1.痕跡
宗太は朝食を終えたあと、【千星騎士団】の千星戦闘術道場へとぼとぼと歩いていた。もちろん遊びに行くのではなく出勤である。
ただ、定められた出勤時間まで、まだ一時間少々あった。
(なんか気が重いよな……これはあれだ。学校をしばらく休んだあとの気分だ)
なんて馬鹿なことを思うが、憂鬱なのはそれが理由ではない。
シャワーを浴びて寝汗を流したあと。ソラノアと一緒に朝食を取った。彼女は出てくるのを待っていてくれた。
会話の内容は二人の今日の予定の確認。補充すべき日用品の確認とどちらが買いに行くか。【凶星王の末裔】としての今後の活動内容。あとは仲間の愚痴が少々。
それらは宗太がこの異世界に召喚され、彼女の部屋に居候してからすぐに始まった当り前の流れだ。
だが、ここ数日は、その自然さにこそ違和感を抱いてしまう。『普段通り』を演じようとしている必死さが滲み出ているのだ。
それを悟られないため。と言うわけだけではないだろうが、島から脱出してからは、二人の会話が徐々に減りつつあった。そのため、宗太は早く家を出てしまったわけだ。
(といっても、島から脱出してムーンフリークに戻った途端、俺はぶっ倒れたんだけどな。ソラノアとまともな会話をしたのだって、ここ数日だし)
宗太は島から脱失し、このムーンフリークに着いた途端に意識を失った。
一週間以上、意識を戻さなかったと言われ、その原因が魔力の低下――廃人一歩手前だと教えられた時は背筋が凍った。それはつまり、あの〝魔剣〟のように死ぬ直前だったということなのだから。
今朝、ソラノアが血相を変えたのはそのせいもあるかもしれない。
それに彼女が『無望の霧』で何を見たのか訊かないのは、病み上がりなのを気遣っているからなのか。
それとも……
(何もかも、結局は俺の中の憶測……)
会話のぎこちなさは、核心を追及できないせいもあるだろう。
訊きたいことは山ほどある。確かめたいことも。
だが、そのたった一言は、関係の破滅をいよいよ決定づけてしまいかもしれない。
「……結局、何も分からないわけだしな……」
ぽつりと零す、誰にも聞かれることのない程度の小さな独り言。
《……それは俺に言ってんのか?》
いや、ただ一人。それを聞くことができる者はいる。
宗太の中にいる〝魔人〟オルクエンデだ。
(いや、ほんとさすがに戸惑ったよな。いくら普段は鬱陶しいと思っていたとしても)
《……お前がそう思っているとはなんとなく分かっていたが、みなまで言うなよ》
ムーンフリークに戻るまで、まるでオルクエンデの存在を感じ取るはできなかった。もしかしたら、本当に自分の中から消滅したのではないかとさえ思ったほどだ。
しかし、体調が回復してからは、それ以前と変わらぬ関係に戻ることができた。
(『無望の霧』に入ってから宗太が回復するまで、ずっと俺に呼びかけ続けてたんだろ? 甲斐甲斐しいな)
《そりゃ、お前との繋がりが途絶えたら俺は消滅するからな》
宗太とオルクエンデの関係。
その根本にあるものを宗太は問う。
(お前はどうして、ソラノアを助けたかったんだ?)
全ての始まりは、儀式の中で死にかけていたソラノアを救うためだった。
《考えてみたら、よく分からないな……本能だったのかもしれない。あの時、ソラノアでは駄目だと自然に思ったんだ》
(となると、『天使』が絡んで来るか……)
今回のランゲルハンス島の顛末もまた、『天使』の計画通りなのだろうか。
ランゲルハンス島は今、完全に『無望の霧』に呑まれてしまった。
被害はそれだけでなく、各地でも霧が濃くなったという報告が増えている。
人類領域の縮小は、まるでこの世の終わりの始まりの前兆であるかのように、世間を震撼させ、各地で混乱を招いている。
噂が適度に知れ渡ったここ一週間では、ついにアルトリエ大陸の内陸を目指す者が俄かに現れ始めた。
特に大陸中央に位置する星都へ向かう者は多く、【千星騎士団】の仕事に、国境を不法に超えようとする者達の対応が加わったらしい。
(幸い、病み上がりだからか新人だからかは知らんけど。俺にはまだ回って来てない話だけどな)
いつからか、この一連の騒動はランゲルハンス島事件と名づけられ、『無望の霧』とともに広がっていた。
だが、その裏で起こった『魔物』同士の戦い。結託。月星隷の暴走。『天使』襲来。『魔法遣い』召喚。『勇者』の登場。そして、〝魔人〟雪城宗太の『無望の霧』深部への潜入。
その数々の出来事や異変までは記述されていない。
ランゲルハンス島事件の内容はただ、ランゲルハンス島の消滅と『無望の霧』の拡大によって発生した人々の混乱と対応を差すだけだ。
(俺が見たものに至っては、何も報告してないしな)
船の中。そして回復後に尋問を受けたが、『無望の霧』の浅部までしか答えていない。
それは現存する帰還者の証言資料と酷似し、恐らくだが情報を欲する者達は真新しいものを手のすることができなかったのだろう――宗太が当たり障りのない解答を選んで口にしたのだから無理もない。
『魔物』の一柱が入ったということもあり、相当の期待を抱いていたのだろう。
それは証言後の落胆する様子と、八つ当たりに近い粗暴な態度に豹変したことから如実に伝わった。
(言えるわけないだろ……)
果たして、『星約の刻間』で見た〝魔女〟ソラノアは、果たして今日一緒に食事をしたソラノア・リスフルーバと同一人物なのだろうか。
もしそうだとすれば、宗太が元の世界に帰るため『魔法』を掌握するための条件は……
――夢。
今朝見た、それ。
それが、脳裏にこびりついて離れない。
あれはただ単なる夢。
脳が記憶と心理から描いた妄想だ。
が、それは現実に侵蝕する内容であり、避けたいと願う結末そのもの。
そこで、改めて宗太はその疑問が湧いた。
(……ソラノア・リスフルーバ。彼女は、何者なんだ……?)
ソラノア自身ほとんど語ることのなかった、彼女の出生から今日に至るまで。
『私は恐らくは十六歳くらいかと』
ソラノアのその一言で、どこか触れぬようにしていた彼女の過去。
それに直面すれば、この異世界の中に在る唯一の日常さえも崩れ去ってしまうかもしれない。
だがもう、そうとは言っていられなくなった。
最後の楽園だと思っていたこのささやかな日々も、初めから滅びていたのかもしれないのだから……




