庭物語 -コンプトン・エーカーズ Compton Acres Gardens
家紋武範様御主催の「過去の挫折」企画に参加させていただきます。
ご企画の趣旨には少し違うかもしれませんが、どうしても頭が夫ばかりです。
読んでもらえるならこれを、と思ってしまいました。
なるみの夫は生みの親を知りません。生まれた途端にイギリス人家庭にひきとられた養子なのです。イギリスの国籍法は親が誰かよりも、イギリスで産まれたという事実を尊重するので、彼がイギリス人であることに間違いありません。言葉も考え方も習慣もとってもイングリッシュですが、見ためだけが少し、どこかアジアの血が混じっているのではないかと思わせます。肌は抜けるように白く、髪は若いころはさらさらの黒髪で、大きな眼とがっしりとした鼻筋が特徴です。
なるみといると人々は彼をよほどアジア系と思うらしく、ロンドンのパブで「どこからきたの?」と訊かれたり、東京を歩くと日本語で道を尋ねられたりします。今でこそ笑って応対するのですが、子供の頃はつらいことも多かったようです。
一度話してくれました、「決めたんだ、自分は自分、これでいいんだって。世の中に一人しかいない自分、ワン・アンド・オンリー、それでいい」と。
なるみの場合は「イギリス流のガーデニングが好きな日本人の女です」と自己紹介できますが、夫は人種というバックグラウンドに頼ることができない分、自力でアイデンティティを創り上げてきた剛さを感じさせます。
イギリスで庭師をしているなるみはそんな夫とたまに庭めぐりをするのですが、イギリス海峡に望む風光明媚なプールの港町に近い、コンプトンエーカーズでのことです。広い敷地に世界各地の庭を再現していて、そこにはジャパニーズ・ガーデンもあります。
「あ、だめ、和風の木造の門に向けてアリュームをこんな風に一列に咲かせたら、彼岸花みたいにみえる。お寺の山門みたい」
「オレに花の名前言っても仕方ないってわかってるだろ」
「だから独り言よ」
「見ろよ、きれいだぞ」
「わぁ、ツツジが花盛り。池に錦鯉もたくさんいるわ。色だらけ」
「いいじゃないか」
夫はついっと、池に向かう石段を降りはじめ、なるみはその背中にコメントをぶつけ続けます。
「もう少し品種を控えて色を減らせばいいのに。カエデも一年中赤葉のものじゃなくて秋に色が変わるのにして」
「石組に脈絡がないけれど、でも大きな石を使って重量感があるわ。その点は及第」
「あ、こっちはだめ、池に張り出した東屋、どうして赤いの? これはチャイニーズだわ」
「おまえ、ちょっと黙ってろよ。あたりの空気を吸ったらどうだ?」
辟易した夫は東屋から池の魚たちを眺めています。
なるみは庭を訪れてついつい採点者側にまわってしまう自分に少々赤面します。
何だかんだ言っておいて、日本でお馴染みの植物に囲まれ、大きな石に区切られた静かな池のたたずまいに自分が安らぎを感じていることを自覚しながら。
「この花うちにもあるだろ?」
夫が石の隙間から溢れている群落を指差します。
「あ、紫蘭だ、こんなにたくさん。うちのは植木鉢に入ってかわいそうね」
毎日朝早くロンドンに通勤する夫がいつ庭の花を愛でたのか、なるみはいつもこの人に驚かされてしまいます。アジサイとシャクナゲを混同したりする癖に。
「お魚たち幸せそうね」
「そうだな」
夫はまた先に立って石段を登りはじめます。池を離れ、この岩山を越えればまた違う国の庭が出てくるのでしょう。でもなるみは石段が分かれ道になっているところで立ち止まってしまいます。顔色が悪くなっているかもしれません。夫が振り向きます。
「どうした?」
「嫌、これはいやなの。不吉だわ、何か悪いものを呼び寄せてる」
「何だって? おまえは無宗教で霊魂も信じないんじゃなかったのか? 何がいやなんだ?」
