5.出入り口のない迷宮
――時は少し戻り。
〝筋肉しか愛せない悲しき女〟ステファニー・ジェイソンは、単独で島中を走る。
目的は〝魔眼〟ヨクトゥルヘヌワとの接触だ。
島の中央部に近い場所まで来たが、すでに幾人かの【ローハ解放戦線】と交戦していた。
(やっぱり、私達が〔天命の石版〕の情報を得るよりも早く行動していたってわけ?)
まるで発端の分からない現状。
この異変に誰かの意図が絡んでいるのか。
それとも、誰もが疑うから絡んでいるように見えるだけで、実際は誰の思惑もなく、ただ真っ直ぐに伸びているだけなのか。
(誰が言い始めたかよりも、誰から信じ始めたのか。それが割と重要よね?)
糸を辿るにはやはり、外部からの情報が必要だ。
少なからず、伸した数人の【ローハ解放戦線】は今の事態に困惑していたようなのだから。
(それも含めて。今、優先すべきことは〝魔眼〟との接触だと思うんだけどね……)
しかし、フェイは最も避けるべきことと評価している。
それでもステファニーは最善事項だと確信していた。
(一番避けることは〝魔眼〟との接触じゃなくて、敵対でしょうに!)
姿なき男に苛立ちをぶつける。
ただ、フェイが間違っているわけではない。むしろ現実から鑑みれば、正しさは彼に傾いているはずだ。
だから余計に腹が立つ。自分の不甲斐なさに。
フェイの全てを見通したつもりの、自慢面に。
と、目の前に半裸に腰蓑を纏った、妙な文様が身体中を埋め尽くす小太りの男が横切る。
『わっはっはっ! みんな騒いでるから私も意味なく騒ぐし、暴れるぞ!』
果たして、この〝ゴースト〟は敵か味方か。なんでもないか。
ランゲルハンス島という特地に於いて、敵はできるだけ作りたくない。
その不確かな〝ゴースト〟と目が合う。
『早速そこのムキムキ女! 私の異常な性癖の捌け口と――』
〝ゴースト〟の顔面を真正面から穿つ。
ちょうどいいところに来た八つ当たりの対象だが、ステファニーは特段申し訳なさを抱くことはなかった。
(とにかく時間が惜しい)
〝魔眼〟との交渉は難しいだろう。
最悪、こちら側は『魔物』が三体いること。その内に一人は〝魔剣〟を倒し、力を手に入れている。実質、一対四という構図を強調して、強引にでも屈させるしかない。
(ただ、相手だってそれを知っているはず)
故に、本来なら三人で行くべきだが、ユキシロがどう出るか分からぬ以上、それは賭けになりかねない。
(……そもそも、ユキシロとも正式に仲間になっているわけではないし)
考えれば考えるほど、問題は山積みだ。
しかも扱い方一つで、積み上げて来たものが簡単に瓦解する。加えて、やり直しがきかない。
(やっぱり私が甘いの? 『魔物』を救うなんていう、この世界の理に刃向うことが……?)
自信が揺らぐ。
今の今まで、何一つ思い通りに行ったわけではない。
だが『魔物』達の戦いが本格化してから、事態は悪い方向へと転がっていく気がしてならない。
それこそ、この世の理か、それとも大いなる意志か。はたまた世界の自浄作用かは分からないが、どうも『魔物』達に殺し合いをさせたくて仕方がないようにさえ思える。
(……いえ。そんなものじゃない。私達は『魔法』を機能させるだけの歯車の一つにしか過ぎない)
これは『魔法』を救うために『魔法』に逆らう戦いだ。
ステファニーが『魔物』との衝突を避けたいと思うのは、何も慈悲から来るものではない。
根幹にあるものは、自分が死にたくはないから。
他にも色々とあるが、結局はそれだ。
(死を願って生まれて来る者なんていないんだから! 誰だって本当は死にたくないはずでしょう!?)
死を願う者でさえ、本来は命尽きることに恐怖し、避けようとしているはずだ。
たとえ必ず訪れる、生命に定められた宿命だとしても。
(誰もが死にたくはないんだから、誰もが分かり合ってもいいでしょうに!)
