162話 二振りの絶刀
剣閃が翻り、群青の星空を纏った刃が鮮血色の竜巻に割って入る。しかし手応えはまるで無い。その攻撃に応じて、竜巻は範囲が狭まったように思えたが、嫌な予感がして、すぐに剣を引っ込めて盾のように構えると、間髪入れずに中から紅い刃が飛んできた。
間一髪でそれを斬り払ったシオリは、これは無理だなぁ、と、少し諦めたような気持ちで飛び退く。
それは、雨粒で形成された塵旋風の如し威容。『千枝女』の血のような刃によって、舞い上がる旋風の水のベールは、真っ赤に染まっている。
メリエル・イシュアーノの〈殺界〉は、斬り込めず、近寄れない。油断すれば即座に剣刃が喉元を狙ってくる。まさに、無敵の剣域であった。
あの真っ赤な渦の中心に彼女が今も佇んでいるのは確かだが、渦巻く形をした鉄壁の守りに阻まれてシオリは攻めあぐねている状況であった。
しかし、そんな過酷な戦況に立たされながら、シオリは笑みを崩さなかった。それは余裕の現れでも、圧倒的な力の差に思わず零れ出たものでもない。
ただ師匠の教えに従い、その通りに行動しているだけ。それが勝ちに繋がると信じて、焦燥をひた隠しにしながら、不敵に笑みを浮かべ続ける。
『戦いの間は常に笑みを絶やすな、どんな困難な相手だろうと不敵に笑い飛ばせ。溢した腹わたを笑いながら食べれば相手は必ず怯む。それが弱いお前にでも作れる、数少ない好機となる』
流石に腹わたが溢れたら笑いどころでは無いし、食べられないと思ったが、それ以外であれば何とかやれる。生唾をごくりと飲み込んで、また口角を上げた。
と……シオリが、さてどうしようか、と考えていると、大橋に吹き荒ぶ旋風が、動き出した。シオリに向かって猛スピードで迫ってくる。
闇雲に攻めれば命が吹き飛び、受ければ巻き込まれ、触れれば粉微塵。そんな自然災害じみた剣技を前に、シオリの安定行動は、ひたすら逃げるように動き続ける以外に無い。
「ほらほらぁ、こちらにいらっしゃい? 跡形もなく、バラバラに刻んであげるからっ!」
延々と追いかけてくる紅い旋風の中から、嗜虐的な言葉を紡ぐ甘ったるい声がした。
「やだっ! 絶対やだ! やだやだ! そんな事言われてハイワカリマシタって近寄る人なんか居ないよぉ!」
「じゃあ、どうするのぉ? そうやって、いつまでも逃げ続けるつもりかしら? 生憎だけれど、攻略してくれるまで解くつもりは無いから」
「うっさいなぁ、もう! これからやる所だから黙っててよ!」
母親にオモチャの片付けを言いつけられる子供さながらな発言を飛ばしたシオリは、その予告通り、足を止めて迎え撃つ構えを取った。
兎にも角にも、アレをどうにかしなければ勝負にさえならない。腹を括ってシオリは『巫御仙』を振りかぶった。――君がそう来たのなら、こっちだって、こうしてやる。
あの塵旋風を形取った剣技は、おそらく、天地無空流に対するひとつのアンサーだ。
基本骨子が高速移動技、すなわち『宙天を駆ける』にある天地無空流に、こう言った防御手段を取る相手は想定されていない。いや、そういう相手を打ち倒す技はあるにはあるが、超人ではないシオリにとっては割と最終手段なのだ。最速の捨て身の技で特攻なんて、成功可能なのはリンネだけだろう。
「ヤるのね、お可愛い事ぉ! さあ楽しませて下さいな!」
甘ったるい声が興奮したように声尻を上げる。無敵の剣域が、シオリの間合いを浸食した。
この〈殺界〉には幾つかの弱点がある。それはつまり、攻略法が存在するという事。決して完璧な技では無い。何故なら、この技は、まあリンネの言葉だから本当かわからないが、雑魚散らしの技なのだから。
その技の要は――手首。
腕や肩はあくまで可動域を広げる為の補助、手首を凄まじい速度で高速回転させ、切っ先の旋回速度は音を越える。結果できたのが、あの塵旋風だ、
だが例え先端が音を越えるとは言え、手首で振れば必然として、剣の威力は極端に低まる。しかしその剣が絶刀だったとしたら――かつてリンネは、その技一本で天下無敵を誇ったと云う。
しかし彼女はこうも言っていた。その技は、『無尽剣』でなければならない、と。
「え……っ?」
ガキン……と、紅天の雷鳴に混じって、剣戟の音が響いた。竜巻が止み、中から姿を現したメリエルは、腰の下の位置で激しく弾かれた刀を、ぽかんと口を開けて見ていた。
「〈殺界〉破れたり……なんてねっ!」
要は、月子の時と同じだ。絶刀の技は、絶刀で抑える。
同じ威力の絶刀であれば、こうも簡単に止められるのだ。後はシオリが、もしも刃がすれ違ったら死んでしまうな、という不安を取り払えばいいだけの事であった。
なにか大仰な技でも期待していたのだろうか、メリエルが舌を打った。
「つまらない手。あなた三ヶ月前と何にも変わってないのね」
「いいや……変わったさ!」
鍔迫り合いを止めた二人は、足を止めての立ち姿で激しく打ち合った。
――否、これは最早、剣術の打ち合いなどでは無い。子供が遊びでやるような拙いチャンバラだ。打ち合うのではなく、当て合う。衝突と同時に互いの剣が弾かれ合って、また手首をいなして体重の乗らぬ速いだけの攻撃と防御を繰り返す。剣戟を許さぬ『何でも斬る剣』が、敵を一振りで倒せずに何度も空を斬り続けた。
