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同僚はなんだよこれ




「おはようございます!」


「はぁー……! はぁぁー……っ! ふわっふわたん、ふわふわぁ……はぁーっ……! はぁっ……! うっ、あぁ! ふっ!」


 入社初日で気合を入れて挨拶し、宛がわれた机に座ったものの対面に座る同僚と思わしき男が自らのノートパソコンに釘づけになりながらもトランス状態でうめいていたときの俺の心象風景というものはかなり複雑で形容することが難しかった。


 バンダナは盛大にずれて髪の毛のセットのためというよりも、前髪がつる草のように絡まっているように見える。黒縁の丸眼鏡は油でてかり、やや不衛生だ。時々、大きく表情筋が引きつったかと思えば恍惚のうめきを喉から発し、頬肉がだらんと緩む。


 これらの奇相は触れられざる者として一流だったが、これが俺の先輩か。かなりの難物だ。


 出鼻をくじかけたが、俺は淡々とビジネスバッグから自分用のノートパソコンと製図用のノートを取り出した。ノートでアイディアのひな形を造ってからパソコンで寸法や部品を埋め込んでいくのだが。


「ふぅあああ……う、ふふふ……ぉーう……ぃぇすいぇす……あぁイイよ凄くイイ、ふわふわんふわふわん! ぁあー! キク! キいてきちゃうぅ!」


 ――集中できなかった。


 なんだろう。俺という存在を脳内で削除しているのだろうか。しかし彼は楽しそうだ。配慮して放っておくべきだろうか。だが新人としては初日で礼儀に欠くというのは後々まずくなるのではないだろうか。


 なんで俺はこんな葛藤をしなければならないのか。いや、男なら当たって砕けるべきか。


 遠慮がちに目線を向け、ひっそりと声をかけてみる。


「あの……」


「ひっ! 止めろぉおおお、ど、どうして話しかけてくるんだ! お前は誰なんだ! み、見ないでくれえええええ!」


 ひくっ、と喉をひきつらせたかと思えばガタンと机から転げ落ち、悲鳴を上げながら椅子から遠ざかっていく。


 いやいやしながら片手を伸ばして肩を震わせ始めたので俺は「あ、すいません」と反射的に謝った。


 どうやらバンダナさんは極度の対人恐怖症のようだ。何かしらの薬っぽい錠剤をポケットから取り出して飲み下している。そのまま決して目を合わせることなく俯きながら着席した。


 意気消沈しているのか声量が収まり、気配を殺しているのか小さくなって見える。


 確かに気にならないものには変わったが……なぜだろう、釈然としない。やたらと不可思議な罪悪感が胸に渦巻いている。


 俺が悪いのか? 俺が加害者なのか? 俺は気付いてないだけでナイフのように尖っている男なのか。とんでもなく空気を読まない男なのか。暴れん坊社員なのか。誰よりもハートフルな男なのに誤解されてるのか。


「おはようございます」


「あ、おはようございます」


 入り口から挨拶が飛んできた。背筋をピシっと伸ばした女が入ってくる。


 漂わせている気配はまっすぐ伸びた針葉樹を思わせ、少し話しかけにくいが挨拶は欠かすわけにもいかない。


 今度こそ普通の人だ――メイドスタイルで鉄面皮だが――奉仕の精神と対極の気配を漂わせているが多分、普通の人だ。


 俺は席を立って頭を下げた。


「今日からお世話になる新木直介と申します。よろしくお願いします」


「こちらこそ、機雁メメルです」


 やった、このメイドさんはまともなメイドさんだ。と、思ってたら前に手が差しだされた。一瞬、意味がわからなかったがどうやら握手したいようだった。慣れない欧米的な儀礼だったが、このまま手を握らないのも失礼に当たると考えてぎこちなく手を握る。


 が。


「あばらばっ!」


 刹那の間だが、薄い白光が手首を走ったように見えた。


 自分の声とは思えないほど間抜けな声が出て、天地が逆転した。


 手先から駆け上った震動は目玉を貫いて後頭部に到達し、最後に背中を通って腰から足へと逃げ去った。唇がわななき、視界に白い天井が映りこみ、姿勢を維持することも不可能になった。


 背中から床に激突し、頭がくらくらとして、身動き一つできない。


「すいません。漏電してました」


「い、いえぇ……おおお構いなく」


 漏電? スタンガンか。


 助け起こすために伸ばされた腕が追撃に見え、尻もちをつきながらも首を横に振りまくって遠慮した。彼女の表情が変わらなかったのも一つの懸念だった。心配そうな素振りすらしておらず、かといって新人に洗礼を浴びせた「してやったり」という風でもない。


