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絶刀のヴァレリーア  作者: ラーメン上のマチク
4章《救済の王、叛逆の使徒》
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113話 深き淵より

 彼女はとても聡い女の子だった。

 普段から物静かでなにを考えているかなど傍目からにはわからないのに、その据わった眼はどこか遠いところから周りを眺めていて、時おり信じられないような目線で物事を語った。

 その気質は兄譲りなものらしく、その子に見つめられるだけで頭の中の考えや秘密にしていることまで全部見通されてしまうかのようで、そのたびに彼女には隠し立てが通じないことを思い知らされた。


「――コイツの話」


 だからだろうか。

 その黒い首飾りを見た自分の反応で、ミンタラがすべてを悟ったような表情をしたのは。


「やっぱり。知ってたんだ」


「……ごめんね」向けられた視線を前に弁解の言葉も思いつかず、シオリはただそう謝ることしかできなかった。

 ミンタラは「いいの」と許すように静かに首を横に振る。彼女はいつも冷ややかな目付きをしているが、光の薄い瞳の奥に、見かけよりも多くの感情を孕んでいるのをシオリは知っていた。

 だが次に発した句は、幼い少女には到底相応しからぬ口ぶりで、


「どうせもう、兄さんにだってバレてるはずだから」


 彼には全てお見通しだ、と言わんばかりのそれはきっと諦観の念から来るものなのかもしれない。

 彼女は少し前から何かを断念して諦めてしまっているように思える。

 ユーがどこかへ抜け出してしまって、ギルバートとニーサンがギルドに向かった、その後。シオリの滞在時間がわずか一時間にも満たなかった『猫とトカゲ亭』。

 そこで交わした会話は口少なかったが、色々なことを知るには十分であった。


「――だから私、今のところは生きていたい。……いい?」


 いいって、いいもなにも……。

 あの時――二人がゾルアジスと対峙した時の話だ。その最後にミンタラが許しを願うように言った言葉でシオリは何とも言えない気持ちになった。

 自分は誰かの行動や気持ちを束縛できるほど偉い人間ではない。

 きっと、そんなことはきっとミンタラもわかっている。ただこの子はそれでも、自分が誰かに依存する事でしか生きられない存在なのだと思い込んでいる節があって、そのために選択権を誰かに委ねようとしている。

 こんな、流されてばかりの男にまで。


「ミンタラちゃん――」

「……なに?」

「…………いや……」


 シオリは言い出せなかった。なんて事はない。

 他人に意思を委ねる事以外の生き方を見出せないこの哀れな少女に、それに代わる具体的な案を提示することができないのだ。

 間違いなく、彼女が進もうとしている方向の先にあるのは破滅か、それに近いものだけだ。それでもシオリがそんなミンタラに明るい道を指し示すには荷が勝ち過ぎた。

 悪魔を身に宿し――ひいては遠くない未来には世界単位で周囲に影響を及ぼすであろう少女の運命を肩代わりするには、ちっぽけな少年の背中はあまりに小さすぎる。

 たった一人の死を背負うだけで心が潰れてしまいそうなのに。それを顧みずにまた誰かの一生を背負おうなどというのがどれだけ傲慢な考えか分からないハズがなかった。


「……ごめん、なんでもないよ……」


 だから、目を逸らす以外にない。

 情けないと思われるだろうし、実際自分でもそう思っている。しかし何でもかんでも一人だけで問題を片付けられるほど自分が便利な人間でないのも事実だ。

 そもそも、目につく人達の運命を言葉一つ意思一つで左右できるなど、そんな所業が可能なのは創作(フィクション)の主人公、もしくは神に連なる絶対的な存在だけだ。

 そんな完璧な人間など滅多にいて堪るものか。

 ああ解っている。これは逃避だ。自分には荷が重いと言って、尤もな理由で正当性を取り繕うことさえせずただ目の前の問題から逃げているに過ぎない。

 我ながら笑ってしまいそうだ。こうしてミンタラの何かを訴えるような視線に晒されても、強い言葉で返すことさえできないのだから。ここにきて「僕に全部任せて」とか「大船に乗ったつもりでいろ」などと、耳触りのいい言葉で安心させる事もできないのだから。

