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絶刀のヴァレリーア  作者: ラーメン上のマチク
2章《原初の魔女、深淵の悪魔》
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39話 そして今日

 次の日、シオリはミンタラと共に穴倉に流れる小さな川に沿って上流の方へと歩いていた。今日も穴倉は光るコケの青白い光に照らされて幻想的な風景を呈している。シオリは何度見てもこの神秘的な景色の美しさに身を震わされる。


「……」


 ミンタラは人見知りの多い子だ。ニーサン家に世話になってからもシオリはこの少女と二人で数回程しか会話をしていない。シオリが女性に対して奥手と言うのもあるのだが。


「……ねえ」

「は、はい?」


 何から切り出そうか迷っていたシオリに対し唐突にミンタラが口を開く。


「兄さんを旅に連れてって」

「……えっ」


 恐らくこれが本題だったのだろうが、本当にいきなり切り出されたので驚いたシオリの足が止まる。ミンタラは少し歩いて栗色の髪を翻しながら振り返りもう一度言った。


「……旅に、連れて行ってあげて欲しい」

「え、えーと、なんででしょう……?」

「……あなた達が来て思った。これはきっと最後のチャンスなんだって」

「チャン、ス……? えっと、ごめんねミンタラちゃん。僕にも分かるように言ってくれないかな……?」


「わたし、選ばれてるの。悪魔さんに」


 要領を得ない彼女の、言いたい事を何となく察したシオリは言葉を失った。

 本来はムンダスとは別の異次元に生きる悪魔の一柱、死堕の数字(ウ・エダ・ミアン)は生きている人間に取り憑いて乗っ取ることで現世に干渉する。

 そして悪魔を外界に出さないようこの地に封じ込める事を使命とする部族がタレ族である。


 死堕の数字(ウ・エダ・ミアン)の憑依には法則性が在る。それは、

 一度に一人にしか取り憑けない。その人間が死ぬまで別の人間に移れない。取り憑いた人間が死ぬと無差別に近くの人間に乗り移る。あるいは病気などで死期が近づくと予め乗り移り先を選べる。


 これが滞在する間に族長のニゾウから聞いていた情報の一部だ。タレ族は最高ランクのダンジョン奥地に集落を作ることで外部との接触を避け、取り憑かれた人間を隔離して死堕の数字(ウ・エダ・ミアン)を封印し続けているのだ。

 それはいつからやっている事なのか正確には分からないらしい。気の遠くなるほど昔からなのは確かで、一説ではこのダンジョンには元々国があってタレ族はその王族だったのではないか等とニゾウは冗談めかして笑っていた。


「じゃあ……印が?」


 ミンタラはこくりと頷く。


「……あなた達が来る少し前に浮き出てきた。まだ誰にも言ってないの」

「……うん? えっと、じゃあなんでミンタラちゃんじゃなくてお兄さんを?」


「……兄さんずっと言ってた。外の世界を見てみたいって。でも、わたしが居たからずっとここに残ってくれてた。わたしはもうダメだから……だから、もう兄さんのこと自由にさせてあげたい。お願い。兄さんを連れてって。兄さんは弓が凄く上手い。きっと役に立つから」


