2.『天使』の従順なる下僕
(なるほどな。通りで【千星騎士団】のランゲルハンス島遠征に対して、使徒議会がしゃしゃり出なかったわけか)
ランゲルハンス島で起きたさらなる異変に、真星皇ジアスユエ・ザナハフューザ=エレルは、誰よりも客観的に状況を整理する。
疑問は多くあるものの、それでもいくつかの謎は解き明かせた。
その一つが、今作戦における使徒議会の不自然な態度だ。
星都には、建国より以前から使徒議会という組織が存在する。
遥か昔から歴史の裏側で暗躍する結社の一つであり、黎明期の星都を支え、現在の基盤造りに一役買ったこともある。
だがそれも、こちらに恩を売るためでなく、ひとえに『天使』が遺したという御言に従ったが故である。
また『魔法使い』の暴走により『天使』が実在として降臨してからは、御言のままに『魔法』の完全再生に日々、奔走している。
(とはいえ、組織も巨大化してしまった。創立理念を掲げるだけで、抱かぬ者も増え始めたわけだ)
彼らが真星王派及び、その直下に配属する【千星騎士団】に反目しているのだから、頭痛の種に他ならない。
そのため、『天使』からの御言――つまり世界の裏側に潜む情報はまともに渡されない。常に使徒議会がアドバンテージを取れるよう制御されている。
(それ故につけ入る隙もあるわけだが……)
今回は完全に後手に回ってしまっている。
まず何より〝ゴースト〟の不明確な暴走によって、【ローハ解放戦線】とのランゲルハンス島実効支配を早期に放棄せざるを得なかった。
それも『天使』が裏で手引きしていたのか。そして作戦立案時には、すでに『天使』の勅令を使徒議会は受けていた……?
(……とも思えるが、星隷召喚はどういうことだ?)
低位の星隷なら合点はいくが、現れたのは悪名高い月星隷シンナバクハクだ。『魔物』とぶつかる危険さえあるのに、『魔法』の番人がそんな危険を冒すだろうか……
(なら……)
別の意志。
それこそ『天使』をも超越する存在の……
(だとすれば『魔法使い』しかいない。が……)
それもまた決め手に欠けるのは、そもそも元凶である『魔法使い』が現在にどこまで干渉しているか不明だ。
狂いに狂い、『魔法』が不全になった瞬間に、その存在意義を失って消滅したという『魔法使い』。
狂気の中で、未来を見通し、すでにこの事態を仕かけていた可能性も否めない。
何せ、世界を御する『魔法』の使役者だったのだ。それくらいできてもおかしくはない。
(これ以上は効果はないな)
島のコントロール――というよりは、方向性の調整程度だが――も限界であり、継続も必要性が薄れ出している。
それに多くの謎は、それこそ霧の中。といった具合だ。
「致し方あるまい」
ジアスユエはこの事態の終息に、重い腰を上げることにした。
◇◆◇◆◇◆
宗太の叫びに、他の者はただ戸惑うばかりだ。
伝承には記述されているとはいえ、『天使』の実在を俄かに信じられない者が大多数だった。
隣にいるソラノアでさえ、宗太に説明を求めている顔をしている。
しかし、宗太でさえ『天使』という確証はあれど、目に見えぬ化物の実在をどう証明すればいいか分からない。
だからこそ、天に向かってもう一度叫ぶ。
「どこにいる!? 姿を現せ! 口だけなら構わず霧に向かうぞ!」
《つくづく、君は計画に逸れようとしてくれるよ》
嘆息までもはっきりと聞き取れる、化物の声。
仕方はなしにと、『天使』は言葉を続けた。
《私は〝魔人〟オルクエンデが呼んだように、天壌を使役する者――『天使』だ。これよりこの島を制圧する。大人しく本土へ帰還しろ》
「まだ助けなくちゃいけねぇやつらがいるんだ! 邪魔すんじゃねぇよ!」
未だ姿を現さぬ『天使』の警告に、宗太は間髪入れずに叫び散らした。
《本音は違うだろう?》
「なんでも見透かしてるってか!? だったら分かるだろうが! 今しがた、ソラノアの前で覚悟を決めたんだ! お前が今、どこで何を見ているか知らねぇが進ませて貰う!」
退くことはないと見せつけるため、踏み締めるように一歩一歩を大股で進んでいく。
果たして、『天使』はどう出るか。
恐らく、この世界で最も力を持つ怪物だ。想像を絶する何かを仕かけてくるだろう。
だが同時に、この世界の破滅を最も危惧する存在でもある。『魔法』に影響をもたらす大袈裟なことはしないはずだ。
(一体、俺は何と何を秤にかけてるんだろうな?)
小さく苦笑いをしてしまう宗太。
一方、周りの仲間達は相手の存在がどの程度のもの――最低限、人智を凌駕していることは把握できているが――なのか判断がつかぬ以上、人外である宗太に全てを任せていた。
固唾を飲む中で、ザッザッと渇き切った地面を進む宗太の足音だけが響く。
《〝朽ち果てるバレイリオの腐〟ガウ・ヅゥイド・ハルナレゥ》
唐突に『天使』が発した言葉は、何を意味しているのか。
それを認識させられるのは、時間はかからなかった。
空を覆うかのごとく、巨大で複雑な術図式が浮かび始めたのだ。
そこを境に、円形の術図式の中央から、ずぶずぶと現れる肉塊が地へと千切れながら堕ちていく。
次々堆積していく醜悪な塊。誰もが、月星隷よりも遥かに巨大な物体に目を奪われ、言葉を失う。
表皮は忙しなく泡立ち脈打っており、召喚の経過途中なのか、それでもう形を成しているのかまるで分らない。
だがそれでも、遺伝子に刻まれた記憶がその存在を理解させる。
「……『魔法遣い』」
もはやそれを誰が呟いたのか。
そんなことはどうでもよかった。
何せそれは誰もが思い、
絶望したのだから。




