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絶刀のヴァレリーア  作者: ラーメン上のマチク
序章《未来からの転生者》
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2話 逃げよう

 あの人が言っていた。


 お前は弱い。身体も、抗う力も、貫く力も、特に心が弱い。貧弱と言う他ない。

 だからこうして、私の善意で、それらを克服する(すべ)を教えてやっているのだ。

 身体を効果的に動かす術を、力に抗う力を使いこなす術を、意志を貫き通す術を。

 大丈夫。シオリは私の思った以上に、想像以上に順調に育っているぞ。

 それでも。ああ、それでもだ。

 これは無理だと思う時がある。敵わないと思う時がある。

 お前にも必ずそういう時がやってくる。

 その時は――。





 1



 気が滅入るほどの鬱蒼とした森のど真ん中。

 強い不安感と心細さで遠くなる意識の中で、少年はその時のことを思い出してきた。

 喋っていた人が誰なのかは思い出せないが、その人が自分にとって頼れる存在で、心の支えだったことだけは感じ取れた。


 だが、その人は今、少年の隣には居ない。

 依然として少年がいる場所と帰り道はわからず、そして何より自分が誰であるのか、その名前すら思い出せない。

 年齢、誕生日、趣味やよく見る番組、好きな花言葉さえも。

 わかっていることは唯一つ。


「やっばい……めっちゃお腹減ったぁ……なんか食べないと死んじゃう……」


 とてもお腹が空いていた。

 とは言え少年の居る場所で座り呆けていてもユーディーン社製の多機能レンジが目の前に現れることはないので、一先ず立ち上がって歩き回ることにした。

 困ったことに自分の人生で、生の自然を見るのは初めてなので、どの植物や花が食べられるのか全く見当もつかない。

 いや、そもそも食べると言う発想をすることさえ難しいものであった。


 少年が暮らしていた所で言う自然とは観葉植物から公園の並木まで何もかも科学技術で、四季の変化に対応して花を咲かせたりイベントに合わせて自動でイルミネーションが施されるだけの、食物連鎖から外れた、いわば偽物の自然だった。


 少年が認識している本当の植物や野菜とは、家にある機械に電子クレジットを入れれば瞬時に暖かい状態で送られてくる料理を彩る具材でしかなかったのだ。


「……いやいや、無理でしょこれ」


 うずまき状の謎めいた植物、濡れた髪の毛を干しているかのような奇怪な植物を眺めながら少年はそう愚痴ついた。

 何のメリットがあってそんな(なり)を取っているのか。

 科学技術の粋をもってただの庶民でも不老不死と不労所得以外なら殆どが叶ってしまう時世で、自然の摂理から離れて生きてきた、言わば“時代の温室育ち”の少年には到底理解できなかった。

 この大自然はただただひたすらに不気味でしょうがない。

 あの人も野外生活の術までは教えてくれなかった。

 それとも、まだ教える段階ではなかったのかもしれない。

 アニメ趣味代稼ぎに中華料理屋でキッチンのバイトはしていたが殆ど全部機械がやってくれたのだ。

 今までとは全く違う非現実の中で、目の前のネットでも見たことのない不思議な植物を前に、少年はようやくその程度のことまでを思い出した。

 しかし、


「何事もやってみなくちゃわかんないって、教えられてたっけ……」


 変な鳥達がホウホウと変な声で鳴く中、

 まだまだおぼろ気な記憶の果てで浮かび上がった育ての親らしき人の教えを信じて、少年は食べられそうな物を暗闇の中で探す。





 2



 散々悩んだ挙句に空腹に耐えかね手に取ったうずまき状の植物を眺める。

 結局これを選んだ理由は過去に受けた歴史学で、今やお馴染みのフルダイブ技術の機械で過去を再現した世界を探検するという名目の授業中、古い歴史を辿る中にこういう形をした植物を見たことがあったということを思い出したからだ。


