第23話『恍惚口吸(マウス・トゥー・デス)』
翌日も淵里墨花はいつもどおり、遅めに登校する。
教室に入れば確実に天館白実が来ている時間だった。
窓辺の『いつもの』集まりがまぶしい。
墨花の席周辺にはモブ女子ABCが生えてくる。
「昨日はみなさまでバスケ部の応援に行ったのですか? 楽しそうでしたが、私は用事がありましたので」
「墨花ちゃん、善意にとりすぎだよ」
そう返事をしたモブ女子Cからは昨日もメールが届いていた。
『敵、体育館ニテ目標ト接近セリ。強襲ニ拠ル排除ヲ推奨ス』
墨花は白実が笑顔で緑沢と話せている姿に安堵しかけて、その瞳の不穏に気がつく。
「緑沢さんは墨花さんのどのようなところへ魅力を感じるのですか?」
白実の声まで妖しい深みがこもっていた。
「ど、どうって……悪いやつじゃないし、面白いし……いや、いきなりなんだよ?」
「切れ長の目や背の高さまでは真似できませんから。純朴に恥じらう姿もそそりそうです……私では似合いませんか?」
茶子と桃代も驚き、別人を見るような目をしていた。
「そうなると私には、どのようなことをさせてみたいですか?」
白実がほほえみ、ゆっくりと墨花へ視線を合わせる。
緑沢があわてて振り返り、墨花は思わず顔を伏せてしまった。
「緑沢さんは恥じらうとかわいいですね?」
「悪い冗談はかんべんしてくれ」
「別に冗談などでは」
白実は指先を緑沢の腕へそっとそえる。
それだけで電気を走らせたように男子の両肩がふるえた。
王子トリオは女子たちよりも置き去りになる。
笑顔でかたまり、あるいはキョトンとして、会話に入れない。
暴虐の嵐は始業のチャイムでいったんはおさまった。
墨花はとまどい顔でかすかにつぶやく。
「黒美さんが黒美さんです……?」
白実は授業中も露骨に緑沢へ視線を送り、時おりなにかをささやいていた。
墨花はその様子を観察しながらメールを送ってみる。
『いそぎすぎでは』
白実からの返信は意外に早く届く。
『急がなくては』
「ど、どうなんでしょう? あれほど急な接近でも、喜んでいただけるものでしょうか……黒美さんと緑沢さんのフラグは、すでにそこまで進行中? 成人指定ではない『しあわせ恋愛革命』の知識だけではなんとも……」
墨花のかすかなつぶやきは、となりの黄四郎にもモショモショとしか聞こえない、
「い、いえ、『急ぐ』とはもしや、肉体になにか問題が?」
次の、そのまた次の授業でも続く白実の凶行。
童顔の愛らしさが邪悪を引き立てた、自信に満ちた笑み。
墨花の不安と恐れが深まる。
「じぇじぇじぇ、嫉妬でしょうか? それもあるかもしれません。それだけならかまいません。ですが、この胸騒ぎは……?」
放課後にはみんなでカラオケに行く予定が入っていた。
薄暗い密室の空気は、白実ひとりの濃厚な情熱に支配される。
モブ女子ABCまで得体の知れない気迫に圧倒されていた。
「よ、ようやくみなさまを、優しい目で見てくださるようになっていたのに、なぜまたそんな……」
寒々しく燃える目、トゲだらけの甘い声。
かつてゲーム内で光町銀華を追いつめていたころの影城黒実が現出している。
墨花が洗面所へ脱出すると、桃代と茶子が追いかけてきた。
「フッチー、なんか知らない? ちょっと本人に聞ける感じじゃないんだけど」
「事故からずっと、なにか隠してそうとは思ってたけど……だいじょうぶなの?」
いつも軽そうに笑う桃代と、いつも無表情な茶子が、心配して緊張している。
墨花はふたりとまっすぐに向き合い、慎重に言葉を選んだ。
「体は順調に回復しているはずです。ですが、記憶と感覚の調整……であせっているのかもしれません」
ふたりは首をひねる。
「私もですが、自分の気持ちに自信が持てないのです。だから怖くて離れようとしたり、あせって確認を求めたり……したくなります」
そこまで言って墨花は顔を赤らめ、目を泳がせる。
「じゃあいきなりポックリとかはない?」
「黄四郎くんたちも『見守る』ってメールはきているけど、心配しているし……」
