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たとえ我が願いで世界が滅びようとも  作者: pu-
第十章 望みが消えた時、霧は真実を映す
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1.霧の向こう

 進む。

 進む。

 進む。



 宗太は装備の重さ、煩わしさの一切を忘却し、ただ一心不乱に望む場所へと『無望の霧』の中を彷徨う。

 視界がほぼゼロの霧の中では、時間が経つに連れて進んでいる方向に自信がなくなっていく。その時間感覚でさえも、曖昧なものになっていくが。


 宗太の足を止めない唯一は、その胸にある願いを叶えるため。

 今にも崩れ落ちてしまいそうなほど脆い望みではあるが、この世界にただ一つ残る宗太を宗太足らしめているものはそれしかない。

 アルトリエ大陸の出来事の全ては、『元の世界に帰る』という願いが繋ぎ止めていたのだから。


 だがそれでも、本当に変えることができるのだろうか。

 このまま霧の中で息絶えてしまうのではないか。

 いや、死ぬことさえできず、永遠に彷徨い続けるのでは……


(違う!)


 いつの間にか俯いていた頭を振り、後ろ向きになる気持ちを振るい払う。

 一度息を強く吸い、肺に満たした空気の全てを出すかのように目一杯吐く。

 頬を叩き――防護服に阻まれるが――、正面を見据える。


「――っ!?」


 突然のこと(・・・・・)に、宗太は目を見開いた。


(どうなっているんだ……?)


 眼前に広がっているのは、一寸先も見えぬ白霧ではなく……


(……街?)


 小さな教会が真っ先に見えたあと、白と赤のレンガで出来た家々が続く。敷石の舗道が所々で見える。街路樹と街灯が等間隔で並んでいた。

 真っ白で何も見えなかった眼界が徐々に晴れ、そこからぽつぽつと建物が顔を出す。

 異世界よ言うよりは、ヨーロッパの町並みといった具合だ。

 霧で覆われた幻想的な街には人もおり、どこかに向かう者や買い物をする者、井戸端会議を行う者などなど。傍から見ればなんてことはない、日常のひと風景だ。


 が、その人間達の容姿は幻のように曖昧で、それこそ霧でできた人間のようであった。

 彼らが会話をしているというのは動作で漠然と理解できるが、声はかすかに音のようなものが聞こえるだけ。


 いきなりのことに狼狽しつつも、宗太は坂道を少しずつ上っていく。

 通りの人間は一人だけ防護服を装備して浮いるはずの宗太を、まるで見ようとはしない。

 その疑問も、彼らが宗太をすり抜けてしまうこと解決した。

 そして同時に、『無望の霧』の資料の一部を思い出す。


(ここが……深部)


 宗太が目を通した資料は、曖昧な表現ばかりで『無望の霧』の内部についてはほとんど記述はなかった。

 だがそれでも、この唐突な異変はそれ以外には考えられない。


(いくら切羽詰っていたとはいえ、口論をするより前にフェフェットさんに帰還者・第三五号以降の証言資料について訊いてみるべきだった)


 過ぎてしまったことを悔いても仕方がないし、そもそも話してくれるとも思わない。

 が、それでも試さないで自ら可能性を潰してしまったことは、反省してもし切れない。


(……それとも、それを話される前にフェイが始末した……?)


 もしそれが正しかったとしても、この状況を好転させるわけでもない。

 今はただ、願いを命綱に進んでいくしかない。

 全『魔物』を超越する何か。

『魔法』(イグドラシル・ロウ)の解明と掌握に繋がる何か。

 この精神をすぐにでも元の世界に戻す何か。

 その頼りないものを伝って。



 進む。

 進む。

 進む。



 石畳が徐々に薄くなり、別の模様が浮かび上がって来た。

 ただそれは苔なのだろうか。緑色の何かがまだらに並ぶ。

 霧の中を盲進すると、石畳はすっかり真緑の地面へと変わっていた。

 防護服越しに目を凝らすと、どうやらところどころ微妙に変色している。


(……いや……何かが動いている?)


 違和感を確かめるため、宗太はゆっくりと屈み――伸縮性を極限まで殺している装備のせいだ――、地面を覗き込む。


(――っ!?)


