5.伝承の一端
ソラノアは儀式用の服ではなく、彼女の研究室で普段着へと着替え直した。
宗太もまた、ただでさえみっともなかったよれよれの服が、ボロボロへとランクアップしてしまったため、周りと変わりないシンプルな服へと着替えた。
どうやら、研究室に寝泊まりする際の共同の服のようだ。
白のワイシャツと綿のような肌触りのズボンとあまり格好良くはないが、特段お洒落に気を使う方ではなったので良しとした。
こちらの世界の言葉で『寝たら夢は見られる。だが醒めなければ叶えられない!』と、背中にでかでかと書かれている以外は。ちょっと真面目に書かれている分、余計に寒い。だからであろう、新品同様なのは。
仕方なく、宗太は上から白衣を羽織る。
「すみません。お待たせしました」
研究資材室から出てきたソラノアの衣装は白装束ではなく、巫女装束に若干の洋風テイストを足したようなちょっと不思議な服装だった。まぁ、簡単に言えば彼女によく似合う、可愛い服だ。
フードで末端が見えなかったが、彼女の薄紫色の髪は肩甲骨の辺りまで伸びていた。
(にしても、これに86が収まっているのか……)
その服からはあまり伺うことのできない、数値が表わす神秘。
「ソウタさん? 聞いていますか?」
「ごめんごめん。全く話聞いてなかった。全く話を聞かず、その服の構造を考えてた」
「実はここ、魔偽術の研究やっているんですよ、ソウタさん。で、その強靭な身体で、評価していただきたものがあるんです」
「あっ、なんでだろう!? ソラノアが心を開いてくれて、かついい笑顔を見られて嬉しいはずなのに超怖い!」
加え、それで悦びを得られるほど人間ができていないので、純粋に怖い。
「で、なんだったの?」
「待ち合わせの人と合流するまで時間がありますから、どこに行きますか?――って、言ったんです」
「そっか。じゃあ、デートコースはどこがオススメ?」
「というよりも、ソウタさんがこの世界のことを知るために、色んなところを回りつつ話をするっていうことですよね?」
「つまりはデートでしょ?」
「……もう、それでいいです」
呆れ果てたのか、ソラノアは深い溜め息を吐いた。
外へと出ると、今までいた施設の名がムーフリーク千星技術学院という名だということを知った。
階段を下りると、広々とした庭園へと続く。宗太の頭の中でパッと浮かんだのはタージ・マハル。所々に塔や建物こそあるが、中央を通る水路と並木はそれに似ている。
その庭でこの学院の人間であろう制服を着た者達が、穏やかな時間を過ごしていた。
時々、星座のようなものが浮かんだりすることから、魔偽術に関する何かの研究をしているのだろう。
様々な光景を視界に映しながら(軽くソラノアが施設や研究を軽く説明してくれた)長い石畳を進み、一際高い大楼門を潜る。
庭園の静けさとは打って変わって、人の往来が激しい市場のような場所へと辿り着く。
ソラノア曰く、一時間後にこの居住区の所定地で、テッジエッタ・マラカイトという人物との待ち合わせているという。
時間はそれだけしかないが、人生初のデートにはちょうどいいかもしれない。時が経てばたつほど、間抜けで格好悪い姿を晒しそうだから。
(でもまぁ、長い方がいいよなぁ……こんな可愛い子とデートできるなんて、もう二度とあるか分からないし……)
横を歩くソラノアを見ていると、こちらの視線に気づいたのか、振り向く。
その薄紫色の丸い目と合う。吸い込まれそうなほど、綺麗で魅力的なそれと。
「? どうしたんですか?」
「いや……」
見惚れていたことに気まずくなり、頬を掻きながら視線を外して誤魔化す宗太。
「いい加減、真面目な話してもいい?」
「最初からして下さい」
「いや、割とあれも真面目……はい。すみません」
「一つ忠告。謝り過ぎるの――」
「うわっ! 割と根に持つタイプだった!」
そんなやり取りに、二人はくすくすと笑い合う。
笑いが収まったところで、宗太はやや声を潜めて訊く。
「どうして〝魔人〟の力が必要だったのか。それを教えてよ」
「…………」
途端、ソラノアの顔が強張る。視線だけだが、周囲に警戒している。
「やっぱ、それとも他に聞かれたらマズイ?」
「はい。〝魔人〟の話自体はお伽噺に近い話になってしまうんですけど。それでも……」
「んじゃ、あそこら辺に行ってみる?」
指差すそこは、宗太の人生に於ける未踏の地。
カフェ。
しかも『お洒落なカフェ』だ。
白で統一された外装に、大きなガラス窓によって店の内装や様子がよく見えた。女性が多いが、カップルらしき男女もちらほら伺える。店員も客も若く、東京の渋谷や原宿辺りにありそうな感じだ。駅に降りたことすらはないが。
「えっ? でも……」
「ああいった場所は大抵さ、自分達の話で盛り上がってるから。よっぽどでかい声で話さない限りは、漏れることはないよ」
「……分かりました。時間もそうありませんし」