自らの信念が折れぬよう、ステファニーは胸中で叫び散らす。
だがそれでも、心の隅では冷めた感情が巣食ってしまっている。
人が文明を手にし、欲望に手を伸ばせる以上、ただ生きるだけでは満たされない。
(そんなのを、今の私が考える必要はない)
と、草むらの向こうから、迫る足音が聞こえる。
いつの間にか迷い込んでしまう、出口のない堂々巡りを断絶するにはちょうど良かった。
目を凝らすと、遠くから三体の〝ゴースト〟が、槍を持って突貫してくる。
「またあんた達っ!?」
『我らが千年の恨みを知れ!』
〝ゴースト〟がわけの分からないのは今に始まったことではないが、それでも今の叫びは理解の遥か彼方だ。
ステファニーは後方に跳んで距離を開きつつ、半透明の塊――魔偽甲〔ツマラング〕を取り出す。掌大のそれは粘着質がある。
「《弾即散座》」
内側に星印の光が灯ると、自身と〝ゴースト〟達との中間辺りの地面へと魔偽甲を放る。
貼りついた瞬間、地面が弾け飛ぶ。
土塊は弾丸となってステファニーと〝ゴースト〟を襲い、事態はすぐに収束する。
(ダメージはないけど痛いから、あんまり好きじゃないのよね……何より汚れるし……)
ステファニーはこびりついた土の塊を払いながら、胸中で愚痴る。
残ったものは抉れた地面だけで、〝ゴースト〟は消滅していた。
魔偽術が効かずとも、魔偽術を介した物理攻撃は効果がある。しかも〝ゴースト〟自身の強度は大なり小なりあれど、まず改造人間の強化された肉体の足元にも及ばない。
(まぁ、たとえ改造抜きにしても、私の鍛えた筋肉を超えることなんてできないでしょう)
爆心地の中央にある〔ツマラング〕をステファニーが回収し、溜め息交じりに忠告する。
「……邪魔をするなら、容赦はしないわよ?」
肩越しに後ろを見やれば、そこからは【千星騎士団】の団員が一人、近づく。
それを敵対の意思表示と受け取り、ステファニーが正面を向く――まさにその時だった。
『殺せ!』
『殺せ!』
『殺せ!』
どこからともなく、草木を掻き分けて一〇体近くの〝ゴースト〟達が現れたのは。
それぞれがぼろぼろの鎧を纏い、剣や棍棒、斧などの武器を手にしている。
『故郷を焼いた蛮族を殺せ!』
『家族を奪った愚者を殺せ!』
『世界を滅ぼす化物を殺せ!』
口々にする台詞こそ近しいものがあるが、装備や年齢はまるで違う。
怒りが沸点に達したのか、〝ゴースト〟達は一斉にステファニーに迫る。
多人数相手に肉体を武器にするのは、ステファニーが最も得意とする戦いだ。
敵の攻撃を受けてもさほどダメージはない。一方、〝ゴースト〟はステファニーの一撃で消えるため、確実に殲滅している。
だた、次から次へと〝ゴースト〟達が音もなく現れ、攻撃の嵐が止む気配がない。
不可解な事態に、ステファニーは迎撃しつつも、様子を伺う。
(なんなのよ!?)
腑に落ちないことが次々に発生し、ステファニーはいい加減、嫌気が差し始める。
今回のおかしい点の一つ目は、不可触の〝ゴースト〟ならともかく、明らかに物質化しているのだから移動音や気配を察してもいいはずだということ。
そしてそれは、二つ目の疑問へと繋がる。
(たった今、現れたっていうなら、どうして私に敵対して【千星騎士団】にはそれを向けないわけ?)
〝ゴースト〟に関する基本情報に、『消滅した〝ゴースト〟が再度現出した例はない』とある。記憶や意思を引き継ぎ、姿を変えたという報告もない。
新しく生まれた〝ゴースト〟は自らの過去の知識――正しいかどうかは別として――こそ持ち得るが、現在の知識や情報はない。
なのだから、強い怨嗟を平等に撒き散らしてもいいはずだ。
(〝ゴースト〟を操っているとか?)