『もしも、同等の斬れ味を持つ絶刀同士が打ち合ったとしたら――』
少し前、自分の人格がジールに挿げ変わっていた頃、リンネはそのタブーとも言える命題に触れていた。
百年を越える時間を絶刀に捧げてきた彼女にしか凡そ知り得ぬ、剣士を志す者なら垂涎ものの知識。
虚空刃同士でなら、通常通り鍔迫り合いが起こる。そして、無尽剣と虚空刃が衝突するとしたら、答えは――反発しあう。
「…………どういう事……っ!」
波長が異なるというのだろうか。
リンネは、自己を捨て去る事で力を得る『虚空刃』をマイナスの力、感情の度合いによって力が増幅する『無尽剣』をプラスの力だと例えていた。
プラスとマイナス、相反する性質を持つ二振りの絶刀は、ほんの数ミリのところで触れ合わず、まるで磁石の同じ極を近付けるかのように弾かれ合ってしまう。
シオリはこの時、子供の頃、大昔のスペースオペラ映画を二人で観賞していた時、ライトセーバー戦のシーンを目にしたリンネが感心したように頷いていたのを思い出していた。
彼女は――こうなる事を知っていた。実際に戦いの中で、この現象を体感していた。
この攻防に於いて剣術はあまり意味を成さない。反射神経と動体視力がものを言う。
業を煮やしたメリエルが上段から体重を乗せて振り下ろし、シオリが力で受け止める。そしてとうとう鍔迫り合いが起こった。
互いに反発し合う剣の身体にのしかかる圧力は凄まじく、ただ押し合うだけで全身の力を乗せねばならない。二人は睨み合い、膠着状態に陥った。
しかし、こと絶刀の扱いに関しては、シオリが一枚上手であった。
「――成る程ね……っ」
何かの未来を見たであろうメリエルが、不敵な笑みを浮かべるシオリに納得したように呟く。
それと同時に、群青色を纏う『巫御仙』が、『千枝女』の鮮血のような刀身を――斬り落とした。
敵の剣を真っ二つに破壊したシオリはそのまま、喉元目掛けて振り抜く。だが、その直前にメリエルは後方に飛び退っていた。――浅い……っ!
距離を取ったメリエルは、首筋についた傷から垂れる血を指ですくい、舐め取る。そして心底楽しそうに笑い出した。
「うふ、ふふふふ……。そお……『理の剣』の練度は、あなたのほうが上なのね。俄かには信じがたいわぁ」
「なにぶん、師匠が優秀だからねっ」
「ええ、そうね。その通りだわ。接近戦はあなたに分がある事は認めてあげる。けれど――」
深く腰を落としたメリエルの表情から、再び感情の色が消え去る。
「わたしの本領は、この距離で発揮されるのよぉ」
――その構えは、抜刀術。
音を越えると評された剣豪の技。それはシオリが慌てて剣を盾にした時、鍔鳴りの音を越えて、距離を零にした。
「ひゃいぃっ……!!」
瞬間、刀を通して突き抜けた衝撃に、情けない悲鳴をあげたシオリが宙を舞う。
本気を出した筈のシオリの『無尽剣』と彼女の『虚空刃』は、反発し合っていた。――やっぱり、鞘の内で溜めていたのか!
吹き飛ばされたシオリが体勢を立て直すと、反撃に出る暇もなく、伸びる斬撃の嵐が襲いかかって来た。
連続で放たれる抜刀術は上下左右、斜め。あらゆる角度から斬撃が飛んでくる。距離が離れる以上、あちらの攻撃が届くまでに少しのタイムラグがあるが、しかし、それでも、シオリは受けるだけで精一杯であった。
その防御姿勢も、変幻自在の抜刀術を前に意味を成さない。例え致命傷を免れても、ダメージは避けられない。今やシオリの身体は傷だらけになっていた。
「ほらほらぁ! ほらほらほらほらっ!!」
嗜虐的な掛け声をあげて、メリエルが尚も攻勢を仕掛ける。受ける度に後方に退がるしかないシオリと彼女の間には、かなりの距離を離されてしまっていた。
今すぐ天地無空流の技で返さなければ、敗北は必至。だが、空中を蹴る技を使いたくなかった。ユーの恩恵無しで行使する技には、回数制限がある。そうでなくても使えば脚がガタついて動きが鈍くなってしまう。
『――いつも挑戦する気持ちを決して忘れるな。お前はバカで慢心しやすいからな。戦う時は常に、乗り越えてやるという気持ちで挑めばいい』
師匠の教えが脳裏を過る。――分かってる、分かってますよお母さん。小細工は要らない、真正面から、ブチ抜く。それが天地無空流の戦い方!
そう腹を括ったシオリは、別の技で切り返すことにした。
次の瞬間、シオリは、メリエルの伸びる刀身を斬り払っていた。
先端が切断され、勢いを失って宙に浮かんだ紅い刃が、しゅるしゅるとメリエルの手元に引き戻る。突然の出来事に、彼女は戸惑ったように立ち尽くしていた。
「――絶刀の斬撃エネルギーを鞘内で圧縮、威力を底上げして放つ。それは、なにも君だけの技じゃない。そんなものは天地無空流にある、無尽剣を用いた六つの型の内の一つに過ぎない。……って師匠が言ってた」
「……六つの、型……? 空中を、蹴らないの?」
「違うよ。そして今からその技で、君に近付く。真っ正面から、堂々と……っ!」
そう予告して、シオリは構えた。メリエルと酷似した構え。腰を落とし、左手に腰に差した鞘を握り、その鞘に刀身を納める。
それはつまり、抜刀術であった。
「一之星、明星――」
実はだいぶ初期に明言してはいた要素なのです。出すの遅えよ。




