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転職とアキュラ




『幸魔道』のビルは鉄筋コンクリート仕立てで細長く三階建てだった。出入り口に厳めしい木製看板があり、自社ビルだと予想される。知っている情報は少ないが従業員は五十名前後、オリジナル商品や版権商品の開発、製造、販売を行っている。資本金は三千万の中小企業のカテゴリー。


 俺は別に大企業だろうか中小零細だろうがどうでもいい。働けばいい。真の企業戦士は戦場など気にしないのだ。


 自動ドアを通り抜け、改めて観察すればマス目状に広がった大理石の床面はぴかぴかで鏡面のようだった。ロビーの至る所に清掃は行き届き、どこを見てもシミやくすみがない。


 ギン係長は俺を先導するためかフロントの受付嬢に挨拶をし、階段横のエレベーターのボタンを押した。今日のフロントはあのおっとり美人ではなかった。


 エレベーターのボタンには地下二階まであった。地下へ続くボタンの横には『関係者以外の方はご遠慮ください』と書かれた白いテープの注意書き。


 浮遊感が終わる。ぴぃんと到着音が鳴って、扉が開くと青色の絨毯の敷かれた廊下に出た。進んでいくとネームプレートが天井から吊り下げられていて、幾つかの部署に分かれているようだった。三階は営業部、生産管理部、開発企画部――見取り図がエレーベータ―横の壁面に飾られており、二階にはスタジオ、会議室、資材置き場、食堂、更衣室等。


「ここよ」


「はい」


 初めて入る職場ということもあってか柄にもなく緊張してネクタイの結び目をいじっていると、ギン係長はぽつりと呟いた。


「変態が一人とロボが一機と悪魔が一体と妖精が一匹だけど皆、根は悪い人だから安心できないわよ」


 普通なら嘘でも「皆いい人だから安心して」というべきなのではないだろうか。しかも変態以外はヒューマンですらない。どんな人外魔境だよ。


 扉は開放されたままだ。じわじわと込み上げてきた不安のせいか常闇に続く地下迷宮への扉に見えた。踏み込む者を気後れさせる瘴気が溢れ、放たれているように見える。


 勇気を振り絞り、正面にある曇り戸の衝立を横切って足を踏み入れる。


「おはよー」


「おはようございます」


 ギン係長の挨拶に追従しながらオフィスの内部を見回した。広さは十五帖くらいか、窓ガラスの面積が広く、事務用品が少なくさっぱりとして解放感のある部屋だった。


 社員人数は三人ほどでそれぞれ業務に就いているのか机に向かっている。中心に机と机を固め、接地点の中間には区切りのようにブックスタンドが存在している。


 デッサンを行っている几帳面そうなポニーテールの女もいれば、粘土をこねている線の細い男もいた。二人とも私服であって、女の方はなぜかゴシックローリタ風のメイド服。男の方は大きなハートマークがついたオーバーオール。


