8話 説明しよう
天地無空流。それが有影シオリが師匠と名乗る者から習っていた流派の名前である。
その流派の技は、様々な状況、一対一、対複数などの用途で系統化されておらず、目録には幾つかの技の名と、特別な秘剣の項目しか存在しない。
その秘剣の名は、絶刀。
それは天地無空流の奥義の隠語であり、流派の名を表す二つの奥義の総称である。
その片割れこそが、無尽剣。
かつて開祖が編み出した斬撃の技術の到達点。気を高め、練り上げ、性質を斬撃に特化させ、心身のエナジーを唯一つの刃と成し一刀に込める。
三百年続く無名の流派の始まりであり、最終奥義。それこそが、無尽剣。
人間の技術でありながら異能と呼ばれるに値する程の段階まで昇華させた、人の身で全てを斬り伏せる絶技。
天地無尽の剣に掛かれば、例えどのような強大な化け物であろうとも、その尽くを打ち倒せる。
――はず、だった。
「やっぱ未完成かぁッ! 全然効いてないや!」
シオリは化け物に己の最強の奥義が炸裂したと確信したが、その淡い期待は見事に崩れ去った。
ゾルアジスの頭は完全に打ち砕かれたと思われたが、色の無い色の軌跡を描きながら吸い込まれた刀身は頭蓋の鱗を砕き体表にヒビを入れ、右の角を叩き折っただけに終わったのだ。
化け物は予想外の出来事に叫び狂い、辺り一面に業火の炎を吐き出し始める。
「前進的撤退!」
シオリは攻めていた時よりも素早くゾルアジスから離れる。とりあえず、セリエの方には先ほど行ったので今回はドルタスの方へ駆け寄る。
「……ッ! ロ・ブラガ! デロリアリ・ガルド!」
「言いたいことはわかります! ごめんなさい!」
素直に頭を下げるシオリの様子に、怒気を発していたドルタスの勢いも無くなり、兜の奥で悪戯っぽく笑う。
「ヘッ、ヴェラ、オルディ・ビーグエラ」
そう言ってシオリの頭を撫でる。何を言ってるかわからないが、シオリはそれが少し嬉しくてニッカリと笑う。
「……へへっ」
「へへへへっ。ッ! バアルッ!」
いきなり白みを含んだ火球がシオリ達のいる場所の近くに降り掛かった。シオリにも異様に感じさせる程に凄まじい熱気を発して地面がドロドロに溶け始める。
「熱ッ!! あっつい!!」
「ゲダンッ、ゲラ・エウェビー!」
ここにいては危ないので、ゾルアジスが混乱してる間に二人はセリエを回収してから離れることにした。セリエの元に行くと、彼女はまだ呆気に取られた様子だった。
「……アルハイド、イマのは、イッタイ……?」
「説明はあとあと! とにかく今はアイツから離れましょ!」
「ハッ、ダリ・リヴィルド? ゲラ、ゲダン」
「あっ、オウ……」
ドルタスがセリエを抱えて三人でその場の脅威から少しでも離れようとした時、この場の三人以外の何かが声を発した。ゾルアジスだ。
《常命の小僧よ……》
「へ!?」
空気を振るわせるように重く響いたその声は、恐らく、シオリに対して、呼び掛けた。シオリはハッとして振り返る。ゾルアジスは混乱から立ち直り、確かに自分を見据えて声を発していた。シオリは自分が化け物に日本語に聞こえる言葉を掛けられたことに気付いて驚愕した。
《もはや草の根も刈れないはずの刃で私の、竜の誇りとも言える角を叩き折るとは……》
「あっ! いや、えーと、それはごめんなさい! でもそこまでする気は無かったというか! ちょっと驚かせられたらいいなみたいな、何ていうか――」
シオリは突然のことにしどろもどろで変な返しをしてしまう。事実、恩人を助ける為に化け物と相対して立ち向かったのにも関わらず、シオリはゾルアジスを殺す気はそれほど無かった。ただ無我夢中で剣を振るっただけであった。凡そ剣士には相応しくない言い訳。それに対してゾルアジスは――。
《見事だ》
「はえっ!?」
《その若さ、その貧弱な体躯でありながら、私の身体に傷を付けた。それがどれほどの研鑽か。私は、貴様に敬意を表す》
「………あ、はい、どうも……」
《では、また相見えよう》
大きな翼を広げて、膨大な風圧を発しながら、その巨体を物ともせず軽やかに飛び立つ。シオリ達はそれを呆然と見上げていた。
《次は確実に食ってやろう》
物騒な言葉を言い残して、真紅の竜のゾルアジスは飛び去っていった。
2
「…………はあぁ~~~、疲れたぁ~~~」
そう言いながらシオリはベッドにドッと倒れこむ。緊張しっ放しだった上に沢山怖い思いをしたのもあり強い疲労感を覚える。
ここは、小さな戦場から歩いて半日ほどの小さな村である。あれからいつの間にかまた戻ってきていたアポロノスの竜車で出発して、昼前に到着したのだ。
セリエが重傷だった上、あの場から絶対の強者が去った以上、血の匂いに誘われて別の化け物が寄ってくる可能性があったので、緊張が緩んだのか気を失ったセリエの看病をしつつ、ドルタスと二人だけで周囲を警戒しながら少し早いペースで村まで進んだ。
その間二人は言語が通じないので特に言葉を交わすこともなかったが、たまにドルタスが労いの言葉を掛けてくれた。彼の態度から友情に近い雰囲気を感じてシオリも笑顔を返した。
村に着いて、常駐している医療法術に心得のある聖職者にセリエを預け、村に一つしかない共同食堂兼宿屋の部屋を取った。ここでシオリは、この世界に魔法と言う概念があることを知った。