 思い込んでいたものを別角度から再認識した瞬間、真実が唐突に姿を現す。

 同時に本能的に感じた恐怖に、宗太の下腹部が縮こまる。


(森だ――森を真上から見ている(・・・・・・・・)んだ)


 そして自分は今、その真上――空中に立っている。

 地面がなくなりパニックになりかけるが、落下はもちろんのこと浮遊感もまるでない。そもそも屈めていることから、透明な地面の上にいるのだろう。

 ぎょっとし、やや激しくなった呼吸と鼓動を深い呼吸で整えた。

 改めると、木々の葉が風で揺らぎ、そこに棲む鳥がどこかへと羽ばたいていた。


(まあ、結果が分かれば問題はないな……)


 立ち上がるため、まずは片膝立ちになる。

 よっこいしょ、と胸中で呟きながら成り行きで正面を向くと、


「なんっ――!?」


 真正面に海が広がっていた。

 垂直に。

 まるで壁のように広がる海原は、水面が太陽の光に反射して眩しい。

 小魚の群れが跳ね、それを大型水棲動物が追う。そこから少し離れ、蒸気船が往来していた。

 迂回しようにも上下左右の遥か彼方まで海は続き、水平線は霧に覆われて分からない。

 呆然と立ち尽くしかない宗太。

 思わず振り返ると、先まで進んでいた道は濃霧に阻まれ、閉ざされている。


(考えろ……こんなところまで来たんだぞ! 後戻りなんかできないんだ……)


 この『無望の霧』の情報など、ほとんどないと言った方がいい。

 それでも思考を止めるとはしない。

 何かあるはずだ――いや、あってくれ。

 願うように手を組んで宗太は瞑目し、頭をフル回転させる。


魔偽術(マギス)で吹き飛ばすか……)


 単純で自分が最も簡単に実行できる解決法だ――が、その案はすぐに立ち消えた。

 何せ、ここは『無望の霧』の内部なのだ。

 そんなところで高出力の、『魔物』の魔偽術(マギス)を使えば、内外にどのような影響が出るか想像すらできない。


(なら何がある……? 今の俺にもできる、何が……)


 事前の情報の乏しさを補うには、この『無望の霧』での実体験で埋めるしかない。

 ただ前進し続けただけの行程であったが、その中の些細なものでもいいので宗太は記憶を巡らせる――と、最初に着いた街で歩く人々が宗太をすり抜けたことを思い出した。


(……まさか)


 行く手を遮る海を見つめ……


(ここまで来たら、なんでもやってやる)


