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幸魔の試金石

 日々が過ぎ、二週間が経過した。


 ギン係長の遊びに付き合わされたり、営業のホスト三人衆に同行させてもらってマーケットを見聞したり、商品管理部の連中に頼んで生産工場に足を向けて現在の売れ筋と製品のクレームについて研究したりした。


 俺の仕事はギン係長関連の商品開発。衣装や小道具を玩具に売り出す仕事。先に玩具を作ってもギン係長は後から合わせてくれるらしい。普通は順番が逆だ。登場してから製品化されるものなのだが、こっちのやりかたがスピーディーにグッズをさばけるとのこと。なんとも商業的だ。


 朝の挨拶を終え、机に座ってギン係長が来るのを待っていると予想通り、九時を過ぎたくらいにトコトコと寄ってきた。


「なおのん。いい? 今日は……って何するのよ」


「膝のサポーターを巻いてるんですよ。」


「わっ。ちょ」


 恥ずかしがって足首が浮いたが、構わず巻き付けた。緻密な羊毛素材(カシミヤ)にゴム芯を通し、主だが膝頭の部分にはチェーンベルトと合わせるために飾り気のあるベリーチェーンの模様を埋め込んでおいたのでそれなりに可愛げはある。濃淡のクリーム色を基調したので優しい色合いだ。


 ギン係長は弾力を不思議そうに見つめ、身をよじったり、足底を床につけたり離したりしながら感触を確かめている。


「いいわね」


「そういって頂けると助かります」


「ありがとう。バトルのときに使うわ。別のデザインのを後十個くらい作ってね」


「え」


 今つけてるのはなけなしの貯金を切り崩して特注した逸品なのだが。


「一つで満足しちゃダメよ。デザインだけでいいから、もっと作りなさい」


 にへら、と屈託なく笑いながら人差し指を立てての命令。


 初めて彼女から企画開発部らしい指示を拝命した。


「はい、ギン係長。膝サポーターの他に革手袋のデザインとかも構想してます」


「なんか防御力重視ね」


「ギン係長に怪我をして欲しくなくて」


 本音だったのだが、目を丸くされた。びっくりし、意味を飲み込んで頬を引きつらせ、手を振ってうろたえる。


「ば、ばばば馬鹿ね! あたしはだいじょーぶよ。へっちゃらよ。でもまあ、気遣いは受け取ってあげましょう。なんでも試してあげるわよ。それがあたしの仕事だし」


 さっと顔を背け、指先をつんつんさせて絡ませながら照れる。完全に赤リンゴだ。殊勝な態度を取ったかいがある。


 言質が取れたことを俺は内心でほくそ笑みながら次の試作品をビジネスバッグから取り出した。


「良かった。テレビ放送で人気を取るための下着も用意したんです。名付けて“リスクアップ・マジカルシューツ”です」


「え」


「今まで動物プリントや白の単色、或いは青と白の縞々をギン係長は電波に乗せて晒してきたのですが、そろそろ冒険してもいい頃合いだと思いました。かといって大人用下着を装着しては芸がない。思春期特有の控えめな情緒。つまりは成長したがる心情を表現したものを選別すべきだと愚考致しました。結果としては、紐が最適解でした。ピンクの紐パンです。これが凄い。布の面積を従来の三十パーセントほど落とし、太ももの面積を大幅に広げるてセクシー度を高める。かといって露骨ないやらしさをかもし出してはお茶の間が拒否反応を示してしまいます。そこで出番なのが白のニーソックスです。白は古来から清純さの証とされていたのです。視覚的なアダルトさを中和するでしょう。つまり、コーヒーのブレンドと同じです。苦味と甘味を混ぜ合わせることで……おっと、おぉーっととと……ギン係長、まだ説明は終わってませんよ。急に背を向けてどこへ行くんですか?」


「あんたが変態だってことをたった今思い出したのよ」


「じゃあ下着メーカーの人は全員変態だってことですか! 違うでしょう! 俺はあくまでデザインのことしか考えてませんよ! 純粋にギン係長の魅力を引き出そうとしているだけです! なんですかその疑り深い眼差しは?!」


