繰り返す魔法
「オイ。マテ」
待てといわれて待つ馬鹿などいない。
片手でヘルメットの紐を締め直した。後ろを振り向くのが怖い。コンクリートが叩き潰されるけたたましい破壊の音は胸を圧迫する。電柱が倒れる音が鼓膜のキャパシティを越えてくる。
焼けつくような焦燥感。背後の遠吠えはいら立ちが込められている。うごめく気配は俺の背中に息を吹きかけている。
アクセルはべた回しだ。絶対にスピードは緩められない。
路上は人々の落し物や建造物の細かい破片が転がっている。タイヤを持っていく方向を少しでも誤れば転倒するかもしれない。
メーターは七十キロ――これ以上は無理だ。ハンサム・ボルトの走る速度に負けている。
わざとじぐざぐにハンドルを切り、背後に感じた気配を壁に衝突させるように誘導した。
ガードレールをかすめて縁石を乗りあげて歩道でVの字ターンを決行。
「しゃあああああああ!!」
「ムッ」
頭から衝突したのか、商社ビルに半分ほど身体を埋没させるハンサム・ボルト。足をもつれさせて転んだ格好か。
俺は振り返って吼えた。
「遅ぇっんだよっ! 間抜けが! てめえみたい『ピー!』もついてないような『ピー!』は完全にバランス取れてねーんだよ! 男は皆『ピー!』でバランス取ってんだよこのカマ野郎が!」
奴は力を込めて脱出した。がらがらと崩れて落ちるコンクリートの破片。準備体操をするように首をかくかく振った。
外装に目立った損傷はない。こいつの身体どんだけ硬いんだよ。
「コロス」
端的な殺害宣言。
近場の駐輪所に止めてあった自動車を持ち上げてぶん投げてきた。様子を窺いつつも再び走り出したところだったが急ブレーキをかけてバイクを縦方向に持っていき、態勢を低くする。
頭の上を通過してガッガッガッと火花を散らして転がっていくベンツ。街路樹にがつんと当たってせき止められ、地面との摩擦で引火したのか炎上した。ブレーキをかけなかったら圧殺死から逃れられなかった。
ゾッとした。背筋が凍りでも突っ込まれたように急速に冷えていく。吐く息が荒くなる。肺の中が空気がなくなる。
「うぉおおおおおおお!」
恐怖心を振り払うように叫んでアクセルを吹かす。所詮、一般人の俺には逃げることしかできない。懸命に逃げ続けることだけだ。
それでも、この蛮勇を誰か評価してくれないかな。
主に十三歳の誰かさんに特に。
どれくらい時間が経っただろうか――時間にして一時間ぐらいだろうか。
終わりのないデスレースは佳境へと向かっていた。世界が群青色に包まれ、薄闇が世界をじわじわと侵し始めている。
ハンサム・ボルトは次第に動きに精彩がなくなり、肩がだらりと垂れて疲弊してきているのがわかった。突進の速度が落ち、何かを無駄に壊す遊びがなくなった。奇跡的にもギリギリで逃げ続ける戦略はうまくいっていた。
俺もまたヘッドライトをつけて明かりを灯していた。外灯のつかない東京の下道を勘を頼りに走るのには危険を感じ始めていた。
胸ポケットのスマートフォンに着信音がしたが、取ることはできなかった。それでももう準備が整えられたのだとわかった。
不意に怖気が走った。視界の端に捉えたハンサム・ボルトは走りながら見覚えのある構えを取っていた。その意味を理解して歯を食い縛らなければならなかった。
「ヘタルカイネ・イメラッライ(でたらめな雷光で死ね)」
雷系呪文――弧を描いて電撃が襲いくる――今度は魔法のシールドはない。
ましては俺は金属の塊のバイクに乗ってしまっている。格好の餌食だ。命綱であるバイクを捨てるしか選択肢がなかった。
舌打ちして苦渋の決断。
両手で頭を守り、硬いアスファルトに身を投げた。地面を擦れながら転がる。想像を絶する焼けるような痛みが身体の節々に襲いきた。
カゴの中のバッテリーがぶちまけられて転がっていく。ハンサム・ボルトはそれに目もくれなかった。芋虫みたいにうずくまる俺をジッと見ている。
目的はすり替わっていた。お預けを食らいすぎて憎悪の炎をたたえていた。
「サイショカラ、コースリャ、ヨカッタヨ」
「くそっ」