桃代と茶子がさらにつめよる。
墨花は白実に多くの友人がいる嬉しさと、隠している『余命』についての心苦しさで揺れる。
「だいじょうぶ、です。白実さんも決して、みなさまを悲しませるようなことは、しない…………はず……」
まだ困惑してそうなふたりから逃げて墨花が廊下へ出ると、出口へ向かう緑沢と白実の後姿が見えた。
ふたりきりだった。
あわてて部屋をのぞくと、王子トリオとモブ女子ABCも帰り支度をはじめている。
「ドリリンが話をしたいって。天館さんもはしゃいでお持ち帰りされたよ?」
「墨花ちゃん、早く追わないと」
「ちょっと早いけど、延長なしでいいよね?」
ABCの音声弾幕についていけず、ロボットダンスを披露する長身女子。
「え……え!?」
背後の茶子はボソボソとつぶやきながら携帯端末を操作していた。
「『淵里さんが追尾するかも。レッツ最終戦争』……と……」
「なんてメールを出しているのですか!?」
頭を両手でゆさぶっても送信は止められない。
そして逆に桃代にヘッドロックされて、出口まで引きずられてしまう。
「あたしたちが乱入するわけにもいかないし。今日は結果待ちだよ~」
背中を突き飛ばして追い出された。
「おちついたらまた今度、どっちかの残念パーティーやろうね~!」
明るく笑いながら、目では墨花のことも心配して、叱咤激励していた。
墨花は頭を抱えてよろよろと踏み出す。
前方の遠くで白実と緑沢は商店街のウインドーを見て話しながら、デートのようにゆっくりと歩いていた。
「ひ、ひとりで外出する訓練をしておいて、よかったです……が……」
日は暮れかけている。
墨花は周囲の人間が振り返るような怪しくぎこちない尾行を続けるが、前のふたりが視線を向ける気配はない。
時おり見える緑沢の横顔は困ったような、心配するような赤面。
白実の笑顔は明るすぎて、見ているだけでもつらい。
ふたりは住宅地を抜け、川べりの土手の上で腰かける。
見晴らしがよい上、なぜか川に背を向けていた。
墨花は離れた電信柱の影から見上げるしかできない。
「なんで今度は白実が墨花みたいな真似してんだよ?」
「やはりすぐに気がつかれてしまいましたね? うれしいです」
車や人の行き来は少なく、ふたりの声は聞き取れた。
「食べさせていただけます?」
白実はチョコスナックを渡す。
「ちょっ、おい、なにを……ほら、自分でつまめって……」
緑沢は袋を開けてさしだすが、口を開けて待機する白実に根負けし、おそるおそるひとつだけ差しこむ。
離れた電信柱の陰では墨花がそっと頭突きと張り手をかまし、得体の知れない興奮と錯乱を抑えていた。
「そ、それはどうなんでしょう白実さん? 公共の場で。公衆の面前で。緑沢さんも。なんてことを……」
そして思わず背を向けた時、宅地の向こうに遠く、自分たちの学校がわずかに見えることに気がつく。
白実の高さからだと、夕陽に輝く校舎がもっとよく見えるはずだった。
「だ、だめです黒美さん……?」
今度は得体の知れない不安と恐怖で胸を強く押さえる。
「聞いていただけるのですよね? 私の『正直な気持ち』を……」
白実の声が聞こえて墨花がふたたび見上げると、緑沢は細い両腕にからめとられていた。
そして背骨を痛めつけるプロレス技『ベアハッグ』にも近い勢いで頭を胸へ押しつける。
「私は緑沢さんを奪い去り、監禁し、飼いならしたいのです」
夕闇の迫る中、白実の声はやけによく通り、瞳は危ういほど輝く。
緑沢は顔を上げて見すえられ、気迫に飲まれていた。
「かなうなら、その逆をお願いしたいのです」
抵抗もできないまま、くちびるを奪われていた。
執拗に長く、何度も重ねかたを変えてくり返される。
くちびるを離したふたりの泣きそうな顔。
「でもお別れです」
頬にも軽く口づけると、ようやく優しく抱きしめる。
「『私の緑沢さん』ともあろうおかたが、こんな軽々しく『ほかの女性』にくちびるを許してはいけません」