「うちは玩具メーカーよ。玩具作りなさい」


「なっ! そんな! ちくしょう! うぉおおお! ぐうの音も出ねえや!」


 俺は両手で頭を抱え込んで絶叫した。あまりにも真っ直ぐな正論に反論できず、敗北を認める他なかった。


 ギン係長は腕組みしながら俺から距離を取りつつ、唇をひん曲げる。


「あのねえ。あたしが好きで下半身を晒しものにしてると思ってるの?」


「ちやほやしてもらうための視聴者サービスですよね」


「そうそう、たかが布切れ一枚くらいで案外悪くなくて……って違う! 何をいわせるのよ!? あんまりいいたくなかったことなんだけど、実をいうと私はね」


「――シルバーぽん。また学校行ってないのかぽん」


「ゲッ、ポムポム」


 突然の声。廊下から床面を転がってきた球体は頭が上にきた位置でブレーキがかかり、俺たちの膝下で止まった。『幸魔道』社長のポムポム・カリバス。外国人のような名前だがちゃんとしたげっ歯類だ。たまに受付嬢の抱かれてご満悦の姿を見かけるので、その度に俺は嫉妬の炎を抑えきれない。拳を叩き込んで口から内臓を吐き出せたくなる。


 派手に開襟されたタキシード。上品にも蝶ネクタイを締めている。出っ歯の癖に今日はスタイリッシュにきめてやがる。


「世間体のために行ってくれなきゃ困るぽん……おい直介。お前からもなんとかいえぽん」


「俺は女の子の学歴なんて気にしません」


「お前の好みを聞いたわけじゃねーぽん。っていうかシルバーぽんも万歳してるんじゃねーぽん。はぁ、もう。水原」


 疲労を滲ませたため息を漏らしたかと思えば水原さんに目を向ける。


 一人と一匹だけの合図を承知して水原さんはポムポムは抱え上げ、ジャケットから押し出された豊満な胸の上に乗るような形に収める。


 くそっ! 素直に羨ましい! 


「今日はちょっと直介に話があるぽん」


「俺は特にないですね」


「おい。曲りなりでも社長だぽん。敬意を払えぽん。いや違うぽん。ひまわりの種を寄越せっていったわけじゃ……お、お、おふっ、こ、この味は……カリカリマーベラス!」


 口先におやつ用のひまわりの種を持っていくと自然に食い始めて「むっはーっ」と我を失って狂乱した。所詮はケダモノよ。満足に本能をコントロールできん。


「うめえ! 最高だぽん! とっとこずんどこしてしまうっぽんっ!」


 種袋を掴んで振り子のようにぷらぷらと誘導し、窓の外に放り捨てるとポムポムも釣られて飛翔する。


「ボラーレ・ヴィーア(飛んで行きな)」


「のわーっ!」


 窓の外で何かが車に衝突して弾ける「パンッ」という快音は俺にとって極上のクラッシックのように聞こえた。うっとりしながら両手で自らを抱く。グッバイ社長、あんたは確かに音楽の神に愛されてたぜ。


「あらら……まあ、新木さん。今日は私の新人研修を受けて頂きます。よろしいですねー?」


「はい。お願いします」


「シルバーちゃんはお買い物頼まれてくれる?」


「むっ」


 ギン係長は俺と水原さんを交互に見た後、不承不承頷いた。


 水原さんは「それじゃ参りましょうか」と俺を促した。後ろ髪引かれる思いでギン係長に振り向くと、これ幸いと俺の机にマジックで落書きしてる姿があった。いや、止めてくれ。


 廊下に出、階段を下りてどこに移動するかと思えば二階の男子更衣室だった。ロッカーが並んだだけの閉塞された空間のせいか、戸惑いつつも自然とオフィス・ラブな展開を夢想した。