 宗太は意を決し、そびえる海原に向かう。

 視界は煌めく青に埋め尽くされていき、そこに棲む数多の生命が大きくなる。

 首長竜のようなものがちょうど目の前を通過したタイミングで、宗太は水面へと突入した。


 一歩、一歩……

 歩んでいけども、進み具合はまるで変らない。抵抗というものはまるでない。

 防護服を着ていて感覚は鈍感になっているかもしれないが、それでも水圧や水温というものが全くないというのは断言できる。


 深海へと潜っていく中で、見たことのない生物がいくつも目に留まる。

 海底へ向かっていると思いきや、時折太陽の光が入り込んで明るくなることがある。恐らくだが、進んでいる内に別の海へ移動しているのだろう。

 いくつもの明暗を経て着いた海は、アノマロカリスやダンクレオステウス、ルキゲニアなどの古代生物達が多く棲んでいる。

 似た形をしているだけで違う生物なのかもしれないが、そこままるでカンブリア紀の海のようだ。


 すると、その生命の合間を縫うように鉄の塊が通過する。

 最初は鉄色の巨大生命体か、もしくは潜水艦かと思った。

 が、それは明らかにロケットであった。

 攻撃兵器ではない。宇宙に飛び立つためのものだ。


 さらに海の底へ。

 光が全く届かない深淵の先にあったものは、星々の煌めきが散りばめられた宇宙であった。

 いよいよ上下も左右も分からなくなる。

 進んでいるのか戻っているのか。もはや判断ができない。

 それでも自らを信じて。足が向かう先こそ目的地であると信じる。


 そこからだ。

 そこから、この『無望の霧』の本性が露わとなる。

 宇宙空間に突如と生える、見たことのない白亜の彫像……のようなもの。

 足元からは見たことのない赤銅の煙突……のようなもの。

 後方に突如として現れたのは、時計の中にでも入り込んだかのような機械パーツの数々……のようなもの。


 前へと振り向き直すと宇宙は突如として終わり、小人でも住んでいるのかと思ってしまうような、ミニチュアに近い街並みが広がっていた。

 それも瞬きをする前に、次の光景へと変異する。

 宗太に対して直角に身体を向ける人々。足元から登って来る未知の生命。

 見たことのあるようなものは数々あれど、どれも宗太の知識のどれにも当て嵌まらない。

 さっきまでなかったものがあり、さっきまであったものがなくなっている。


 場所もさることながら、時代も滅茶苦茶。

 進めば進むほど混沌は様相を増し、脳では理解できない形状の『何か』がいくつも、いくつも続いていく。

 しかもその『何か』達は時には間を縫い(・・・・)重なり合いながら(・・・・・・・・)偏在している。有機物や無機物の一切を隔てることなく。全ての物質の境界(・・)を無視して。

 この理解不能の空間において、正常を保とうとするのは精神的な負担がかかる。

 この世界を受け入れた瞬間に、気が狂い、さっきまでいた自分が別の『何か』に変わってしまいそうだ。



 進む。

 進む。

 進む。



 何分経過したか分からない。何時間かもしれないし、何日なのかもしれない。

 とにかく。とにかく歩んでいく。

 伝承に、資料に綴られていた以上の異常と混沌と無秩序が、まるで無間地獄のように宗太の心に苦痛を与える。

 どこに繋がっているのか。

 どこに辿り着くのか。

 まるで分らない。

 歩数を重ねれば重ねるほど、終わりの見えない行進に不安が増幅する。



 進む。

 進む。

 進む。



 狂気の空間ではあるが、それだからこそ宗太の中の希望は潰えることはなかった。

 様々なものが次々に現れる、この場所。


(だからこそ、いつしか元の世界も現れる……)


 もはやそれしか、今の自分を支えるものはない。

 呪詛のように何度も何度も自らに言い聞かせ、その心許ない支柱を折れまいとする。 



 進む。

 進む。

 進む。



 帰りたい元の世界を目指して。



 進む。

 進む。

 進む。



 なんの変哲もない、いつもの日常を目指して。



 進む……

 進……む……

 す……す…………む………………



 煩雑した空間が徐々に凄然とし始め、霧が濃くなっていく。

 本当に終わりがないのかもしれない。

 希望は残っていても、心に纏わりつく闇は拭えないどころかより浸透してくる。

 不安は募り、宗太自らが形容し難い、想像したくはないものへと変えていってしまう。限りない最悪の想定をしてしまう。

 白い霧に包まれているというのに、ここはまるで暗黒だ。


 思考も徐々に朦朧となり、それこそ脳内にさえ霧がかかったよう。

 白い世界が続く中で、ふいに突然の痛みが両目に走った。

 反射的に目を瞑ると、瞼の裏に線の残像が一本映る。

 そこで、その白が霧ではなく……


(光……?)


 おぼろげだった光景がゆっくりと鮮明になっていき、やがて蛍光灯の光だと分かるようになる。

 周りをより詳しく調べようとしたが、身体が全く動かない。

 眼球も動かず、視野は完全に固定されている。

 そこから得られる情報は僅かだが、天井や両端に僅かに映るカーテンなど、白が目立つ空間だ。


(……病室か?)


 漠然とだが把握はできた。

 だが、先程までの干渉されない不可解な空間とは真逆の、完全に拘束された新たな空間は、これから宗太に何をもたらすのか。それはまるで予想できない。

 他に情報は得られないかと意識を足の方へと持っていくと、その顔(・・・)が映った。


(――母さん!?)


 こちらの反応に対してかは分からないが、母が顔を覗き込んで来た。

 元々、元気溢れる方ではなかったとはいえ、すっかりやつれている。

 その後ろから、もう一人現れた。


(……父さん)


 能天気というほどではないが楽観的な父でさえ、難しい顔をして項垂れている。らしくもない。

 時間も曜日も日付も分からないが、二人が揃って病室に来ている。それもかなり心配させて。

 雰囲気から、入院したのが昨日今日ではないというのは如実に伝わって来る。

 恥ずかしいが、自分がどれだけ愛されているのか。胸が締めつけられるほど強く分かった。

 と、そこでようやく気づく。


(そうだ……)


 今いる場所。

 見ているもの。

 感じているもの。

 意味するものは……


(そうだ。帰ることができたんだ)

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