11話 いいえと言おう
シオリがギルバートに仕事を紹介してから三日経った。今日も二人で仲良く皿を洗ったり雑用をこなす。
ギルバートはシオリの予想よりもずっと根気良く、元気に仕事をこなし日銭を稼いでいる。声の通りが良いので酒場の主人が試しにとギルバートを接客に回してみると、これが良い結果を生み出した。
「ではお客様よ、オーダーをこの鉄の男ギルバートが承ろう! ほう、ふむ。成る程。了承した! 注文を復唱するぞ。子アポロノスのモツ煮! 山菜炒め! ビアー! 更にビアー! よろしい!! そのオーダーをこの鉄の男! ギルバートが承った!!」
酒場のフロアからギルバートの快活な元気の良い声が響いてくる。尊大な口調で放つ独特な語りがこれまた評判が良く、ギルバートは皿洗い以外、大体接客に回されるようになった。シオリは相も変わらず調理場で雑用をしている。それでいいのか、とは思ったが彼を連れてきた功績で給料が上がったのでシオリは黙した。
「ハーッハッハ! 接客も中々楽しいな! 俺も死ぬ前に一度やっておけばよかった!」
「流石に日本でアレやると即クビだと思うんだけど……」
おかげで色々と相談がしたいのに皿洗いと休憩中の時ぐらいしか話す機会が無い。ギルバートはシオリの隣の部屋に滞在しているので帰ればいくらでも話せるが。
休憩中もギルバートは楽しそうに笑っている。シオリにはこの少年が死ぬ姿が想像できなかった。精神まで鉄で出来ているように見えるのにどうして死んでこの世界にやって来たのだろうか。そう思わずにいられなかった。
「して、シオリよ。お前はいつまでこうしているつもりなんだ?」
唐突にギルバートがそう切り出してくる。
「……えっ、急に改まってどうしたのさ」
「いやなに、この調子なら俺も二週間もすれば武器くらいは買えるだろう。そうしたら一度はクエストの一つでも受けて冒険に繰り出すつもりだ。お前はどうする?」
そう聞かれてシオリは少し考え込む。武器はある。セリエが持っていた中ほどから折れてしまった刀が。セリエの身長ほどあったのが半分に縮み丁度シオリでも振り回せる長さで廃棄するのも何なので譲ってもらったのだ。しかし――。
「……行こうと思えばいつでも行けるよ……。でも、まだちょっと怖くて……」
「無理強いはせんぞ。だが少しでも行きたいと思うなら、俺が無理にでも引っ張り出してやる」
「いや、ギルバート君にそこまでしてもらう訳には――」
「何を言うか! 俺達はもう友人だろう! お前は俺の恩人でもあるのだ!! ……お前が俺に仕事を与えてくれなければ、まだ俺はその辺で残飯を漁って暮らしていたか、とうに飢え死にしていたはずだ。俺はその礼がしたいのだ!」
「ギルバート君……」
シオリは正直に胸の内を打ち明けてくれる彼に少し胸打たれていた。こいつは良い人だ。知り合ってまだ一週間しか経ってないけど、言動はアレだけど、確かにシオリの友達として、親身に接してくれている。
シオリは悩む。森の中で逃げているだけだった時のことを思い出した。怖い。怖いのだが、今は一人ではない。ギルバートがいる。
「…………」
「…………」
――夢幻。
少し卑怯だとは思うが、結局シオリにはこれに頼るしかなかった。彼の好意を無下にはできなかった。恐怖は掻き消え、思考がクリアになる。消極的な迷いを消したシオリは意を決して言い放つ。
「行くよ。僕も行く。僕を街の外へ連れてって」
「ようし! そうこなくては!」
――ああ、言ってしまった。もう止まれない。もうこうなっちゃ仕方ないよね。ギルバート君とクエストに行こう。
「では明日早速行くことにしよう!」
「……えっ? 早くない!? 武器は!?」
「ハーッハッハ! 心配無用!! 俺はそういう能力を授かっているのだ!」
どうしよう。まだ夢幻の効果時間内なのに急に不安になってきてしまった。
「まあ、流石に心配だろうからな。今夜、俺の能力を見せてやろう。そうすればお前も安心できるはずだ」
ギルバートはそう言って椅子から立ち上がり、高笑いしながら休憩を終えてしまった。とりあえず、僕も帰る前に明日休む連絡を取っておこう。そう考えてシオリも立ち上がり、仕事に戻った。
2
日が傾き、空が夕刻を告げつつある。昼の食堂の役割を終え、本来の大衆酒場としての役割が始まる。もう数時間もすればシオリ達も上がりだ。
そこで、その人物はやってきた。正面口の木製のスイングドアが金属部と擦れる音を立てて開かれる。そこから、腰まで伸びる輝く金髪を後ろに一本に纏めた端正な顔の少年がゆらりと現れた。
