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たとえ我が願いで世界が滅びようとも  作者: pu-
第八章 混沌が広まる時、ふるいは理不尽にかけられる
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7.卑しき願い

《…………》


 沈黙を続けるオルクエンデ。ここまで覚悟が定まらないということは、よほど際どい賭けなのだろう。

 返答を待つ宗太に、ソラノアから〔オレイアス〕による通信が入る。


《ソウタさん。こちらの準備は完了しました。そちらの状況は?》

「月星隷に関しては解決方法がありそうだけど、そのあとの星隷擬体が正直、不安かな?」

《大丈夫です。成功します》


 間髪容れず、それでいてはっきりと自信を持ってソラノアが断言した。


《じゃないと、私、テッジと喧嘩した意味ないですし。それと失敗されると私の命も危ないんで、頑張って下さいね》

「上げてからとことん落とさないでくれよ……」

《ソウタさんなら成功するって信じてますから》


 顔こそ見えないが、ソラノアのいつも向けてくれる柔和な笑みがはっきりと映った。

 それは宗太に勇気を与えてくれる。


「期待に応えなくちゃね、ほんとに」


 月星隷シンナバグハクの召喚という最悪の事態の終息策はもはや、この星隷擬体の成功の他ならない。

 失敗すれば、死以外の安息は残っていない。


(そんな状況まで来ちまっているわけだが。さて。覚悟は決まったか?)

《なんで、どうなるか分からないお前が乗り気なんだ?》 

(他に思いつかないし、時間がない。だから賭けてみろよ、俺に。俺はお前に賭けてんだぞ?)

《そこら辺の人間なら低位の魔偽術(マギス)で充分だが、相手は星隷――よりによって月星隷だ。生半可な術じゃないぞ?》

(とことん脅されたところで、俺には全く想像できねぇから怯えようもねぇんだよ。お前に任せるから、お前は俺に任せろ)


 そこから少しばかりの間が空く。

 宗太はオルクエンデの解答を待つ。だが、どう答えるか来るか。なんとなく分かる。


《……覚悟しろよ?》

(どんと来いってんだ)


 宗太は胸を打ち、月星隷を真っ直ぐ見やる。


《いいか! 魔偽術(マギス)とは世界を騙し、己の願いを信じ込ませる術だ。嘘なのだから限界も限度もない。自らが吐く嘘に不安を抱く必要はない。信じろ(・・・)!》


 そう断言し、オルクエンデが魔偽術(マギス)を組む直前の刹那。

 声が脳内で理解できるように、彼がどんな術を願い、叶えようとしているのか宗太にも垣間見えた。



 ――始まる。



「《汝が証明(ウモエャス・ギ・ズアニ)汝が構成(ウソエサ・ギ・ズアニ)融かし解して、(トスキナ・スキナ・)露わに表す(セヲリー・ヌヲリー)――》」


 オルクエンデの願いが、宗太の口を介して紡がれていく。


(――っ!?)


 そのたった一節の詠唱だけで、宗太は未だかつて味わったことのない頭痛に襲われ、気を失いそうになる。

 脳内で紡がれる構成は、数多の星印を何重にも立体交鎖しながら複雑怪奇な文様を描く。その膨大な情報を持った術図式が、前後左右、遥か彼方へと拡がっていく。

 さながらプラネタリウムにも見えるが、星々の数は闇の空隙のほとんどを埋め尽くす。


 眼球から脳へと送られてくる映像より、脳内で描かれる術図式へと意識が持って行かれる。

 もはや何を見て、何が見えているのか判断し辛い。

 目視で追う必要はないのに見開くあまり、瞳が渇く。

 それからすぐさま、急に景色が滲み始めた。激痛から来るものか、乾燥から来るものなのかはもはや分からない。涙の他に汗や洟、涎も流れている――もしかしたら、血なのかもしれないという恐怖が湧く。


