3.積重
(誕生日か……)
ソラノアのことを自然と訊く口実としては、またとないチャンスだ。
(だから、ここ最近の彼女はよそよそしかったのか……?)
それなら微笑ましいのだが、ランゲルハンス島での何かが関係しているのは明白だ。
宗太は千星戦闘術道場に向かいながら、ソラノアについてを伺う算段を練る。
ジンクやノーグ以外にもソラノアと顔見知りは当然いるのだ。その者達にもどう自然と探りを入れるか。
(プレゼントの方もちゃんと調査しないとな)
彼女が喜ぶ姿――それを思い描きそうになり、頭を振って妄想を掻き消す。
その行為を。消そうとした行為を無意識にしていた自分に、宗太はハッとした。
自分の中にはまだ『どんなことをしてでも元の世界に戻る』という、冷徹な感情がまだ残っているのだ。
(俺は……ソラノアを……)
揺れ動く気持ちの中でも足を止めることはできない。
千星戦闘術道場の『チェリオ教室』に着くと、ジンク・セダーとノーグ・チェリオはともに、真剣な面持ちで仲間の訓練を見つめていた。
実戦経験豊富な二人は、部下達からアドバイスをよく受けている。
まずはすぐ手前にいるノーグへ挨拶をした。
「おはようございます」
「ああ、ユキシロか。おはよう。わざわざ顔を出しに来たのか? 律儀だな」
「まあ。今日から職場復帰ですし。さすがに気まずいかな、と」
「確かに気遣いは大事だ。どんどん気遣え――で、身体の調子はどうだ?」
「対『魔物』となると万全ではないので不安はありますけど、警邏程度なら明日にでも再開できますね」
強がりではなく、国境越えを目論む不法出国者ぐらいなら低度の簡易魔偽術を使えば十分制圧できる。
そんな風に自信を持っていたのだが……
「いや。体力的に問題ないかもしれないが、法律に対する知識は不足しているだろう? ならまだまだ雑務だな」
ノーグの指摘にぐうの音も出ない。
いくら元の世界に戻るとはいえ、その間、生き抜くためにはアルトリエ大陸の知識は必須であった。
つくづく、学業をおろそかにしていた自分を悔いる。
と、こちらに気づいていたジンクが歩んで来た。
「ならさ、ユキシロ。あとで俺と一戦交えてくれないか?」
「嫌だよ。病み上がりだから」
「少しくらいいだろ? 身体慣らしだよ。それと頭ばっか使うとストレス溜まるだろ?」
ジンクとの手合せを行う機会は少ないわけではないが、今日はやけに瞳に熱がこもっている。
やはり、ランゲルハンス島の出来事が関連しているのか……
「やけにしつこいな――あれか? 負けた方が『ソラノアとにゃんにゃんしちゃいたいレース』に降りろってか?」
「にゃんにゃんってなんだよ?」
「純情ピュアボーイかお前は。セックスしたいかってことだろ?」
「違っ――!? 俺はそういう不純な――!」
「冗談だよ」
顔を赤くしてたじろぐジンクに、こちらまで恥ずかしくなる。
どんだけ免疫がないんだ、こいつ。
「青春のぶつかり合いか? なら許可をする。青春なら仕方あるまいしな」
ノーグの采配は相変わらずよく分からないが、こうなった以上、退くことはできそうになない。
宗太は結局、雑務を終えたあとに付き合うこととなった――図らずとも。
(まさか定時ピッタリに帰ることへの冷たい視線を、異世界で体験する羽目となるとは思わなかったよ……)
宗太はうな垂れながら、千星技術学院の前で待ち合わせていたノーグと合流する。
その彼女は〔スキョフニング〕が下げられた腰に手を当て、憮然としていた。
「遅いぞ、ユキシロ」
「すみません、ノーグさん。ただ、警邏部長のジアララさんがしつこかったんですよ。愚痴愚痴、婉曲的な嫌味言って来て……」
「ああ。なるほどな。まあ仕方ない」
眉根を寄せていたノーグだったが、宗太の言い訳をすんなり受け入れた。
そして咎めることなく、一緒に千星技術学院の最下層にある第十七研究室〝ウルストラ〟――あの。〝魔炎〟と一戦を交えたあの場所へと向かう。
普段ならともかく宗太の本格的な訓練となると、秘匿しなければならないことも出てくるので――特に【千星騎士団】側には――、どうしてもみなの視線から離れた場所で行わざるを得なくなる。
そして、〝ウルストラ〟は権限を持つ者しか開くことができない。そのためノーグが同伴しているのだ。
(俺に与えられないのは、少なからずジャックに信用されていないんだろうな)
宗太が新参者であるため特段ショックはないが、腹が立つのは間違いない。
「運が悪かったな、ユキシロ。ジアララ警邏部長はこの前、年下の彼氏に振られたばかりだったからな。彼女くらいの歳になると焦りから、どうしても無自覚に『交際=結婚』という図式を描いてしまうものだ。彼氏はまだ若いようだったし。その考えの差が破局を招いたんだな」
