マジカルアダルトチェンジ
「え、クビですか」
「ああ」
自分でも頬が波打つのがわかった。笑うところでもないのに笑おうとしていた。
俺は冗談の気配を探ったが解雇を宣告した社長の顔からは経営者としての厳しさと元社員に対するほんのちょっぴりの同情しか見受けられなかった。
座っている社長は両肘をついた前傾のままジッと俺を見ている。無言の圧力に肩が重くなり、足に根が生えたかと思うくらい身動きができなくなった。
昼休みだというのに社長室に呼び出されたときから悪い予感はしていた。だが、何かしらの無礼や失敗があったにせよ精々叱責くらいだと甘く考えていた。未だに何をやらかしてしまったのかわからず、突っ立ったまま茫然とするしかなかった。
ふっと短いため息が吐かれる。目を伏せる社長は頭を悩ませる何かを口から吐き出そうとしていた。
「うちは老舗玩具メーカーなのは知ってるね新木君。まあ、幼児向け学習用から大人向けホビー用品まで幅広く販売してる」
「はい」
今更の話だ。解雇理由となるありきたりの前置きだとわかってしまった。喉の奥が乾いてゆく。
「君が半年前に企画、開発した幼児向け玩具の『超震動マジカルステッキ』のことなんだが……」
よく覚えている商品だった。新入社員のノルマをこなすため――或いは功績という野望のため、モニターの前で苦悩しながら作った幾つかの案を内の一つ、そしてようやく通ったものだ。
権利者に承諾を取って商品化されると聞いたときはわくわくしたし、売れなかったら会社に損害を与えると冗談半分に先輩にいわれて脂汗も流した。
「売れなかった……んですか?」
「いや、物凄く売れた。本当にびっくりするくらいに売れてしまった」
ならいいじゃないか――俺はそう口に出そうとしたが、苦々しい社長の顔を見れば二の句を告げることができなかった。
そこからの語りは淡々としていた。『超震動マジカルステッキ』は巷で話題の“魔法少女”のキャラクターグッズとしてリリースされ、デザインはねじれた棒に丸みを帯びた宝石がついたシンプルなものだ。幼児が扱うものということで硬さがなく、通常ならばガラス球にする宝石の部分さえ柔らかい新素材を投入した。
ユーザーを楽しませる『縦揺れ・横揺れ・荒波』というバイブレーション機能が持たせ、二千円という低価格かつ出し惜しみなしで売り出した。
売れ行きは最初こそ低調であったが口コミで徐々に浸透していき、通常のキャラクターグッズの勢いとは思えないほど追加生産の注文が舞い込んだ。
俺は聞きながらも多少なりとも自分の功績を誇らしく思う気持ちがあった。なのにどうしてクビにならねばならないのか意味不明ですらある。
「そこまではよかった」
区切った後、社長は目頭を指で押さえつけた。深い悲しみを堪えているようでもあった。
「マスコミがそんな……我が社の面白商品を放っておくはずがなかった」
よくあるレポーターが街の流行を追う番組だった。噂の新商品を買い求める人々を追跡し、インタビューを仕掛けるというものだ。お母さんとお子さんの両方に話しかけた。魔法少女になりきるための衣装と、付属品である『超震動マジカルステッキ』が欲しいと訴える女児を微笑ましく見守るために番組だった。当然ちょっとした子供の生意気さや理不尽も口に出させ、番組を盛り上げる演出も必要だった。
三組目の親子だったか、結婚したての若々しい美人の新妻と四歳くらいの女児がテレビカメラに捉えられた。それまでと打って変わって女児は既に魔法少女の仮装を済ませていた。わざわざ往来を――仕掛け人かもしれないが、人目に付く派手ななりで歩いていたのである。リポーターは白々しく玩具屋に入る前の親子に質問した。
<今日は何を買いにいらしたのですか――ええ、子供用の玩具を――まあ、お子様は可愛らしいギンちゃん――こんにちわぁ――今人気のステッキを買いに来たのかなお嬢ちゃん?――うん、私のなくなっちゃったからもう一個買うの――え、失くされたんですか?――えっ、ええまあ――品薄ですのに大変ですね――あのね、ママとパパがね――ダメよカオリちゃん――コレ夜のときにイイねっていって私の取り上げちゃったの――え、そうなんですか、何が夜のときにイイんですか――ふ、ふふふ、それはそのまあ>
一連のやり取りを見つめていたスタジオでギャルっぽいコメンテーターがぽつりといった。
「ああーっ、奥さんと旦那さんはもしかしてアレのために……あっ」
失言を悟ってコメンテーターは口許を抑え、目尻を垂れ下げて茶目っ気を交え、誤魔化し笑いを浮かべた。アレという謎めいた言葉はお茶の間に疑問を投げかけた。何かの代名詞であることは間違いないし、もしかしたら隠語を世間様にわかりやすく伝えるための一言だったのかもしれない。
いずれにせよ問題視されたわけではなく、スタジオの人間も追従するように薄っぺらく笑ってお茶を濁すだけでその場は終わった。
「ちょっと待ってください。なら問題ないじゃないですか」
「問題ないと思うかね?」
「ないですよ。大体、アレが何かだなんて俺にはわからないし、わかりたくもないです。俺は確かに開発者ですが、あくまで子供に好奇心という翼を与えるために造ったんです」
ちっくしょう! なんなんだよアレって!? 意味がわからないよ。わけがわからないよ。アレっていわれたってわからないんだよ。きちんと口に出してくれないと人と人は通じ合わないし、分かり合えないのに! 若奥様と旦那さんが子供から取り上げてまで震動するステッキを使ってするアレってなんなのかな!? 誰か何がなんのことか詳細に説明してくれないかな!
「君にわかるかね。中小でありながらも数十年に渡って子供たちに夢を与えるために玩具を造ってきた私の悲しみが。心の底に置いておいた大切なものを汚された気持ちが。週刊誌で『老舗玩具メーカー、マジカルアダルトチェンジ!』と煽られた怒りが」
音も立てず静かに椅子から離れ、社長は俺に背を向けるとブラインドを指先でこじ開けた。
隙間から柔らかい春の日差しが室内に差し込んでくる。思い返せば去年の春に入社して一年目を迎え、会社にも馴染んできた。新しい環境に行く決意も固めたわけでもなく、今は辞めたくなかった。
「か、肩こりをほぐすために使用したのでしょう。老化を口に出すのは誰しも恥ずかしいものです」
「……かもしれん。だが、我が社のイメージは失墜した」
焦燥感に駆られながらも俺は居ても立ってもいられず、力なく右手を伸ばしながら口を開いた。
「しゃ、社長……最近、社長のマイカーが軽からレクサスに変わっていたのはもしかして――」
「私も鬼ではない。しでかしてしまった君の新しい道を用意しておいた」
くるりと振り返ると社長は机に紙を一枚だけ置いた。有無をいわせず畳み掛けてくる。
「せめてもの温情というやつだ」