両拳が組まれて掲げられる。容赦するつもりもなければ、手心を加えられることもないようだった。
甘く見過ぎたか。逆転の一手を探した。目ぼしいものはどこにも見つからない。耳鳴りがして何も聞こえず、どこかにいる味方が動く気配もない。
「ジャアナ」
やべえ終わったか。
そう思った――瞬間。
「とりゃーっ!」
少女の間延びした声が聞こえた。暗闇の中、小さな影がハンサム・ボルトのがら空きの横っ腹を蹴った。
孤影が暗闇で踊る姿はギン係長の体さばきに似ていた。アスファルトを側転して距離を取り、半身の構え。雲間からの月に照らされて姿が鮮明になる。白髪にはふわふわの羊帽。湾曲して伸びた二本の角。雪の精霊のようなダッフルコート風のカーディガン。寒いのにホットパンツで生足を披露する果てない度量。
俺の前に来て、半身になっての拳法の構え――怪人ふわふわん。
「借りは返すぞ直介」
「別に身体でもいいんですよ」
「私をダッチワイフにする気か? そうなのか? ちゃんと三食つけろよ。もう行くところがないからこの際、仕方ない」
やばい、軽口を叩いただけなのに受け入れられてなおかつ居付かれそうな気配がする。変なフラグを立てちまったよ。
ふわふわんは腰を曲げてバッテリーを拾い、ストローでちゅーちゅー吸う。魔力が栄養なのはふわふわんも同じだ。心なしか顔色というか、肌がつやつやにアップした。美容効果でもあるのか。
むんっと両拳を握って鼻息を荒くする。
「……いくぞ」
「ショウジキ、ダリィー」
ばっ、とふわふわんは飛翔した。着ていたダッフルコートを途中で脱ぎ捨て、身を縮めて全身を隠すようにして突進した。しかし、眼前で跳ねる。足場にしたのはコートだった。恐るべき身軽さでハンサム・ボルトの額にカカト落としを叩きつけた。
ゴンッ、と鉄カブトに打撃を与えたような音。頭部は揺れるだけで収まった。
わずらわしそうにハンサム・ボルトは手を振り、ふわふわんを捉えようとしたが、伸びてきた腕をするりとかわし、その上を沿うように滑降した。肘の部分に到達すると身体を絡ませ、関節を逆方向に曲げようと踏ん張ったが。
「ソンナンジャ、キカネーッテ」
電流波――上腕が帯電した。
手先から肩まで感電して小刻みに身体を揺らし、ふわふわんは苦渋の顔であえなく墜落する。
地面にぶち当たる寸前で身体をひねって足先から着地したが、膝ががくっと折れる。片目を閉じて息苦しそうに相手を睨む。
ハンサム・ボルトを相手にするにはやはり遠い。一度交差しただけで不利が浮き彫りになってしまった。
「逃げますよ!」
ハンドルを操作し、手を伸ばしてふわふわんを拾いあげた。
脇に抱えて再び逃亡劇へと。
戦闘を眺めている間、きちんと散らばったバッテリーはかき集めておいた。相変わらず背中は重いし、右手も重くなっちまった。
「おい直介」
「なんですか」
闇夜の高架下を走りながら応えた。
後方のハンサム・ボルトは俺を追いながらも高速道路の支柱を囲うフェンスをつかみ取り、ブチブチと手の中でひきちぎっている。その感触が楽しいのか愉快そうに口をかぱかぱ開き、子供のように次々に手を伸ばしていた。
背負ったバッテリーは少しだが減っている。エネルギーは補給されてしまった。消耗作戦は失敗だ。歯噛みしそうになったが悔やんでも仕方がない。
荒川の先にギン係長はいる。天麩羅区の最南端で待っていると言ってた。
紺色の交通標識が見えた。某夢の国へ続く看板が視界の端に映った。俺の中の邪心がささやく。ここで左にターンすればハンサム・ボルトを夢の国を招待できるが、できるのだが、様々な問題が起きるので止めておいた。
ふわふわんは俺の胴体に手を巻き付け、身をよじらせて強引に移動した。バイクの後にまたがり、薄板の胸が俺の背中に密着する。何かは何もない。絶無だ。ギン係長の方が二段階は上か。格差社会を感じる。
「毎日オムライスが食べたい。できれば首輪と腕輪は勘弁してくれ」
「俺をどんな奴だと思ってるんですか」