 小さな手ですくい上げたものが指の間から零れ落ちていくように、あの谷で悪魔の手から救っておいて、期待させるだけさせておいて、最後には――そう考えただけで押し潰されてしまいそうになる。

 本当に僕は、どうしようもない……、


「……わかってる」


「え?」声がして顔をあげると、目の前にいたいけな少女の顔があった。覗き込むように見つめるその据わった眼は心を見透かしているかのようで。シオリの頬に小さな手が添えられる。


「……十分やってくれた。アルハイド。貴方が、貴方にしかできないことを。私はあのとき、ちゃんと救われた」

「ミンタラ、ちゃん……?」

「だから…………あとは、ギルバートに任せる、から、もう重荷に思わないでいい。今までありがとう。貴方は……私の友達のことを、お願い。……それで、いい?」


 彼女はとても寡黙で、優しい女の子だった。

 おそらくは既に見抜いていたのだろう。

 いずれ訪れるであろう運命を待つだけの自分ではなく――自信無き優しさがために、受け入れられない程に大きな重圧をいくつも抱え、途方に暮れて今にも泣き出しそうなこの惨めな少年にこそ、救いの手が必要なのだと。

 そして幼気な少女が掛けた言葉は慈悲に満ちていながら、年上の少年にとっては最も残酷な一言だった。


「辛くなったら、逃げていいから――」













「キヒッ」


 邪悪な笑みの、むき出した歯の隙間から噛み鳴らすような声が漏れる。

 そして煙のように黒い靄が流れ出るのは異質化した左の()

 雨模様はいつの間にか収まっていて、代わりに少年の表面より突如として迸りうち上げられた魔力によって夜闇の空が混沌の色でひしめく。その雨上がりは本来の雨晴れのそれとはまったく別を意味しているようだった。

 今までのシオリに対して抱く印象とはまるでかけ離れた、明らかに変容したその様子に一人を除き、二人の女が息を呑む。

 有影シオリを自称していたモノ、シオリ・アルハイドだった――そして少年の皮を被った誰かが口を開いた。


「――《幻を焼くは(ファーラ・カエラ・)襤褸を纏いし(ショールエト・レトレ)砂塵の舞踏(・カインドロア)》」


 歌うように述べられる()()が何であるかを瞬時に悟って、メリエル・イシュアーノは反射的に剣を構えた。アルフレッドは既に遠く離れた場所から眺めていた。

 セリエ・エルフォードだけが、その事実を受け入れられなくて混乱していた。

 なぜなら自らが保護すべきはずだった少年が口から紡いでいるものは、まさしく《魔法》に違いなかったのだから。

 《魔法》とは神代からの(はなむけ)だ。

 神と悪魔との戦いの果てに悪魔は滅び去り、神は世を去り、そこには人間(ヒト)だけが残った。しかし人間はひどく弱く、世界にはまだ数多くの戦いの傷痕と混沌が残っていた。その行く末を哀れんだ神が古の名残としていくつかを残した。

 その一つが――《魔法》なのだ。

 少なくともセリエはそう教わっていた。そしてその伝説はルクレイアに生きる者であれば誰でも知っていることであり、その文化理想が世相を、今の世の在り方を作っているのだ。

 だからこそ、選ばれし者だけが触れるのを許される真理(ことわり)を有影シオリが唱え始めたことが信じがたかった。

 しかし、偽りなき事実としてシオリは古代理法語(ノルドプラエ・ローグ)を流暢に喋っている。

 まるで今この瞬間から彼が別人になっているようだった。

 そしてその少年の意識を盗んで表層に躍り出たナニカが発露させるのは、世に再び返り咲いた歓び。神代より連綿と繋ぎ続けてきた思念に内包する魔力(ちから)を、ほんの少し垣間見せる祝詞。

