213話 火砲烈刀
「ツ……ツキコさんっ。お昼、ご一緒してもいいですか!」
歴史の講義を終えて指定の制服を纏う学生らが教室を出ていく中、ミサは意を決して声をかけた。
ローン学園では朝から二つの講義を行うとちょうど昼時であり、大抵の人は学園内に二つある大食堂のどちらかへ昼食を取りに向かう。
だが、彼女はその通例に従わず、いつも適当な場所を探して一人で過ごす人だった。
「……」
「あ、の。わ、たしっ、ずっとツキコさんとお話しがしたいと思っていて……」
直視できないような美しい少女であった。
ユガミツキコは、既にローン学園に咲き誇る高嶺の花だ。
冬期の終わり頃から突然学園に姿を見せるようになった彼女は、もちろんその肩にかかる称号が主な理由だが、その麗しい見目もあってか男女ともに学園中の注目を寄せる対象となっていた。
特に、女子生徒からの黄色い声は絶えない。
他にも指定制服を好まず私服で通う者もいるのだが、彼女はいつも男性用のかっちりとした紳士服を着て、勉学のため学園に通う戦いを本業とする者と同じように刀という武器を腰にしている。
言動もまるで男のようで、そして男よりもずっと強い。その一見矛盾するかに思える美しい男らしさが思春期の女には堪らなかった。眉目秀麗と言うのは本来男性に向けた言葉だが、ユガミツキコという人間はむしろそちらが合っているだろう。
ミサも彼女の魅力にヤられてしまった一人だ。
「ああ、いいぞ」
思いがけない返答にミサは舞い上がった。ユガミツキコは一瞬考える素振りを見せたものの、殆ど快諾したのだから。
「やっ……やった! あの、友達も一緒で大丈夫でしょうか!」
「構わない」
「は、はい!」
ミサは高鳴る鼓動を必死に抑えながら、教室の出入り口から見つめていた馴染みの友人達に手を振った。
大食堂は大勢の生徒でごった返していて空いている席は少なかったが、彼らはツキコに気付くなり全員が座れるよう詰めてくれた。ミサは実に気分が良かった。
「ねえ、確か『遠征組』が帰ってくるのって今日だったよね。〝通り名持ち〟様達はもう港に着いてるのかなぁ」
「次の講義までに見に行ってみる?」
「いや無理でしょ。いくら同じ学園区画でも遠すぎるわ」
「じゃあサボる!」
「やめときなー」
いつもと同じ他愛のない会話にも、高嶺の花を添えると自然と声色が高くなる。
ユガミツキコの昼食は、いつもの如く家から持ってきたらしい弁当だ。彼女が弁当持参なのは以前から知っていたが実際に見るのは初めてで、色合いのバランスは良いが、まるで片手だけで作ったかのように下手な料理だった。
これなら、食堂の一流の料理人が作るものを食べたほうがずっと良いだろうにとミサは考えた。
「それ、ツキコさんが作ったんですか!?」
「違う」
「へ、へえー。あの、美味しい、んですか?」
「いや、そんなに」
「そうですかー。あ、あはははは……」
ツキコは食事中の間も手にあるソレを見つめている。
授業中の時もそうだ、彼女は手が空いている時は常に、平たく丸い形状の不思議な道具を凝視していた。
立体的な光を投射していて、隣で見てもそれがどんな用途のものなのかミサにはさっぱりだった。
もっとよく見てみると、街の構造のようにも思える模様の中を動く赤い光があり、どうやらツキコはその光を目で追っているようであった。
と、ツキコがミサの視線に気づいて、口の端を上げてみせた。初めて見る、ツキコの細やかな笑顔だった。
「……ああ。これは、ホログラムと言ってな。キラキラしていて綺麗だろ」
どこか誤魔化されているかのような物言いだったが、ミサはそれどころではない。
「あ、は……はい。本当に……綺麗です」
深入りすれば火傷していまいそうな彼女の笑みに夢中で、とうに道具のことなど目に入らなかった。
その時だ。
ユガミツキコが突然席を立ち上がって、食べかけの弁当を鞄に仕舞うと、何か大事なものでも見つけたように歩き出した。その足先の方向には、大食堂の窓しかない。
「つ、ツキコさん、いきなりどこに!?」
「今日は帰る。また明日」