 そう言い切ってミンタラはホウと息を吐く。


「……急にこんな我儘を言うのはおかしいのは分かるの。ごめんなさい。わたしから、兄さんを説得するから、お願い」

「分かったよ」


 シオリの即答を聞いてミンタラは目をパチクリさせた。


「……いいの?」

「まあ、その……ユーさんの事で、ミンタラちゃんには凄くお世話になったし、一つくらいお返しがしたかったって言うか、そんな感じかな」


 それに、このまま放って置くよりマシな結果になるかもと思ったから、とまでは言えなかった。


「……ありがとう。ありがとう……」

「うん、うん。頑張ったね」


 シオリは泣きじゃくり始めたミンタラの頭を撫でるか撫でまいか迷っていた。




 その少し前の頃、タレ族の住む穴倉とは別の遠く離れた地下の、巨大な空間でそれは起こっていた。


 地上のあらゆる死骸を一挙に集めたかのような、テラテラと照って光る肉の坩堝と言うべき冒涜的な空間。その奥の、魔術障壁で閉ざされた一角で男が苦痛に呻いていた。


「お、おい! 大丈夫か!?」


 見張り役の男が呻く男に問いかける。


「苦しい……何かが俺の中で……お、俺はもうダメだ……」


「今助けを呼ぶからな! 頑張れよ!」

「いや……俺はもう死ぬ。子供達に……伝言を頼みたい……」


 見張りの男は危険を承知で障壁に近付いて耳を傾ける。


「分かった。俺が聞き届けよう」

「ありがとう……。――――……お前には、苦労を……かけたな……。―――……ラ、強く……い…………」

「……おい、おい!」


 男は最後まで言い切れず事切れた。見張りの男は急いで集落のある方へと駆け出して叫んだ。


クソッ(コナク)!」





 2



「大変だ、数字憑き(ノル・ミアン)のイスカが急死した!」


 穴倉中に響き渡るその叫び声がシオリの耳に届く前に、既に異変は起き始めていた。


「ミンタラちゃん……!」


 シオリは頭を抱えて蹲るミンタラに必死に呼び掛けていた。


「あ、ああ、声、ここ、声が、こえ、声が聞こえる……! わたしを呼ぶ、声が……っ」

「だ、誰か! ミンタラちゃんが……!」


 シオリの呼び掛けに集落の人達が集まってくる。


「おい、ニーサンとこの妹が選ばれてるぞ!」

「シオリちゃん、危ないよ! その子から離れな!」

「早く族長を呼べ!」


 シオリに肉の捌き方を教えたおじさん、破れた服の修繕を申し出てくれたお婆さん、その旦那さん。他の人たちも口々に危ないぞ、離れろとシオリに呼び掛ける。


「で、でも……! ミンタラちゃんが苦しそうで……!」

「いいから早く離れな! その子はもうミンタラじゃないよ!」


 その時、オロオロとしてばかりのシオリの陰で蹲ったままだったミンタラから、下卑た笑い声が聞こえた。


「……キヒッ」


 笑い声に振り返ったシオリの首に何かが猛然と飛び掛った。ミンタラの華奢な手だ。


「がっ……!?」

「大変だッ! い……客人が悪魔に!」


 首を締める力が次第に強くなってきて、シオリは抵抗を試みようとしたがミンタラを傷付ける事は出来なかった。俯いたままだったミンタラの顔がバッと上がり、額を隠していた栗色の前髪が翻る。


「ろ、ロク……!?」


 彼女の額には大陸語(エスノローグ)で六の数字が刻まれていた。それは何も知らなければ、何の変哲も無い筈の数字。これが国教で忌避される死と堕落を表す数字で、彼女に取り憑いた悪魔の代名詞である死堕の数字(ウ・エダ・ミアン)なのか。

 歯をむき出して笑う、ミンタラの姿をした何かが口を開いた。


「アナタ、美味しそ……」

「が、あああっ!?」


 シオリの足先が地面から離れて浮いた。彼女の身長ではシオリを浮かせるのは難しい筈だが、ミンタラも一緒に浮いていたのである。足が地面から離れたことで一気に首に負荷が掛かる。


 ――あっ、やばい、意識が、飛、ぶ――。



「――シオリ君ッ!!」


 その瞬間、風切り音を上げて何かが飛来して来てシオリを持ち上げるミンタラの腕を貫いた。


「ア?」


 次いでニーサンが場に姿を現わす。彼が惨状を目視して直ぐさま放った矢がミンタラの腕を射抜いたのだ。


「おいみんな、ニーサンが来たぞ!」


「……ッ。そんな、ミンタラ……どうして、君が悪魔に……!」


 ニーサンは驚愕の表情で固まっていた。


「ウフ、フフフフ。ああ、ニイサン……。ゴメンナサイ、ワタシ、ずっと前からおかしかったの」

「――うるさい……! お前は、ミンタラじゃない! その口で、妹の言葉で語るんじゃないッ!!」


 激怒するニーサンの叫びを死堕の数字(ウ・エダ・ミアン)は嘲笑で返す。腕を矢で射抜かれても依然としてシオリを掴んだままだった手が首から離れる。だが、シオリは地面に落ちること無く空中で浮いていた。