 術図式が形を成していくごとに心臓が痛くなる。心拍数が早くなっていく。

 酸素に棘でもついているのかと思うほど、呼吸に苦痛が伴う。

 それでも宗太は、オルクエンデの願いを口にする。


「《――始まりは点(アト・ヒ・ルミズヒ)結するは線(アソ・ヒ・レセッコ)――》」


 前頭葉を握り潰されるような痛み。側頭部を刺されるような痛み。後頭部を焼かれるような痛み。

 穿たれ、押され、殴られ、掻き毟られ、引っ張られ……頭の中で形容し難い無数の感覚と痛みが暴れ回る。


 何もかも諦め、投げ出したくなる。

 この状況を作った全てを恨みたくなる。

 目を瞑り、倒れ、そのまま死んでしまった方がマシだとさえ思えてくる。


 ――その誘惑さえも、オルクエンデの術図式は塗り潰す。


「《――広がりしは面となり、(ルニナーモ・ヒ・スルギワフ・)緘した時には真と成る(レニナース・ヒヌクナ・チスアキ)――》」


 宗太の脳内を支配する術図式は、どれだけ学ぼうが、理解しようが、この域に達することができるとは思えない。

 だがそれでも、莫大な構成の最終点は同時に、始点でもあるのだ。

 術の始まりには願いがあり、その結果が世界を偽る。


 願いそのものを知っているのだから、術図式の結果を宗太には分かることができた。

 だからこそ、願いを諦め切れない。


「《――成した答えに(オチサ・チスニ・ヌ・)堪える術なし(スニボセ・レオチサ)解いた問いに(ウナ・チウナ・ヌ・)在る意義なし(スニグー・レイ)》」


 柏手を一つ鳴らすと、月星隷の周りに無数の文字と図式が現れた。

 それらが瞬時に多様な形に変容し――月星隷の存在構成を解いているのだ――、一〇秒経たずに存在構成の意味を瓦解させ始める。

 シンナバグハクの身体の一部は、大小様々な土屑のようなものと変質して崩れ落ちていく。


 だが相手は大きな質量を誇る怪物である。漂う月にクレーターの如く穴が次々開いていくが、破壊にはまだ遠い。

 魔偽術(マギス)の効果が終わり、脳内から術図式が完全に消えた瞬間、宗太は思わずその場に跪いた。


「おう。トム吉どうした?」

「いや、大丈夫だ……」


 術の最中、宗太の意識は何度も飛びそうになった。

 それでも留まることができるのは、オルクエンデの願いがはっきりと分かっているから。

 意識を懸命にそれだけに向ければ、人外の術図式は模様のように映るだけだ。


 とはいえ、視界がぐるぐる回って気持ち悪い。目を開いても瞑っても、眼球が忙しなく動いて目が疲れる。

 自覚できる程の発熱に加え、身震いするほどの悪寒がする。

 吐き気が収まらないが、休んでなどいられない。


(この後、星隷擬態の儀式があるんだろ……?)


 それを考えると、何もかも投げ出したくなった。

 何せ、星隷擬態の儀式は経験者のステファニーに『気が狂う危険がある』と、散々脅されているのから。

 宗太は自分の腕にしようとしている月星隷を睨む。

 それに怯んだわけではないだろうが、突如として月星隷が地に墜ちた。


「倒したのか……?」

《いや。今のは封印術でしかない》

(……ってことは、まださっきのような魔偽術(マギス)を使うんだよな?)

《だから言ったんだ――もう止めるか?》

(できるわけねぇだろ? 俺が言い出しっぺなんだからよ)


 なんて言い合っていると、いきなり地響きが始まった。同時に、地震のように振動が足元から伝わって来る。

 音の出所――月星隷の方を見やると、銀黄の丸いものが加速度的に大きくなっていく。それは徐々にだが、こちらの視界を埋め尽くさんとする。 


「あいつ! こっちに突っ込んで来てねぇか!?」


 月星隷の身体がある一定の大きさで止まった。

 だが、地鳴りの音量と揺れの増強具合から、接近しているのははっきりと分かる。


(あれだけの大きさ。質量を変化できるのか分からないけど、もしできないとしたら……)


 シンナバグハクは真後ろへと伸びている?――その予測が導き出された瞬間、宗太は新幹線と真正面からぶつかるイメージを抱いた。


《迎撃は間に合わない! 防御壁を張れ!》


 オルクエンデもそれを察したのだろう。

 真なる魔偽術(マギス)ではなく宗太の術を選んだのは展開速度と、今後の術の負担を測ってのことだと察した。


「リーリカネット、しっかり捕まってろ!」

「おっ。セクハラか?」


 引き寄せられたたリーリカネットに、どうしてそこまで余裕があるか。

 訊いたところで『怯えたってリーリカネットちゃんが太刀打ちできないのには変わりないじゃん? それならビビり損じゃん』ぐらいしか言わなそうなので、疑問は宗太の胸中にしまっておいた――これ以上頭痛の種を増やしたら、それこそ損だ。


