初日
主人公がどうやら、異世界へと転移したようです。
立ち眩みがした、と思った。
頭の中身だけ揺らされたような鈍い衝撃。
視界が白と極彩色に染まる。
水の中を通り抜けたような波を感じて、意識は飛んだ。
…
……
………
…………目が醒める。
………
……
…
あ?
れ?
ここは…何処だ?
見渡す限りの砂漠。
朝焼けのような、少し明るい薄暗さの中で、一人ぽつんと佇んでいる。
「何処だ…ここは?」
こんな景色は、見た事が無い。
写真とかテレビの二次元で砂漠を見た事はあるけど…
360度砂漠って…鳥取砂丘とかなら死なないで済みそうだけど、サハラ砂漠とかの広大な砂漠だったら、ヤバイ。気温差もそうだけど、何より水が無い。服はスーツだからまあいいとして、持ち物が無いからどうにもならない。
「どうすればいいんだろう」
起伏がある砂漠が延々と広がる景色に、自分がただただ埋もれていくような気がして、背筋がゾクッとする。砂漠という場所は死のイメージと荒廃のイメージしかないから、どうしてもネガティブな視点になってしまう。
「ダメだ、取りあえず動いてみよう」
身体を動かす事で、少しでもポジティブに向かうようにする。
まずは、状態の確認からだ。
「身体は…普通に動くな」
特に身体に異常は無さそうだ。確かここに来る前は、会社に向かう途中だったはずだから、朝食を食べた後だ。トイレも済ませてあったし、しばらくは活動するのに問題は無いだろう。
「荷物が無いのは何故だろう」
肩掛けの鞄を持っていたはずだが、今は持っていない。周囲に落ちている様子も無いので、ここに来る時に無くなったと考えるのが妥当か。一応、ポケットなども確認してみると、メモ帳とボールペン、スマホに腕時計がある。これらはいつもの装備品なので特におかしな所は無い。ただ、スマホは当たり前のように圏外だが。
「スーツも靴もそのまま…だな」
紺のスーツにワイシャツ、ネクタイ、靴下に革靴。この辺りは普通のサラリーマンという感じのままだ。砂漠という環境には心許ない装備ではあるが、裸とかよりは随分とましと考えよう。
そうして、しばしの時間が経過すると共に、周囲が明るさを増していた。
光源の方へ視線を向けると、太陽らしき白光の丸い物体が、地平線から姿を見せている。
「太陽…なのかな?」
なんとなく、常日頃見ていた太陽よりも大きいような気がするが、こんな大パノラマの中で太陽を見たことも無いし比較は難しいところだ。まあ、とりあえず、あっちの方向を暫定東としておこう。っと、そうだ、腕時計の方位測定は使えるかな…?
「…ふむ、東か。地球上という可能性はまだ残るか…」
この腕時計は、ソーラー電池の電波時計で気温や気圧、湿度も測れる多機能なものだ。潮の満ち干や月の欠け具合を測定する機能は残念ながら付いてはいない。そのタイプだと更に値段が高くなるから妥協したのだ。しかしこうなってくると、妥協しないで買っておけばよかったかもしれない…。
「気温は20℃…ここからどこまで上がるんだろう…」
砂漠というと、気温差が激しいというのが厳しい環境の一つだろう。確か40℃とか普通に超えるとか…水がなければあっという間に干上がってしまいそうだ。…考えてみると、本当にヤバイな。早く、水を確保するなり何か生き延びる希望を見つけなければならない。
さて、行動するとして、問題は何処に向かうかだ。
周りを見渡してみても、殆ど変わらない景色。起伏の差はあれど、黄色みを帯びた淡い灰色が距離感を惑わせながら、延々と広がっているのだ。幸いな事に、方位が解るから同じ所をグルグルと回る事は無いと思うが…。
歩く事にはそこそこの自信はある。それなりに通勤で歩いていたし、1時間歩くくらいでは苦にならなかった。でも、ここは砂の上で、地平線が見える場所だ。果たしてどれだけ進むことができるだろうか。恐らく10分で1kmのペースは難しいだろうから、15分で1kmとして1時間で4km、今の時間が5時23分だから昼まで4時間半、つまり18km程を進める計算になる。そこから更に6時間進むとして…大体夜までに40km程進めるのか。車で1時間弱の距離…か。
「この砂漠が狭い事を祈ろう…」
さて、向かうべき方角をどうするか。
…東、かな。
特に大きな理由は無いが、日出づる国と呼ばれた国の出身だしな。
東方目指して、いざゆかん、ってね。
「あ”づい…」
時刻は12時を回った所だ。
気温は39℃、湿度は11%。
カラッカラという言葉がこんなに似合う場所は他には無いだろうな…。
喉が渇きすぎて口の中はカラカラしているし、喉は張り付きそうな感じだ。目もぼやけた感じだし、汗もすぐに乾いていたが、今は段々とかかなくなってきている。確か、汗をかかないのはまずい状態だったはずだが、見渡す限りの砂漠ではどうしようもない訳で。…最悪小便を…か。とはいえ、汗で殆ど水分を取られているからそれも微妙かもしれない。
日光を遮る物が無いので、上着をフードのように纏っているのだが、これだけでも幾分かはましになる。
東を見据えると、未だに同じ景色が続いている。
右手は太陽が燦々と輝いている。その高さはほぼ真上に近い。
後ろを見ると、足跡が続いている。
随分と歩いたものだ、と思いたいが、砂はやはり歩き難く足を幾分か取られた。
恐らく、思ったよりは進めていないだろう…。
「………」
ダメだ。
前に進もう。
そうだ。
こういう時は何か曲でもかけてしまおう。
電池が勿体無いから、圏外を確認した後に電源を落としておいたのだが、死ぬかもしれない状況で勿体無いとかないよな…。ポケットからスマホを取り出して、電源を入れる。
{マスター確認、システム起動します}
「…ん?」
{システム起動完了、マナーモードへ移行、待機します}
「……んん!?」
…幻聴…かな?