その仮説通りなら、出現した瞬間に洗脳または扇動しているということか。
(ほんと! 答えが見えない問いばっかで!)
だが所詮は全て、状況から割り出した想像でしかない。
しかも敵はこちらの悩みなどお構いなしに、攻撃を仕かけてくる。
(ああ、もう!)
ステファニーは怒り任せに、刺又を構えて真っ直ぐ迫る〝ゴースト〟の顔面に、跳び膝蹴りを食らわす。
瞬時に散る〝ゴースト〟の残滓がまだ残る中、ステファニーは宙で真横に開脚する。
勢いそのまま、後ろで構えていた二体の〝ゴースト〟の首を狩るように衝突し、消滅させる。
(もう、これでいいや!)
何も考えずに一掃する。
それが性に合っている。
〝ゴースト〟の発生、及び敵対理由などもう、考えたところで分からないのだ。
ならもう、その悩みごと物理で片づけてしまおう。
『殺せ!』
『殺せ!』
『殺せ!』
迫りくる憎しみを纏った凶器の数々。
ただそれが、剣だろうが棍棒だろうが。その強度は〝ゴースト〟自身と同じだ。
堅固な拳を突き立てれば、もろとも霧散する。
鬱憤を晴らすようにステファニーが反撃する最中、〝ゴースト〟達の隙間。木々の間から光が漏れる。星印が発する光だ。
ステファニーがすぐさま駆け出したのは、その魔偽術の構成があまりにも悍ましいものだったため。同時に、その先に待っているであろう得体の知れないものを確信したから。
「《殉捧唱座》!」
木々と〝ゴースト〟の中に姿を隠す騎士団の男が、自身の胸に短剣のようなもの――魔偽甲を刺すと、身体中から光が溢れ出す。星印が灯す同じ色を。
そして、祈りを捧げるかの如く手を組む。
血走る瞳は、神への陶酔か。
「連なれよ星々――」
ステファニーは魔偽術が完成するよりも早く、〝ゴースト〟達を振り払いながらこの場から逃げ続けた。もはや、その構成を見る暇などない。
「――《斂黒呑座》」
光の粒子は騎士団員の腹の辺りに集中すると、黒く変色し、目を凝らせば辛うじて見えるほどの一点となった――ただ、もはや自分が進む方向しか見ていなかったため、その状況をステファニーは分からない。
走る中、ぐんっ、と背中を引っ張られるような錯覚が――!
(――錯覚なんかじゃない!)
音もなく、後方からとてつもない勢いで吸われている。
そしてすぐに、音さえも吸われていることにも気づく。辺りのものが崩壊しても、その破壊音がまるで聞こえないのだ。
それどころか、まるで瞼を塞がれたかのように、視界が真っ暗になった。
(まさか光まで吸っている!?)
俄かには信じられないが、確認する余裕はない――そのステファニーの推測通り、男の黒点目がけ、周囲にあるものだけでなく光や音さえも収斂していた。
いくら『魔物』とはいえ、高等魔偽術をまともに喰らうことは、場合によっては致命傷に繋がる。そして、その『場合によって』は今のことだ。
ステファニーは詠唱する。
「不壊の河。不滅の雫――!」
星隷の解放はできるだけ秘匿しておくべきだが、もはや背に腹は代えられない。
加えて間に合うか際どいが、これの他に逃げ切ることは困難だ。
「――千変の海から脈々と流れ、無限なる一滴を絞り落とす――!」
今自分が前に進んでいるのか。立ち止まっているのか。それとも後退しているのかさえも分からない。
また、闇の中で吸い込まれる樹木や地面、岩などが捲れ、砕けたものがステファニーを強襲するため、回避できず防御するしかない。
ステファニーの鍛え上げられた肉体(改造も含む)はそれらで壊れたり、バランスを崩すほど脆くはない。が、当たり所が悪ければ、あっという間に後ろの何かに呑み込まれる危険は拭えない。
瓦礫が吹き荒れる影響で〝ゴースト〟達の姿が巻き込まれ、消滅しているため、妨害の心配は薄くなっている。小さな救いでしかないが。
「――天空に滲み入れよ、愚かなる水の隷僕――!」
術図式の完成は見えているが、確実に引かれているのが分かる。
一歩一歩、それこそ地に脚を、杭のように打ちつけるつもりで歩まなければならないほど。もはや進んでいるのではなく、その場で踏ん張っているだけだ。
「――やがて星王へと降るがいい!」
袴の下の脚が水星隷キーヒガウゥへと変質し、不定形のそれらは細い針となって一帯を張り巡る。
太い幹や持ち上がりそうにない巨大な岩に根を張るが、それごと呑み込む魔偽術には時間稼ぎにしかならない。
(これまで使ったら、フェイになんて言われるのかしらね!?)