「よくぞいらしたな、お客様よ! お一人様か? ではこの鉄の男ギルバートがカウンターに案内してやろう!」
丁度手が空いていたギルバートがその少年に接客を始める。明らかに酒場にそぐわない年齢に見えるが、この世界では飲酒に関する法律はない。余程小さな子供でもなければ追い返さないのが異世界の流儀だ。
「……人を探している。有影シオリと言う者の名を知らないか?」
少年がそう聞いた。どうやら酒を飲みに来たわけではないようだ。
「……知っているかどうかは、先ずは注文してからだな! 話はそれからだぞ! さあ、カウンターはこちらだ!」
「わかった」
存外に口が軽いギルバートは、店の売り上げに貢献する為、知っているか知らずか下手な素振りだけを匂わせて少年をカウンターへと誘う。少年は大人しく従い、カウンター席へ座った。その仕草は身体の中心に一本の芯が通ったかのように瀟洒だ。
「さあ、これがメニューだ! 言葉は読めるか? 今ならこの鉄の男ギルバートが直々に読み上げてさし上げるサービスも付いているぞ!」
「水を頼む」
「おおっと、シオリ某の情報が知りたければ、腹に収める物を収めてからだな! 俺の口は存外硬いぞ?」
「……米は無いのか?」
「すまんな! 無い!!」
その少年は、渋々とメニューを少しだけ眺めて読み上げる。頼んだのはアポロノスのステーキとミルクだった。
「了承した! そのオーダー、この鉄の男ギルバートが承った!! アポロノスのステーキは少々ボリュームがあるのでペース配分に気を付けるのだぞ! 食べ終わったら呼びたまえ!」
「わかった」
カウンター席は洗い場のすぐ近くなので、丁度皿洗いをしていたシオリにも会話が聞こえてきた。加護とやらの言語の自動変換機能が備わっていないシオリには、ギルバートのよく響く声と共に、カウンター席に座る客が日本語を喋っていることにすぐに気付いた。その声が良く知っている人物にそっくりなことも。皿を洗う手が止まる。
――まさか。いや、まさかそんな。
シオリは体中にドッと嫌な汗が吹き出してきたのを感じた。この感覚が何故か少しだけ懐かしく感じる。あの子に見下ろされていた時もこんな感じだったような。シオリの第六感が警告を発していた。あの子がすぐ近くに来ていると。
ギルバートが注文を調理場に伝えてから、精神的な発汗で顔が汗だくのシオリにそれとなく近付いてそっと聞いて来た。珍しく真面目な顔をしている。
「……シオリよ、お前を知っている転生者が来ている。どうする?」
ギルバートも何となくあの少年が転生者だと察しが付いていたらしく、シオリの名を口にする様からただならぬ雰囲気を感じて当の本人にどうしたいかと聞きに来たのだ。
「今すぐ裏手から逃げ出したい」
「わかった」
それだけ聞いて納得した様子でギルバートは再び接客に戻った。
3
「鉄の男、いいか?」
「おお! あれだけの量をよく食べ切ったな!」
大の男でも食べ切るのが難しいボリュームの肉を数分足らずで完食した少年は給仕の名を呼ぶ。ギルバートは言い訳を考え終わる前に食べ終わったそのあまりの速さに、内心焦りを覚えながら呼び声に応える。
少年は支払いを終えて、改めてギルバートに問うた。
「有影シオリはどこにいる?」
少年はそれだけ聞く。
「ハッハッハ!! いやすまん、聞き間違いだったようだ! 俺はシオリなどと言う奴のことは知らん!」
ギルバートは咄嗟に思い付いた苦しい言い訳を始める。それを聞いた少年はゆっくりと首を動かし、ギルバートの心中を見透かすようにギラリと眼光を向ける。
「そうか。……いるんだな」
「おっ、おいちょっと待て。お客様の出口は正面――」
ギルバートが言い終わる前に少年はカウンター席の近くにある調理場の入り口に座った姿勢から一息で跳躍し、飛び込む。跳躍の衝撃で座っていた椅子が破壊された。
「……」
少年が調理場の中を見回すが、シオリの姿は無い。会話に耳を澄ましていたシオリは突然嫌な予感を覚えて飛び出すように裏手から逃げ出したのだ。裏手のドアがキイキイと音を立てている。
「そっちか」
少年がまるでシオリの足跡が見えているかのように迷い無く調理場を走り抜け、裏手から飛び出す。突然の出来事にギルバートと調理場の従業員は唖然としてそれを見送っていた。
4
――やばい。やばいやばいやばいやばいやばい!!!まさかこの世界に来てるなんて!転生してからはもうリベンジ出来ないのは悔しいなぁとは思ったりもしたよ!でも再会するの早すぎでしょ!まるで僕を追いかけてきたみたいだよ!!
