第22話『惑乱凝視(マインド・メデューサ)』
(本気になった茶子さんがどのような脅威となるか、予測は困難です。しかしもし黄四郎さんを略奪されたとしても……『楽しい』かもしれません)
黄四郎は練習試合での評価や修正点を各部員へ伝えると、助っ人メンバーにも感謝してまわる。
「白実ちゃんのおかげで、ふだんろくに動かないやつらもえらい気張るよ。走る走る。んははははっ」
「オレ、これからはまじめに走りこむっス」
新人の照れ笑いに白実もほほえみを返す。
(そうなさってください。その腹部は視界に入るだけで背景の美観をそこねます)
「私こそ実際に参加してみて、多くのことを学べました」
(最底辺キャラの育成などに協力してターンを浪費していたのに、『楽しさ』を感じていました)
その自覚が、今は成長と感じられた。
(勝てないのに『楽しい』ゲーム……攻略キャラを奪われても進行させたいフラグ……そのようなプレイスタイルまで考慮すると、戦略はさらに複雑ですね)
成長したからこそ、より多くの課題が明確になってくる。
(私の『選べる』ルートは、半月前よりはるかに広がりました。しかし……私の『選びたい』ルートは……?)
見渡す視界に王子トリオと茶子、桃代がいる。
それを確認できる体育館は、白実にとって『おちつく』空間だった。
(おちつく……気力ゲージを維持しやすく、戦略的に有利な環境だから? しかし制御しきれなくても、茶子さんの危険性が未知数でも、私はこの環境を『失いたくない』と感じています。『求めて』います。これは……これも私にとっての『しあわせ』でしょうか?)
その感覚は『楽しさ』とさほど変わらないようで、途方もない差がありそうにも思えてくる。
(もはや茶子さんたちには、私の予定していた攻略ルートを押しつけたいと思いません……思えません。ご自身で選んだグッドエンドを目指してほしい…………緑沢さんにも?)
ふと顔を思い浮かべると、安らいでいた気持ちが吹き飛び、悪役の表情が浮かびそうになる。
(私は緑沢さんを支配したい。緑沢さんだけは支配したい)
「わりー、委員会が長引いて……もう終わり?」
不意に緑沢の生音声が聞こえ、白実の肩がビクリとすくむ。
「まだ動けるメンバーでもう一回やるけど……白実ちゃん、まだいけそう?」
黄四郎に声をかけられたが、うまく返事ができない。
「い、いえ、さすがにもう……」
(これは思わぬ『吊橋籠絡(アドレナリン・ドライバー)』のチャンス……のはずが……)
ふりむけない。
「って、白実も出てたのかよ!?」
緑沢の声に、無言でコクコク小さくうなずく。
顔を見るのが怖い。
試合がはじまっても、以前に見学した時のような声援を演じられなかった。
緑沢の観察と、見てないふりのくりかえし。
(不自然とはわかっていますが……)
大きく視線をそらしたら、真横にモブ女子ABCが発生していた。
「なんだ緑沢くん、こっちかー」
「淵里ちゃんが直帰だから期待したのにー」
「墨花ちゃんも呼んだほうがいいかな?」
茶子は呆れ顔で三人をながめる。
「こんなところにまで。よくやるねー」
(たしかに、代行でありながらこの『百烈遭遇(ストーミー・ストーキング)』の綿密さは評価されるべきかもしれません。迷彩を欠いて警戒されるようでは二流どまりですが)
「そういや、なんでフッチーとドリザワをくっつけたがるの?」
桃代の直球に白実だけがうろたえる。
「淵里さんおもしろいからついね~。いじっちゃうよね~」
「私は墨花ちゃんにしあわせになってほしいから。断られたけど同性結婚もあきらめてないし」
「私は別にそこまでは。ただ淵里ちゃんを性的にながめたりかいだりしていたいだけで」
桃代は「ふーん……」で済まし、茶子は「おー……」と流し、白実は「そ、そうですか……」と言いながら受けとめかねる。
(この世界ではジャンル違いの混在も仕様とはいえ……飼い主の銀華さんも楽ではなさそうです)
しかし隠し設定が足されて個性の深まりを感じると、良し悪しはともかく人類らしさも見えてくる。
(彼女たちにも、目指すエンディングはそれぞれにあるのですね……そう、名前だって本当はモブ女子ABCなどではなく、白実さんの記憶によれば江井さん、備伊さん、椎さん……)
把握できるキャラが増えてなお、かえって重く、何者にも代えがたくなる存在も感じた。
(……しかし彼女たちがどう望んでいようと、私は緑沢さんにだけは自分のルートを押しつけたい……常に声を聞ける範囲で監視していたい……姿を見ているだけでもおちつきますね。興奮して依存性が高まっている恐ろしさも感じますが…………これはかなりの中毒性……………………)
「どうどう」
気がつくと茶子に心配顔で頭をバタバタはたかれていた。
(な、なんてこと!?『惑乱凝視(マインド・メデューサ)』の暴発を四分半も!?)
顔を伏せ、視界から緑沢を消す。
「少し疲れで頭が……」
(実際、この錯乱はかなりの重症。先ほどの私はまるで……そう、青二さんの指導にあった『すべての思考を捨てた廃人』達成ではありませんか)
思考が完全停止していた時に、自身が感じていた気持ちを探った。
(やはり『緑沢さんが好き』……なにかちがう。それでは浅い。『緑沢さんを見ていると楽しい』……そのとおりですが、それなら今の目的は観賞用に拉致監禁でしょうか? ちがいますね。それでは保健室と同じ後悔をするだけに……)
それは単独プレイ用ゲームの発想だと今なら認識できる。
(私は私のルートを押しつけたいのに、緑沢さんにも自分のルートを選んでほしいと望んでいます。ほかの誰よりも……緑沢さんが、緑沢さんらしいキャラであり続けることを望んでいます)
『見ていてしあわせな緑沢さんでいてほしい』
(でも緑沢さんの望む選択が私への隷従……いえ、私とのグッドエンドでないなら、私は…………私は?)
『初歩は単純なだけで、楽なものではない覚悟をしてください』
(自分の結末を自分で選択する……単純すぎる第一歩が、こんなに苦しいものになるとは)
墨花の顔を思い出す。
緑沢をこばんだ時の悲痛な表情。
(緑沢さんは銀華さんを選びました。さすがは緑沢さん。銀華さんは私の知る限り、最強のヒロイン役です。そして私には最悪のライバルで…………)
肩にかけていたタオルをそっと目に押し当てる。
時おり聞こえる緑沢の声。足音。
(同じ空間にいるだけで、こんなにもおちつく。錯乱する……楽しい。苦しい……求めている。求められたい…………)
どれほど時間が経ったか、白実は最後に、誰にも聞こえない小さな小さな声でつぶやく。
「影城黒美は悪役を望みます」