 うずまき状の植物を根茎からもぎ取り、綿毛のようなものを爪でこそぎ取った。あとはどうにかして調理して食べるのみ。

 だが少年はここでどうしようもない行動を取った。


「あーっ……」


 空腹がそうさせたのか、育ちがそうさせたのかは永遠にわからないが、うずまき状の部分にそのまま齧り付いてしまったのだ。


「えぐ……ゔええ!! エッグ! エグい! うえ……渋い! 苦っ……」


 うっぷ……と、手をついて思い切り吐きそうになるのを堪える。そして、生で齧り付いたのを強く後悔しながら咀嚼を開始した。

 口に入れてしまったからには毒じゃない限り責任を取って食べ切れと教えられたからだ。

 クレジットさえあれば常に最良の食事にありつけるような世界で生きた少年には、この経験は野外生活の失敗の第一歩として忘れようもないものとなった。

 しかし食べられないこともないので、そのままうずまき状の植物を数本、先端のうずまきだけを食して、一先ずは空腹感も薄れた。

 あとはこのまま胃袋の中身を戻さず、お腹が痛み出さないことを祈るのみ。


「……えぐ味がまだ取れない……」


 少し歩こう。

 そう思って気分の悪さを紛らわす為にうずまき状の植物が成る地帯から歩き出して。そこで授業の内容を思い出した。

 その調理法も。


「あれ…ゼンマイっぽいな……」


 どうしてもっと早く思い出せなかったのか。そうだ。あれは確か水気の多い場所で成るのだ。

 少年が歩き出して間もない所には静かに流れる川があったのだ。

 暗闇のせいなのか音がしなかったからなのか。水に足を突っ込んでびしょ濡れにしてしまうまでその存在を認識できなかった。

 水に浸けてちょっとでも、ちょっとだけでもアクを取れていれば少しは味がマシになったのではないか。

 少年は強く強く後悔の念を覚えつつ川の辺で頭を抱えながら座り込んだ。





 3



 川の辺で水面を覗き込むと浮かぶ暗いシルエットがモザイクめいていて判別し難い。空の天辺から傾き出している月の光が反射して、朧げながら自分の姿を確認できた時、色々と思い出した。


 有影(ありかげ)シオリ。


 十七年もの付き合いの自分だけの名前

 そして自分の人生。

 まるでノイズが走ったかのように見えない、シルエットだけのような部分が大半を占めるが少しずつ思い出せてきてはいた。


「うわぁ、僕可愛くない? 女の子かと思っちゃったよ」


 そんな事を呟きながら自分の顔を眺める。

 まだ殆ど記憶の無かった時間の意識が取り戻した記憶よりも強いせいか、毎日一度は鏡で見ていたはずの自分の顔を見てもまるで初対面のように感じられた。

 男とも女とも取れてしまいそうな中性的な顔立ち、明るい印象の空色の髪とは対照的に瞳の色は暗いブラウンだ。肩まで伸びた髪はヘアゴムで後ろに束ねられている。


「ちょっと弱々しそうだなぁ、うん。もっと男らしい方が僕は好きだな」


 そう言いつつぷらぷらと後ろ髪を右手で弄る。

 そこで唐突に大事な用を思い出してシオリは川の水面に顔を突き入れた。


「んっ、んぐ……ぷはぁー! 美味しいなぁ!」


 川の辺に座り込み犬のようなみっともない姿勢で水面に顔を突っ込んで、思い切り水を体に取り入れる。


 先ほどから喉の奥で強く残っていたえぐ味を水で洗い流した時の何とも言えない多幸感。

 喉の渇きが癒されるのも相まって格別に美味しく感じられた。


 夜の帳が下りてから随分と経っている。そろそろ夜明けも近いだろう。

 腹も膨れた。美味しい水も飲めた。


「あとはお家に帰るだけ……かな!」


 そう楽観的に考え始めたシオリのチョコボールよりも甘い未来構想はすぐに終わりを告げた。大きな何かが葉を揺らす音が。

 すぐにシオリは気付いた。

 先ほど顔が突っ込まれたが落ち着きを取り戻しつつあった水面が振動で微かに揺れる。

 ()()は、すぐにシオリの眼前に姿を現した。




 その瞬間までシオリは遂に誰かと出会えると期待していた。

 ようやく元の場所に、あの人が居る場所に帰れる。

 その淡い期待は()()を目にした瞬間に儚く打ち砕かれる。


 それは人ではなく、でっかいトカゲの化け物だった。

 身の丈は目算でもシオリよりも頭二つ高く、茶色の体表は硬い鱗で覆われている。

 後脚は自分より圧倒的に素早そうで、前に構えた前脚はナイフよりも鋭い。

 ネコ目のような鋭い眼光は真っ直ぐにシオリを捉え、自分の細っこい首など容易く引き裂けそうな牙を、今夜の晩飯と成り果てるであろう肉袋に存分に見せ付けた。


 あ、これ無理だ。

 この場の絶対的強者を前にして既に心身がいっぱいいっぱいのシオリの脳裏に、()()()の教えが蘇った。

 ()()()で沢山練習してきた。実行してきた教え。

 それを今ここで遂行する為にシオリは――、


 トカゲの化け物に背を向ける、足を構え、前屈姿勢を取り、指先を地に添える。


 これは無理だと思った時、敵わないと思った時。

 そういう時は、身の回りの状況が許す限り――、



「とりあえず逃げろ!」

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