2.事実
ソラノアを知る人物の中で、まずは最も宗太に興味がないであろう人間を頼る。
彼女に疑念を持つことそのものに不審を抱くかもしれない。が、宗太の真意までは根掘り葉掘り探りを入れるとは思えない。
「朝からトム吉が来てもさ、客寄せにもならないんだから。互いに時間の無駄使いすんのやめね?」
そう。このリーリカネット・イオは。
いつもの鍛冶屋にて、店番を任されている彼女は開店直後ということもあって、暇そう頬杖をついて本を読んでいた。
そこに宗太が来たので、一刻も早く出て行ってもらいたいような雰囲気を醸し出している。読んでいた本をサッとしまったことから、いかがわしい内容かもしれない。卑猥なものではなく。
なお本来の主であるレイグオットはまた不在だ。それは『計画戦争』が近づいていることを意味しているのかもしれない。
「いや。俺は用事あんだよ、お前に」
「あたしにはないじゃん。じゃあ実質皆無じゃん」
「俺頑張ったんだけどなー。月星隷の時も、お前の命救ったよ?」
「いんや。そもそも、月星隷の星隷擬体の案出したのあたしだし。言うなら、あたしがみんなの命の恩人だし――おいトム吉。オメェ今さ。頭、高くね?」
ああ言えばこう言う。
この屁理屈変人をどう話に乗せるには、果たしてどうしたものか。
「でもさ、くれぐれもソラノアにはそんなこと言うなよ?」
「ん?」
珍しく神妙(だと思う)に釘を刺すリーリカネット。
「ソラノア、トム吉に月星隷の星隷擬体をさせたり、『無望の霧』に入れたりと色々責任感じまくっちゃってんの」
「それはソラノアのせいじゃないだろ?」
「……それをあたしに言ってどうすんのさ」
「半分はお前のせいだろ?」
「おうおう。喧嘩売るってのか? それ店頭に並べてみ? しょんべん漏らすほど悪評広めてやっから」
バンバンッと机と叩くリーリカネットの目は完全に据わっていた。
が、それもすぐにコロッと変わる。そういう時はだいたい、禄でもないことを思いついた時だと分かるようになって来た。
「いや、やっぱ恩着せがましく言い寄って、ここぞとばかりに押し倒しちゃって既成事実を作っとくのもアリか」
「いや、ナシだろ。お前……ソラノアと友達じゃないのか?」
前にもそんなことを言っていたが、友人の貞操を一体なんだと思っているのだろうか。
ただ、いつもとやや違うのが、リーリカネットは普段の捉えどころのない、理解不能な迷惑事を企んでいる時に見せる顔ではなかった。
ほんのちょっとだけ、真剣さというか深刻さが滲み出ている。
「別にトム吉じゃなくったってジンクでもいいんだよ――つーか、今はあの〝魔眼〟っていう割には蛇顔で全然目ぇ見えねぇじゃん男が、『ソラノアとにゃんにゃんしちゃいたいレース』を後方からぶっちぎってんじゃん」
「あー……ザイスグリッツな。最近、あいつと会うことが多いんだっけ?」
現在、〝魔眼〟ヨクトゥルヘヌワ――ザイスグリッツ・グルグ・パタヌーヌは【凶星王の末裔】の捕虜である。
そして、〝魔人〟オルクエンデ――ユキシロ・ソウタの監視下に置かれている。
というのは名目上であり、実際は〝魔人〟補佐のソラノアが多忙な〝魔人〟の代わりにその目を光らせている。
「寝取られ属性?」
「いや、ねぇよ」
割と真面目に訊いて来たので、宗太はきっぱりと否定した。
「ただまあ、ジンクは気の毒だなとは思う――っていうか、むしろあいつに言ってやれよ。押し倒せって」
「無理でしょ? あいつ普段は調子者ぶって豪放磊落気取ってるけど、実際はヘタレウジウジ虫のできものなんだから」
「虫ですらねぇんだ、ジンク」
酷い言われように、さすがに同情したくなる雪城宗太こと特徴なし無能確約機能不全チキン野郎。
