49話 ぶった斬れ!
師匠の刀剣、巫御仙から師匠の声が聞こえる。とうとう頭がおかしくなってしまったのかと勘違いしそうだ。これこそ夢や幻では無いのか。
『あ、これ内緒だぞ。遠方通信術式は現在は失われた技術とされてるからな。知られて戦争とかに使われたら大変だ』
状況に合わない間の抜けた声。
師匠とこうして言葉を交わすのはヒュルックの時以来だ。懐かしくて涙が溢れてきた。
「…………」
『ん、どうした黙って? もっとたまげていいんだぞー?』
「師匠……僕は、もう嫌です。生きるのが辛い。もう疲れました」
つい、弱音を吐いてしまった。
『あぁ、まあ刀越しに見てたから大体言いたい事は分かるぞ』
ずっと見て、聞いてて、こんな時になるまで放って置いてその言い草はなんだ、と怒りを抱きかけたが、もはやそんな気力も湧かなかった。
『で、何が言いたい?』
師匠は、一言、それだけシオリに問いを投げ掛けた。
「…………」
暫しの沈黙、シオリは観念したような目で口を開く。
「師匠……僕は、どうすればいいんでしょうか」
その問いに、少し間を置いて返事が返って来た。
『知るか、お前で考えろ。……と言いたいところだが、私の可愛い弟子のカッコいいとこを見せてもらいたいから、一肌脱ごうかね。
二つだけ、お前が忘れていた事を教えてやる』
「その前に助けてもらうって事は、出来ないんですか……」
『ダメ』
やっぱり師匠は優しい人だと思っていた評価が、やっぱり意地悪な人へと切り替わった。
『手短に話すぞ。一つ目は、今のお前の無尽剣ではウ・エダ・ミアンと宿主の少女の魂を切り分けられない。熟練すれば可能だがお前はまだまだ未熟だ』
「そ、そんな……じゃあ全部無駄だったって事じゃ……!」
『今は、と言う事だ。無尽剣は心で斬る剣だ。持ち主の感情に呼応し、その威力を大きく変える。そしてお前の無尽剣は、発動に最低限必要な“願い”しか込められていない』
知らなかった、と言うのではなく忘れていたのだろう。
シオリは記憶喪失を患っている。大まかな日常の記憶はすぐに戻った為にほぼ思い出せていると勘違いしていたが、まだまだ完治には程遠いようだ。
『どうやら本当に記憶喪失らしいな。それも戦いの記憶が欠けすぎている。だが今はその方が都合がいいな。……さて、二つ目が本題だな』
ズドン、と瓦礫がシオリのすぐ横に落下した。戦いが激化するにつれて玉座の間が崩壊を始めている。
風の魔法まで使って三面六臂の立ち回りを見せているユーの表情に疲れの色が見えた。
シオリにはそれが、ミアンに見せられた悪夢の中の、月子と重なった。
「師匠、早く教えてください。僕は何をすればいいんですか」
『はっは、まあそう急くな。ゆっくり行こう』
「たった今、僕の真横に瓦礫が落っこちてきたんですよ! シャレになんなくなる前に早くぅ!!」
『よしよし。わかったわかった。はー、もうしょうがないなー』
「は・や・く!」
『二つ目だがな、お前の《夢幻》についてだ』
「……え?」
コント紛いの掛け合いをしていて何だが、変な声が出た。
夢幻? なぜ今更そんな事を?
上半身を上げ、巫御仙を拾い上げて聞く。
「僕の《夢幻》は、まだ不完全なんですね?」
『おっ、察しが良いな。そうだ、正確には正しい使い方ではない』
崩壊する玉座の間の端で、短い講座が始まった。
2
『――よし、じゃあ行ってこい若者よ』
「師匠も付いて来るようなもんですよ?」
『言ってみたかっただけだ』
「そですか」
『素っ気ないな』
「もうモタモタしてられないんで」
『いいぞーその意気だ』
そんな他愛の無い話をする一人と一本。一人の方がこれから死地に向かうとは到底思えない。
既にユー達は戦う場所を移して玉座の間には居なかった。恐らくユーがこれ以上崩落が続くのを嫌ったのだろう。急いで追わなければ。
『……シオリ』
「何ですか?」
『生きろ、お前は見てて面白い』
「何ですか、それ……」
いつもそうだ。師匠は適当な事ばっかり言って。
でも今は、師匠が側に居ると思えて安心できる。
「師匠」
『なんだい弟子君』
「……ありがとうございます。僕に戦う力を与えてくれて、僕に変わる切っ掛けを与えてくれて」
『はっは、いいんだって』
「それでも、です」
『ふはっは、嬉しいなあ。すごく嬉しい』
「でも、僕をこんなとこに放り出したのは忘れてませんからね」
『……すまん』
緊張をほぐす為に一言でも多く会話を続ける。
シオリは先ほどまで戦闘音が響いていた方向へ、導かれるように走り出す。今はもう轟音は無い。