一瞬、あわれもなく緊縛姿となったふわふわんを想像してそれもいいかな、と思った自分がおそろしい。俺の中のダークドラゴンはとんでもない悪食だ。可及的速やかに封印の力を強化せねばならない。
「少女趣味。どこかの誰かとキスした奴」
くそっ、否定できねえ。
数日のことなのに噂になってやがる。俺の社会生活は進退窮まったのかもしれない。
「まあ……ふわふわんは命の恩人ですから、しばらく寝床くらいは貸してもいいですけど」
話題を変える意味で明るくそう言うと、ふわふわんは目を伏せた。そのまま顔を逸らし、流れていく景色を見据える。
消し切れない黒煙が空に向けてたなびいている。消火しきれない火災。どこも人手が足りず、慌てている。避難しきれなかった人たちも途中で何人か見かけた。
「すまんな。正直、ここまでする気はなかったんだ。ただ、目の前で同胞が解体されて、廃棄物にされてしまったのを見て、なんだか許せなくなった。無性に悔しくなって、自分の無力さが呪わしくなった。なぜ、こんな目に遭わされるのか憤ってしまった。突然だ。今まで感じたことがない感傷だった」
魂が揺れているように思えた。
俺の腰に回っている手が背広をぎゅっと握り締める。どこからかきた力。どこからか生まれた意思。生まれたものは、そこにあるものは否定はできない。
俺は正直なところ怪人を面白キャラとしか考えていなかったが――反省すべきなのかもしれない。いや、面白キャラには違いないのだが一見にして滑稽な境遇が悲惨であることは変じていない。
「ギン係長は貴女のこと友達だと思っていますよ。今回のことが終わったら仲良くしてください」
「それは無理だ」
きっぱりと拒絶された。敵対関係のためか。単純に性格上、相容れないものか。
つーんとして頬をふくらませてすまし顔。こういう意地っ張りなところが似た者同士なのだが。
「っと!」
ぶぉんっと後方から風鳴り――反射的にカーブを切った。
ハンサム・ボルトが伸ばした奇形の手が横を素通りする。回転するU字がアスファルトを陥没させて砕いた。弾かれた石が外灯のカバーガラスの割れる。おやつでも摘まむように外灯の頭部、電球をバクッとかじり取られる。
ギリギリのやり取り――何度繰り返しただろうか。恐怖が鈍麻しつつある。ズレ落ちそうな羊帽を手で押さえながらふわふわんは顔を青白くしていた。
「直介、ちょっとした疑問なのだがいいか?」
「ええ、どうぞ」
「メーターのEとはどういう意味だ?」
「エンプティですね。そこに針が来るとガス欠を示します」
「Eだが?」
視線を落とす――白針はEを通り過ぎていた。間もなく燃料切れを告げる赤い点滅。ひくっと喉が鳴った。
「直介……魔力を入れてみるか」
ふわふわんの提案は半ばヤケッパチになったような響きがあった。
「入れてみましょう。自動車で水素で動く時代ですから、魔力で動いたって不思議じゃありません」
仮に動いてしまったらエネルギー革命が起きてしまう。ギン係長は石油時代の終焉を告げる存在に変化する。魔法少女プラントとかできてしまったら俺はどうコメントしたらいいかわからない。きっと「時代がようやく俺に追いついてきたんですよ」とか調子に乗って言ってしまうかもしれない。
とくっとくっと上体を曲げたふわふわんはバッテリーを燃料タンクに注いでいた。メーターは順調に回復する。エンジンには不調はない。エネルギー革命は成ってしまいそうな好感触。バッテリーとは本来、希硫酸なので普通は一発で壊れるのだが。
国道を左折して河川敷に出る。一気に景色が広がった。前方にかすかに見える東京湾はしんとして不気味なほど光源は少なかった。
首都高速湾岸線の終点。荒川を横断する橋上に多数の人影。
――戦車の編隊。砲身がこっちに向いているんだが。
「おい直介。スマートフォンの電話でなんだが『避けろ』だそうだ」
懐のスマートフォン。いつの間にかかすめ取られていた。耳にあてたふわふわんはどこ吹く風。
何回か着信していたのは作戦を告げるためだったかもしれない。取らずにいたのは悪いが、取れるような状況でもなかったのだ。
「俺、怪人側にまわっていいですかね?」