「囲え!」


 頭痛が激しい状態での防御璧の魔偽術(マギス)は、宗太自身とリーリカネットを覆うのがやっとであった。

 吹き飛ばされるか――宗太は覚悟したが、突進する月星隷は障壁に阻まれるように中央から裂けた。

 真なる魔偽術(マギス)によって、その存在が脆くなっているからであろうか。

 だが油断できないのは、相手は〝万変の悪魔〟などという名を持っているということだ。


 黄色の巨体は傷つくことを厭わず真正面から突っ込み、横を通り過ぎて後方を突き進み続ける。

 終わりの見えない月星隷の通過に宗太は、『もし自分がいた世界に現れたらヨルムンガンドやウロボロスと呼ばれるかもしれない』なんて、オルクエンデの魔偽術(マギス)の疲労や痛みも相俟って、やや現実から目を背ける。

 それを許さないのは、シンナバグハクの身体が上へと伸び始めたからだ。


 宗太の防御璧を包むように、月星隷は身体を変質させる。

 ただそのドームにはまるで雨漏りのように所々穴が開き、完全に覆い切れずにいる。


(圧殺か。それとも窒息させる気か……?)

《完全瓦解にはまだ時間がかかるが、その心配はない。今は封印術を徹底的にかける!》


 徹底的にかけるということはつまり、魔偽術(マギス)を少なくとも二つ以上は使うということだろう。

 宗太に少しばかり後悔の念が芽生えた。

 が、オルクエンデが構成し始めた術図式によって、そんな悔いもすぐに苦痛で考えることすらできなくなる。


「《根絶やし、(スユヂノ・)失い、(ウニスエ・)囚われ、(ロヲリナ・)雨経つ身(ムテチエ)生まれし必需の、(ハョズテフ・スロミエ・)去る鳥居縫い(ウネウルナ・レシ)》」


 宗太達を覆い出した月星隷の真上に、一四四個の鳥居のような封印錠が現出する。

 月星隷の身体に空いた穴を塞ぐように、一斉に封印錠が突き刺さっていく。

 鍵を差したまま封印錠が宗太達を中心に、月星隷を巻き込んで外側へと勢いよく飛んでいく。

 黄銀のドームは引き千切れ、封印錠が月星隷シンナバグハクを環状に縫い付けるように次々地面に突き刺さった。


 身体に穴を空けられ引き千切られてもなお、月星隷は暴れ狂わんとその身を震わす。

 それに対してオルクエンデは矢継ぎ早に魔偽術(ねがい)を構成し、宗太はそれを現実のものとするために世界を騙し続ける。


「《重々たる十従(エョスエョス・レチエョスエョス)戎蹂なる住中(エョスエョス・レニエョスエョス)――》」


 大小さまざまな円月輪のような枷が、月星隷を取り囲むように無数出現する。

 それらが縦横無尽に、封印錠の隙間から飛び出ている触手を切り裂く。


「《――円結天環(アキアトテコアオ)! 巡れよ、(ラロゲモ・)劃定の荊冠(アキウコ・ハ・ウトケキ)!》」 


 円月輪は荊冠のようなものに変化して月星隷を拘束し、外へと伸びていた棘が内へと刺さって留める。

 真なる魔偽術(マギス)による三つの封印術で縛られてもなお、月星隷の動きは完全制止していない。

 蠕動に近いその動きは、暴力を見境なく振り回したいようにさえ見える。


(なんか……ダジャレ多いよな。お前の)

