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はき出している荒い息が、いやに白い。
肌を刺すような寒さはだんだん熱を持っていく体内に吸い込まれるように体に溶けていく。心臓の早鐘は鳴り止むことなく、だんだんと強く鳴り続ける。寒いとか熱いとか、そんな感覚は最初からひと欠片も、なかった。
「………っ」
引き攣れたように走り続けていても、いつかは力尽きることなんてそんなこと分かっているのに。それでも、後ろから追ってくるものから、逃げなくてはいけないことは、わかる。
視線をめぐらす暇なんてないけれど、進むにつれてどこか違和感を感じてくる。その建物の数々に。古い、京都のような建物。けれどそれらよりは真新しかったりしている。だから、よけいに違和感がある。
「…………!」
どうしてどうしてどうして。
そんな思いが胸の中を支配する。
だっていつもと同じだった。学校へ行って、友達と他愛のない事をいろいろ話して、それで、いつもどおり、笑って。でも、そこまでだったんだ。
視界が暗くなって、何でだろうと考える前に意識は闇へ引きずりこまれた。体の急な変化に、思考が追いつかないうちに、何も分からなくて、ここにいた。妙に町並みが古いんだ。まるで京都の一角みたいに。けれど古すぎるほどじゃない。むしろ逆に――。
走って、走って、走って。
「………はっ…」
息が上がって、もう何がなんだか分からないくらいで、止まってしまえばいいのに、止まれてしまえばいいのにと、理性は訴える。それに、頭に酸素が回っていかない。けど、頭じゃない、本能とも呼ぶべき場所が、叫び続けているんだ。――逃げろ、と。はやく、逃げろと、告げている。
足元がもつれてきても、走り逃げている影は立ち止まらなかった。後ろから追いかけてくる二つの影は、前の影が疲れていることに気づいてか、距離を空けたり詰めたりと、逃げているものを弄ぶように追いかけてくる。
「………っぁ…!」
とうとう逃げていた細い影が転がるように転倒した。
後ろから迫ってくる影は、さして急いだ様子も無く、ただ事の次第を見るように、あるいは転がっている影の最後の足掻きを見るようにじわじわと近づいてくる。
転がっている細い影は、喉までせりあがってくるものを必死で飲下し、再び立ち上がろうと試みるが、足を痛めたのか、肘を立たせて体を支えるのが精一杯のようで、それ以上は体が進まない。
けたたましい、狂ったような笑い声が耳朶に響く。転がっている小さな影は、その笑声を聞いて、思わず後ろを振り仰いだ。
追ってきた影が、白金の刃を振り上げていた。月光をはじく瞳は血のそれよりも鮮やかな赤。白髪とも銀髪ともいえる髪は邪魔にならないように結ってあるものの、ところどころ赤黒く染まっている。それがなんなのか、細い影は容易に想像できた。
喉が焼けるように熱くて、引きつった声も出てこない。ただ、それを見ているしかできない。恐怖だろうか、諦めだろうか。あるいは双方の感情が、その影にはあったのかもしれない。
振り上げられた白金の刃は、細い陰を嬲るようにそのまま止まっている。恐怖を煽るように止まったままの白金の刃は時々下りてきてその影に無数の裂傷を残す。
いま一人の影は、狂ったように笑い叫びながら、次の獲物を探すように周囲に視線をめぐらせている。だが、人の気配がないと分かると、先ほど追っていた標的――細い影――へと視線を移し、のっそりと近づいてくる。ゆっくりと歩を進めているものの、月明かりで見えるその容姿は、もう一人と同じように赤黒い染みが点々とついている。
「……っ」
愕然と凍りついた細い影は、しかし一歩も動けず、一声も発せず事の成り行きを見ている。自らの生死が目の前の正常じゃない人間にかかっていることなで、一目瞭然だ。
目の前の異質な男たちを移す瞳は、月光をはじく冬の湖のような透き通った色。日本では珍しい色だが、彼女が異国の血を半分引いていることもあるが、彼女はその色がさして嫌いではなかった。