「ッ、ゲホッ! ゴホッ! ゔあぁ……何これ」

「シオリ君をどうするつもりだ!?」

「ウフフ、ワタシ、もう薄暗いとこで閉じ込められるのに飽きちゃったの」

「外界に出るつもりか……!」


 それがシオリを人質に取った理由なのだろうか。


「ずっとこの()の中から見ていたの。ニイサンはこの少年に手を出せない……ウフッ」

「おいどうするよ!? 客人が人質に取られてちゃ奴を捕えられねえぞ!」

「族長の指示がねえと……!」


 部族で武器を持つ者も手が出せない様子でいる。シオリを盾にするようにして死堕の数字(ウ・エダ・ミアン)が呟く。


「ゴメンナサイねぇ、あと十数秒だけ時間を稼がせてほしいの」

「い、嫌だって言っても……?」

「ウフフ、とっても嬉しい。ありがとぉ……」

「端から聞く気無いね!?」

「アハッ、大丈夫。逃げ切れたらすぐに解放してあげるわ――」

「何からでしょうかーーっ!?」


「――いいや、そうはさせん。今までもそうだったように、今回も、そしてこれからもだ」


 その時、ニーサンとは別の方向から矢が飛来して来た。ひゅおんと風切り音を上げて真っ直ぐと飛ぶそれは、


 シオリの左胸に突き刺さった。


「な、あっ――」


 胸がカッと熱くなる感覚。胸骨を突き破り心臓を貫かれた痛みが何なのか、暫く理解できなかった。ニゾウが放った物なのだろうか。ニーサンが彼に何かを叫んでいるのが見えるが、シオリには聞こえなかった。


「……酷い――――ね。これ―――も――じゃない」

「――ない――――贄―――」


 ――なんだ……何を話してるの……?

 分かんない……何もわからない。……ユーさ――。


 ニゾウが矢をつがえたのが見えた次の瞬間、首を何かが貫いた感触と共にシオリの意識は閉じた。






 3



「どうしてシオリ君を射った!? 彼はボク達とはなんの関わりもない外部の人だろう!?」

「貴様はまだ若い。何も知らん小僧には分かるまい」

「分かるわけないだろ……! 今まで何も教えてくれなかったじゃないか!」


 事件の後、部族の者達に囲まれる中でニーサンはニゾウに掴み掛かって叫んでいた。

 族長の放った矢がシオリの喉元に刺さったのを見たニーサンが邪魔をしている間に好機と見た死堕の数字(ウ・エダ・ミアン)が魔法の準備を終えてシオリと共に姿を消した。


「奴は復活直後ならまだ力も弱い、今は貴様に時間を掛けている暇はない。……まだ教えるわけにはいかなかったのだ。これには理由はあるのだ」

「そうだ! ニーサンとミンタラはまだ知る必要が無かった!」


 ニゾウに続いて口々に言い訳を吐く人たちの言葉が煩わしく感じてニーサンは猛る。


「だったら言ってみろよ!!」


 ニーサンとミンタラは部族の風習を多くは知らなかった。普通であれば物心つく頃には教えられるはずの事が、どういうわけかこの兄妹だけは知らされなかった、その理由さえも。

 村八分にも近い扱いを受けて育ったニーサンは、それでも良いと思って我慢していた。何かやむを得ない、訳あってのことなのだと、それでも大事な妹が居るなら構わないと自分の中で納得していたのだ。

 だが今日、妹が死堕の数字(ウ・エダ・ミアン)に憑かれてしまった。

 ニーサンには訳が分からなかった。印が付いたのをミンタラが隠していた理由も。何故よりによって妹なのかも。客人のシオリを何の躊躇もなく殺したのかも。自分はただ「客人が立ち去る意思を見せたら呼べ」と族長に指示されていただけであった。この数日で打ち解けてきていた彼をわざと殺した理由も含めて、ニーサンは全てを知る必要があった。


 鬼気迫る表情のニーサンに臆した様子も無く、ニゾウは少し迷った後、「言わない訳にはいくまいか」と呟き、沈痛な面持ちで口を開いた。


「今日死んだ『数字憑き(ノル・ミアン)』はな、貴様らの父親だったのだよ」


「……な、に?」

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