「ジンクもそうだけど。テッジエッタも最初会った時は、リーリカネットに似た変なやつだったのに、ここ最近はなんかどんどん陰気臭くなってるしな」
「そりゃ、トム吉のせいもあるじゃん」
「俺?」
まさか矛先が向くと思っていなかった宗太は自らを指さすと、リーリカネットは嘆息した。ただ、彼女のそれは呆れよりも怒りに近い。
「ソラノアとテッジの抗争の本格化の原因こそ、トム吉が『無望の霧』に勝手に入っていったせいだっつうの。ソラノアがトム吉を擁護しちゃったせいで、そりゃもうギクシャク。キャットファイトほんとに始めるかもよ?」
「マジかよ。まずいなー。テッジエッタのところにもあとで行くつもりだったのに……」
「何用で?」
本題に入ったことで、宗太は悟られぬように唾を飲み込んだ。
さほど間を開けず、日常会話の中の一つに紛れ込ませるように言う。
「改めて、ソラノアのこと色々知りたくってさ。過去見て来たものとか。好きなものとか」
「まさかトム吉、まだ選んでないの?」
「――っ!?」
唐突な核心に、まるで首を絞められたかのように息が詰まる。
どうして、リーリカネットがそんなことを訊くのか。
ソラノアの過去話について振ったのは、やはり唐突であったのか。
だが、リーリカネットが『無望の霧』の深奥――『星約の刻間』で見た内容をどうしてい知っている? いや、それとも今朝の夢でも覗き込んだのか? 何かしらの魔偽術あるいは魔偽甲を使って……
表情を繕うことを失念していた宗太に、リーリカネットが冷たい目を向けた。
「図星か」
「いや……違……」
「ソラノアの誕生日プレゼント。まだ決めてないわけ?」
「……へ?」
素っ頓狂な声を出した宗太に、リーリカネットは眉根を寄せて訝しむ。
「ん? 何々? ソラノアのプレゼントの調査のためにテッジのところにも行くんじゃなかったの?」
「いや……俺、ソラノアの誕生日知らないし……」
「まあ、あたし達も実際の日付なんて知らないし、ソラノア自体も知らないだろうけど。だからさ。ならいっそ、この時期になるとゲリラ的に祝ってやるの――聞いてないの?」
「初耳だし、なんで俺に黙ってたんだよ? 結構ショックだぞ。それにさ『私の誕生日は何月何日ですー!』なんて言うやつ、そうそういないだろ? ましてやソラノアだぞ?」
「だったら自分から周りに訊けっつうの、コミュ障」
「お前、ほんと口悪いな。さすがに泣くぞ」
辛辣すぎるリーリカネットに、宗太はやや心が折れかける。
これ以上、罵詈雑言を浴びせられ続けると身が持たない。それと同時に、たまたま動揺の真意が悟られなかったものの、思いもしないところからボロを出しかねない危険もある。
そのため、宗太は多少強引に話題を修正することにした。
「本題からずれたから戻すけど――」
「脱線したままトム吉も一緒にどっか行ってよ、もう」
「戻すぞ――それにいいだろ? 客来てないんだし」
「常連でもない客と駄弁ってたら、お客さん入る気失くすだろ? 営業妨害すんなよ」
「暇そうに本読んでた癖に。レイグオットさんに言いつけるぞ」
適当に返したつもりだが、意外にも通じたようでリーリカネットはあからさまな舌打ちをした。
深い溜め息を一つ吐き、観念したかのように語り始めた。
「まあ、最初に出会ったのは、あたしがまだ六歳だったかくらいだったから、ソラノアは四歳くらいかな? 師匠にリスフルーバ様の元へ連れて行かれた時だった」
そこから紡がれるソラノアの過去の断片――
◇◆◇◆◇◆
対面して早々、レイグオットはジャックとともにどこか別の部屋に行った。
残されたリーリカネットは、ジャック・リスフルーバの養子であるソラノア・リスフルーバと紹介された少女の部屋で、一緒に待たされることとなる。
そこは部屋と言うよりも、本の倉庫とでもいった方が正しい。