ソラノアは納得というよりも、自らに折り合いをつけたという感じだ。
いざ店に入ると、宗太はその華やかさと感敷居の高さ(宗太が勝手に感じているだけだが)に、少し尻込みをした。
入って早々に『異世界に来た感じだな』という間抜けな感想を抱くほどだ。
平静を装いながら、店員に案内された席へと着く――この時になって、ソラノアの奢りになってしまうことに気づき、宗太はばつが悪くなる。いくら彼女が『それくらいはさせて下さい』と微笑んでくれたとはいえ。
注文の品は思ったよりも早くテーブルにやって来た。
宗太が頼んだものはチーズケーキにコーヒー。異世界とはいえ、どちらも見た目や味は変わらない。チーズケーキだと思ったら、百舌鳥の早贄のようなものが出てきたらどうしようとやや不安だった。
ソラノアはショートケーキに紅茶。苺を残しつつ食べているので、横取りしたい悪戯心が芽生えるが、これ以上やると嫌われかねないので衝動を抑える。
ちらちらと視線だけで他の客や店員の様子を伺うソラノア。警戒心はある意味、戦った雷星隷キュムケ並みだ。
それだけシビアな話なのだろうが、このままいるわけにはいられない。
「そう周り見てると怪しまれるよ? もっと楽しそうにしてさ。辛気臭そうに黙ったままだと、別れ話かと思われてむしろ耳を傍たてられちゃうよ? それに長居するわけにもいかないよね? 食べ終わった後もだらだら会話を続ければ、店員さんの白い目が向けられるし」
戸惑いはまだ残っているようだが、ソラノア頷き、話を始めた。
「私達が〝魔人〟を召喚したのは『魔法』を御するためです」
「そうだそうだ。その『魔法』ってのは、そもそもなんなのさ?」
ソラノアの父はオルクエンデを『物質化した『魔法』』と呼び、オルクエンデ自身は『『魔法』の一端を使役できんだ』と、その力を説明した。
「これは伝説やお伽噺も混ざっているかもしれないので、はっきりとした確証はありません。ですが、それらには『森羅万象の理を律する絶対の法』と書かれています」
「う~ん。要は、この世の全てを制御できる法則って感じ?」
「そうですね。ただ、法則というよりも方法のようですけど」
「なるほどね。で、『魔法』を支配して、好き勝手に世界を変えちまおうってのが目的?」
「結局はそうなんだと思います」
含みのある言い方したソラノアと宗太は見合う。
宗太はあえて逸らさず、彼女の答えを待つ。
ソラノアが戸惑ったは一瞬。再び進む先に視線を戻し、
「お父様は世界を外敵から防ぐために使うと言ってはいます。ですがつまるところ、世界の理を私達の意のままに変えてしまおうってことなんですから」
あの悪の塊のような男が、世界を救うとは俄かには信じ難い。
とはいえ、少なからずソラノアを始めとして、その言葉に賛同している者もいるのも事実だろう。
「でも、現在の『魔法』は一部の機能を欠落しています。それが物質化した『魔法』たる『魔物』です」
「で、それらを全て集めれば『魔法』の機能は戻るってわけか」
「はい。伝説ではそういうことになっています」
「それで、『魔物』はどのくらいいるわけ?」
「やはりこれも伝説なんですけど、一〇体と言われています」
「多いのか少ないのか、いまいち分かりづらいな……ちなみに、ソラノア達には俺以外の『魔物』の力を持ったやつはいるの?」
「……いえ。〝魔人〟オルクエンデのみです」
〝魔人〟オルクエンデと同等か、それ以上の敵か味方か分からないものがあと九体もいるのは、はっきり言えば不安でしかない。
しかも、最低一体は敵のようなのだから。
「でもさ、最初からそう言ってくれればよかったんじゃない? まぁ、それを信じて、かつ賛同するかどうかは別としてさ」
「そうですよね。すみません……私も、他の方々も、予想だにしてなかった事態だったので……言い訳でしかないですけど……」
「だぁ~、もう。そういう顔しない」
どさくさまぎれにやや身を乗り出してソラノアの両頬を引っ張ると、それは柔らかく、思ったよりも伸びた。
「まぁ、俺も責めるように言っちまって悪かった。そんなこと言ったって、しょうがねぇよな」
「それよりも、とりあえず離して貰えますか?」
「いや、触り心地いいし。もうちょ――うん。俺も離すから、ソラノアもフォーク離そ? ね? すっごい力入ってるみたいだし」
手を離し、宗太はゆっくりと椅子に座り直す。
ソラノアもそれに、フォークを置いた。
彼女の白い頬がちょっと赤くなってしまったことに、宗太は若干の罪悪感に苛まれた。
「ほんと! ソウタさんはすぐに調子に乗りますね! 戦闘になったらそういうのは危険なんですよ!?」
反射的に『ソラノアが可愛いからいけないんだよ』と、からかってみたくなる衝動に駆られるが、胸の奥へとしまっておく。
その言葉とともに。
(『万象の理を律する絶対の法』ね……)
店内の賑わい(というか、ほとんどソラノアの説教)を耳に入れつつ、宗太はそれを胸の奥へと入れ、刻んだ。