「……意外に詳しいんですね。そういう下世話な話」
「ゴシップネタも部下との関係を円滑に保つのに必要だろう?」
「いや……まあ……いいんじゃないんですか?」
冗談ではなく至極真面目なノーグに、宗太は曖昧な返事になった。
「で、仕事には慣れたか?」
「字は少しくらい巧くなったかもしれませんね」
今日教わった事務仕事の内容は、数多く寄せられた市民からの意見書――大半はクレームや「それくらい自分で解決しろ」という案件――を宛先別に仕分けする作業。
そして、それが終わると宗太が所属する警邏課に宛てられた、文章の処理方法のテンプレートをひたすら写していた。
「大体が『ご意見ありがとうございます。部署内で検討をさせていただきます』的なことを文面を変えて書いて、それを掲示板に貼るだけなんだけだったんですけどね」
「まあ、だいたいは言いたいことをぶつけたらそこで満足するものだ」
「あんな紙切れ、多分見ないんでしょうけど」
「かといって、やらなかったらさらに燃え上がるからな。思っているよりも重要な仕事だ」
「まさか学生を卒事業しても、鉛筆で何十枚も書くことになるなんて夢にも思っていなかったですよ――正直、スマホやパソコンが恋しくなりましたよ」
「すまほ? ぱそこん?」
「ああ……僕がいた世界にあった機械です。タイプライターのもっと凄い版とでも思っておいて下さい――というか、タイプライター寄越して下さいよ」
「ならまず階級を上げることだな」
容赦なく一刀両断するのは、できれば戦闘だけ、敵に対してだけにして欲しかった。
「でも意外だったのは、警邏課に限らず識字率がそこまで高くないんですよね。千星技術学院とかあるから当たり前にできるのかと思ってましたけど」
お蔭で多少の読み書きが熟せる宗太が、こき使われる羽目になった。
「千星技術学院はエキスパートが集まった施設だからな。あそこに通う子供達は生まれてすぐ英才教育を受けている」
リーリカネットが話した過去――ソラノアがひたすら本を読まされていたのは、千星技術学院に入れるためもあったのだろうか。
宗太はノーグからもソラノアについて探りを入れるため、世間話を続ける。
「というか。よくよく考えてみたら、ああいうのって広報がやるもんじゃないんですか?」
「元々が人手不足なのに加えて、昨今の緊迫した情勢に追い打ちをかけるように先日のランゲルハンス島事件だからな。読み書きができなくても雇うのは仕方あるまい。それに特にここムーンフリークは、専門職が強い場所ということもある。一般的な移住者が就ける仕事は自然と限られてくるわけだ」
「だからって、下に仕事押しつけ過ぎでしょう?」
宗太に任せられた仕事はそれだけでない。
倉庫に行って備品の残数確認や、上司印が捺された(そこら辺に散らばった)不要書類の裁断破棄。
あとは違法入出国者の特徴を、先輩の自慢話の中にほんの少し添えられた形で学んだりもした。
ただ、法律に関することは口頭で漠然としか教授してもらえない――学歴よりも人手を求めている故だ――ので、昼食休憩時間を使って自習するしかなかった。
(確かに、動いてストレス発散したい気分にはなったな……)
もしかしたら、こうなることを事前に察して誘ってくれたのだろうか。ジンクなら可能性はあるかもしれない。
(――とか、暢気にしてる間に、もう着くぞ)
気づけば〝ウルストラ〟へと続く階段を閉ざす鉄扉が、廊下の終着点に現れている。
降り切るまで五分くらいはあるはずだ。半ば強引に訊き出すしかない。
「そういえば、ノーグさんはソラノアの誕生日は祝いに来るんですか?」
「当然だな。部下との交流は重要だ」
「本当ですか?――助かった」
「ん? どういうことだ?」
鉄扉の鍵を開けたノーグが食いついてくれたことに、宗太は安堵する。
「いや、僕はなんだかんだでソラノアのことを知らなくて――誕生日祝いのだって今朝知ったくらいですし。ですから、少しでも彼女のことを知りたくて、色々と探りを入れてるんですよ」
「私だってそこで知っているわけではないぞ」
「僕よりは付き合い長いんでしょう? そうだ。ノーグさんはソラノアといつ出会ったんですか?」
自然に訊き出したつもりが、果たしてこの質問をノーグはどう捉えるか。
普通ならなんてことはない世間話だ。が、互いの立場を鑑みると、それらが突如として姿を変え得る。
扉の鍵を再びかける音より、ノーグが口を開く音の方がはっきりと耳に入った。
すぐの解答はあったが、その間が酷く長く感じだ。
「私が現在の地位に就いた時にリスフルーバ議員に紹介をされたな」
「何年ぐらい前ですか?」
「七年前だな。彼女に基本的な戦闘訓練を指導するよう頼まれた」
(考えてみたら、ノーグさんっていくつなんだ?)
