第8話『無罪詐欺(イノセンス・バイオレンス)』
「あなたまだストーキングしていたのですか!?」
「ち、ちがいます! あやまっておこうと……あと……あと……」
(だまされるものですか。自分で撤退を約束しながら、反故は攻略キャラへ押しつける『無罪詐欺(イノセンス・バイオレンス)』には何度ひっかかったことか!)
『ちがいます黒美さん。そんな仲ではありません』
『では銀華さんは、二度と近づかないでください!』
『銀華がオレを追ってんじゃねえ、オレが銀華をはなさないだけだ』
などといった展開は、乙女ゲーム『しあわせ恋愛革命』内の攻略キャラごとに複数パターンあった。
「……あと緑沢さんとの仲でしたら、応援していますので」
「…………なぜですか?」
「あの、その、緑沢さんは優しいかたですし……く、黒美さんとはきっと……」
はっきり『黒美』と呼ばれた。
「やはり、あなたでしたか銀華さん!? よくも今まで私の目をあざむいて……さすがは銀華さんですね!?」
「ちが、その、この体、声が……」
長身女子の肉体は鋭い目つきと弱々しい表情で挙動不審にうろたえる。
(そういえば銀華さんのほうから、何度も接近していますね? まさか今までのストーキングは、借りている肉体が口下手だった影響でしょうか? そうだとしても……)
「な・ぜ、私が攻略目標に緑沢さんも加わえていることを知っていたのですか?」
「それは、その……はじめて黒美さんが私の名を呼んでくださった場面で……」
「あなたが倒れて緑沢さんに救助された廊下の場面ですか? ……くっ、よりによって銀華さんに『涙腺解除(アクエリアス・オーバードライブ)』の空振りミスを見られていたのですね!?」
「あ、あくえりあ? ……と、とにかく泣いていらしたので、大事なおかたなのかと」
「涙の分泌がなんです? たしかに大技を披露してしまいましたが、あれは回避性能の高い緑沢さんとの決着を急いだまで!」
「かいひ? …………恋愛感情ではないのですか?」
墨花は困ったような心配顔をきょとんとさせて、首をかしげる。
白実はいらついて眉をひそめながら首をかしげた。
「はあ? それは攻略キャラを隷従させるために植えつける精神病巣でしょう? 私が緑沢さんに依存した興奮状態になっては、逆ハーレム支配に支障が出るではありませんか!」
「黒美さん…………ちがいます。乙女ゲームは交際の頭数を競う勝負ではなくて……」
「質も評価されることくらい、わかっています! ですから攻略にターンのかかりそうな緑沢さんを優先しているのです!」
「ここはゲームの外で……というか乙女ゲームは……」
「今までヒロイン役だったからと先輩風ですか!? そう、ここはもうゲームの中ではありません! ここではもう私が、ヒロイン役なのです!」
白実は胸をはって自身の手でたたく。
墨花は驚いていたが、ゆっくりと真剣な表情に変わった。
(その目は……なんですか?)
「それでしたら……私はこの世界で、黒美さんにとっての栗子さんになりたいです」
黒美は予想外のセリフを不気味に思う。
「そ、それはすでに茶子さんと桃代さんで間に合っています」
(ふところで狂犬を飼ってたまりますか!)
「え。そんな……でも…………わかりました」
墨花は残念がっている様子だが、眉をしかめると顔だちの鋭さで怒っているように見えた。
「でも私、黒美さんに会えて、うれしかったんです」
口の端をゆるめたくらいでは、まだ不機嫌そうに見える。
「突然こんな世界に来てしまって、セーブ機能すらない肉体に入ってしまい、トイレにもひとりで挑まねばならず……」
「ゲーム内ではなんの不自由もなかった銀華さんならではの感想ですね?」
(私は悪役ルートに縛られない肉体を得ただけで、どれだけ狂喜したことか!)
「私は独りだと思っていたんです。でも黒美さんに会えて、黒美さんが楽しそうにしている姿を見て、私がこの世界へ来た理由が、ようやくわかりました」
白実がみるみる青ざめる。
「私のハーレムを目にして、暴虐のヒロイン役たる本性を思い出したのですね?」
「ぼうぎゃ!? ……い、いえ、お邪魔でしたら、なるべく離れて見守るだけにしますから。……とにかく、私は黒美さんを応援しています……応援させてください」
(なんのつもりでしょう? ……いえ、油断はできません。銀華さんは悪意を察知されずに厄災を拡散できる、歴戦の洗脳兵器! …………ですが、ここはゲーム外……さんざん贅沢にヒロイン役を満喫してきた銀華さんは、配役へのこだわりが薄いのでしょうか? それはそれでロブスターをぶつけたくなる嫌味ぶりですが)
「では、私はもう……あれ?」
墨花が笑顔になる。
「こんなにすらすらお話できたのは、墨花さんの体をお借りして以来、はじめてです。これはきっと、黒美さんのおかげです」
白実がふたたび青ざめ、今度は冷や汗も噴き出す。
淵里墨花が姿勢をただしてほほえむ姿をはじめて見た。
それだけで鋭い顔は、凛とした華麗に化けていた。
スラリとした背に奥ゆかしい赤らみは、可憐を強調していた。
(私の…………せい?)
「黒美さん?」
「もう……だまされません!」
女子トイレから駆けだして逃げる。
「おあっ!?」
廊下で激突した相手はまたもや緑沢だった。
そして王子トリオや桃代までいた。
(すでにここまで布石配置を……間一髪でした!?)
「なんか女子トイレで言い合っているとか……オレさっき、なにかまずいこと言ったか?」
「いえ、そんなことは……」
(トラップ発動は回避できたはず! もはや銀華さんも深追いは逆効果でしょう!?)
盗み見た背後では、淵里墨花が照れ笑いをしていた。
「あの、白実さんには、わかっていただけたようで……」
(微塵も許したおぼえなどありません!)
「お、おう。それはよかった……」
緑沢の驚きは、はじめて見る墨花の笑顔に移っていた。
黒美は思わず、天館白実の全身で緑沢の視界をふさぐ。
(銀華さんは見ないでください。銀華さんだけは見ないでください)
「あ、天館? そろそろどいてくんね?」
緑沢はとまどう視線を白実へ移し、顔を赤らめる。
「え……?」
タックルからマウントポジションでの制圧までを無意識にこなせる過剰なリハビリ成果が出ていた。
衆目の中、馬乗りに密着するはしたない姿勢が続いている。
「はうあああ!? もうしわけっ、ありません!?」
鍛えた脚力のすべてを発揮して離脱した。
壁に後頭部を強打して気絶した。