《そんなことが言えるなら、強力な構成をやっても大丈夫だな》


 休む暇のない立て続けの魔偽術(マギス)に、宗太の頭痛や寒さなどはさらに酷くなり、睡魔さえもやって来た。

 だがそれでも、この三回で大体の感覚は掴めてきている。

 何に集中し、何を意識の隅に置くかということに。


《大規模の封印術を展開する。距離を取るぞ》


 宗太は、自分達を覆う月星隷をまじまじと眺めているリーリカネットに言う。


「リーリカネット。次の魔偽術(マギス)のためにシンナバグハクから離れる」

「命の危機じゃなかったら、汗だく汁だく男なんかばっちぃから触りたくないけど、しゃーなしだね」


 伸ばした手をしっかり握り返すリーリカネットの一言に、宗太は思わず固まった。


「なんでお前は、いちいち傷つけて来るんだよ?」

「いや。話と常識が通じて、それとなくリアクションしてくれる人外なんて滅多にいないじゃん? 勘違いして欲しくないけど、さすがに一般の人間には『こんなこと言われるの死んでも嫌だな』なんてこと言うわけないよ、このリーリカネットちゃんは」

「人間じゃねぇからって……お前、すげぇ滅茶苦茶な理由だな。俺がキレたらどうするんだ?」

「それで手を出すようなトム吉じゃないっしょ?」

「……まぁ……好意的に解釈とくよ……」


 独自の世界に生きている彼女の価値観はやはり分からないし、共感もしない方がよさそうだ。

 やっぱり訊くんじゃなかったと思いつつ、宗太は魔偽術(マギス)を構成する。


「んじゃ跳ぶぞ――《覇脚座(ケュクヒ)》!」


 一応、顔と汗を服で拭ってから、宗太はリーリカネットを抱き寄せ――彼女の表情が引きつっているが本心か悪意か……――、簡易魔偽術(マギス)を使って跳躍した。


(まぁでも、狙ったわけでも悪気があったわけでもなかった『人外』って言葉が、一番刺さったんだけどね……) 


 とはいえ、今は人非ずの『魔物』であることに専念する方が、より魔偽術(マギス)が扱えそうな気がした。

 月星隷を飛び越えて、それからさらに二〇メートルほど離れた場所で着地をし、リーリカネットを解放する。

 そそくさと離れる彼女を尻目に、宗太は一つ深呼吸をし、次の魔偽術(マギス)に備えた。


「《汝が罪(ムテ・ギ・ズアニ・)(ヒ・)曝された(チロシリシ)――裁きは(クビシ・ヒ・)すでに決している(レウ・トスッコ・ヌドセ)!――》」


 オルクエンデの声明により、神話領域内に隠された都市――〝裁きの氷〟クシェト・エクトの簡略法廷が蘇る。


(――って、そんな場所、俺は知らねぇけど)


 知らないが、オルクエンデの願いはその全て教える。

 そして理解する。すでに結審された刑の執行が始まることを。


「《――コルドラの罪柱(エョツージ・ハ・コルドラ)!――》」


 月星隷を囲むように、天から白亜のミストダイナモ製の円柱が次々降り注ぐ。

 それを破壊しようとシンナバグハクが無数の触手を振り回すが、現実化していないため通り抜けるだけだった。


「《――第四エルトの咎鎖(シエョク・ハ・エルト・アヤウヂ)!――》」


 翠銅の繁殖鎖(はんしょくさ)が月星隷本体と暴れ回る触手を巻き込みながら、柱同士を縦横無尽で結ぶ。

 シンナバグハクは外そうと暴れ狂うが、その動きを追うように鎖が増殖して絡みつく。

 動きを抑え込んだところで、最後の構成が始まる。


「《――最奥最下の縫合牢(キウシエカウシ・ハ・エワエザエナ)――ブロトゥエンの(ロミシカ・ヌ・サヒ)匣に収まれ(・ハ・ブロトゥエン)!》」


 止めの封印は空支樹(くうしじゅ)で造られた匣――いや役割としてはもはや棺だ――に、月星隷が収められるという刑だ。

 頭上に現れた、正方形の巨大な匣。それこそ月をもしまえそうなほど大きい。


 蓋が開くと、月星隷を呑み込むように収納する。

 完全に月星隷を収めると、蓋が綴じ、その口を縫い付けて二度と開かぬようにした。

 文字通り、空が落ちぬように支える大樹を使用して想像された匣は、世界が滅びてもなお残っていると伝説は告げている。


 月星隷を丸々入れた匣は、時折、内にいるシンナバグハクの暴走で微動するが壊れる気配はない。

 暴虐の限りを尽くしていたシンナバグハクにもようやく、その陰りが見えて来た。


(まだ嫌んなるくらい頭の中痛ぇし、吐きたくなるけど……大分マシになってきた……かな?)