 こんな隔絶した人気のないところに連れ出して水原さんは一体どんな新人教育を施すつもりなんだろう――もしや、俺の正体が電子の妖精(ビジョン・オブ・エロ)だと気付き、清らかに保っておいた肉体の初めてを奪う気かもしれない。水原さんのような大人の淑女にとって俺はまさに怯える子羊。鋼鉄の意思を持ってこの二十年間守ってきたものが散ってしまうのか。そんな、いけないよ。不潔だよ。でも、でも、あたい、なんか汚されてみたい気も……。


「新木さん、こちらに着替えてください」


「え、はい」


 渡されたのはたたまれた濃紺の作業服だった。その上にはヘルメットと安全帯。軍手と保護眼鏡。


「今日は現場仕事ですよ」


「工場ですか?」


「いいえ、そろそろ会社の表だけではなく裏も見て頂こうかと思いまして。貴方はシルバーちゃんのお気に入りですしね。なんともまあ、羨ましい」


 甘くとろけるような微笑はいつもと変わらないが――不思議だ。厚紙で包まれた抜き身の刃を突きつけられたような殺気を感じた。笑うときの仕草も表情も同じなのになぜ恐ろしく思うのか。


 後ろ足がロッカーにぶつかった。知らず知らずの内に後退している。空気から温かさは消えている。


「水原さん……?」


「面接でいいましたよね。今日は私どもの使う魔法をお見せ致しましょう」





 ☆ ★



『幸魔道』の本拠地である天麩羅区(テンプラ)が誕生したのは幾つかの経済的な理由があるのだが、始まりは至ってシンプルだがとんでもなく――直径一キロの隕石が落下したからだ。


 史実として東京湾に巨大な隕石を衝突したのは日本列島及び世界各国を震撼させる歴史的な出来事ではあるのだが幸か不幸か、運命のいたずらか。そのとき人類が気にしていたのは東京オリンピックだった。


 開催して初日の夜空にたなびく彗星は打ち上げ花火だと間違われた。実際にパレードの最中のできごとだった。テレビで緊急放送の字幕が流れたのをよく覚えている。三年前の俺が高校生活を送っていたときのことだった。ラーメンをすすりながらボケッとして受け止めた。


 津波警報が出たものの、どういう理屈か被害はほとんどなかった。隕石はこう表現するのははばかられるが“着水”したのだ。


 墜落や落下ではない。怪人の出現時期と一致するのでUFOだと考える人間も少なくなかったが、ただのどこにでもある石だということは内部スキャンや非破壊検査で発覚している。


 諸外国は当然のことながら東京でのオリンピックの開催を危惧したが、一週間ほどで競技に問題ないと判断されて普通に始まってしまった。メンツの問題でもあったのだろう。一時的には報道規制でも張られたのかテレビ局も派手さのないでかいだけの海に落下した隕石を騒動として取り上げることがなくなっていった。


 東京オリンピックが終了してからようやく隕石に人々は興味を持ち始めた。お祭りの後に次のお祭りが欲しくなる。諸外国も同様だった。東京オリンピックの観光に来た観光客がついでに隕石を眺めて喧伝したこともある。意外にも東京オリンピックが奏功して収益があったこともある。人々が浮かれていたこともある。隕石が日本の新たな陸地となっていたこともある。


 ――開発が始まった。


 観光地として確保するために埋め立て工事が行われ、人口島が開発され、橋が懸けられ、行政が手を伸ばし、あれよあれよという間に建築バブルとなった。投資家が目の色を変え、政治家が権力を揮い、民衆が後押しした。金の力はすべてを加速させた。大衆を集めて一つの地区にするほどのパワーが収束した。


 不思議なことに隕石には人を寄せ付ける何かがあった。熱情に侵されたように人々を狂わせた。あれも一つの魔力だと捉えてもおかしくないだろう。


 だからか――現存し、地区の中心にそびえる丸型の隕石は『ムーン・パワーボール』などと名付けられた。ちなみに外国では『ニンジャ・ストーン』と呼ばれている。なんでも影も形もなく突然世界に出現したからだ。微妙に海外の呼び名の方がしっくりくる。