ただでさえ高い天井を貫かんばかりにそびえる棚には、本がこれでもかというほど収まっている。この一部屋も本来は相当の広さがあるのだろうが、机とベッド以外のほとんどが本棚で埋め尽くされているため、息苦しささえ覚える。
びっしりと並ぶ本棚のどれにも隙間はほとんどない。僅かにある空隙も、机の上に置かれた山積みの本を収めれば綺麗に埋まるだろう。
さすがのリーリカネットも入った瞬間に圧倒された。
その間。リーリカネットが馬鹿みたいに口をぽけぇ~っと開けて、部屋を見回している時でさえ、ソラノアは説明や自慢どころか、何一つ喋らず真っ直ぐ机に向かって行った。
このソラノア・リスフルーバと言う少女。顔を合わせた時から今の今まで。一言も発してない。軽い紹介も秘書のシェルリア・クワがした。
人見知りというわけではなく、興味がないのだろう。
かといって、本に興味があるという風にも見えない。
一連の動作は、まるで作業用機械のようだった。
始めからそう動くように組まれていたみたいに、行動に感情というものがまるで伴っていなかった。
そして、リーリカネットの違和感の正しさを証明するかのように、ソラノアは椅子に座り、机の本を開く。
その様子。
やはり読みたくて読んでいるわけではない。
かといって、無理矢理読まされているわけでもない。
目の前の少女は、ただ知識を入れるための器だった。
◇◆◇◆◇◆
「だからさ。常備してたリーリカネットちゃん印の『発破じゃないよ蛙が潰れた時の鳴き声のような不快音が大ボリュームで鳴り響くよ』クラッカー――『河合・E・酷苦さん』の紐をさ、幼ソラノアの背中近くで引っ張ってやったわけ」
「うーん。お前がなんかソラノアを心配してたって解釈しとくわ」
「いや、単に無視されてムカついたのと使いたかっただけよ?」
それでも宗太は目の前の女の子を嘘が吐けない素直な子。ないしは照れ隠しとポジティブに解釈した。
でなけりゃ、怖いじゃん。
「でもさ。泣かねぇでやんの。普通さ、子供って急にデカい音出したら、びっくりと同時に現状の処理が追いつかなくなって泣くじゃん」
それから、さらに話は続く。
◇◆◇◆◇◆
初対面から数度顔を合わせても、ソラノアはリーリカネットだけではなく、周囲にあるもの全てに興味というものを示さなかった。
ただ誰かの傍に着き、立っているだけの何か。
ちょうどその頃はレイグオットがジャックに召喚される頻度が高く、付き添いで連れられてはリーリカネットと一緒に放っておかれていた。
何度か興味を引かせようと、覚え立ての知識で作った悪戯道具を駆使したが、時折振り向いたり小さな声を出すものの満足する反応には程遠い。
かといって、さすがに本を破損するのは気が引けたので、適当に並べ変えたこともあった。
だがソラノアは意に介すことはなかった。そして、次来た時も本は入れ替えられたまま。元に戻るのは悪戯をされた本が机の上に積まれたあとだ。
その姿は本当に、知識というものを片端から体内に押し込んでいるようだった。
◇◆◇◆◇◆
「なんだろうね? 今にして思えば、まだ何もよく分かってないって感じだったかなー? 知識を叩き込むことを命じられたからやってたって感じ」
「ジャックにか?」
「そりゃそうだろうけどさ。あんま訊けることでもないからね――それに、ま、あたしも似たようなもんだし。師匠に拾われたから、この店継ごうとしてるようなもんだから。師匠の場合は強制しなかったけど。それしか自分の世界になかったら、やるしかないよね?」
さらっと己の生い立ちを明かしたリーリカネット。
「何? 何か言いたげ?」
「いや、お前もソラノアに似た境遇ってのは気になったけど。でもどうせ、深く訊こうとしても『なんでトム吉なんかにあたしの過去まで教えなくちゃいけないんだよ。キモッ』とか言うだろ?」