 いうならば自然体で俺に危害を加えたのだ。背筋に冷たいものが降りてきやがった。


 俺は椅子の背板に手をかけて寄り掛かり、へらへらとした乾いた笑いを浮かべながら会釈して着席した。


 仕事だ。仕事のことだけを考えるんだ。いいか直介! 集中するんだ! エロ動画を探すときの淀みない動きを思い出せ! いつだって完璧と妥協の狭間で戦っていたじゃないか! 俺は素人物が好きなんだ! 初々しいかわいい子が内面にあった淫らな自分に気付いて戸惑いつつも与えられる快楽に徐々に酔っていく過程が好きなんだ! それでいい。俺はそれでいいんだ! 許されているんだ!


 思い出せ! なんのために早く出勤してる? 試用期間内に認められてここを居場所とするはずだろ。落ち着け。落ち着くんだ。冷静と情熱をかき混ぜながら突っ切っていこう。見える! 見えてきたぞ! 明日へのレインボーロードが! さぁ、魅力的な商品開発の始まりだ。


 行こう、向こう側の世界へ!


 ・。


 ・・。


 ・・・。


「あらー……新木さん。申し上げにくいのですが……新型のプラスチック爆弾の開発は貴方の仕事ではないですよ」


「あ、すいません」


 またも反射的に謝りながら首だけ振り返った。壁時計を見れば同僚二人を気にしないようにしてから三十分ほど経過していた。


 水原さんが頬に手を当てて困り顔で佇んでいる。俺の内側に存在する破壊的な衝動がペンを狂わせてしまったのか、心当たりがないのに図面には走り書きで『爆発は俺の魂を自由にする!』とある。なんだこれは。自分が怖くなってきたぞ。でも少し“ロック”な感じがしていいような。


「あんた、危ない奴だったのね」


 昨日とは色の違うグレーのパーカーに猫耳に見えるニット帽を被ったギン係長は背伸びしたがる子供のように黒い丸サングラスをかけていた。どうにも歳不相応で滑稽味があり、可愛らしくもあり、口許がほころんでしまった。


「おはようございますギン係長」


「う、うむ。大義である」


 なぜか俺の挨拶に面を食らってうろたえ、ギン係長は胸を張り腕組みして鷹揚に頷いた。


「シルバーちゃん。上司じゃなくて武将になってるわよ」


「わかってるわよ! ご苦労様です」


「ギン係長。まだ何もやってませんし、それは帰りの挨拶でもあります」


「わわわわかってるわよ! えーっと、えーっと、ぅう……も、もう死ね!」


 どもり、悩み、視線を泳がせ、完全にてんぱってきたのか、俺はなぜか脛に向かってローキックを食らった。


 訪れた痛みを抑えるために向う脛に手の平で包み込んで身もだえした。威力は低かったが急所をピンポイントだ。


 ここ最近、俺って痛い目に遭いすぎじゃないのか。


「シルバーちゃん。それは単なるパワハラよ。普通に「おはよう」でいいのよ」


「スパルタ式だからいいのよ! そんなことより行くわよ直の字! 新人研修の始まりよ!」


 ギン係長はどしどしとわざとらしく足音を立てて入り口に向かっていく。俺は視線を水原さんに合わせると彼女は柔らかく微笑した。ついっていって構わないようだ。


「後で私の新人研修も受けて頂きます」


 水原さんは本当にひっそりと、ギン係長に聞こえないようにする配慮なのか耳打ちしてきた。


「はい」


「さっさと行くわよっ!」


 相当な意気込みがあるのかつばを飛ばさんばかりに唸ってきた。俺は慌ててその小さな背を追った。







 ギン係長は社外に出て行ってしまったが追い付くのは容易だった。元々歩幅には差がある。横に並んで機嫌を伺うと何やらしきりに手元にあるがま口財布の中身を気にしていた。何度かなくなっていないのを確認すると、安心したような顔を覗かせ、俺の方に向いた。


「今日は外にお出かけだからきちんとついてくるのよ」


「ええ、でも、どこに行くんですか」


「『幸魔道』の直営店よ」


 へえ、そんなのあったんだ。と感心しながら歩くのも束の間。遠目にアーケードが見えてきた。駅前ということもあってか一本道となっている繁華街は平日だというのに行き交う人で賑わっている。


 華々しい表通りには小洒落た飲食店やブランドファッションの店が並び、流行と新鮮さを感じさせたが少し外れた裏道を見れば朽ちかけた飲み屋やパンク風のアクセサリーショップなどがくすんだ看板を薄ら光らせている。