 ちなみに天麩羅(テンプラ)区というのは住民投票で決まった名称だが東京都民の皮肉でもある。からっと揚がって浮かべられたような場所だと暗喩されている。


「新木さん。バッテリーを取って頂けますか」


 オフィス街の歩道。三車線を忙しなく車が行き来している。イチョウの街路樹の陰にある配電盤の蓋を開き、手を伸ばしてくる水原さんに俺は持ってきたバッテリーを手渡した。


 ヘルメットを装着した水原さんは見かけは電圧値だけが搭載された配電盤の盤裏をキーで開き、レンチを動かしてバッテリーを手慣れた様子で設置する――自動車用の大型鉛蓄電池(バッテリー)を盤内に入れるのはやや疑問ではある。


 路肩に幅寄せしたアコードのトランクからバッテリーを持ってきて設置する。そして次の場所に車で移動。この作業の繰り返し。どこにでも置き場はあり、マンホールの下だったり、中央分離帯の芝地だったり、はたまたカフェテラスの二階だったりした。


 いずれも近場に敷設されている――ソーラーパネル――幹線は繋がっている。


 車に乗り込んで俺はハンドルを握ると、水原さんはペットボトルを差し出してくる。


「新木さん。お疲れでしょう。ジュースでもいかがです?」


「『GOOD』ですか。これってうちの会社の製品なんですよね」


 ペットボトルを握り、蓋を回す。自分の会社のものだと思うと不思議と愛着が湧いてくる。愛飲してもいいと思うほど。


「あら、知ってましたか」


「原田さんが教えてくれました」


「一応は企業秘密なのにいけない子ですね。もうお昼です。中華でもいかがですか? おいしいお弁当があるんですよ」


 場所を聞きながらカーナビの画面をタッチしてアドレスを調べ注文した。油の臭いする古ぼけた中華飯店で弁当箱を受け取り。路上パーキングに駐車させて箸を手に取る。エビマヨうめえ。


「会社には慣れてきたようですね。コスチュームの小物をアパレル会社に依頼したのは少々驚きましたよ。それも自費で」


「俺は中途採用でしかも成果出さないといけない立場ですからね。だったらなりふり構っていられないじゃないですか。必死になりますよ」


 炒飯をかき込みながら応えた。というか相談する相手が居なかったこともある。デザインをバンダナさんや機雁さんに見せたが社内イントラネットのデータベースに提出しているとの話だった。新入社員の俺にはまだアクセス権限はない。それは燃え上がるような悔しさを覚えさせた。


 上等じゃねえか――と、覚悟を決めて思い切った。


「今度から私にも相談してくださいね。私はこれでも」


 長方形の紙切れ――名刺を両手で受け取る。『研究部部長 水原エステル』と書かれていた。咳き込みそうになった。俺は同じ平社員か主任だと思っていた。考えてみれば人事も担当しているのなら相応の役職でもおかしくない。


 ぶっ、部長様ですか。い、いやぁー、本日もお日柄もよく。


「こういう役職ですので」


「はい。次からは気を付けます」


 後頭部をかきながら愛想笑いした。俺は悲しいことに権力に弱い普通のサラリーマンだ。


「萎縮しなくてもいいですよ。衣料品やアクセサリ類といった方向に正式に手を広げるのもそう悪くはありませんし……さ、そろそろ時間ですね」


 水原部長は腕時計の時刻を確認する。そして林立するビル群の一つを見据えた。


 するっと五本の指を広げた。一本一本折り曲げていく。最後の一本が折られると。


 地響きがした――大地が揺れ動き、空気の振動が肌身を打ってぴりぴりとした。鼓膜がざわめき、通行人が何事かと足を止める。


 フロントガラスの向こうのビルの一つが低層階から砕け、均衡を失い、土煙を吐き出して徐々に崩壊していく。


 膝の上の弁当から割り箸がぽろりと落ちた。


「水原部長」


「壊すために建てる。そういう発想はありますか新木さん。要はアクション映画のセットと同じですよ。但し、人々の悲鳴だけは」


 本物ですけどね、と語る彼女の口ぶりは手に持ったペットボトルの中の液体のように冷えていた。





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