「え、え!? ……えぇぇ!?」
食事中にいきなり席を立ったことも、気が変わったように帰ると言い出したことも、ミサや友人達には驚きの連続である。
だが、直後にユガミツキコはそれ以上に驚愕すべき行動を取った。窓を開け放って、縁に足を掛けたのだ。
そのまま身を乗り出し、その間も片手にあった奇妙な道具を懐に仕舞う。
ツキコはずっと、食事中も今も、誰に目もくれていなかった。彼女はずっと立体模様の中を動く赤い光だけを見つめていた。
――もしかすれば、それが彼女が今日の授業を全て終える前に帰ってしまう理由となにか関係性があるのかもしれない。
ミサがそう思った時には、ユガミツキコは跳躍によって窓の縁を壁ごと破壊しながら、騒然とする食堂から姿を消していた――。
――座標、脈拍、体温。
それが、シオリの体内に埋め込まれた発信機によって得られる必要最低限の情報である。
エールトベーレで再会した折に弓神月子は触診と偽って彼の身体に触れた。かつて己が育った世界から意図的に持ち込んだこの世界よりも遥かに進んだ技術の機械は、その時に埋め込まれたのだ。
そしてその時点から、シオリの動向は常に、月子に監視され続けているのである。当然本人はそんな事など露とも知らない。
シオリの位置が突如として別の場所へ瞬間移動し、同時に脈拍と体温が上がれば、月子が向かわぬ道理など、無い。
【鬼神】弓神月子は、向かい立った女が何者であるかを瞬時に理解した。献本として屋敷に送り付けられてきた『英雄に迫る』を暇潰しに読んでいた時に見た顔だ。
――【撃墜皇】ドルフ・キリエズヤ。
〝通り名持ち〟の一人にして、特記戦力に数えられる一角。
相手にとって、不足なし。
思いがけぬ相手との戦いを前に、月子の闘争心はシオリを脅かされた事とは別に否応もなく昂った。
しかし、その昂りが続いたのは、次のドルフの言葉を聴くまでの短い間だけであった。
「――ユガミツキコ。通り名は【鬼神】。歳は十九、身長体重は男性平均以上。就寝時間は深夜の一時で起床時間は朝の五時。好物は低脂肪の肉で、一日の食事数は五回。あまり健康的な生活とは言えないな」
ドルフが滔々と語ったのは月子の日常生活の一部。月子の背を、冷たいものが下から這い上がった。
「どうした、貴様、背筋が震えているじゃないか。少年に関わる人間の情報を把握するのは、伴侶となる者の当然の義務だと思うが?」
「お前、最低に気持ち悪いな」
「そういう貴様もどうだ? 少年が呼んでから秒でやって来たが、一体どこから見ていたのかわかったものじゃないな」
どうやらシオリはとんでもない変態ストーカー女には見染められてしまったようだ。口ぶりからして、知っているのはそれが全てではないのだろう。
「まあ、とりあえずぶん殴るか」
月子は、暴力こそが最も手っ取り早く物事を解決する手段であると知っている。口八丁を並べ立てる詐欺師もひとまず殴れば実に素直な人間に早変わりするものだ。
月子が知る中で唯一、どれだけ痛め付けても態度を曲げなかったのは彼だけである。
そんな彼は、一触即発の空気にも関わらず素っ頓狂な声をあげているのだが。
「あの! 月子ちゃん、僕の作ったもの以外でもご飯食べてたってほんと!? しかも二回!?」
「……シオリの作る弁当では少し足りないんだ」
「少し……?」
シオリが最後に零した言葉が、戦いの合図となった。
ガアン――響いたのは異世界で凡そ聴くことのない、乾いた音。この世で、ドルフ・キリエズヤただ一人だけが奏でられる音色。
一発の銃声。
彼女は月子が視線をシオリへと向ける一瞬を見逃さず、工房より転送した歩兵銃を放っていた。
月子の体が、がくんと、後ろに傾いた。
「つッ――……!?」
喰らった。撃たれた。脳天を。銃弾が。
シオリがそれらを認識して叫ぶ直前。
弓神月子の肉体が前方に飛び出た。ドルフ・キリエズヤの勝ち誇るでもない冷徹な表情に、驚きの色が広がった。
金色の影が音の速さで接近する。頭部から、夥しく赤黒い血を流しながら。
――不死身か、コレは!