 普段来ない盛り場ということもあって俺は物珍しげに頭を動かしていると、左手が引っ張られた。


「迷子になるわよ」


「つい、珍しくて」


「いいけど」


 自然と手を引かれる。歩きながらも手の中の小さな指先の感触を意識してしまった。成熟した桃の果皮を思わせるくらい滑らかでぷにぷに。千切れそうなロープを束ねて握ってしまっているように頼りなく、力を込めれば壊れてしまいそうなほど危なげだった。


 錯覚かもしれないが――こちらが引っ張られているというのにまるでそんな気がしない。


「ちょっと! どうして足を突っ張るのよ! うううきーっ!」


「つい、いや、悪い気はないんです」


 ギン係長は歯を食いしばりながら両手を用いて踏ん張りを利かせている俺を連行しようとしているが、腕力の差は歴然としていた。やがて疲れたのか肩で息をし、怒り眼で俺から手を離す。


「あたしに意地悪して楽しい?」


 一転してしょんぼりとしてしまい、サングラスの隙間から目尻が潤み始めたのが見えた。俺は居たたまれなくなって悪ふざけを謝罪しようと思ったがその前に別の判断が働き、ポケットからスマホを取り出し、素早く一枚写真を撮っておくことにした。


 ギン係長の貴重なシーンだ。普段強気でツンツンしてる娘が急に儚い感じになるのは俺は好きだった。


 パシャ


「すいません。調子に乗りました。ギン係長があまりにも親しみやすくて悪ふざけをしてしまいました」


 低姿勢で俺は頭を下げた。ブツは間違いなく取れた。これは待ち受けにしよう。


「ちょっと待って。なんで今、撮ったの? なんで撮った?」


 よく見てやがる。俺は笑顔を固定したまましらばかっくれることにした。


「これからは気を付けます」


「むぅー……あんた、営業の奴らに似てる気がする」


 いわんとすることはわかったが黙秘した。


 ギン係長は不服そうに唇を尖らせはしたが、歩みを再開した。『幸魔道』の直営店は繁華街の中ほど、十字路の角に位置していた。


 小規模な商店だが飾り付けが派手な駄菓子屋という趣で、店先から庇の下まで問屋から仕入れた箱をそのまま剥いて陳列している昔ながらの方式で、値札だけが貼りつけられている。四角のプラスチックケースの中に入った飴玉や一口サイズのカツ、細長いコーン菓子や小さなドーナツ等を眺めると自然と昔懐かしい心地になった。


 見上げれば雑然とした玩具が収納棚にこれでもかとたっぷり詰め込まれ、今にもこぼれ出しそうだ。どれも色塗りに原色が多様されて子供の目を惹くようになっている。奥に進むとややマニアックなってきたのかプラモデルや各種カードゲームなどのコーナーが目立つようになった。


 高価なガレージキットを飾るガラスケースの上には多種多様なフィギュアが並び、デフォルメされたシルバーバレットさんがいらっしゃった。


 手の平サイズで目が『><』という現実ではありえない斜視をこじらせたデザインであり、両手を開いてばたばたさせ恐らく困っているだろうポーズであった。


 つい、横を見ると。


「……」


 同じポーズで固まっているギン係長がいらした。


 ――多分、悪乗りしているのだろう。この場合、俺には幾つかの選択肢(リアクション)があったが、もっとも最適だと思われる答えを出し、カウンターで電卓を打っていたエプロン姿の若い店主に声をかけることにした。


「この等身大人形はいくらですか?」


 店主は俺を見、ギンちゃんを見、心得たといわんばかりに小さく頷いた。


「それ不良在庫だから無料(ロハ)で持ってっていいよ」


「できれば梱包(こんぽう)して欲しいんですけど」


「そこまではできないけど、持ちやすいようにしてあげるよ」


 店主は俺の無茶ぶりに戸惑うことなくギン係長の真横にスッと来て梱包用のビニール紐を手馴れた様子で巧みに用いる。


 胸部を強調するためかSの字型に紐を巻き付け、手首を強引に折り曲げて結びつけ固定した。


 うん、と店主は満足げに頷くと爽やか好青年そのものの顔で俺に振り返った。


「これで大丈夫だよ。後ろを持って運んでね」


「でもこれを往来で持ち歩いたら社会的に終わってしまいませんか?」


「難しいところだね。でも、玩具屋の店主として僕はこれだけはいいたい。『趣味は自分のためのもの』だ。他人がどう思おうなんて関係ないのさ。自分の好きなことに熱中するのはいいことだよ。恥じることなんて何もないさ」


