第2話『天使微笑(エンジェリック・スマイル)』
まだ人の少ない早朝の教室。
影城黒美は窓際の中ほどにある自分の席で、慎重に様子を探っていた。
「茶子さんにもご心配をおかけしました。死にかけてみたら、おしゃれをサボっていたことが悔しくなりまして。がんばってみたのですが、おかしくありませんか?」
肉体を借りている天館白実のまねをして、自信のないふりをする。
前の席に座る茶子という女子生徒は一重の小さな目で鼻も低い平坦な顔。
天館白実にとっては中学以来の知り合い。
「そんなことないって。白実が急にかわいくなって、おどろいたよ!」
見た目も反応も凡庸だが、それこそが重要だった。
黒美は記憶を引き出しながら企む。
私のいたゲーム世界でいうところの友人役……『栗子』さんのポジションに仕立ててあげましょう!
ヒロイン役『光町銀華』さんの背景としてまとわりつき、悪役の私とは別の角度から引き立て演出をしていた攻略支援キャラ!
容姿も能力も優れる私が、まるで対等なように接してあげれば、周囲は私の心の広さを思い知り、茶子さんも心酔してあつかいやすい駒となります!
銀華さんがヒロイン役をいいことに見せびらかしていた手口、さっそく利用させていただきます!
かつての白実はどんくさいおひとよし。
しかも退院直後で心配されている。
黒美は『この初日こそ、ねたまれないで『愛されヒロイン』としてデビューする最高の舞台! 御覧なさい!』と叫びたい気持ちをどうにかおさえる。
調子にのると悪役の表情が出そうになった。
「でもしょっちゅう顔を隠すね? もっと堂々と見せびらかしていいのに」
しかし事前に隠す技術、そして便利な返答を準備してある。
「まだ顔の筋肉もひきつる時があるので……」
「あ……ごめん白実……」
黒美は『かかりましたね!?』と高笑いをしたくてもこらえた。
そして迅速な『気をつかうふりをしてほほえむ』が高得点の選択と判断する。
「私こそご心配をおかけしてもうしわけありません。まだいろいろと後遺症もあるようですから、おかしなところがありましたら、教えていただけると助かります」
「おかしいといえば言葉づかいがバカていねいというか……それもイメチェン戦略?」
「そ、そうなんです。私などには似合いませんか?」
白実を演じる時の要点は『自信のなさ』と分析済みだった。
黒美は『この態度でせいぜい優越感にひたり、戦意を喪失しなさい!』などと考えていた。
「上品だからいいんじゃない? そのうち私も白実も慣れるよ」
黒美は『やはり、かかりましたね!? あなたなど、この影城黒美の敵ではありません!』と胸をはりそうになったが、自身の計画から離れてきたことに気がつく。
「ち、ちがう!? なぜ交戦前提!?」
「白実だいじょうぶ? 保健室で休んだほうが……」
「いえ、少し記憶がもどりまして……ご心配をおかけしてもうしわけありません。まだいろいろと後遺症があるようですから、おかしなところがありましたら……」
「それさっき聞いた。本当にだいじょうぶ?」
白実の肉体は恥じらって苦笑しながら、黒美の心は歯ぎしりしていた。
(くっ、同じ選択にここまで厳しいとは、なんというハードモード!? しかし手なづけていかなければ……このような時に一時的な勝利を選択しても、いずれ敵が増えて追いつめられるゲームと同じ展開に!)
平手打ちをしたくて震える手をどうにか押さえこむ。
始業のチャイムが鳴り、黒美は一ラウンドを逃げ終えたボクサーのように安堵する。
(まだこの世界の特殊ルールに対応しきれていないようです。分岐ルート無限の常時選択、セーブも中断も不可……なんて恐ろしい仕様!)
授業の間に冷静さをとりもどし、自身の計画を再確認する。
『攻撃』と『排除』は悪役の行動選択……選び続ければ敵対と幻滅のフラグを乱立し、悲惨なバッドルートに!
ヒロイン役の行動選択……『懐柔』と『洗脳』を主要戦略にしなければ!
まだゲーム内の、それも悪役の発想にとらわれているのでしょうか?
この世界では、私が悪役で固定の設定ではないのに……
今の私は八方美人スキルで無双し、攻略キャラをフルコンプリートしていいのですから!
白実の記憶をあさり、同じクラスの生徒については把握していた。
(ゲーム内では顔なしで表現されていた最下層の人物群が、まさかここまで広大深遠な醜さのバラエティにあふれていたとは……)
それらの哀れな容姿に見慣れてくると、許容範囲は低く妥協できた。
(ゲーム内の男子キャラはプレイヤーの願望を満たすために創造された理想像なのです。この世界であのレベルの容姿を持つ男性は、もはや半神的な崇拝対象であり、まだ攻略には準備が足りません)
容姿で及第点の男子たちに関する記憶をさぐると、それなりの品質である人材も少しは見つかった。
(まずは彼らを補欠認定の攻略キャラとして隷従させ、実戦の経験値を稼ぎます!)
最後列の中ほどに位置する大柄な男子に照準を合わせる。
『黄四郎』
バスケ部所属で明るい性格はゲーム内の『金獅郎』と同じ。
(面長な顔も金獅郎さんに似て……少しのっぺり間が抜けて見えますが)
休み時間になり、黒美はさっそくしかける。ショルダータックルを。
「ごめんなさい! 急にめまいが……」
座っていた黄四郎を横倒しに、その上へのしかかっていた。
「いや、いいよ。だいじょうぶ?」
(おおらかで優しい性格も同じ……少し汗くさいですが……攻略の基本は強引な押し!)
記憶内のカメラワークを見る限り、白実は黄四郎に好意的だった。
しかしほとんどの画像は遠くから、それも短い時間しか見ていない。
一度は『教室の入り口でぶつかる』イベントを発生させておきながら、むざむざ捕獲しそこねている有様だった。
「前にもこんな風に守っていただきましたね……?」
ぶつかって倒れた時に、腕をつかまれただけ。
なにもされないよりはマシだったかもしれないが、白実の頭はしっかり机にぶつけていた。
(しかし今はそれすらも口実に『くりかえし守った』既成事実を認めさせることが私のねらいです! さらに密接の間合いから『天使微笑(エンジェリック・スマイル)』を発動! 覚悟!)
「そ、そうだっけ?」
黄四郎が顔をそらして赤くなったことを確認してから、白実はさも今ごろ気がついたかのように体を離す。
「あっ? ごめんなさいっ。私ったら……」
(離脱しながら恥じらう姿も見せつけ、純朴さをアピール! 連続コンボのクリティカルヒット! 第一目標クリア!)
「もう、信じられません。私ったら……」
(あとは茶子さんのからかいを引き出し、女子の群れへ敵意調整をしておけば……)
「白実、なんのために席を立ったの?」
(ショルダータックル。……ではなくて……)
「いけない、廊下の様子を見るつもりでした!」
「……ふーん……」
(なにか疑われている? この世界では小まめな場所移動でイベント発生を探す選択は少数派のプレイスタイル?)