 多少なりともデザイン畑にいるとこうした風変わりな人種と巡り合うこともあったので、俺としてはあまり気にはならない。


 一応、誰もが人間に見える。


 見覚えのあるウェーブの髪をなびかせたスーツのおっとり美人がこちらに気付き、走らせていたペンを止めて立ち上がった。


「あらあら、ちゃんとお使いできたのね。ハイヨー、シルバーちゃん」


「お水、おはよーとハイヨーは絶対にいい間違えしないと思うの。わざとだよね? 朝っぱらから喧嘩売ってるよね?」


「ごめんなさい。ところでこちらの方が新木さんね。まあ」


 びきびきと額をひくつかせているギン係長をよそにおっとり美人改め水原さんは俺に視線を定めるとつま先から頭の天辺まで観察し、やがてにっこりした。


「契約書とか書いてもらうの幾つかあるから、奥に来てもらえます?」


「はい」


「ちょっと」


「シルバーちゃんは待っててね」


 猫みたいに不満げな唸り声を上げたものの、ギン係長は何もいわなかった。


 俺は水原さんが背を向けたのでその後ろについていく。見事な身体の線に、具体的にはくびれと尻を眺めながらの移動。


 東側に応接間があったようで中からはほんのりと樹木の香りした。ソファーの間にある四足テーブルや古めかしい収納棚が木製のせいかもしれない。


 促されて座らされると、水原さんは収納棚のひきだしから紙を数枚取り出して並べた。


 労働契約書、誓約書、給与の振込先の届書等……こういうものを書いたりしていると、就職する実感が湧いた。


 俺からも手続きに必要な書類を渡すと水原さんは髪をかきあげ、業務内容について説明をし始めた。


「新木さんにはデザイン、設計、その他雑用等をして頂きます。最初の一か月は研修となる試用期間になりますがよろしいですか」


「はい」


 どの程度できるか、という見極めの期間なのだろう。


 給料は基本給と成果給の掛け合わせ。その他各種の手当。就業規則等の注意事項の説明も続いた。


 それらが終わると、水原さんは口ごもりながらつけ加えた。


「みっ、身だしなみには気を付けてくださいね」


「え、はい」


 思わず自身の身体を改めた。出会ったときに爆風にやられた挙句に流血していたのを指摘されているのか。あれは不可抗力であるのだが、マナーとしてはよくなかったか。


「特に公共の……テレビ放送などに映るときは特に……」


 心なしか俺から視線が外れ気味で、羞恥しながら絨毯の方を見ている。


「勿論です。そんな機会が俺にあればの話ですが」


 はっはっはっ、と二人で空々しく笑った。


 テレビに映る機会なんて平々凡々の人生を歩んでいる俺にはない。絶対に、だ。


「質問などはありますか?」


「お聞きしたいのですが、ギン係長が係長なのは本当ですか?」


「ええ」


「彼女、中学生くらいですよね? 多分。学校とか行かないんですかね」


「あんまり行きたがらなくて。たまにお勉強見てあげてますけど」


「魔法少女っていうのは?」


「メルヘンですよね」


 そうですね、メルヘンですよね。


 と終わらせてもよかったのだがかなり問題が山積みしているような気がした。魔法少女の正体が不登校児とは。そりゃあ怪人と戦ってたらまともに学校には行けないけどさ。


「しかし、あっさり俺の内定が決まったんですが、きちんと面接もしていないし……良かったんですか」


「ヘッドハンティングですしね」


「え?」


 何それ? 


 ヘッドをハンティングって道行く人を頭部に弓でも打つの? そんな話聞いてないんだけど。


「聞いてませんでしたか? 『魔法少女シルバーバレット』は弊社の登録商標でありまして、お貸ししていました版権の一部が権利期間の満了になりまして、代金の支払いの一部として新木さんがこちらに転籍することになったんですよ」


「俺って売られたんですか?!」


「そういうことになりますね。あ、これ内緒の話でした」


 ぽこんっ、と水原さんは可愛らしく自分の頭を握り拳で叩いた。ぽかんとしていた俺は怒りに目覚め、打ち震えながら膝に握りしめる。


「すいません、時間を頂けますか。早急に銭ゲバ社長のレクサスのブレーキホースを切らなきゃいけなくなってしまって。坂道でスピンさせた後にトラックとディープキスさせてやらなきゃ気が済みそうにない」


「ココだけの話ですが、うちの会社は女性率高いですよ。シルバーちゃんも可愛いです」


「レクサスはトヨタの最高傑作。傷つけるなんて俺にはとてもできない。いつか金持ちになったらアキュラを買います」


「ホンダ派なんですね」


 ホンダの高級車はレジェンドやインスパイアがあるが、俺はアキュラを推す。ホンダのエンブレムであるHがついでないので外車と間違われることも利点の一つだ。実際にまだ日本でブランド展開してないので外車扱いされるのだが。


 ちなみに俺の愛車である自転車にも通販で購入したアキュラのエンブレムを張り付けてある。気持ちだけ高級車乗りだ。たまに虚しくなるが、『ボロは着てても心は錦』というやつだ。彼女がいなくても彼女持ちだと語るのと同じ心情かもしれないが、人間は見栄を張りたいときくらいある。同じくらいみじめさと貧困さを思ってむせび泣きたいときもある。今、ちょっぴりだが情けなくて後悔してて泣きたい。


「前の会社でそうであったようにギンちゃん関連の商品を作ればいいんですか? そうなると、一つ知りたいことがありまして」


 魔法という人智を超えた力はどういうものか。画面の中でしか見たことはなく、CGやホログラムであることを誰も疑う。今では正否など誰も気にせず――娯楽となってしまっているが、懐に入り込むならば実情を見聞きしたいと思うのはやむなく。


 俺の思考を読み取ったように水原さんは笑みを絶やさないまま、人差し指を立てた。


「魔法が見たいんですか?」


 それまでの平坦な声とは違って僅かに色づいた――自分だけが隠し持っている宝石箱の中身をこっそりと誰かに告げるような秘密めいた雰囲気で――それは衝動的で抑えがたいものだったかもしれない。


 俺が期待感を見せると水原さんは我に返ったのか、唇を固く結ぶと背中をソファーにつけて身を引いた。


 見えない何かを掴みかけていた俺の手が空を切ったような気がした。


 どうやらまだ社外秘のようだ――焦ることはない。


「今日は……これらの手続きだけで結構です。入社日はいつぐらいからがご都合がよろしいですか?」


「いつでも」


「明日からでも?」


「はい」


 冗談でしたのに、とでもいいそうな含み笑い。


 明日から俺のサラリーマン生活が再スタートする。今度こそ、うまくやらなければ。


 水原さんはトントンと書類の束を机に打ち付けて整理しながら、穏やかに笑う。


「それでは新木直介さん。『幸魔道』へようこそ」


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