ドルタスも化け物との戦いで怪我をしていて疲れも溜まっているはずなのに無理を押して看病の手伝いをするらしく、シオリには宿で休むよう手振りで伝えた。
一人だけ休むのは何だかな、とは思ったが、シオリも猛烈に疲れていたのでありがたく甘えさせてもらうことにした。
シオリは、フカフカとは言えない少し硬めのベッドに横になりながら、今日あったことを思い返していた。
――あのおっきな竜、怖かったなぁ~……。また会おうとか言ってたけど、もうあんな無茶はご免だよ……。大体僕、無尽剣しかできることないし!たぶん次は見切られて僕の方がバラバラにされちゃうよ。そもそも、生き物を殺したりするなんて僕には無理だから!怖いし、痛いし、殺し合うなんて無理だよ……。
……僕は今、たぶん、異世界にいる。昔ネットで沢山読んで知っていた、自分も行きたいと思っていた、あの異世界に。しかし神様は不公平だな。僕にはチート能力をあげたりしないなんて。最初から言葉も、最低限の常識も教えてくれないなんて。とりあえず、街に着いたら一旦言葉を習わないとなぁ……。セリエさんは少し話せるからいいけど、ドルタスさんとはちゃんと話がしたいな。
……僕は、これからどうやって生きればいいのだろう。そもそも、元の世界に戻れるのだろうか。師匠が居ないのが心細いなぁ。アイツとの決着もついてない。アイツにはまだ言いたいことが沢山あったのに。
………とりあえず、頑張って生きてみよう。後のことは、後で考えよう。
そう考えを打ち切って、シオリは睡魔に身を任せて意識を投げ出した。
3
「テンチ……ムクーリュウ?」
「はい。それが僕のお師匠さんから教えられた流派の名前です」
次の日、治療法術を受けて傷の癒えたセリエさんが目を覚ました。それを見届けてドルタスさんは宿屋のベッドで泥のように眠り始めた。村を出発するのは明日になるだろう。
シオリはセリエと二人であの時の事情を説明していた。
「要するに、あれは何でも斬れる剣なんですよ。ただ僕はまだ未熟で、使うには特別な儀式みたいなものが必要で……それに、話してませんでしたが、どうにも僕は記憶喪失みたいで……、まだあの技の完成に必要な工程を思い出せてないんです」
言いながらシオリは、あの時のことを思い出していた。シオリが使った未完成の無尽剣は、本来の効果を発揮できずただ全霊の気を込めて叩いただけに過ぎない。その技を完成させる大切なピースがまだ思い出せてないのだ。
「ジューブン、凄いことを、していたようにミエた。ダメだったのか?」
「仮にあの時の僕の技が完成した物だったら、あるいは……。ふふっ、いやいやまさか! 僕なんてまだまだ全然! もし僕の師匠があの場にいたら、あんな竜、粉微塵になってましたよ!」
シオリが首と手をブンブンと振るわせて笑いながら言う。もしも、師匠があの場に居れば、ゾルアジスは師匠にバラバラに切り裂かれていたはずだ。シオリはそう夢想していた。
「ハハッ……。それでも、凄い。私とドルタスは、アナタに、助けられた。レイを言う。アリガトウ」
「いえ、そんな……、ありがとうございます……」
照れ臭そうにシオリは畏まって言う。本人は師匠と比較して謙遜しているが、シオリは事実、一度現れれば国をも揺るがすと言われる実在する伝説。超常の存在、真紅の竜の角を叩き折る。というとんでもない大金星を上げたのだ。それだけで勲章ものだ。少なくともセリエは、そう認識していた。
「それで、コレから、どうする? マチについて、アルハイドはどうする、んだ?」
「……まだ、あんまり考えていません。帰る当てもないので、とりあえず言葉を勉強したいと思います」
「ソウカ。アナタのミブンは、ワタシとドルタスが、エート…ホショウ、する」
「えっ、本当ですか! よかった~……」
シオリは安堵して言う。とにもかくにも、セリエとドルタスと言う頼れる存在が付いてくれる。それがシオリの不安を少しばかり解消させてくれた。
その様子を微笑んで見ながら、セリエは心の中で沸いた疑問について思案していた。
――しかし、本当にとんでもない子ね。何にも知らないただの子供に見えるのに。恐らくあちらも油断していたとは言え、あのゾルアジスに一太刀入れてしまうなんて。私達で守ろうと思っていたのに、逆に助けられてしまった。何か特別な技術を習得しているらしいけれど、あの化け物に恐れることなく立ち向かうなんて普通は無理に決まってるわ。怖くないなんてありえない。この子は恐らく過去に尋常ではない数の死線を潜り抜けている。でなければ明らかに異常よ。勇敢なのか、戦闘狂なのか。もしかしたら、本当に大成するかも知れないわね。
……何でも斬る剣、か……。確か同じような技を振るって伝説になった人間がいたわね……。一振りで大陸を割ったという、とんでもない化け物が……。まさか、ね……。ま、この子に限ってそんなことないかっ。
そこまで考えてセリエはあり得ないなと気楽に結論付けてそれ以上の思案を止めた。
それから二日後、戦いの疲れを癒してから村を出発して、道中何事もなく、シオリ達を乗せた竜車はヒュルックの街へと到着した。