「この多層石塔、なんでこんなところにあるの?」
石段が分かれて狭くなったほうの天辺には橋の欄干のぎぼしをいくつも串刺しにしたような細く高い塔が建っているのです。そこに向かう石段はあまりに細くて急で人ひとり上がるのがやっと。
なるみは保育所に通う時に使った家の近くのバス停を思い出します。停留所のサインが鳥居のすぐ横にあって、狭い境内の大きなくすのきの奥に薄暗い石段。丘をぐるっとまわるように登りつめたところにしめ縄のはられた小さな小さな祠。そこは怖かったけれど不吉だとは思いませんでした。そこは神様の場所なんだと子供心に納得していたように思います。
「でもこの石塔は違う。まるで平家の落人を斬殺して建てた首塚みたい」などと感じます。日本のどこで首塚を見たのかも思い出せないのに。
「一緒に行ったじゃない、故郷の夫婦滝。そこにも神社があってあなたは宗教だって言った。でも私にとっては美しい滝の力強さと清明さを大切にするぞっていう思いの素直な表れだって。宗教とは関係なく、この塔はここにあってはいけないの」
「それをシニスター、不吉なんて言葉使うからいけないんだ」
「だってそう感じるんだもの」
「オレが説明してやろうか? この塔は居丈高だ。細くて高くて庭に対してバランスもとれていない。日本庭園にはわざとらしいフォーカル・ポイント(注目点)も必要ない。池や石組、その周りの植栽のたたずまいを楽しめばいいわけで、目線をわざと上に向けさせることもない。塔へ上がる石段は狭くて急で真直ぐで人々に上がってきて欲しいとは言ってない、逆に来ないほうがいいというメッセージを発信してしまっている。塔の立ち位置も岩の陰で薄暗い。塔の形が日本人には何かを象徴してしまうのかもしれないが、それを知らなくてもこれだけの分析はできる」
なるみは自宅でも庭仕事を手伝ってもらったことのない夫の口からガーデン・デザイナーばりのコメントを聞いて目を丸くします。
ガーデニングのガの字も知らないと思っていたのに。チェルシー・フラワー・ショウに行ったって「庭見てるより人間観察のほうが面白い」っていつも言うのに。
「あのな、もうひとつおまえ間違ってるぞ。ここはイギリス人が造ったイングリッシュ・ガーデンなんだ。各国の庭を完璧に現地と同じにしようと思っているわけじゃない。オーナーが外国の庭を自分の判断で再現したものだろう? おまえが日本人だからって本物じゃないと批判するいわれはないんだ。もともと本物じゃないんだよ。色が派手すぎてオーナーなりデザイナーの趣味を疑うという批判ならできるよ。それだけじゃないか? おまえは日本人だから、おまえが造る庭はイングリッシュ・ガーデンじゃないといわれたことがあるか? ないだろう? イギリスは植民地や移民からいろんな文物を吸収してきた。来るもの拒まずだ。そしておまえみたいな部外者の選ぶ植栽を一味違うイングリッシュ・ガーデンと認めてくれる寛大さがあるんだ。日本でイギリス人が10年修業したくらいで日本庭園が造れるか? 日本庭園として認められるか? オレが日本で見たところ、ジャパニーズ・ガーデンってのは半端じゃないこだわりがあるぞ。日本って国は、物事をどんどん突き詰めていくのが得意なんじゃないのか? その二つの国の違い、わかるだろ?」
そこでなるみははたとイギリスの底力に気付きます。他を受け入れても自分を見失わないということ。そしてなるみの夫は何人に見えようが、誇り高き生粋のイギリス人であるということを。
十年前から六年前にかけて書いたお庭の物語、これで全部です。
他愛もない、甘いお話たちですが、アクセスしてくださる方々があるので、アップしておきます。
読んで下さった方、心から感謝申し上げます。