 オルクエンデが何を願っているのか。回数を重ねるごとに、よりそれに意識を集中させられるようになってきた。

 すると、自ずと膨大な術図式が何を意味し、どう繋がっていくのか漠然とだが予測できるようになっていく。

 それだけでも、宗太の負担は毛ほどには楽になる。


「《集結せよ(ラソテコエョス)侵攻する闇に(ムユ・レセーサース・ヌ・)打ち勝つために(ヌモチ・テキスエ)――》」


 オルクエンデは無尽頁伝説の一端を紡ぎ始める――もちろん、宗太に『無尽頁伝説』という、仮想綴結次元での多元記憶の仮定収録概念自体さっぱり分からない。


「《――北雷の鯨(リズケ・ハ・ウリケマ)南氷の鷲(スヲ・ハ・エャフアニ)東方より流るるは(レレギニ・ルラエマエナ・ヒ)群蟻の蠢風(・エペアョス・ハ・グアゲ)――》」


 北の聖鯨がその巨体でブロトゥエンの匣に収まった敵を囲み、西の聖鷲が広げた翼で空を覆う。風のごとく現れた東の聖蟻団が、その圧倒的数で大地を埋め尽くす。

 紡がれる伝説になぞらえるように、月星隷の行く手のことごとくを疑似召喚された聖獣達は封じていく。


「《――孤獣の吠嵐よ、(ラーリウヒ・ハ・エョズサ・)西方に留まり(ルミバナ・ヌ・エマウソ・)愚者の足を止めよ(ラモナ・ン・スイ・ハ・ュスゲ)!》」 


 沈む太陽の番犬の一鳴きで敵対者を竦ませ、天を戦慄かせて嵐を生む。

 雷鳴を纏いながら吹き荒れる嵐は月星隷と動きを封じる聖獣達ごと包み、全ての反撃を内へと弾き返す。

 四つの封印術を使い、ようやく月星隷シンナバグハクの暴走は止まった。

 だが、これが終わりではない。


《大技を使うぞ! 覚悟しろよ!?》

(もう。なんでもかかってこいや!)


 やけくそ気味に宗太が叫ぶと、脳内にオルクエンデの最後の願いが描かれる。

 これもまた、無尽頁伝説の一端だった。

 遍宙白神ダミスアーが、自らが統治していた次元に染み込もうとした劫油侵次元を抹消した際の物語だ。


「《火を焼べよ(ラボケ・ン・フ)! 燃ゆる姿は波の如く(ケナザ・ハ・ムニ・ヒ・チギセ・レヨヤ)! 命の揺らぎ(グリヨ・ハ・ツハウ・)(ヒ・)凪の如く(ケナバ・ハ・ムニ)!――》」


 描かれる術図式は美しいほど精密だが、暴力的な意味を覗かせる。

 視界が暗転する。途端、真っ白に染まった。

 気を失ったわけではなく、術図式が宗太の視界を埋め尽くしていたのだ。


「《――聖光白輝(クッヒエサウソ)――》」


 脳内に展開される術図式は、これまでのどれよりも広く、複雑で幾層にも及んでいる。


「《――塗り潰せ(ソベテルネ)――》」


 星印が様々な色を伴って一斉に発光する。

 全ての光は瞬く間に混ざり合い、再び純白の世界を創造させた。


「《――神閃天煌(エサートアソアス)――》」


 白く染まった世界に黒い真正なる炎が一つ、音もなく天を突かんばかりに昇る。火の元にいるのは、月星隷シンナバグハクだ。

 宗太の視界に在るのは、後続詠唱によって構成される術図式と黒炎だけ。


「《――常闇の如く(ケサザ・ハ・ムユサナ・)視界を染めろ(ワモタ・ン・ウキス)――》」

 

 詠唱に従うように、太陽が沈んだかのように周囲が暗んでいく。

 いや、一条の炎から巻き上がる月星隷の灰が、純白の空間を覆い始めたのだ。


「《――暁火陽星(ウソエヤキエャグ)神焔(アオアス)火悪(ケイキ)天葉(エヤート)冥根(アサウモ)流留空溢(テウエケレレ)――》」


 炎で焼かれ、無数の灰燼となって白い世界に漂う月星隷の姿は、まるで紙面に書き留められる文章のよう。


「《等しく(ケスナフ)正しく(ケスヂチ)一片の違いなく(ラソケャスアホ・ケニウギチ)変色せよ、(・ハ・アポッウ・)黒白なる灰へと(ナホ・アヒ・レニケュブケサ)――》」


