェルはロランを睨みつけると、出力が1,200KWの小型固体赤外線レーザー銃をロランに向け
「……この外道……」
と叫ぶレーザーを放つも回避され、逆にロランの闇属性魔法である「ヒュノプス」で眠りにつかされた。
『僕を恨み続ければいい、それが君の生きる理由になるなら…それに…』
『いづれレイチェルには【負の質量】を船体に纏い、前方の空間を収縮し、後方の空間を急激に拡大することで超光速航法を可能とする【ワープバブル】の技術や【負の質量】の物質は【カシミール効果】の応用で取得しているのか。』
『31世紀の科学技術である【量子もつれ】を使用したテレポーテーション技術やEMドライブ技術について話してもらおう…【転移】魔法の代替で使用できるかもしれない…』
と考え、今後について思いを巡らせていた。
一方、エミリアは『私は将来ロランの正妻になるのよね…落ち着かなくては…』
とイライラを募らせるのであった…
次回は・・・『73話 オーバーテクノロジーと理気魔法 ~禁忌の領域~』です。
2018/11/18…誤字・脱字を修正しております。