 またソレにとっては自己紹介でもあった。


「《教典の日は我が前にあり、奉るは――死と堕落(ウルド・ラ・エディア)!》」


 呪文が完成すると同時に、有影シオリの内側から〝深淵〟が現出する。

 それは光を呑む闇であった。

 変質したシオリの魔力でもなければふっと沸いて出たものでもない。そこに確かにあったものの内側から漏れ出てきた混沌そのものだった。


「――ッ!!」


 それを見た瞬間、メリエルの全身を掻き毟るほどの悪寒が襲った。

 知識と経験に則した直感ではない。生物的な本能からの直感が、この暗闇に触れてはいけないことを訴えている。

 だから、脳が命令を発する前に体が動いて、その闇から逃れるように飛び退いていたのはその為なのだろう。


「ウルド=ラ=エディア!? まさか、そんなこと有るはずが……!」


 絶対にありえない――。そう言い切れるほどの確証をメリエルはもてなかった。

 時の源流から最も邪悪な存在として歴史に記され、最後に存在が示唆されたのはおよそ五千年ほども昔。

 とある王国を死者の都に変え、それを皮切りに大陸を滅ぼそうとした大悪魔はとある英雄の手によって戦いの果てに封印された。封印の影響で隆起した大地が王国をすっぽりと覆いヒトの手を拒む深い峡谷となり、やがてその峡谷はダンジョンへと姿を変え、今も冒険者を誘い続けている――という話。

 しかしそれがただの伝説や御伽噺(おとぎばなし)としてではなく、その存在が永劫に不滅であり、確かに実在していることを〝調停者〟は知っている。

 正確には――〝調停者〟の中に、実際にソレと戦った者が居る。

 古の時代の残り香。触れられざる彼方。神話の残党(エル・ヴリージャハル)

 神の喉元に届く牙を持つと云われる七界破天(ガルミラ・レイヴェン)の一角、《深淵の悪魔(ラ・テラー・ユダ)》。

 少なくとも閉ざされた峡谷の外へと出ては――ヒトの多い王国の中心に居ては絶対にならない存在である。

 それも自分らの捕獲対象を乗っ取っていれば猶更だ。


「本当に、《深淵の悪魔(ラ・テラー・ユダ)》そのものだというの――?」


 訊きながらもメリエルは、不思議とその問いに答えないでいてほしいと願っていた。

 それはただ返答するのではなく。疑問に肯定で返すこと。首を縦に振り、「その通りだ」と口で答えられること――。

 なぜそう思ったのかはわからなかった。出所のわからない正体不明の感覚だった。筒の外に出てから過ごしてきた短いとも長いとも言えない年月の中で、魂の記憶を失い自分という自我に目覚めてからの――初めて抱いた感情だ。

 すぐに、メリエルははたと気付いた。

 わたしはこいつを、心底から怖がっているんだ。


「――その通り! ワタシは深き彼方の淵から覗く者。死と堕落を司る深淵(ユダ)悪魔(テラー)! で、アナタたち誰ぇ?」


 少年の姿に似つかわしくない、甘ったるい声音は生き物を誘い惑わせるよう。そして狂おしいほどのよろこびと嬉しさがない交ぜになった笑み。

 それは確かにメリエルに向けられていた。


「わ……わたしたちは――」


 メリエルがなにかを言おうとした時だ。「――《魅惑の枝よ(カルエギ・クァント)》!」手を向けてシオリが叫ぶ。その瞬間に、少女を横から殴り飛ばすような衝撃が襲った。


「なッ!?」


 何が起きたか理解できない。殴られた方向を見ても、そこにはなにもなかったのだから。

 今度は反対側から――メリエルは派手に地面を転がり、黒と赤のドレスを泥水で汚した。


「キャヒハヒハハハホハァー!」


 深淵の流出は止まらない。

 見れば精神に異常を及ぼす。聴けば悪夢と死者の怨嗟の声を垣間見る。触れれば、その命を奪う。ヒトの理解の埒外にある法則をもったこの闇は、際限なくシオリの表面から溢れ出し続けている。

 堰を切ったように迸る魔力はまるで氾濫する川の激流に、陽が落ちて巨大な闇が訪れるかのようで――。


「……なぁに、この魔力……ッ!! 全く底が見えない! たまらないぃ! この体! この()!! ワタシの見立て以上に、この器は素晴らしいわぁ! キヒッヒヒヒイヒヒ!!」


 王国を支える巨大な橋を、偉大な英雄の名を冠する河をも夜より黒い闇が覆った。

ここまで読んじゃうくらい物好きならなんか感想よこせぇ!

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