玉座の間の、無残に崩壊した大きな扉があった部分を通り抜けて、一際大きな広間に出た。
そこで、シオリは一足遅かったことを知った。
ユーが倒れていた。広間に立ち並ぶ大きな柱の一つ、ヒビの入った柱の下に倒れ伏していた。
広間の惨状が戦闘の凄まじさを物語る。ユーはこの場所で一人戦い、やがて悪魔の手に捕まり柱に叩き付けられたのだろう。
だが、状況を見る限り、その直後であるのは間違いない。きっとシオリは間に合ったのだ。
遅れて馳せ参じた身として厚かましい事この上ないが、今ならまだ彼女を助けられる筈だ。
「――あ? テメエ、まだ動けたのか」
「……うん。もう少し、悪あがきをしに来たよ」
体長は何メートルもあるだろう巨大な手足の形をした触手に囲まれた、少女の姿を被った悪魔がシオリを睨め付ける。
「アル、ハイド……? 立ち直れたのですね……良かっ……た」
「ユーさん! 今、助けるからね!」
「……ッ、いえ、いいえ……! はや、く! 逃げるのですわ……! ワタクシの事は、いいから……!」
「言ったよね! 僕はもう逃げないって! 遅れてごめん! もう大丈夫だから、ご主人はそこで踏ん反り返って待ってて!」
少し距離があるので大きな声で話すが、ユーの声はとても弱々しい。
ごめんね。ごめんよ。僕が情けないばかりに、痛い思いをさせちゃったね。
ミアンを見据えて前へと歩み出す。
「コイツの言う通りに逃げても良いんだぜェ〜? どうせ逃がしゃあしねェけどよ、少しくらいの延命にはなるぜ?」
「悪いけど――僕はそんな展開は好きじゃないんだ」
かつてユーが友達の為に使った言葉を大一番で言い放つ。
「じゃ、どういう展開がお好みなんだァ?」
「君は倒す、ミンタラちゃんも救う。そしてユーさんと生きてここを出る!」
「ご都合展開この上ねェな! ワガママちゃんかよテメエはァ〜」
「そうだ! 僕はハッピーエンドしか受け付けないワガママボディなんだ! 主役の柄じゃないけど、挑戦させて貰うよ!」
勢いに乗って鯉口を切り、巫御仙を解放する。
これを鞘に収めるのは、全てが終わってからだ。
「ア〜ハイハイ、威勢が良いのは良いことだけどよ。その前にやり損ねてた宿題を済ませてもらおうかねェ。ジール!」
殺気を感じたわけではない。刀から『後ろ!』と注意を喚起する声が聞こえたから気付くことが出来た。
「うへっ!」
迷わず右に体躯を投げた。すると、背後でヒュウンと言う風切り声が通り過ぎていった。
「お前は、俺が殺す!」
崩落した玉座の間から素っ裸のジールが現れたのだ。
手には何も持っていない。だが、投げるものはそこら中に落ちている。
「テメエ、コイツと対峙した時に躊躇したよな? 刀持ってるくせにまだ人間斬った事もねえんだよなァ〜?」
「……そんな事、無いことも……無いよ!」
「嘘ヘッタクソだなテメエ!」
しかし、困った。気付いたら居なくなってたから大丈夫だと思っていたのに、まさか全裸で再登場するとは。意外性を狙ったのだろうか。
『シオリ、これは必要な事だ。わかるな?』
刀から、師匠が問い掛ける。この人には分かっていたのだろう。
シオリは、自分の覚悟を確かめるように、ゆっくり、しっかりと頷く。
『よし、なら斬れ。邪魔な障害も、敵の信念も、己の迷いさえ何もかもを、全部斬っちまえ』
正眼に構え、死んでしまった男に刃を向ける。
「斬るのか? 殺っちまうのか? ぶっ殺しちゃうのかァ〜? ビビりで意志薄弱でクズのテメエがァ!?」
「……もう、君の言葉は効かない」
「あァ?」
「これは、僕が生きるのに必要な事なんだ」
前傾に構えて歩み出してきたジールにシオリは刀を持ったまま手を合わせる。
「お前が生きているのが憎い。一緒に死んでくれ。そうすれば俺の無念も報われる!」
「……ジールさん、ごめんなさい。本当に。勝手な都合で悪いんですけど、僕は貴方のことを忘れません」
「……本当に勝手だな、お前。俺の意志はどうでも良いってことか?」
「どうでもよくないです。でも、死んでしまった貴方の無念はここでミアンを倒して、きっと晴らしてみせます」
ジールは一気に駆け出す。もう言葉は必要ないのだろう。
覚悟を決めろ、有影シオリ。君はもう逃げないと決めたんだから。
八相に構えて迎え討つ。
ジールは駆けながら地面の石を拾い、手首のスナップを効かせて投げ付ける。ただの石ころは風の魔力を纏っていた。
ああ、当たったら痛いんだろうなあ。
そう思いながらシオリは反応できた物だけを勘で叩き捌く。
幾つかの石ころが命中する度に苦悶の声を上げた。
痛い、痛いなあ。すごく痛い。