「ダメだ。後の奴は既にアウトサイダーだし、もう仲間じゃない」
「まいったな。発射された砲弾が花火みたいに見えますね」
一点集中砲火。狙っているのは俺たちではなく背後のハンサム・ボルトだろうが、弾道には俺たちはしっかりと入っている。
ちかっとした光は音速を越え、ものの数秒で到達するだろう。
あんな数を上手に避けるのはそれこそ宝くじで一等当てるようなもんじゃ――どこかで耳にしたような発想が頭を過ぎる。
バイクを持つハンドルが軽くなっていた。あっけない死の淵がそこにあって意識がぶっ飛んでいるのかなとでも思ったが。
「直介、浮いてるぞ」
「浮いてますね」
浮遊しているといった方が正しいか。どこかで見たシーンのように俺のロードバイクは空を走っていた。地上が遠くなっていく。排気口からはボォオオオオと濁音と共に蒼い炎が灯っている。エンジンを包んでいる外装の繋ぎ目は小さな炎がそこら中で溢れ出していた。空に浮かぶほどの出力を得てしまったようだ。
エネルギー革命にはならなさそうだ。こんなにもハンドルが軽くなっちまったら、どこへ向かうかもわからなくなっちまう。
足下に砲弾がぶち当たっている。全身を穴だらけにする大砲の連射。されど光の壁が阻んでいる。ハンサム・ボルトは驚いたように一歩だけ足を止めたが、問題なく前進している。
標的は俺から橋の向こうへと移り変わってしまった。肩を怒らせているのが見て取れる。どうにも、感情豊かになってきている。
橋にのしのしと横断し、板を引っぺがすみたいに戦車をひっくり返し、積み木を壊す幼児さながらに両腕を振るう。段々と行動は児戯じみてきている。抗える者がいないと察した傲慢さが浮上してきているのか。
続いて空中を飛んでいる俺たちに目玉が向いた。
ぶちぶちと折り曲げられて握られる鉄骨。放り投げる構え。目障りな虫に向けて物を投げつけるみたいな仕草。
ハンドルを操作――間に合わないし、思うように動かない。飛来物も間近で見るとちょっとでかすぎ。
「うおおおおおおっ!」
前輪部に衝突――削り取られて車体は乱回転した。俺はあえなく荒川の真中へと落下し、真っ暗な川の中に沈み込んだ。周りは暗黒に包まれたが、意識だけは手放さなかった。両手でかくようにして泳ぎ、顔面と両手を水面に浸けて浮かんでいるふわふわんを拾って川辺へとたどり着いた。
芝地をつかみ、口の中に忍び込んできた川水を吐き出す。
橋の方を見ると――対峙する二つの影の姿があった。
一方は立ち止まったハンサム・ボルト。
一方はステッキを構えるギン係長。橋の左端に立って仁王立ち。
気炎を立ち昇らせ、銀髪がゆらゆらと波打っている。かなり本気であることが窺える。
俺はふわふわんの状態を確かめると、急ぎ足で現場に向かった。機械仕掛けのくせに呼吸があったのがちょっとした驚きだ。
正直なところ――ずっと前から嫌な予感がしていた。あえて想像しないようにしていた。恐れていたことが現実になってしまったら困る。そう、万が一ということもある。
正義の味方がいつだって勝つとは限らない。例えば、どうしようもなくなることだってあるはずだ。今回ばかりは相手が悪すぎるのではないか。
体力が底を尽きかけていた。俺はくたびれている。足を叱咤して土手をのぼり、停車している車や戦車の合間を縫って走る。
「あんた、魔力が好きなのよね。とびっきりの食べさせてあげるわ」
「ヤッテミロヨー」
ハンサム・ボルトは両肩をすくめた。
ギン係長のステッキに光が収束している。ホタルが漂ってるかと思うほど空中に光の粒が飛びまわっている。鼓膜が痛み、耳鳴りがした。俺の聞こえない音がざわめいていた。かつてないほど光源に眩しくなって手の平で目元を隠した。
夜だというのに場は昼のように明るくなった。何もかもが光に照らされて白色へと染まっていく。
真剣な眼差しが敵を見定めた。射抜くような眼光はらんらんと輝いていた。
「トリセンス・ソナーレ」
その光線は間違いなく――強力無比な俺が見た中で一番巨大な破壊光線だった。背丈の何倍もあり、触れるもの全てを焼き尽くす力があっただろう。
