第19話『涙腺解除(アクエリアス・オーバードライブ)』
教室の後ろの席、淵里墨花は怯えながらも明るく話そうとして、恥じらいすがる目になっている。
赤八のからかいたい欲求を限界まで刺激していた。
黄四郎もとなりの席ではなすすべもなく、魔獣のエジキとなってデレていた。
青二は一番前の席だが、症状はかえって深刻に働く。
白実のいる席へ移動しながら、視線は墨花に奪われている姿が目立った。
(ゲーム内の決着をつけましょうか、銀華さん!)
「などと意気ごんだ私がまちがっていました。決着もなにも全戦全敗だった相手になぜ正面対決など……」
白実は茶子の頭をなでて自分をおちつかせる。
「人の顔を見ながら意味不明なひとりごとはどうかと思うよ」
(銀華さんには『尊敬するかたたちの理解につとめる』意図しかないのでしょうね)
墨花自身は奥ゆかしさを維持したままでも、周囲のモブが感染媒体として猛威を振るい、侵略経路を広げ続けた。
(モブ女子ABCさんがこちらへ矛先を向けることはなくなりましたが……私はせめて『地の利』を最大に活かさなくては!)
となりの席の緑沢の視線をとらえてほほえむ。
そして顔をそらす。それだけをくり返す。
それだけをしたいわけではない。
(脳内に話題の選択肢が表示されません!? いまだに!?)
「シロミンなぜ挙動不審? ドリザワがおびえているよ?」
桃代がポンポンと緑沢の肩をたたいた。
「いやオレは別に、後遺症の発作でなければ……」
(こういう時の桃代さんの援護は助かります)
そして茶子もなにくわぬ顔で口をはさむ。
「いいんじゃない? 最近は緑沢くんも不審な挙動が多いし……白実と保健室へしけこんだ時から?」
白実と緑沢の動きが固まった。
(なぜ援護にまぎれて爆撃してくるのです!? ……しかし緑沢さんも動作不良だったのですか?)
桃代がボサボサ頭にヘッドロックをきめてゆさぶる。
「くわしく話してもらおうか。シロミンを運ぶ段階から計画的だったのかい?」
「退院直後の後頭部強打で、そんなこと考えられねえよ!?」
(あのイベントは攻略ルートを混乱させた最大の原因。いまだにどう処理したものか……あと桃代さんの連携攻勢には感謝いたしますが、胸パッドの押しつけはほどほどになさってください)
赤八がだらしない顔で後ろの席からやってくる。
「いやー、墨花ちゃんエロいなー。いじっていてあきないわー」
桃代がヘッドロックの対象を赤八に変え、さらに露骨に胸を押しつけて本気で絞める。
「あはは。桃代ちゃん、オレと結婚してくれない?」
「え。うん。するするー」
口をとがらせていた顔がぱっと明るくなり、ヘッドロックは頭の抱擁へ移行した。
「じゃあぼくらが証人ということで」
青二がケータイのカメラを向けると桃代と赤八はピースサインを出す。
白実はなんの冗談かと放心していたが、茶子も撮影をはじめる。
「苦労しそうだよねー」
「するするー。式とかは店を大きくしてからね?」
茶子の無遠慮な感想にも、桃代の笑顔はくずれない。
「赤八くん、中学でモテまくりだったんでしょ? 店が繁盛して時間できたら浮気しそうだよねー」
「それは殺害するー」
桃代が笑顔のまま犯行声明を出す前から、緑沢は呆気にとられていた。
「おまえらつきあっていたの? 赤八はほとんどコンビニ直帰してたけど……」
「それであたしから押しかけて押し倒したんだってば」
白実はポカンと傍観したまま、なんとなく撮影に参加しておく。
(桃代さんに警告されていたとおり、桃代さんに横どりされてしまいました……? しかしなぜか、奪い返す気になれません。赤八さんの性格的な欠陥が理由ではなく……)
白実のカメラに気がついた桃代が笑顔を向け、白実はなんとなくうなずいた。
(くやしさは感じています。喪失感も……それでも私は、このふたりのフラグ消化を楽しんでいる?)
いつもの雑談へ入りながら、いつも以上に密着している桃代と赤八を見て、白実はおちつきなく手を組みかえる。
桃代と赤八が交わすなにげない視線に、耐久性の高そうなつながりを感じた。
(あれは私の求めていたもの? もう赤八さんからはもらえないもの? 支配していたつもりの逆ハーレムにはなかったもの?)
