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たとえ我が願いで世界が滅びようとも  作者: pu-
第十章 望みが消えた時、霧は真実を映す
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6.凡夫の選択

 ――高級そうな茶色の革のソファ。


 それが宗太の目に飛び込んだもの。

 真ん前に鎮座するそれから視線を外すと、背の高い本棚が多く並ぶ。そのどれもがびっしりと埋まっていた。

 背表紙の文字は読めず、また意味も分からない(・・・・・・・・)


(アルトリエ大陸の文字は読めなくても意味は分かるのに……)


 視線を映すとタンスの上にレコードとラジオ。すぐ近くには小さな机があり、筆記用具にタイプライターなどがある。

 壁面には絵画がいくつか存在し、風景画や人物画。あとは実に芸術的過ぎて理解に苦しむ抽象画も。


(誰かの書斎……か?)


 木製、木目、茶系統で統一されている、ごくごく普通の部屋だ。

 その中で唯一、部屋の端にある白銀の小さな円卓は一際は異彩を放っていた。

 特に何かが置かれているわけでもない円卓。なんとなく覗いてみるが、これといって変わった点はない。強いて挙げるなら、表面に傷一つついておらず、やや眩しいくらいか。


「なんなんだ、ここは……?」

「私の部屋――というよりは、我々の隠れ家の一室とでも言っておくべきかな?」


 独り言のつもりだったが、背面の扉から出て来た老人――アレクセイ・ロンキヤートが丁寧に返す。

 宗太はすぐさま振り向き、老人へと詰め寄る。


「お前は何者だ!? あの光景の何を知っている!?」

「説明したところで君は知らないさ。君に最も関わりがないが故に、私が来たのだからね」

「もったいぶってないで言えよ!」

「おいそれと言ってしまえば、計画に支障が致しかねないからね」


 老獪というわけではない。が、それでも何を言ったところで、のらりくらりと否定されることはもう分かった。


「……力づくでもいいんだぞ?」

「老人をいたぶる気かい?」

「普通の老人じゃねぇんだろ?」

「確かにそうだ」


 ハッハッハッと笑う老人は宗太を嘲るのではなく、純粋にツボに入ったようだった。

 ただ、その姿は隙だらけだ。仮に強化された肉体でなくとも、殴りかかればいとも簡単に倒せる――いや、殺してしまえる。

 だからこそ、この超常だらけの異世界に於いて、その姿は不気味で不可侵の領域に在るようだ。


「……何も面白くねぇよ」

「おっと、これは申し訳ない――ただね。君がその資格を手にした時、私が隠そうとしていることもすぐに理解できる。些末なものだったとね」

「その資格……」


 この老人は宗太が何者かであることを知っているはずだ。

 つまり、それが指していることは全ての『魔物』を倒して力を手に入れた時。そういうことだろう。

 とはいえ、はいそうですか、と引き下がるわけにはいかない。


「お前を知っている女は〝魔剣〟って言ってたぞ」

「まあ彼女はそう言うだろう。ただ君達に合わせるなら――〝レイス〟としておくか。蔑称でしかないがね」


〝レイス〟という単語を宗太は知るわけもなく、眉根を寄せる。

 老人は聞き馴染みのないことを察して話題を変えた。


「しかし、あの場所。あの瞬間――『星約の刻間』に入場したとは。君も『星約者』だったのかい?」 


 宗太には思い当たる節がない。

 無理矢理にでも絞り出すのなら、『魔物』が交わしたかもしれないとされる『魔法使い』との契約がそれだったはず。


 ただそれなら、わざわざ訊くだろうか?

『天使』と知り合い、〝魔剣〟とまで呼ばれたこの老人が『魔物』に関して知らないとは考え難い。

 宗太は記憶を遡る中で、一つの出来事に辿り着く。


(そういや、あの時……オルクエンデが俺を騙して身体を乗っ取ろうとした、あの時。確かにあいつは星約って言ったな……)


 オルクエンデ当人に訊ねようとしても、『無望の霧』に入って以降こちらの呼びかけにはまるで反応しない。いつもは口うるさく癖をして。

 それこそ、自分の中から消え去ってしまったかのようだ。


「〝魔剣〟の時空干渉能力に星約……果たして、それは偶然か? それとも誰かの差し金か?」


 宗太の脳内でとある人物(・・・・・)が合致した。というよりも、一人しか該当しない。

 それは同時に、また別の謎を生む。


 ――あの男は『天使』とは協力関係ではない?


「まあ私が訊いてしまったからだろうが、熟考は後にした方がいい。その円卓を覗き込んでご覧?」


 老人が示すのは、この部屋に似つかわしくないと思った白銀の円卓だ。

 言われるがまま見やると、表面に斑な模様が浮かび上がり、次々変化していく。


(絵? いや……)