しかし。
「ケッ、イラネーヨ」
初めての回避行動――横になってかわした。かわしてしまった。
あの野郎、こんな小ズルい真似を覚えやがったのか。ずっとエネルギーを喰うために行動してきた癖に、自分の許容量を超えると判断すると逃げやがった。喰うことが目的だと言ったくせに役割から逃げやがった。
胸の底から迫ってくる落胆を隠せなかったが、幸いにして身体だけはきちんと動いた。ギン係長を背中からすくいあげ、運ぶ準備だ。
「ちょっ! 直介! 何すんのよっ!?」
全力で駆け出したがギン係長は腕の中で暴れた。拳が頬にヒット。痛みはあるが手を放すことも足を止めることもできない。ハンサム・ボルトは鷹揚な足取りだが確実にこっちに迫ってきている。
「逃げるんですよ! もうやるだけやったでしょ。もういいんです! 後のことは誰かに任せちまえばいいんです! あんなのと戦う必要はなんかないんだ!」
叫ぶようにいうと、ギン係長はため息を漏らした。
「これでいいのよ直介。これでもう、終わったのよ。だから手を放しなさい」
「終わった?」
足が止まる。ギン係長は俺の拘束が緩んだ隙を狙って手をこじ開けた。地面に着地して胸を撫で下ろすと、腰の後ろに手を組む。疲れているが爽快感のある顔だ。
彼女の肩の後ろのハンサム・ボルトは未だに健在。何一つダメージを受けた様子はない。何かが当たったわけではない。
「正直なところ今回は疲れちゃった。ゆっくりお風呂に入りたいし、休みも欲しいかな。もうしばらく何にもしたくないわ」
「ええっと、ギン係長?」
一種の諦観なのか。ギン係長は後の巨人など既にいなくなったかのような態度だった。
橋の欄干に手を置き、表面を指先でスススッとなでる。
「直介。昨日さ、怪人に負けたのもわざとなの。だってさ、心配してもらって、あたしのこと少しでも意識して欲しかったから。あたしってずるいよね」
「そんなこと、気にしてませんから! いいから逃げましょう!」
ねっとりと機械油のよだれを垂らしているハンサム・ボルトはギン係長を噛みつこうとしていた。開いた口がゆっくり近づいてくる。勝利を確信した愉悦に満ちた表情。獲物を捕らえた捕食者の顔が接近中。
「あたしさ、あんまり素直になれないし、わがままだし、変な娘だけど……あたしたちお互いにヘンテコだから、きっとお似合いだと思うの。だからね」
空の彼方から何かが聞こえた。
ひゅううう、と空気を切り裂くような不思議な音だった。
ギン係長は女の子らしく身体を斜めに傾けた。
「これからもよろしくね」
突如として横から現れた火の玉がハンサム・ボルトを呑み込んだ。
斜めから降下した圧倒的な物量の隕石――ハンサム・ボルトを越えるサイズの物体が火の玉となってぶち当たった。瞬時に鉄骨も橋道路をもぎ取り、川にぶつかると精神を凍りつかせる重音を奏でて滑空していく。荒々しく川底をえぐりとって茶色の地肌がむき出しになったのが垣間見えた。
蒸発した川水が水蒸気を巻き起こして辺り一面を覆う霧を作った。衝撃波は津波となって盛り上がり、高波に変わり土手を越えて田んぼや人家に向かって流れ込む。
数十秒後に隕石が止まったが、埋まったという方が正しいか。膨大な白煙を立ち昇らせていた。
ハンサム・ボルトだったものは何も残っちゃいない。粉々に砕け散った。
ギン係長は「んー」と背伸びして、絶景を眺めるように額に水平にした手を乗せる。
俺は棒立ちになったまま口を半開きにしていた。地面はぐらっとして傾斜ができている。もう少しずれていれば俺もひしゃげた橋から墜落していた。
「前は大きすぎちゃったから、今回は石ころを少し削ったの。だから名物にはならないと思うわ。二回も失敗するわけにはいかないしね」
「ぎ、ギン係長?」
「あ、願いごとするの忘れちゃった。もったいなかったかな」
はしゃいだようなお気楽な声。
つい、口元が緩んでしまった。俺は大声で笑い出した。何かがおかしかった。衝動はどうにも制御できなかった。
何がおかしいのかわからないまま、笑うことしかできなかった。