シオリはエプロン姿のまま入り組んだ暗い路地の中を隠れる当ても無く逃げ続けていた。シオリを追う、あの化け物のような少女から。今、手に武器を持っていないのが途轍もなく心細い。
彼女がぴったり追ってきているのを気配で感じていた。そこに居ないのに、目に見えない位置からずっと見つめられているかのような強い視線を肌でヒリヒリと感じていた。あっちの方が圧倒的に速い。直に追い付かれてしまうだろう。そうシオリは予感して逃げる足に力を込める。その時、
「見つけたぞ」
「うわあああああ!!」
その少年は、シオリが曲がろうとしていた路地の角からゆったりとした仕草で現れた。まるで待ち伏せていたかのように。シオリは急に足を止めたせいで滑るように尻餅をつく。
その少年は、いや、男装の少女は朱色の瞳を爛々と輝かせてシオリの顔をジッと見つめていた。少女は感情を抑えているかのように淡々と喋る。
「どうして逃げるんだ。私はこうしてお前と再開するこの瞬間を心待ちにしていたのに」
「ま、まさか……君もこの世界に来ていたなんて思わなくって……ビックリして逃げちゃった。なんて……」
少女は、そんな言い訳はどうでもいいと首を振って囁くように言う。少女の周りだけが、まるでオーラが立ち昇っているかのように空気が乱れている。
「御託は良い。さあ。さあ、さあ、さあ。さあさあさあヤろう。今すぐヤろう」
「な、何をですか……?」
「当たり前のことを聞くな!!」
少女は叫びながら腕を路地の壁に叩き付ける。少女の細腕を叩き付けられた壁に亀裂が入った。もう感情を隠そうともしていない。獣のように獰猛な笑みで端正な顔を歪ませ、待ち切れない様子で今にもシオリに襲い掛かりそうだ。
「あ、あの、えっと――」
「言い訳は聞かんッ!!」
シオリは、怯えたように言葉を返そうとするが、揺らぐだけだった空気がドンッと爆発するかのように膨れ上がるのを見て口を閉ざしてしまった。少女は言い訳なんて聞かないとばかりにシオリに詰め寄る。
「今、この場に、私と有影が二人きりでいる。理由はそれだけで十分だろうッ!」
少女が尻餅をつくシオリに掴みかかろうと手を伸ばす。
「ちょっと待って――」
「もう待たない。お前が嫌がっても絶対にはいと言わせてやる。そしてお前を――!!」
少女の迫る手がシオリの顔面に届くかと言うところで、シオリはここで漸く一番言いたいことを少女に聞こえるように叫んだ。
「そもそも今は刀がないでしょうが!!」
「――ッ。……そうだった」
少女のオーラが急に勢いを無くし空気の乱れは霞と消える。シオリは心を必死に落ち着けて、ゆっくりと言う。
「だから、僕の答えは、いいえだよ。月子ちゃん」
そう言われた少女は、少し勿体無さそうにシオリを見つめながら、とても名残惜しそうにして言った。
「では明日、刀を用意してくる」
「いやいや気が早すぎだって! 君、この世界に来ても全く変わんないね!?」
この少女の名は、弓神月子。異世界に来る前のシオリが通っていた学校の一つ上の先輩であり、シオリに最初の敗北を味わわせた人物であり、未だシオリのトラウマとなっている人物でもある。
そして、彼女の出身地は同じ世界とは言っても、地球の日本で育ったシオリとは遥かに異なる場所であった。
その場所とは、地球外の惑星。
地球を含む太陽系小天体の、衛星にフォボス、ダイモスを持つ太陽系第四地球型惑星。それが弓神月子の出身地。
つまり弓神月子は、火星人である。