見た目は二〇代前半だが、その態度や隊長という職務をそつなくこなす様。弟子や部下の信頼関係を鑑みると、もう少し上という可能性もあり得る。
が、女性に年齢を訊くのは気が引ける。
特にこのノーグは年齢そのものには興味はないだろうが、『彼女が捉える常識的な裁量』に於いてはアウト側の問いだろう。
「どんな感じだったんですか? 当時のソラノアは?」
「元々、基礎的な訓練は受けていたのに加え、戦闘における知識はあったからな。あとは彼女が培った知識をいかに肉体へと反映させ、技術として昇華させるかといった内容だ」
〝ウルストラ〟まで一切寄り道のない階段は、等間隔に配置された現在位置を示すプレートがなければ苦行そのものだ。
当然、エスカレーターもエレベーターも整備されていない。強化された肉体でなければ、絶対に通りたくはない場所である。
ただ、ソラノアの過去を少し語るには充分な距離でもあった。
◇◆◇◆◇◆
ノーグとソラノア。それぞれが持参した柔軟性に富んだ黒い簡易戦闘着――動きを最優先としているため、急所以外にプロテクターはほとんどない――を身に纏い、構える。
十歳前後という割に落ち着た彼女は、道場を通う同年代の子供達よりも大人びていた。なんだったら、ノーグ自身よりも年上の弟子達よりもよっぽどしっかりしている。
最初の訓練から半年近く経つが、日に日に成長しているのが手に取るように分かる。それだけの賢さが、ソラノアには備わっているのだ。
「ノーグ隊長。今日も訓練をよろしくお願いします」
「ああ――では早速始めよう」
瞬間、靴が地面を叩きつける音とともにノーグの視界から消えた――いや、ソラノアが極力体勢を低くしながら足元に跳んで来たのだ。
体格差から蹴上げればそれだけで終わるだろう。そして、ソラノアもそれを分かっていないはずがない。
望みは何か。
ノーグはあえて彼女の見据えた策に乗る方を選んだ。
一つステップを踏み、タックルを仕掛けたソラノアにタイミングを合わせて右脚を振り上げる。このままなら、掬い上げられるように彼女の小さな身体は上空に飛ぶ。
結果は、右脚に重み――ソラノアが足首にしがみついた。が、ノーグの振り上げる勢いに負け、簡単に弾き飛ばされる。
行動の顛末は、奇襲の失敗……なのだろうか。
単純に考えれば、右脚の破壊だろうが……
(……推測は、あながち間違いではないな)
一瞬。宙を舞うソラノアの視線からノーグは察し、足を上げたまま綺麗に着地した彼女に告げる。
「今のように戦闘に於いて先手を取る。これは必須だ。だがソラノアのように力がない、ましてや子供の場合は先手必勝ならぬ先手必殺を絶対に取らなくてはいけない」
右の靴を脱いで底を確認すれば、トリモチのような粘着性が高いであろう物体がついていた。
そのまま地に足をつけていれば、ソラノアは出現するチャンスを活かしに来たことだろう。
「それを理解して事前に仕込んでいたか――正解だ。魔偽術、魔偽甲ではなく無音かつノータイムで仕かけられる武器を選んだのも正しい」
ソラノアの右脛の壊れたプロテクターには白い物体がこびりついている。それは通常装備ではありえない現象だ。
恐らく破裂すると飛び出す仕組みだろう――レイグオットの養子と交友関係があることから、協力してもらったのかもしれない。
しがみつき、飛ばされる一瞬でそれを成したことにノーグは内心驚いた。
「あとは意識の持って行き方だな。今のような奇襲は、回数を重ねるごとに成功率とともに生存率が下がる。それを分かって必殺を決めなくてはいけないというプレッシャーが、罠に嵌めたあとの視線に出ていたな。それに着地も、もう少し下手にした方が騙せる確率は上がる」
ノーグが講義と実技を同時にしているのは、単純に時間が惜しいから。
だがそれだけではなく、知識で得た技術を、思考を介さずに経験反射だけで行うこと。
敵対者から発せられる情報を読み取り、次手以降を構成すること。
それを慣れさせる訓練でもあった。