 顎を指先で撫でて考え込みながらも、店主は真剣な顔でアドバイスをくれた。


 声は清涼で淀み一つなく、大海を思わせる包容力を感じさせた。俺は感動してギン係長の手首を括っている紐を手にした。


「俺、この子を家に持って帰ります。そして他人が目にしたら人間性を疑われるようなことをしようと思います」


「それでいいんだよ」


「よくないわよっ!」


 最初に俺への怒りだった。それは全身を捻りこんでバネのように使ったエルボーという形で現れ、頬骨が折れたかと思うくらいの打突が横っ面を襲ってきた。カウンターに寄り掛かるように倒れこみ、前に積載されていたカードケースと卵形の食玩が宙に浮かび散乱した。


 この時点で意識はもうろうとしたがギン係長は既に拘束を解いていて怒りの形相で次の獲物を睨んでいる。


 腰の引けていた店主を襲ったのは膝蹴りだった。ただの膝蹴りではない。相手の頭を両手で掴み、そのまま飛翔して膝をぶつける飛び膝蹴りだ。当たったときの鈍い響きは何かがへし折れたと推測できる音だった。店主は無様にも鼻血をぶちまけながら大の字になって転がった。


 二人の成人男性を打倒したギン係長は荒い呼吸をつきながら握り拳をがっちんと突き合わせていた。


「あんたら人で遊ぶにも限度があるでしょ。しかも初対面で気が合いすぎなのよ」


「ぎ、ギン係長だってノリノリだったじゃないですか」


「そ、そうだよ。人を殴っちゃダメだって水原さんにもいわれてるでしょ」


 ギン係長はぐっと喉をつまらせたが、そっぽ向いた。


 被害者同士の連帯感からか店主と目が合う。顔をハンカチでぬぐう。血まみれだが爽やかなイケメンだ。さらさらの髪の毛に長い睫の女顔。そうなると自動的に俺の攻撃対象になるが、彼はいい人っぽい雰囲気を発していた。


 間を置いて回復したところで改めて挨拶し合うと、イケメン店主は原田さんという方で元々は営業部に所属していたが今はこの店に出向中らしい。


 俺のことは聞いていたらしく、くせのない愛想を見せてくる。


「『超震動マジカルステッキ』はいちいちボタンを押して宝石の部分の色が変わるのがよかったよ。素材はどこも丸くて柔らかいし子供に気を遣ってたし、強振動だって安全防止機能がついてた。本当に子供向けで作ったっていうのがよくわかったよ」


「まあ、あれのせいでクビになっちゃったんですけどね」


「うーん、バレットちゃん。本物見せてあげたら?」


「えー……別にいいけど」


 手の平がくるりと返された。


 何気ない仕草ではあったのだが何もないところから金色の短杖が出現した。思わず「おおっ」と感嘆の声が漏れた。派手さはなく、光の粒子がきらめいたりはしなかったが充分に驚きに値した。


「見る?」


 あっさりと手渡されて受け取る。重量は異様なほど軽く中身が空洞かと思えたが、指で弾くと反響はなかった。端を摘まんでみるが硬度もありそうだ。棒部分には波状に赤線が広がっていて、何らかのシンボルや様式を表している。宝石部分は外側が透明だが中身にやや緑色が混じっていて、蛍光灯で透かしてみると液体が混入しているのかゆらめいて見えた。


 俺は偽物を作ったが――これが本物か。やはり、歴然と質が違う。ゴム樹脂の野暮ったさはなく手触りは陶器のようだ。


 外側とは別に――ギン係長のことを考えればとても奇妙なことだったのだが――握ると手にぴったりと吸い付くように収まった。


 これは恐らくだが……いや、よそう。無粋なことを口にしない方がいい。


「新木君。それビーム出るから扱いには気を付けた方がいいよ」


「ああ、マジカルアンチエイジングシャワーでしたっけ?」


「違うわよ。ジュノサイドフラワーアレンジメントよ」


「あれ? 僕はダークサイドスカイツリービームだと思ったけど」


 三人の意見は割れた。あまつさえ統一性がない。


 魔法のビームを使っていた本人も技名に確証がないのか視線を中空に浮かべて唇に指を当てている。俺の知る限りではギン係長が戦闘でビーム光線らしきものを使ったのは初期のことだ。大抵、無言かつ予備動作なしでいきなり撃ってたような気がする。ビームの名称は事件を放送するテレビ局によって変わっていた記憶がある。