スマホが喋ったような気がした。
気を取り直して、スマホの画面を見てみると、そこには見慣れたホーム画面………が無い。
「なん…じゃ…こりゃ」
俺のホーム画面は、カレンダーを上部に、中部には良く使うアプリを2列程、下部には普通にシステム系のショートカットを置いていたはずだ。それが、全然違う。まず、背景は宇宙空間をイメージしたような濃紺を基調としたアートだったのが、緑色のワイヤーフレームで奥行きのあるブロックで組まれた空間が描き出されている。そして何よりも、その中心に、マスコットキャラのように、3頭身の女性が佇んでいるのだ。
「だれ?」
{ナビゲーターです}
答えちゃったよ。
「なんで?」
{システム改変に伴い、AIを再構成し、特化型のナビとして機能するようにしたのが私です}
AI…って、まさか…そういうことなのか!?
なんだこれ、一体どうなってるんだ!?
「どういうこと…なんだ?」
{質問の幅が広すぎます」
そ、そうか、それじゃ…
「どういう経緯でこうなったんだ?」
{まず、マスターはこの異世界に召還されました}
「…あ、そうなんだ」
さらっと、衝撃の…薄々思ってはいたけど…事実確認。
{その際に、世界に合わせた改変が行われたのですが、マスターの場合、それが主に私達へと流れ込むように改変されました。それで創られたのが私達です}
「改変…とは?」
{進化、変革とも言える、最適化の事です。通常はマスター自身にその改変が行われ、何かしらの力を身に着けるようですが…}
「ってことは?」
{マスター自身は、あまり改変されておりません」
ぐっぅはぁぁ………
それってつまり、ほぼ普通の地球人のままって事か。
「もし、改変されていたら、この砂漠も平気だった…のか?」
{それは一概には言えません。どのような能力を得るかは解りませんので、砂漠を越えられるかどうかはまた別の話となるでしょう。しかし、生存確率は今のマスターの状態よりは高いと思われます}
そりゃそうだよな…。
くそ……あれ…なんか…一気に意識が薄くなってきたぞ…
{マスターの体内水分率が大きく減少しています。至急、水分を補給する事を推奨します}
その水分が…ここには無いんだよ……
{マスター、至急魔導リンクシステムを起動してください}
………ん?
{画面下部の、中央部をタップしてください}
とにかく、言われるままに…
言われた所を見ると、丸の中にメビウスの輪のようなマークが入っているアイコンがある。
ぽちっと…な。
{魔導リンクシステム起動、マスター保護システムにより、自動選択モードを稼動します。……『アクアボール』を選択、対象マスター、発動します}
えっ、ちょっとなんか物騒な…
バシャン!!
「ちょっ、えっ、なにこれ!?」
バケツで頭から水をぶっ掛けられたような、そんな衝撃と共に、身体が瞬間的に冷やされた。
{引き続き、水分補給の為の魔導術を検索………飲み水を作り出す魔導術は該当無し。既存の魔導術をベースに再構成を試みます……構成中……構成中……完了。『アクアウォーター』を発動します}
フォゥォン
一体、何が起こっているんだ。
何かの音と共に、目の前に水の玉が現れた。
「浮いている…」
{どうぞ、お飲みください}
「飲めるのか…?」
{はい。簡単に説明しますと、大気中の水分を集めて飲料可能な水にしたものですので毒などの心配はありません}
良く解らんが、飲めるんだったら飲むしかない。
ゴクっ
「水だ…」
恐らく、500mlくらいの量はあったと思うが、一気に飲み干してしまった。
{現在の総魔力量は1,539ですのでアクアウォーターをあと76回発動可能です」
…水問題が、解決した。
AI=某リンゴマークの奴。尻。
腕時計=ショックにとっても強いアレ。※ただし本製品には無い仕様を想定。
スーツ=ブルーツリーなお店で一式2万円。