第25話『極楽往生(レスト・イン・ピース)』
「かつてあなたへ下した『銀華さんの口調だけ真似た半端キャラなど、見るにたえません』というセリフも、鏡に向かって言うべきでしたね? 借りた肉体で銀華さんの下手な真似など、影城黒美にあるまじき不様でした」
自嘲まで静かなほほえみで受け入れていた。
「やはり私は妨害で嫌われ、引き立てる役……そのために作られたキャラで、人格で、存在……今はそれが、それほど嫌ではありません。悔しくても、悲しくても、踏み台になれる使命もまた誇らしいのです」
「でも黒美さん、せめてこの世界では、緑沢さんとだけは……」
泣きじゃくる墨花の頭を白実は優しくなでる。
「迷いはありません。だからこそ『天館白実』の目覚めが強まっているとも感じています。私ではない、ヘタレでミーハーな白実さんとの差は、様々な選択でも違和感として出ています」
「そ、それでしたら私も以前から、人と話したり外出するたびに墨花さんらしき意志が……」
「それが強まっているのでしたら、銀華さんにも時間はありませんよ? 紫鶴さんの推測によると、私は肉体改造と強い目的意識で自分らしさを保っていました。銀華さんのほうは、ひきこもり願望が墨花さんと一致していたから安定したようです」
「それで黒美さんの場合は、目的の変化が強い影響を……そして墨花さんの場合は、私が緑沢さんと接触すると抵抗を……」
「抵抗?」
「本来の墨花さんは天文学や物理学にしか興味がなく、緑沢さんを異性として意識したことはなかったようで……そ、それより『分離』したあとの黒美さんは……」
「紫鶴さんが『仮の器』となる人形を用意してくださるそうです。動ける可能性もあるそうですが、人目は避けねばなりません。いずれにせよ、私の意識を少しでも長く残せます」
「それなら白実さんをもっと改造して……」
「もちろん考えました。しかし私は、進行の止まった白実さんのターンを再開させたいとも望んでいます。私の吸収が穏やかに進んでいるのも、白実さんの好意に思えるのです。それに御両親と積み重ねた愛情フラグの横領は……やはり私のプライドにふさわしくありません」
白実がようやく墨花のケータイを返す。
最新の送信は未登録のアドレスあてに二件。
『好き好き大好き愛している 代筆・天館』
『迎えに来て来て待っている 代筆・天館』
「こ、ここ、このアドレスは……!?」
「緑沢さんだけ登録してないとはなにごとですか」
着信も一件。
『誰のケータイだよ』
墨花はあわてて返信を送る。
『ちがいます』
白実はそっと立つ。
「元の意識がもどりつつあるのは、私たちが人間らしい意識の使いかたを努力した成果の奇跡だそうです。勝手に借りている肉体とはいえ、多少の役得はいただいてもかまわないのでは?」
なまめかしくほほえむ。
「私は何度も脳内訓練したとおりの『恍惚口吸(マウス・トゥー・デス)』を奪わせていただきました」
着信。
『やっぱり墨花か』
返信。
『もうしわけありません』
墨花も立とうとしたが、白実に席へ突きもどされる。
見下ろす穏やかな微笑へなにも言葉が出せない。立ち去る背を見送る。
着信。
『どこ?』
墨花は独り、延々と汗だくで悩んでから送信する。
『えきまえにしぐちおねがいします』
夜道を歩く白実の肩がたたかれる。
「じゃ、行こうか……これ、藍水さんからのおみやげ」
うっすらほほえむ紫鶴がケータイ画面を見せる。
校舎を背景に同じ大きさで描かれた銀華と黒美の笑顔。
タイトルには『真・しあわせ恋愛革命』と書かれていた。
「お話しされていた続編が完成したのですか!?」
「まだ開発中の画面だよ。音声とかはこれから。最終章も改訂した企画は前から出していたけど、『影城黒美』編まで丸ごと入れて時間がかかったとか」
「黒美……編?」
「主人公が『黒美様』でライバル役を『銀華』にしたシナリオ。オマケではなくて同じボリュームね。それも灰咲さんが遺していた。あと、同時発売の男性向け恋愛ゲームでも攻略ヒロインのひとりになって……」
「そ、それは私を『成仏』させるための釣りではないでしょうね!?」
白実は勢いよくケータイで検索をはじめながら、笑顔を隠せない。
「病院でも少し時間はかかるから、好きなだけ調べるといい。それも君が『分離』の意志を固める役に立つ」
「こ、こんな設定に寄せられる意志と再結合……できすぎです!」
思わず回し蹴りで街灯を揺らす。
はしゃぐ笑顔に混じる一瞬の陰り。