「本来はこのように対峙した状態で戦うことはご法度だ。が、そういう状況にならざるを得なくなることは当たり前のように訪れる」
ソラノアはプロテクターを剥がすと、部屋の隅まで投げ捨てた。そして距離を取り、こちらの動きを伺う。
ノーグもまた、待ち構える。
彼女の狙いは分かっていた。こちらの攻撃を、実経験を積んだ護身術から反撃に転じようとしているのだ。故にこちらも焦らす。
「その場合は逃走が最優先となるが、相手との力量差――対一以外も含めてだな――が開けば、それは不可能になる。故に対峙した瞬間に、それを測る必要があるわけだ。逃げるか先手を決めるか。その判断が遅れれば死は眼前に迫る」
一歩、ノーグが近寄る。
ソラノアは表情と構えを崩さない。しっかりと好機を探る忍耐はでき上がっている。本当に弟子達にも見習ってほしいものだ。
じりじりと時間をかけてノーグが距離を詰めていくと、
「――っ!? 連なれよ星々――《飛礫座》!」
ソラノアの前に現れた術図式は、まるで星印そのものが弾けるようにノーグを襲う。
ただ術図式から容易に汲み取れる術であるため、着弾よりも前に回避できる。
安易な魔偽術を選択するほど痺れを切らし急いた――と、思わせるには先の罠の賢しさが災いしてしまっている。
「そうだな。私との力量差を埋めるには、君の場合は魔偽術が最良だろう。精度だけなら【千星騎士団】、【凶星王の末裔】の中でも充分通用する」
「連なれよ星々――《飛礫座》!」
ノーグが再び近寄ると、構成速度が早い魔偽術をソラノアが放つ。
まるで接近を拒むようにこの繰り返しが数度続き、徐々に二人の距離が開いていく。最終的には部屋の端まで追いやられた。
(……むしろ分かり易いくらいに誘っているな)
術図式を読み解くに、今の《飛礫座》くらいならノーグの受術耐性で喰らいながらも突破できる。
そう調整しているのかもしれないがここは誘いに乗り、上体だけを屈みながら左腕で頭部を守りソラノアへと駆ける。
「連なれよ星々――《飛礫座》!」
受術耐性があるからといって打ち消せるわけではない。着弾の際の衝撃と痛みを襲うが、足は止めない。
ソラノアまで残り五メートルくらいの距離まで迫った時、彼女が後方に跳びながら手を組んだ。
合わせ、ノーグは右手に持ったままの粘着体がついた靴を顔面目がけ放る。
「連なれよ星々!――」
この構成こそが本命なのは、複雑で読み取りにくい星印の集まり方と立体交鎖が物語っていた。放られた靴を組んだ手で防いだことからも同様だ。
(いや……)
刹那の間。
ノーグの脳内の片隅に湧いた、ほんの小さな疑念。
「《覇脚座》!」
ノーグは靴に仕込んでおいた魔偽甲を発動させる。左脚一本での加速はバランスが悪いが、これは賭けだった。
その悪寒をなぞるように、ソラノアの胸部のプロテクターがほんのり光る。
「《縛霧ぶぇ――!?」
魔偽甲が発動する寸前にソラノアの口の中に指を二本突っ込んで、強引に黙らせる。
彼女が目を白黒させている内に、胸部のプロテクターを剥ぎ取って投げ捨てた。そして指を引き抜き、足払いをしてソラノアを地面に倒す。
両手が靴についた粘着体に封じられているソラノアは受け身を取れないままなす術なく、ノーグに馬乗りにされた。
「勝負ありだな」
ノーグに深手を負わせることなくソラノアは敗北した。
優秀な選択をしてもなお、成果が得られない。
それがどういうことなのか。この幼き少女には徹底的に叩き込む必要がある。
召喚された〝魔人〟オルクエンデの強さが、器たるソラノアに依存する場合に備えて。
そして、当人もそれを理解して徹底的に学んでいる。
その全ての終着点が何を意味するのかを知りながら……
「で、それを剥がす方法はあるんだろうな?」
「私が持ってきました鞄の中に剥離液がありますので、それを流し込んでいただければ」
「そうか。かぶれはしないだろうな?」
ソラノアの鞄を取りに行きながら訊くが、帰って来る反応が遅い。
振り返ると、ばつの悪そうな表情を浮かべている。