生まれて初めて、頭を撃たれても死ななかった人間に遭遇して、それでもドルフは冷静に行動する。
撃たれて死なないならば、死ぬまで撃てばいいだけの道理。何も銃を撃つだけがドルフの取り柄ではない。
正面から制圧し、動きを抑える。それからゆっくりと弱点を探して調理する。ドルフは撃ち終えた歩兵銃を槍のように持ち直し、半壊した建物の壁を背に待ち構えた。
迫る右正拳。銃で絡め取り、腕の関節を押さえ。
ようとした、その直前、
「っ!」
――死の一文字が、ドルフの脳裏を駆け巡った。
戦士としての生存本能が発した警鐘に従い、身を捩る。【鬼神】の腰の入った拳がドルフのいた場所を通過する。
背にしていた壁が砕け、建物全体が不自然な挙動で吹き飛んだ。それはまるで凄まじい衝撃で内から破裂したかのような。
「……ッ! なんという膂力だ、貴様、人間か!?」
あたかも人の姿をした巨大な竜と戦っているかの錯覚を覚え、ドルフが思わず叫ぶ。
落下する瓦礫を避け、距離を取りつつ更に口を動かしながらも手を止めはしない。追加の歩兵銃を取り出して、今一度脳天へと撃ち放つ。
ギィン――鉄と鉄がぶつかり、擦れ合う音。
今度は、月子の鞘から抜かれた刀身によって弾道が曲げられた。ドルフの精密にあまりある銃の腕前は決して弾を外さないと、月子はとうに見抜いている。
「さて、どうだろうな」
月子が飛び掛かる。不安定な足元。ドルフが銃を盾に退く。鋼鉄で覆われた銃身がいとも容易く断たれた。
まるで炎で熱し鍛えられている最中のような赤熱した刀は、奇怪な甲高い音を立てて小刻みに震えていた。
『受け太刀』ができない――。
銃身の長い歩兵銃では至近距離の相手は撃てない。そしてユガミツキコの攻撃は、全てが一撃必殺。
接近戦の圧倒的な不利を悟り、ドルフは逃げるように距離を取った。
「どうした。逃げるな。闘え」
「…………!」
平坦で感情の無い声が淡々と追いかけてくる。
瓦礫の山を這い上がり、振り返ると、ユガミツキコが下から見上げ、ドルフが降りてくるのを待っていた。
――銃弾を頭部に受けて死なぬ肉体強度。音の速さで動く俊敏さ。建物一棟を軽々と吹き飛ばす膂力。そして鋼鉄を切り裂く謎の高周波刀。
ユガミツキコという脅威を前に、【撃墜皇】は劣勢に見えた。
ドルフは、全てを聴いていた。
数ヶ月前に起きた『第二次聖戦』において確認された戦いの記録を。
【妖精乙女】セリエ・エルフォードから受けた報告によれば、エールトベーレに出現した《真紅の竜》と真っ向から互角に闘った転生者が居たという。
一度は敗北を喫したものの、再び立ち上がり二度に渡ってあの竜と渡り合ったと。歴史上において五度しか確認されていなかった、巨大化顕現を行ったゾルアジスとまともに張り合ったと。
コイツだ。コイツがソレだ。
名前だけ聴いていても、実際に戦ってみなければわからないものがある。死線を交えて、ドルフ・キリエズヤはこの時初めて認識した。
自分が出来なかったことを、死ぬほど恋焦がれた闘いを、ただその場に居なかったというだけで叶わなかった《七界破天》との闘争を。
心ゆくまで味わい尽くした女が目の前にいるのだ。
ドルフは、彼女に対する認識を心から改めた。
「……【鬼神】ユガミツキコ、貴様を中級以上の化け物と認識する」
――それは即ち、人間相手を想定した戦法ではなく。化け物との闘争を想定した戦法へと切り替えるということ。
生涯の伴侶を前に辛うじて自然と行えていた全力を欠く配慮を、ドルフは今この瞬間、捨て去った。
ここから先は、生殺の領域。
「……お前、何をしている」
月子がそう問うたのも無理はない。
戦闘の最中において――ドルフは一本の煙草を取り出し、口に咥え、火をつけ始めたのだ。
ひとつ軽く吸い、しっかりと紙に詰まった葉に火を馴染ませる。改めて吸い込んで濃い紫煙を瓦礫の海に踊らせた。
そして懐中時計を取り出し、現在の時刻を確認する。
それは、ドルフ・キリエズヤが戦闘前に取る臨戦の所作。闘う為ではなく、殺す為の闘いの際に必ず行う集中の儀式。
ここから先の【撃墜皇】を相手取って生き残った者は、皆無。少なくとも、『銃器』を手にしてからの彼女ならば、敵う相手は居なかった。
――本来ならばあの日に《真紅の竜》を相手に行うつもりだった高速機動戦闘の開始を示す所作。
それをドルフは、ユガミツキコに対して行った。
「時刻、午後十二時十一分。【撃墜皇】は此れより、対象の殲滅を開始する」
空中から、平たく大きな機械が現れた。それは両翼があり、燃料を糧に推進力を発する機構が備わっており、そしてこの世で一人にしか乗りこなせない乗り物だった。
飛行機械『アラサナン』。
その上部の窪みに足を固定して、ドルフは二丁の歩兵銃を手に宣言する。
「少年は、私のものだ」
白夜極光を始めたので初投稿です




