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えぴろーぐ

「直介。イエス・ノー枕って何がイエス・ノーなの?」


「奥さんが家庭で主導権を握るために必要な枕です。旦那さんを支配するための小道具とも言えますね。ノーを突き付けた時、旦那さんを手軽に傷つけることができます。場合によってはイエスでも傷つけることができますね」


「そうなんだ」


 土曜日の正午前。


 パジャマ姿のギンちゃんは体育座りでテレビを睨みながら頷いていた。俺の解釈はふわっとしていたが、なんとか納得してもらえたようだ。丸っきり嘘ではなく、真実を述べたわけではない。


 最近はこうしたギリギリのラインを俺は歩いている。俺のアパートにギンちゃんが転がり込んできてから自制心は常に火でくべられている。いずれ身も心も焼き尽くされてしまいそうなのが怖い。


 狭い俺のアパート。だから着替えとかそういうのがモロで俺はシャドーボクシングのし過ぎで自分の中にホーリーランドを築いてしまいそうな勢いだ。


 ハンサム・ボルト復活事件からかれこれ半月――ギンちゃんは毎日学校に行くようになり、俺は未だに『幸魔道』の社員のままだ。ギンちゃんを会社から遠のかせる原因を作った制裁なのか、現在では開発ではなく紙媒体の帳簿とパソコン上のファイルを眺め比べ、一日中差異を修正してく退屈な作業をしている。いずれは俺も去るかもしれない。それでも後悔はない。


 ひっきりなしに特集を組んでいたテレビは次第に事件に飽き始めたのか芸能人のスキャンダルに移行しつつある。災害復興は迅速なスピードで行われ、一つの特需へと変貌しつつもあった。


 もう怪人は出てこないだろう。よしんば現れてもギンちゃんは倒しに行かないと宣言した。


 ヒーローが居なくなれば悪役も居なくなる。単純な理屈だがそういうものかもしれない。大衆娯楽(ヒーローショー)は終わった。ギンちゃんは未練はなさそうではあるが、彼女の本当の目的は果たされていない。


「お昼、何にしましょうか」


「鮭茶漬けがいい」


「いや、今日はオムライスにしよう」


 がらっとふすまを開けてふわふわんが登場する。ギン係長はおもむろに立ち上がり、ふすまをぴしゃりと閉めた。


 俺の前にきて、正座する。両手を膝の上に乗せての訴え。


「あなた、いい加減にして、あたしもう耐えられない」


「ギンちゃん。役に入るのはいいんですが、ハンカチを持って泣く真似は止めてください。完全に別れる前の夫婦のやり取りっていうかメロドラマ見過ぎですよ」


 俺が指摘するとギンちゃんはうろたえて一瞬ぶるっと身体を震わせた。しかしすぐに唇をひん曲げ、むすっとして腕組みした。


「だって。色々邪魔されるじゃん」


 さっと顔を逸らされて首筋が朱が差す。


 思わずつばを飲み込んで色々について夢想してしまったが、俺が仮が色々してしまったら投獄されてしまう。ギンちゃんと俺の色々には温度差があるだろうが、ダムに穴を空ければ全てが崩壊するようにやばいことになってしまう可能性がある。


 ただでさえ、安っぽくかび臭かった室内が魅惑の香りに満ちつつあるのだ。ふわふわんがいなくなったら、ラブコメからコメ部分が取れてラブだけになってしまう。俺的には構わないが世間体が許してくれない。


「ねえ、直介」


「はい」


 上半身を伸ばし、手をついてにじり寄ってくる。口元がほころんでいる。途中で「だーっ」と叫び、両手を広げて抱きついてきた。


 首に腕を回され、頬ずりして甘えてくる。こうした突発的な行動に最初は驚いたが、人気がないとわりとアグレッシブな行動をとることもある。


 俺の体温は上昇する。別の部分も上昇する。


 心の中で陰陽師直介が出動した。降魔調伏の祝詞が朗々と唱えられている。汗をかき、真剣な表情で禹歩(うほ)を刻みながらダークドラゴンを幻惑する。


 そうだ、闇の力を恐れてはならないのだ直介。受け入れ、そして木の葉のごとく流すのだ。力に抗ってはならない。力に力で対抗してはいけないのだ。漂う気流から世界を感じろ。生命の息吹を我が物とするのだ。バトル漫画の中期のような心持ちを保つのだ。大抵、勝てる流れになるはずだ。


 ギンちゃんは身を翻して俺の股の間に座り込み、背を預けてきた。


 小さな存在感。華奢な身体は抱きしめれば折れそうで、俺は抱きしめるような真似はできなかった。布越しに伝わってくる体温はほんのり温かい。それだけでも結構嬉しい。


「あたし、わりと幸せよ。前に帰りたいって言ったけどあれ、なしにする。前に居たところなんてもう忘れることにするわ」


 ぽつりとして、しめっぽい決断。


 怪人退治の日常を失ってから、ギンちゃんは魔法を扱う目的を失ってしまった。変身することもなく、不可思議の力からは徐々に遠ざかっている。このままありきたりな日常の一部へ彼女は埋没していくのだろうか。


 それはなんだか、惜しい。


 惜しいから、少しだけ思ったことを告げよう。


「そういえば忘れてたことがあるんです。これは俺の仮定の話なのですが、言ってみてもいいですか」


「んー?」


 小首が傾げられた。さらさらとした銀髪が俺の喉元をくすぐった。


「前にギンちゃんのステッキを手にしたとき、玩具の開発者として思ったんです。これって結構大事なことなんですよ。一番大事かもしれない」


「何よ」


「ギンちゃんのステッキは少し、大きめなんです。手のサイズに合わないから使いづらいと思うのでしょう。つまり、子供用ではなく大人用ってことです。きっと、魔法は貴女が成長したときに必要なものではないでしょうか。俺はそう思いますよ。ただ少し、早すぎただけかもしれないです」


「そう……大人になったらわかることなのかな」


 首が曲げられ、後頭部を俺の右肩に乗っけられる。程よい重さ。


「ええ。そうでしょう。少しだけ待ってみませんか。成長すれば見えてくることもあります。今はまだ見えないものいずれは姿を現すでしょう。隕石を落として街を作ったり、機械の巨人を倒すことよりももっと意義のあることが訪れるかもしれません」


「そうね……ありがとう直介。もう少し待ってみる。待たないといけないのね」


「ええ、これからは俺も一緒に待ちますよ。大丈夫ですよ。悲しいことも、恐れることもないのです。待っている時間を楽しみましょう。そしていつしか二人とも待っていることなど忘れてしまうかもしれません。もしかしたら歳を経ても何も起きないかもしれません。それを不幸など思わないでください。待ち焦がれた時間こそが何よりの喜びだったと思えるようにこれから一緒に生きていくんですから」










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