「よく分かったわね。気持ち悪っ」
両腕で自らを抱き締めながら、リーリカネットは汚物でも見つけたかのような不快な視線を向けた。表情は生理的に受け付けないと言わんばかりに引きつっている。
宗太は『ほんと色々とリアクション取って疲れないのかなー?』と思うことを何よりも最優先にすることで精神的ダメージを和らげつつ、軌道修正する。
「それでよく、今みたいな関係になれたな?」
「なんか気づいたらテッジと一緒にいたんだよね。で、まだ全然顔馴染みじゃなかったテッジごと、常備してたリーリカネットちゃん印の『発破じゃないよ蛙が潰れた時の――」
「やったんか」
「なんかムカついたんだよね」
「いっちょ前に妬いたんか。いや、お前にも人の心が残ってたんだな」
「ねえ? なんで常備してるって過去の話って決めつけてるの?」
子供でもない癖してなんで持ってんだよ、と突っ込みたくなった衝動を抑える。
挑発していい結果が生まれることなどないことくらい、容易に想像できるのだから。
「なんでテッジと仲良くなったかは、せっかくだから本人に訊いてみたら」
「……意地が悪いな、ほんと」
半眼を向けるが、リーリカネットは素知らぬ顔だ。
「でもさ、誕生日の件でもなければ『ソラノアとにゃんにゃんしちゃいたいレース』に参加するつもりがないのに、どうして知りたいのさ?」
「……ソラノアの父親――ジャック・リスフルーバから解放したい」
これはあらかじめ用意していた解答。故に即答できた。
「にゃんにゃんしたくないのに?」
「ああ。したくないのに」
「そっか。なるほどねー……まあ、うん。恋愛には色んな形はあるからね。いいと思うよ? それが同性でも畜生でも。それとも無機物だった?」
「しーたーいーでーすぅー! しっぽりできるに越したことはないですぅー! だけど、今はそういう話してるんじゃないの!」
思わず地団駄を踏む宗太。
それから、やや大げさに溜め息を吐き、真面目な雰囲気に戻す。
「俺はソラノアが助けを求めるから召喚されたんだ。俺がこの世界にいる理由はそれだ」
「解放っつってもどう責任取るのさ? ただ逃がしたところで、それは単に危険地帯に野放しにするだけじゃん」
「分かってるよ。だからお前に話した」
と。リーリカネットはいつになくムッとした。
眉根を寄せ、彼女はやや語気を荒げる。
「いや。分かってない。全然ちっとも。これぽっちも。そんなこと言われても、一〇〇パー助かる方法なんて見つかるはずないし。それにそもそも私も【凶星王の末裔】の人間だよ? チクるかもしれないじゃん」
「お前がソラノアに不利になることをするのか?」
「その認識が甘いっつってんの! あんたは私達の何を知ってるわけ!? 何も知らないから訊いてるんでしょ? 自分の悩みを解決するために他人を理由に使うなっての」
痛いところを突かれ、宗太は続く言葉を見失う。
いくら真意の偽装とはいえ、ソラノアを救いたいという気持ちがないわけではない。それがあるからこそ、彼女の過去を訊いているわけなのだから。
「悪かった」
「あたしに謝ったってしゃーないでしょーに」
宗太の軽率さに呆れるリーリカネットだが怒気は感じない。こちらがその深刻性を理解したことが伝わったからであろうか。
ふと掛け時計――リーリカネットが作ったのだとはっきり分かる悪趣味具合――を見ると、予定していた時間よりも長く喋り込んでしまっていた。
「じゃあ、そろそろおいとまさせてもらうわ。話に付き合ってくれて、ありがとな」
「テメェの用事が終わった途端、それか。あたしはトム吉の都合のいい女じゃねぇっての。悪いと思うなら、なんか買って行け!」
捲し立てられ、仕方なく宗太は店の隅に追いやられていた『河合・E・酷苦さん』を一つ買っておいた。




