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「………っ!」
持ち上げられていた白金の刃が、不意に振り下ろされた。細い影は薄皮一枚を犠牲にしてそれを転がるようにしてよけた。転がった反動か、それとも薄皮と共に犠牲にしたのかは定かではないが、低めの位置で結んでいた影の――少女の長い髪がほどけて一陣の風に遊ばれる。
一瞬視界を覆った自らの髪の毛を鬱陶しげにはらった少女は、しかし次の瞬間眼前に焼きつく白金の刃をその瞳に映し、瞬間、覚悟を決めた。
だが、襲ってくるはずの衝撃はいつまで経っても襲ってくる気配は無い。
そういえば、あのけたたましいような、狂っているような、笑声も途絶えている。
恐る恐る瞼を上げても、先ほどとあまり変わっている様子はない。ただ、目の前の男の胸を貫いている刃の光が、先ほどの白金よりも、なお眩しく月光をはじいているように見える。
「………あぁぁあ…!」
目の前の男たちのうち片方が、うめき声を漏らす。しかし、白刃を持っている二つの影はそのうめき声を特に気にしたふうもなく、無造作にそれを引き抜いた。
鮮血が、舞い散る。
少女に飛び散った赤い液体は制服に吸い込まれてそのまま歪な模様となる。少女が悲鳴を上げそうになったが、しかし意に反して、音が喉に絡まって出てこない。
いろいろな思考が少女の中を行き来するが、所詮は空想。けれどそんな考えをめぐらせずにはいられない状況だからか、少女は考え続ける。
悶々と考えて最後に少女が思ったことは、誰か夢だといってくれ、だった。
「娘……」
鋭い声が、なげられる。
少女は視線だけをついと動かし、頭上にある光を見つけた。その光は瞳だと、数瞬おくれて理解した。月光を弾いている瞳は、翡翠。向けられる冷ややかな視線がそのまま突き刺さり、少女は恐怖するかと思いきや、いやに静かな瞳を頭上の瞳に投げ返した。
空虚な、瞳だ。
「………娘、名は」
質問の響きを欠片も持たないその問に、少女は躊躇い無く口を開いた。
「暙桜…」
少女――、暙桜が始めてそう口を開いた。
先ほどの男たちとは違う。新たな二人の男と対峙した暙桜は、先ほどの恐怖に身を竦ませていた少女とは思えないほど毅然と頭上の二人の瞳を見返した。
翡翠と桔梗の双眸。月光を弾く二人分の瞳が、不穏に光る。それは妖しく、危なく。
「貴様、どこのものだ」
「どこ、とは?」
「しらをきるか、まあいい」
どうする、と質問攻めしていた男が振り返る。浅葱色の羽織を羽織った二人を、暙桜は無感情な瞳を向けていた。
「武田、あんまり質問攻めなんかすんじゃねぇよ。相手は女だ。間者じゃねぇよ」
「甘ぇよ、原田。ったく、お前は女を甘やかしすぎなんだよ」
「そうでもねぇさ」
苦笑交じりに返ってきた声が熱を含んで暙桜に近づいてくる。
「なにしてんだ、こんな夜更けに女が一人で」
どんな芸妓も遊女も落ちるという原田の色目を暙桜は気持ち悪いものを見るような瞳で睨んだあと、機敏に立ち上がった。
「振られてやんの」
武田のちゃちゃいれに、苦虫を数匹噛み潰したような苦い顔をした原田は、立ち上がってもなお、自分達より小さな少女を見つめた。
「どう…――」
かしたのか、と続くはずだったその言葉は、しかし、目の前の少女によって遮られた。
風を切る音がした。刀、じゃない。脚だ。
鈍い音がした。
「………っ、ぶねぇ…」
間一髪、腕で受け止めたものの、その脚は横腹を狙っている。本気で舌打ちをしそうな顔をした少女を半ば恐ろしげに見る。
なんつー危ない女だ。
「で、どうしてこんな…――」
事をするんだ、と口を開きかけた原田は第二撃を受け止めるので精一杯だった。
女のくせに重い、それでいてまっすぐすぎる蹴りを入れてくる。ともすればひらひらの短いすそから太ももが見えそうになることを、目の前の少女は特に気にした様子も無いまま攻撃を繰り出してくる。
しかしふと原田は違和感を覚えた。
――攻撃が、一定すぎる。
まっすぐすぎて、一定すぎる。それは、どこかを痛めている証拠だ。原田は注意深く少女の動きを目で追った。しかし、暙桜はその一瞬の隙を見逃さず、今まで横から入れていた蹴りを下から蹴り上げた。
「………っ!!」
星が散った気がした。