「黒美くんはこれまでとは精神構造が変わるだろうけど……彼のことは、あのままでいいの?」
「銀華さんにお任せしましたから……あの、これ……どう思います?」
紫鶴は黒美から送られたメールに目を通す。
「いいね……いいと思うよ。藍水さんがほしがりそう。送ってみる?」
「お願いします」
それから二ヶ月が経過して、夏服がほとんどになったころ。
新作ゲーム『真・しあわせ恋愛革命』の発売から数日後の早朝。
とある広い神社の境内にあるが、参拝用の大きな建物ではなく、その裏にひっそりと隠れている古めかしい本殿の中。
本堂の壁沿いには不似合いな事務机やパソコン機材がぽつぽつと置かれていた。
仰々(ぎょうぎょう)しい供物が捧げられた祭壇も、その脇にあるスーツをかけたハンガーラックや転がる寝袋のせいで風情が損なわれている。
本尊の前には巫女が独り、座って瞑想していた。
「み、緑沢さん、なんて選択を!? 最初に私を選んでくださったのはともかく、そんな……そんなことまでしたかったのですか!? 男性向けなんですから、直接描写がどこまであると思って!?」
突然に身もだえして床をたたきはじめる。
「い、いけない。床をこれ以上へこませては……」
寝袋がむっくりと起き上がり、中身の疲れ顔が目をこする。
「補修で業者さんを呼ぶと、何日かは避難で接続できなくなるよ?」
「それは困ります。ようやくフラグが……紫鶴さん、いつの間にお帰りでしたか」
「それとその体は、壊れると私以外にも人形だってばれやすくなるから。そっちの修理は早くても一ヶ月」
「以後、厳重に気をつけます……またすぐお出かけですか? よろしければまた、掃除をしておきましょうか?」
「それは助かるね。それくらいには体を動かしたほうが、肉体感覚も保ちやすいかも」
下着で寝ていた紫鶴はスーツを着込み、枕元の手桶で洗面を済ませる。
「で、でも緑沢さんがプレイを中断するまでは……」
巫女はふたたび瞑想に入る。
かつて『天館白実』の肉体を借りていた意識は等身大人形の中で『影城黒美』へ寄せられる無数の意志を束ねていた。
その一部に意識を集中し、緑沢の自宅アドレスから届く選択を感じとり、頬を染めてニヤつく。
「ごゆっくりどうぞ。今の君の存在はゲームの人気次第で、いつまで動作や会話が可能か、確かなことはわからないから……ごめん。終わっちゃった?」
巫女が床に伏してうなだれていた。
「いえ、もう登校時間でしょうし……」
「じゃあ少し早いけど、わたしは来客を迎えに出るよ。昼前には着くかな?」
巫女は掃除を済ませ、ふたたび瞑想し、さまざまなプレイヤーが操作する『影城黒美』のフラグ進行、グッドエンド、バッドエンドを感じとる。
「肉体を得た経験から、やはり以前よりも人間に近い……『ゲーム世界の外』からのぞいている感覚が強まっていますね。そしてプレイヤーひとりひとりの意志を感じとれるようになっています。私への好意や敵意、憧れや邪念……」
黒美をかたどった人形の顔が穏やかにほほえむ。
「……それがどんな意志であれ、操作して選択してくださることに感謝いたします」
昼が近づき、本堂の扉がふたたび開かれる。
「新しい同居人とは、あなたのことでしたか」
入ってきたもうひとりの巫女の顔を見て、黒美はゆっくりと立ち上がる。
「黒美さ~ん!」
「銀華さん、あなたにふたたび会えたら、言いたいことがありました」
駆けよってくる明るい笑顔へ、奉納品の真鯛をたたきつけて床へ這わせる。
「はぶうっ!? な、なにを……!?」
「ヒロイン役のあなたは今まで、こんなおいしい思いを独占していやがったのですね!?」
「わわ、私のせいではありませんよ!? それにゲーム外では黒美さんがヒロイン役になるお手伝いだって……!?」
「結局は緑沢さんを横どりした上、こんなに早く分離とはなにごとですか!? 私がなんのためにお譲りしたと!?」
「それはその、私もその、しかるべき経験をさせていただいたところ、分離が急速に進んでしまいまして……あ、あの、怒っています?」
「まあ……あとの決着はゲームの中、プレイヤーの皆様にお任せということで、許してあげましょうか」
黒美はほほえんで手を差し出す。
「あ、ありがとうございま……ぶ?」
倒れた銀華を助け起こすふりをしながら、奉納品の巨大マグロで押しつぶした。
「ゆ、許してくださると言った直後にこの仕打ちは……?」
意地の悪い笑顔が見下ろしている。
「悪役令嬢ですから?」