でもきっと、この中の誰よりもマシな方なんだろうなあ。
男が迫る。拳を握り締めて、一気に勝負を仕掛けにきた。
痛みに軋む身体を無理やり動かす。腰を落とし、しっかりと待ち構えて、迫る瞬間のタイミングだけに集中する。
「アルハイド!」
ユーの叫び声が広間に木霊した。
「ウオオオアアアア!!」
「――ごめんなさい」
二人の意志がぶつかり、すれ違う。
謝罪を掛け声に一閃。
鮮血がカーペットを濡らし、力を失ったかのように男の身体が投げ出された。
「ありがとうございました!」
倒れる前に、返す刀で両脚が落ちる。
巫御仙は夜空の軌跡を描かず、確かな手応えと共に、けれど鮮やかに骨を断ち切った。
「斬った! 斬っちゃったよ本当に! なァなァ、童貞を捨てた気分はどうだァ!?」
指を指してゲラゲラと笑う悪魔。
巫御仙の刀身に、今まで本当に生きていた男の真っ赤な血が滴り落ちる。
――ああ、最悪の気分だよ。
無尽剣をあえて使わなかったのには理由がある。
その切れ味故に、あまりにも手応えが無いからだ。だから使わなかった。
師匠はこう言っていた、「私が死霊術師なら必ずお前に人間の死体を当てる。今の内に覚悟を決めろ」と。
だから、決めておいた。《夢幻》の併用が不可欠ではあったものの――、シオリが人一人を殺めた時、斬った人の人生まで背負うのに、手応えの無い剣では意味がないと思ったからだ。
それが人間の一生を断ち切るのにシオリが提示した条件。シオリは人間を斬る度に、その人間の一生を奪った罪と、人間を斬った罪を背負うこと。
それが有影シオリの生きる“代償”である。
忘れない。決して忘れない。貴方のことを一日たりとも。
「だからもう、眠ってください」
今度はしっかりと、奥義を使った。
剣に込めたものは、願いと、悔恨と、自己への嫌悪感。
これまで剣をすっぽりと覆う程度であったものとは異なり、シオリの魔力に感情がない交ぜとなったそれは、剣と呼ぶにはあまりに不釣り合いな程に大きな気を纏っていた。
凄い、感情を込めるだけでこんなに大きくなれるのか。でもこれじゃ斬れない。もっと小さくしないと――。
集中してそれを刀身に圧縮する、無理だと思ったら出力を弱めて、十数秒の試行錯誤をする内に一本の真っ黒い刀が出来上がった。
見た目は今までと全く変わらないが、これまでとはかなり純度が違う。もっと多くのものが斬れるようになったように思える。
見た目によらず、前より明らかに制御が難しく、維持するだけで精一杯だ。気を抜くと爆発しそうだ。
でも、これなら、彼を安心させられる。
仰向けに倒れ伏したジールの胸を一思いに貫く。
願いと想いを纏った絶刀は、なんの手応えも無くあっさりと呆気なく、ストンと石の床まで貫いた。
「――頼んだ」
死なない死体であった筈の男は、その言葉と、安らかな笑顔を最後に事切れた。
「何を、やりやがった、テメエ」
「……眠らせてあげたんだよ」
「だから、ちげえよ!! なんでテメエ如きが、ワタシの《眷属の契約》を断ち切れやがったァ!?」
「君は知ってるはずだよ。この剣のこと」
後悔の念を振り払うように刀の血を払い、悪魔に向ける。
こいつには、加減する必要はないよね。
シオリはいつも通りに《夢幻》を発動する。
しかし、これは“恐怖”を誤魔化す為ではない。無尽剣を使う為でもない。
無尽剣に込める感情を増幅する為に用いる。
「――《無尽剣》」
人の感情は、殆どが一時的なものだ。どれだけ怒っても、どれだけ悲しんでも、寝てしまえば薄れてしまう。命と同等に儚いものである。
だが、この術は人生の体験を強く深く思い起こすことで、鮮明で新鮮な感情を再び起こすことができる。
「キヒヒ、あァ〜よく知ってるぜ。かつてワタシを封印しやがったヤロウが使ってた。ムジンケンって名前は知らねェがよ。その名を、“コトワリの剣”ってな」
「そっか」
「『そっか』じゃねェ!! ワタシがそのクソッタレな剣に受けた屈辱を! そんな言葉で済ませるんじゃねェ!!」
「あっそ」
「……分かってンのか。ワタシと対峙する意味が。この星に満ちる生者の未来と、たった一人の自分のワガママを天秤に掛けるその愚かしさを、本当に分かってンのか。その選択がどれだけの人間の未来を食い潰すのかを、テメエは本気で――」
「――うるさい!」
つまり、《夢幻》の本当の使い道を知ったシオリは――、
「お前の主張なんてどうでもいい!! ここで、ぶった斬る!!」
いつでも激昂できる。
天地無空流 秘伝。《夢幻》、真の名を――、
《夢幻泡影》。