「霧はすでに島を包囲しつつあるよ?」


 そこでようやく、ランゲルハンス島全体を遥か上空から眺めているのだと分かった。

 島を『無望の霧』が呑み込まんとすることも、また。


「残念だが、この場所にこれ以上いたところでメリットはないと思うよ? 何せ、君はこの『無望の霧』の終点に辿り着いてしまったのだから」


 まるでこちらの心を見透かしたかのよう。

 確かに宗太は、「戻らねば」と脳裏を掠めたと同時に「戻ってしまえば、ますます元の世界に帰る機会が遠のく」とも危惧した。


「……信じる根拠は?」

「もしこの先に帰るべき場所へと繋がっているのなら、とうの昔に我々は帰還している。それだけださ」


 老人の答えは宗太自身も経験した事実である。

『無望の霧』に彷徨った結果が、『天使』が『星約の刻間』と呼んだ場所への到着だったことは薄々感づいていた。


 ただ老人の発言で引っかかったのは、『我々』と口にしたこと。

 まず、その意味が『宗太と老人』を差しているのではないことは推測できる。『我々の隠れ家』と言ったことから明白だ。

 そして、この老人は〝魔剣〟と呼ばれ、『とうの昔に我々は帰還している』と発言したことから……


(……いや、確かめようがない。こいつは何も発言しない)


『天使』の従僕であるなら、どんなことをしても口を割ることはない。

 それは先程、充分理解したばかりだ。


「そこに触れるといい。その魔偽甲(マギカ)はランゲルハンス島に通じている。島の中で最も行きたい場所を願えば、それは自動的に君をそこへ(いざな)う」


 指さしたのは、海が描かれた絵画。

 油絵だろうか。上手いとも下手ともいえない塩梅の海が描かれている。


「とはいえ、無理強いはしない。この光景を信じるかどうか。島へと戻るべきかどうかを――何せ、君は選ぶ側に立っているのだから」

「選ぶ側……?」

「残念だが君は選ばれた人間ではない。ただ偶然、そこにいただけだ。この世界に於いて、〝魔人〟の力を得た以外に特別なものは一切ない」

「それは特別じゃないのか?」

「あくまでも特別なのは〝魔人〟の力だ。君の力ではない」


 憐れむわけでも嘲るわけでもなく、ただ事実を言う。

 そして、穏やかなまま続ける。


「だからこそ、君は選ばざるを得ない。もし強者で特別なら覇道こそが結果に繋がる。選択など必要ない。だが、力を得てしまっただけの凡人は別だ。選べる道の数など微々たるもの。それもその中に必ずしも正解があるわけではない。見出した一つを盲信し、常に選び続けなければいけない」


 意味深な言葉を並べ、核心には触れない。

 宗太に響くことはないが、それでもどこか胸に残る――というよりは、ちくちくと刺さり、気分はよくない。


「そして、選ぶとは責任を負うということだ。その咎は自分にしか返らない。ただ忘れてはいけないのは、罰は自分を取り巻く世界に影響を及ぼすということだ」

「……何が言いたい?」

「何、単なる老人のおせっかいな助言だ。説教でも構わない。好きなように汲みなさい」


 にこりと微笑む老人の意図はやはり分からない。

 話は終わったのだろうが、また長話をされても困る。

 老人に従うのは釈然としないが、今は戻れる可能性が高い場所に立つべきだ。それに戻って確かめなければならないことが多くある。

 たとえ、どんな困難な選択が待っていようとも。


「行くのかい?」

「ここにいても、帰ることはできないだろう?」

「そうだね」


 宗太は絵画の前に立ち、触れる。

 感触はいたって普通の油絵だ。


(最も行きたい場所……)


 その自問は真っ先に一人の少女の顔を思い出させた。

 しかし、それがどうして(・・・・)か。そして、どちらの顔(・・・・・)か。宗太はすぐに解答は出せず、また出すことを躊躇った。

 ただ結果として、絵画に星印が次々浮かび、穴が開いた。かつて〝魔人〟オルクエンデを召喚した儀式部屋のように。

 その中へと入ろうと一歩踏み込もうとした時だった。


「気をつけるのだよ」


 老人の労いに、宗太の足が止まる。

 ハッとしたと同時にゾッともした。


(俺は今まで、何を聞いていた(・・・・・・・)?)


 瞬間、宗太の視界が晴れた。

 追い込まれ、視界が完全に狭まっていたのだと知る。

 すると、身体は自然と後ろを向き、深々と頭を下げた。


「無礼の数々、すみませんでした」


 宗太が頭を下げたため見えはしなかったが、老人――アレクセイは突然のことにやや面を食らった。


「構わないよ。それを聞けただけで私は充分だ」

「ありがとうございます」


 顔を上げると、アレクセイはまるで孫に対するかのような慈悲に溢れた表情を向けてくれていた。

 きちんと見ていなかっただけで、もしかしたら初めからその顔をし続けていてくれたのかもしれない。

 宗太はもう一度頭を垂れたあと、開いた穴の中へ歩を進めた。


 かしこまったのは、自分がこの異世界の住人として、〝魔人〟として染まりつつあったことに気づかされたからだ。

 アレクセイが直接それを示唆したのかは分からない。

 ただそれでも、今は好きなように汲ませてもらおうと思えた。

 自分は元の世界に帰れば、ただの雪城宗太なのだと。

 その姿こそ、本当の自分の姿なのだと。


(それは絶対に忘れちゃいけない。忘れたくない――)


 それを胸の内に秘める。

 身体が完全に闇に包まれた。次の瞬間には、望んだ場所へと移動するだろう。


(――だけど、今はまだ〝魔人〟だ)


 意識的に、表情を『魔物』の一柱に相応しい険しいものへと戻す。

〝魔人〟オルクエンデの器たる雪城宗太として、アルトリエ大陸に帰還するために。

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