 彼女の手の平に乗せるようにステッキを返すと、上段に構えて垂直に振り下ろし、真っ直ぐ伸ばした形で留めた。


「本気出したとき高層ビルの上半分が消し飛んだから大変だったのよね」


「へ、へえー、凄いねー」


 ギン係長の技名はゴジラビームと内心で命名した。相応しい怪光線名だろう。怪人よりも怪獣と戦うべきではないだろうか。


「それにあたし、飛び道具嫌いなのよね」


 皮肉めいた口ぶりだった。ステッキから手が離される。ポットからあふれ出した蒸気のように姿はどこかへ消える。


「さて、研修なんだけど、見て分かるようにここには我が社の製品がたくさんあるわ。カタログもあるから、全容だけでも見ておきなさい。いいわね?」


「はい」


「あたしはお菓子見てるから、ハラッチにわかんないことは聞いてね」


 店先へ軽やかな足取りで歩いていく。「おっかし、おっかし」と鼻歌が微かに聞こえた。


 俺がハラッチこと原田さんに視線を向けると彼は苦笑して後付けした。


「魔法攻撃だと警官とか、通行人の人に被害が出たからね。それから接近戦でカタをつけるようになったのさ。彼女が戦う場所はとにかく人が多い」


「俺は画面の向こうで見ているときは楽しかったんですし、ちょっとしたファンだったんですが」


「身近で接した今では変な連中と争わせるよりも警察や公安、或いは自衛隊といった治安維持機構に任せた方がいい、かな?」


「年端もいかない娘を戦わせるなんてそもそも異常じゃないですか? たとえ、魔法があるにせよ。俺はこんな状態を認めている世間を疑いますね」


 つい、口が滑ってしまった。生意気に聞こえたかもしれない。社の方針とは別だったかもしれない。それでも紛れもなく俺の本音だった。きっと、原田さんの朗らかな人柄が俺からこんな言葉を引き出させたんだろう。


 彼は口許を(ほころ)ばせた。


「案外、君は常識的だね。うん。常識的かつまともな意見だ。だが、社会人ならば様々な常識破り――理不尽な思いをするものさ。いいたいこともいえず、不満があっても怒れず、胸が押し潰されそうなほど苦しくても明日のためにジッと耐えなければならない……直にわかるさ。そうしてそのときが来たら相談しに来てくれ。微力ながら『幸魔道』の先輩としてどうすべきか教えてあげよう」


 話の内容は説教に近かったが嫌味に聞こえなかった。むしろ親しみと善意の割合を強く感じた。


 だからか、生じた疑問をすぐにぶつけてしまった。


「原田さん、うちの会社には何かあるんですか?」


「ところで野菜ジュースでもどうかな? これは社外秘の一つなんだけど、うちの会社がメーカーに作ってくれと依頼したものだよ」


 俺の質問は受け流され、カウンターの下に手が伸ばされる。ペットボトルを掴んで持ってきた。俺の胸元に有名メーカーのジュースが傾けられる。パッケージには見覚えがあった。この間、街角で試供品として提供されていたものだった。


 原田さん顔と向けられているペットボトルの蓋を交互に見てしまう。


「飲んだ方がいい。先輩が勧めた酒は素直に飲むのが社会の慣例だろ?」


「頂きます」


 酒ではない、と揚げ足を取る気はなく。


 社交儀礼として甘く濃い液体を再び口にする。ミルクを含んだ糖分か、その他の成分が効いているのか不明だが目の奥が覚醒していくような感覚が徐々に訪れてくる。コーヒーのように癖になりそうな味わいかもしれない。


 商品名は『GOOD』安直だが覚えやすくはある。


「『魔法少女シルバーバレット』関連の商品は割といい売れ筋だ。新木君のいう“年端のいかない娘”がモンスターと戦うという娯楽(エンターテイメント)は民衆に迎合されている証ともいえるね。だけど、最近だと少し趣向が変わってきたんだ。どの時代、どのジャンル、どの作品にもいえることなのだが、ファンの中では一種の正道嫌いなことを好むスタンスを取る人たちがいる。多数派(マジョリティ)より少数派(マイノリティ)だね。この場合、バレットちゃんを応援するのが正道なんだけど」


 外から歓声が響いてきた。悲鳴ではなく笑い声に似ていた。俺は音源に耳を傾けたが、内容まではわからなかった。 


「怪人を応援する人たちもいるってことさ。なんにせよ、我らは等しく平和だからね。素晴らしいことさ」



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