「……そこまでは聞いてませんでした」
「次はきちんと聞いておくべきだな。このように自分の武器を逆に利用されることもある」
鞄を開けると、すぐ取り出せる場所に汚い字で「剥がせるやつ」と書かれた小瓶を見つけた。
それを流し込むと、多少抵抗はあったものの綺麗に剥がすことができた。皮膚はやや赤らんでしまっているが――靴の方は剥がれそうにないため捨てるしかなさそうだ。
「最後。魔偽術の構成はフェイクで、その胸部の魔偽甲で捕縛するつもりだったか。少し肝が冷えたな」
「いえ。最後はノーグさんの足元に術図式の光が見えたので。構成している魔偽術で捕まえるのは不可能だと判断して、捕まえられた時の奥の手を使おうと思いました」
「――っ!? なるほどな。考えに捕らわれて焦ったのはむしろ私の方だったか」
十歳そこらの子供に足元を掬われかけたことに、ノーグは素直に感心しながらも自らの精進の足りなさを痛感した。
「本当は全てが決定打のつもりだったんですけど……」
「そこは実経験の積み重ねだ。あとは君の強みである魔偽術を、どんな状態でも構成し切る精神力を持つことだな。それさえあれば、見事に君の策に嵌められていたわけだし」
魔偽術は理論上だけなら、詠唱を口にしなくてもできる。達成者は未だかつて一人もいないとされているが。
何故できないかと言えば、『世界を偽る』という超常を行使するには、まず自らがその現象を強く思いこむ必要があるためだ。
『言葉として発する』という一見無駄な動作も、瞬時のマインドセットには最適であり、それ以上の方法が考案されていない。
真偽はともかく『言霊が宿るため』と説く者もいる。
ソラノアは起き上がり――口内を切ったことを少し気にしながら――、ノーグに一礼した。
「今日も貴重な時間を割いていただき、本当にありがとうございます」
「ふむ。そうだな。確かに私のプライベートな時間も消費しているな」
いくら組織のトップの命令であり教え甲斐のある生徒だとはいえ、やはりただ働きには変わりない。
こちらにも何かメリットが欲しいところだ。
「料理ができると聞いたが?」
「はい、多少はできますが……」
「なら君の時間を使って私に教えて欲しい。料理のレパートリーが増えるに越したことはない」
「えっ!? でも、私は教えるほど技術があるわけでは……」
「それを判断するのは私だ」
「ですが……」
「教えることで学ぶこともある。それとも何か私に足りそうにないものを、ソラノアが見つけてくれるか?」
「えっと……」
「見つからないのなら決まりだ。では早速予定をすり合わせよう」
今週末には【千星騎士団】として、対帝都を見越した【連星会】の連合軍との共同訓練。さらには憲兵隊との意見交換までもがある。
アルトリエ大陸北部の商都領サバールまで出張することとなるため、今週が無理なら次の予定は来月中頃になってしまうだろう。
さて。上手く合わせられるか。
時間はまだあるが、できるだけ早く始めたいものだ。
◇◆◇◆◇◆
「それで、ソラノアには教えてもらったんです?」
「ああ。ただソラノアとの予定にもなかなか合わずに、約束してから三か月後くらいになってしまったがな。ただその間、彼女には男の胃袋を掴めるような料理を考えてもらった。時間があった分、種類は豊富だった」
「十歳にもいかない少女に何を教わってんですか?」
半眼で見やるが、ノーグは相変わらず至って真面目な面持ちだ。
「だが、料理と言えば男の胃袋を掴むものを習得するのが基本だろう? 若い内に女子力を底上げしないといけないからな」
「で、具体的には何を?」
「なんだったかな? とにかく掴めそうなものだった。今も時々、掴めそうなものを教わってはいる」
この発言で理解したのは、ノーグの料理には期待できそうにないことだ。
そうこうしている間に、目的地である〝ウルストラ〟に到着する。
さて。どうやって仕事中に積もりに積もった鬱憤をジンクにぶつけてやろうか。




