第16話『拘束抱擁(ドラッグ・ハッグ)』
白実と王子トリオ、茶子、桃代の仲は維持されていた。
白実と緑沢、墨花の遠ざかった距離も維持された。
モブ女子ABCたちの後押しで、緑沢と墨花の間柄は日ごとに近づいている。
黒美は銀華からのメールを無視するようになっていた。
黒美の思考は止まりがちだった。
(このままではいけません……でもなにをどう選択していいのか?)
茶子は何食わぬ顔で知ってか知らずか、呆ける白実の頭をなでることが多くなった。
そんな数日の後、白実はメール着信の件名を見て青ざめる。
『ふぉーちゅんあいどる美少女シズリンリン愛の説教部屋! キタアアアアアー!! 読まなきゃ死ぬ! シズリンのハートが!! 気になったアナタは続きも読んじゃえ! ヒャッハーアアアアン!!』
同じ調子の勧誘文句の下に、喫茶店の住所と日時が指定されていた。
放課後。白実は人通りの少ない町はずれの喫茶店へ向かう。
暗くさびれた店の奥では、スーツ姿に疲れ顔の女性が待っていた。
静かに染みこむような声で会釈してくる。
「やあ、ひさしぶり。なんでも注文して」
「もうしわけありません……目立ちすぎましたか?」
「ん……」
店員が近づき、白実は『フルーツあんみつパフェ』を注文する。
紫鶴の前には『七色シャーベット盛りパンケーキ』が置かれた。
「商店街では少し派手にやったようだね? まあ、今後は気をつけてもらえれば」
紫鶴は白実の注文品が置かれる前に、泡を溶かすように皿を平らげる。
「まずはこちらの経過だけど、調査が無事に終了してね? 君は今後も、おとなしく暮らしてくれたら、わたしとしても助かる」
黒美は目をパチクリさせる。
「少なくともわたしにとっては、君たちはとても穏便に済んだケースだよ」
「銀華さんのことは……」
「詳しくは言えないけど、伏せていたことも実験の内なんだ。もうしわけない」
紫鶴は常にかすかにほほえんでいるが、あとは気だるそうに目をふせたり、眉をわずかにずらすだけ。
「君が一度も連絡してこなかったことは意外だったよ。銀華くんは毎日何十とメールしてきたから……助手に押しつけて正解だった……君はそれだけ、暮らしに夢中なのかな?」
「ええ……まあ」
(充実した多忙を極めたり、なにも考えられなくて呆然としたり)
「それはよかった……でもそうなると、伝えておきたいことがある」
その時だけ、紫鶴は気まずそうに目を伏せていた。
白実の帰宅は日が暮れてからになる。
「ただいま……お母さん? 私なにか悪いことを……」
「あなた、味の好みまで変わった? うなぎの蒲焼、大好物でしょ?」
(しまった。ついゲーム内の印象で投擲武器かと……重箱入りの二段重ねではないから食用ですね)
台所の手伝いにも、だいぶ慣れてきた。
まだ食卓ではぎこちなく、記憶を念入りに引き出しながら慎重に会話している。
この中流家庭では贅沢品にあたる夕飯を白実は素の笑顔で味わった。
(白実さんの舌の影響もありそうですが、濃厚な美味ですね? しかし高級とされていながら、たいしたことのない料理も多くありました。さらに不可解なのは、より中毒性の高い白米やトーストなどの低評価ですが)
母親のはしが止まっていることに気がつく。
「白実が急にそんな格好するようになったのは心配だったけど、言葉づかいは上品になったし……」
慎重に探るような視線を感じる。
「……でもあなた、本当に白実?」
(しまった。なにか食べかたや反応に違いが?)
「あの……実は、記憶がもどっていても、実感をともなわないことがまだあるみたいで、その境界もよくわからなくて……」
(便利な回避セリフです……あれ?)
白実は涙ぐんでいた。
(なぜ母親キャラにまで『涙腺解除(アクエリアス・オーバードライブ)』を無駄撃ち?)
「うん……母さんも調べてみたけど、事故のケガやショックでまるで違う人格になることがあるって知って……」
後ろから抱きしめられる。
(これは抵抗力を下げる攻略スキル『拘束抱擁(ドラッグ・ハッグ)』……なぜ実の娘を標的に!?)