 やがて宙を舞う灰ごと白い世界が、宗太の目の前で収斂していく。何かを形作りながら。

 それが大きな本だと気づいたのは、術が最終過程に入った時だった。


「《――全事万記の一文と成れ(ロニ・ナ・アビツー・ハ・クアビズアゾ)》」


 灰燼の全てが現れた全事万記に収まると、本は閉じて世界に溶けて消える。

 封印術は跡形もなく消え去り、宗太とリーリカネットの周囲は草木一つ生えていない完全な更地になっていた。木々や山も、一定の距離を境に消失している。

 いや――


《そうなるように調整していたとはいえ、ここまで魔偽術(マギス)を直撃させてもあの大きさまで形を保っていられるとはな……》


 更地の真ん中に唯一、月星隷シンナバグハクは生き残っている。

 とはいえ、月の如き大きさは今、両腕で抱えそうなほどの岩と成り果てていた。動く気配はまるでない。


「ソラノア。月星隷は完全に沈黙してる。やるなら今だ」

《分かりました》


〔オレイアス〕の向こうから聞こえるソラノアの返答に、一段の緊張が増す。

 汗だくになり疲労感が募っていく宗太は、これから始まる本番に挑むべく、両頬を叩いて気合いを入れた。


《ソウタさん、行きます! 儀式陣が星隷を中心に広がりますので入って下さい! 他に誰かがいる場合は早急に離れて下さい! 月星隷なので相当の広さになると思います!》


 その合図とともに、星隷擬体の儀式が開始される。


《満たされし光に、闇を刷新せよ。汝、億兆万化の化身なり。千変なれど唯一なり――》


 ソラノアの月星隷召喚の重複詠唱が進むと、宗太から見て真正面。光の迷宮があった方角のさらに奥から、膨大な星印が地を走って来る。

 それらは月星隷の体皮を這うように蠢きながら、展開されていく。


《――星王の元へ、十全を以てして百世を躊躇いなく降れ。さあ、愚かなる月の隷僕よ》


 まるで蜘蛛の糸のように張り巡り、詠唱の終了とともに術図式が完全に組まれた。


《しかし、星王へ傅くこと許されず――》


 間髪入れず、星隷擬体をするための術図式へと改竄するソラノアの後続詠唱が始まる。

 全ての星印が一度強く光り、ふっと蝋燭の灯のように消えた。

 月星隷を中心に影が地面に広がり、更地全面まで円形に伸びていく。


《――汝が奉公は新たな主君に。命脈は真なる王に――》


 影の中で星印が次々点灯し始めた。

 それらもまた立体交鎖し、月星隷シンナバグハクを象る術図式を浮かべていく。

 その改竄後続詠唱の途中。今度は宗太――いや、オルクエンデなのか?――を象る、シンナバグハク以上に複雑で膨大な術図式が影の中に現れる。

 足元の闇に浮かぶ二つの術図式。まるで宇宙を見下ろしているようだ。


《――誇るがいい。汝、王の『(かいな)』となりて覇道を掴むことを許された》


 だがそんな情感に浸っている暇もなく、詠唱が完結する。

 二つの術図式が周りの星印から伸びる線と結ばれ、交鎖した。


(――ぐっ!)


 瞳が痙攣する。身体の内側に走る疼痛に、宗太は背骨が折れんばかりの勢いで仰け反る。

 オルクエンデの魔偽術(マギス)を使った時とはまた違う脳の痛み。

 脳が血管を伝って身体中の穴から溢れ出し、地面を伝っていくようだ。

 流失していく自分の一部が、星印を神経の代わりにしているかのように、別の何かと繋がっていくのが分かる。

 そして、雪城宗太(オルクエンデ)と月星隷シンナバグハク、〔メガレ・シンタクシス〕によって紡がれた三つの術図式が一つの形となると――



「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」



 ――宗太の苦悶の絶叫が、ランゲルハンス島に木霊した。

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