ゲーム内でくり返し見せつけられた、奪われた攻略キャラと銀華のラストシーンを思い出す。
(あれはグッドエンド……ハッピーエンド……しあわせな結末……『しあわせ』? ……私には『楽しい』以上に理解の難しい感覚かもしれません)
しかしそれを求めてやまない気持ちは強い。
(早く緑沢さんからもらわなければ)
「な、なんだよ白実?」
見つめられた緑沢がおびえていた。
しかし白実は突然に『しあわせをください』とも言えないでいると、なぜか茶子が横から口をはさむ。
「緑沢くん、今度いっしょにカラオケ行こうか」
「お、おう……」
「わたしとふたりきりで」
茶子の補足で、その場の全員がなにかを叫んだ。
「え!?」「ちょっ!?」「マジか!?」「マジで!?」
茶子はニヤと笑う。
「軽いジョーク」
白実は反射的に『双掌面隠しのかまえ』で気力ゲージの防衛に努めていた。
(少しも軽くありません! 援護射撃と同時に背中を撃つ特殊スキルは自重なさってください! お願いします!)
「白実……そんなにウケると、さすがに少し傷つく」
茶子には誤解されたが、白実のほうが内心ではボロボロだった。
それでも白実や王子トリオを含めた週末のカラオケ行きはまとめられた。
緑沢にとりつくモブ女子ABCから墨花まで追加されたが。
(それでも勝負に参加すらできなかった今までよりは大きな前進です。これも茶子さんのおかげ……すなおには感謝しにくいですが)
「墨花はカラオケ、少しはだいじょうぶになったのか?」
緑沢は浮かない顔で心配そうだが、モブ女子Aが勝手に代弁する。
「淵里さん、外出も歌も練習しているらしいよ?」
(そういえば王子トリオやモブ男子は順調に汚染されていますが、爆心地の緑沢さんは意外と症状が進んでないような? これまでに私がたたきこんできた洗脳スキルの効果でしょうか?)
白実は口元の笑みと小さなガッツポーズを隠した。
(どうにか銀華さんに対抗できるかもしれません)
放課後の下駄箱で、墨花からのメールが届く。
『だいしきゅうひがしこうしゃおくのかいだんおくじょ』
白実は即座に引き返し、階段を駆け上がった。
脳内に残っている記憶では、校舎の屋上にはすべて鍵がかけられている。
しかし東校舎の最上階は空き教室だらけで、奥の階段は人通りがない。
墨花が事故以前から、昼休みにうろついていた場所らしかった。
「なんで避けるんだよ!?」
緑沢の声が上から聞こえた。
白実は足音を消してそっと近づく。
「あ、あの、はなして、ください」
墨花のか細い声。
「白実もわけわかんねえけど、おまえも事故からなんでそう……」
長い間。
「悪かったよ……でも困っている時くらい、前みたいに……」
「じ、自信がないんです。前と同じ、自分なのか」
教室にいる時には出さなくなっていたボソボソ口調。
「感覚のずれってやつか? 多重人格みたいな感じなのか?」
「怖いんです。緑沢さんが見ているのは今の私なのか、事故の前の私なのか」
「事故のあとが別人だとしても……というか前に『本当に淵里か?』って言った時の違和感なら今でもあるんだが……」
白実の足が硬直する。
「……名前だけ『淵里墨花』の他人になってからでも、いっしょに半月いたなら……というかオレは半月前から……」
白実は重くこわばる足を引きずって近づき、階段を見上げる。
墨花が顔をそむけて逃げようとして、腕を握られた瞬間だった。
隠しきれない横顔に、涙があふれた瞬間。
「……気になるんだよ。前とは違う感じで」
(さすがです銀華さん。見事な発動タイミング、地形効果……緑沢さんの出し渋りがちな気力ゲージすらしぼりきる威力ですね)
白実は自分の口をふさぎ、もう片方の手を目の前で何度も振る。
どれだけ振り回しても自分が無駄撃ちしている『涙腺解除(アクエリアス・オーバードライブ)』に『涙腺収束(オーバードライブ・キャンセル)』をかけられなかった。