「でも白実はどんくさいから、頭のネジがもどりきってないだけか? ゆっくりでいいよ。ゆっくり帰っておいで」
(しかも発動は有効……緑沢さんとくちびるを重ねた時にも似た、気力ゲージ回復の効果も感じます……でもこの感覚は、どこまで影城黒美のものでしょう?)
安らぎながら、あせりも感じる。
(私には人間のように親に育てられた感覚はありません。『影城財閥の総帥たるお父様』は私を溺愛して部下と資産を好きなように使わせてくださる素晴らしいキャラですが、顔画像どころか名前も設定されていませんし……)
紫鶴との会話を思い出す。
『君が「影城黒美」らしい性格を保っているのは、肉体を「黒美くんらしく」変化させてきたことが大きい。運動で鍛えたり、緊張感のある状況にさらしたり、激しい感情表現をくりかえしたり……だから今から黒美くんを分離できたとしても、白実くんへの影響は残る。以前よりも「黒美くんらしい白実くん」になる』
『容姿と能力の向上ですか。いいことづくしですね』
『そうかもね。表情に別の個性が加わるかもしれないけど……そう悪い変化には思えない』
『なぜそんな話を?』
意識を波とすれば、肉体という器の影響は避けられない。
人格は傷病や治療によっても大きく変わりうる。
まったくの別人に変わっていくこともある。
『黒美くんの意識は、少しずつ白実くんの記憶や感覚を吸収してきた。そして感性に大きな影響を受けている』
『私の人格がかつての白実さんに近づいている実感はあります。やはりいずれ、完全に同一化するのですか?』
『問題は、その速さなんだ』
紫鶴の顔から微笑が消えていた。
『もし今すぐ完全に同一化したら……わたしの目にはおそらく「黒美くんと白実くんが融合した新人格」ではなく「黒美くんを吸収した白実くん」に見えるだろうね』
『影城黒美の人格が残らない……?』
『今の黒美くんが考える「かつての白実くん」なみに実感の薄い存在になる可能性が高い。まだそれくらい、元の肉体の影響は大きいと思う』
『それは「影城黒美の死」ですか?』
『君を「影城黒美」として見ていたわたしや銀華くんにとっては、ほぼ同じ意味だろうね』
『でもまだ、そこまで急な変化はなさそうですが?』
『予測は難しい。さっきも言ったとおり、これまでの日数をかけた肉体変化というか……経験による変化も小さなものではないと思う。それでもいつ、どれくらいの速さで、どんな変化が現れるか、ほとんどわからない』
黒美は少なくとも、紫鶴からは人間と同等の敬意を払われている気がする。
それでも有無を言わさない口調で、言い切るしかない余命宣告だった。
白実は食事を終えて、自室のベッドへ寝転ぶ。
(私を『影城黒美』として見ている人は、紫鶴さんと銀華さんだけではありません……緑沢さんにとって別人になるのであれば、それはもう私にとってのゲームオーバーです)
はじめてトレーニングを怠けて、ぽかんと天井を見つめた。
「目標エンディングも攻略ルートも見失った直後に……なんという追い討ちでしょう? 予測できない突発終了など、市販のゲームであれば回収騒ぎになる不具合です」
(しかしゲーム外世界のみなさんも、いつ突発的な事故死を迎えるかもわからない欠陥仕様を受け入れて行動選択を続けています……私はその可能性が、いくらか高いだけ?)
「イベント機会にとぼしいモブさんが玉砕へ急ぐ気持ちもわかってきました」
白実もまた、家族や友人などの知り合いでなければモブとして扱われる世界でもある。
自身の命が軽く感じられてくると、握り拳の熱は高めなければ後悔しそうだった。
翌朝。その日に限らず、黒美は校舎が長く見える通学路を好んでいる。
教室で待てば茶子と桃代、王子トリオが集まるいつもの風景。
「おはようございます」
緑沢に声をかけて『天使微笑(エンジェリック・スマイル)』をくらわせるのは何日ぶりか。
「お、おお。おはよう」
(無愛想キャラのくせに、そんな嬉しそうな笑顔を素直に返さないでください)
白実の顔が赤らみ、スキル発動が不本意に長引く。