ステファニーは仰け反って敵を目視する。
視線の先に男の姿はない。いや、見えないが正しい。
瞳が開いていないのではないかとさえ思う漆黒に、〝魔炎〟の力を使う。
燃え上がる深紅の炎は黒の世界でも赤く昇り、存在を焼きつけるかのように埋め尽くす。
闇を包み込む赤い炎。だがそれさえも呑みこまんとする極黒は、蝕むように火を一点に集める。
(いくら断片とはいえ、こっちは物質化した『魔法』よ!?)
人間の魔偽術に対抗されることに、ステファニーは脅威を抱く。それは術者たる騎士団員にではなく、人間そのものにだ。
ステファニーは大きく深呼吸をする。
水星隷の触手をさらに広げて逃げながら、持久戦を覚悟した。
男の命が尽きれば《斂黒呑座》は止まる。
魔偽術の絶対的原則では、術を世界に誤認させるためには魔力がなければ継続できないのだから。
(だけどこの島に来てからの異常を考えると、その絶対さえ覆りそうよ!)
深紅の炎はさえも呑まれる。
一体、自分の能力はどれほど無力化されているのか。
(〝魔弾〟の能力なら楽なのにね!)
そんな愚痴を零している間だった。
闇さえも黒い一点へと収束していく。
(いや……これは……)
答えを出し終わる前に、闇は極点へと消えた。そして、何もかもを呑み込んでいた黒い点も、自身を呑み込んで消滅する。
そう。闇が呑まれたのでなく、晴れたのだ。
(……勝ったってことでいいのかしらね?)
星隷擬体を戻し、自らの脚で立つ。
炎を消すと赤く照らされていた世界に、日の光が差し込む。
戦闘の傷跡は、騎士団員を中心に半径二〇メートル前後を消失させていた。クレーターの深さは五メートルほどか。
中途に壊れた木々や岩、崖が音を立てて崩れる。
何もかもが消えた戦場跡を目の当たりにし、ステファニーはぞっとした。
何せ、敵は簡単に命をなげうったのだから。
ステファニーは一息吸い、心を平常に近づける。
一刻でも早く忘れ去るようにその場を後にし、駆け出す。
だが、忘却どころか脳内に嫌というほど、垣間見た術図式が焼きついてしまっている。
「あれは魔力の全てを開放する魔偽甲……?」
思わず口にしてしまう、その恐ろしく狂った内容。
そして、一つ分かったことができた。
(そんなものが造られている……)
ステファニーは技術の進歩を直面したのだ。嫌な話だが。
(私にしなかったのは、できなかったから……?)
何かしらの条件がない限り、今の魔偽甲は使用できないのだろう。少なからず、すぐには実行できない。
だがそれでも充分、脅威に変わりない。
(おまけに自分さえも殺せる魔偽術……)
魔偽術は自らの願望を、世界に偽る術法だ。
制御不良によって自らを死に至らしめることはあれど、自らの命を捨てることなど、本能的に望めるはずがない。それは魔偽術の基本前提だった。
――だが、それは覆された。
騎士団員の狂気の殉教はまるで、魔偽術に根底概念に抗うと同時、先のステファニーの考えを否定するかのようだ。
死を誉とでも言うかの如く。
「どこまで――!」
ぶつけどころのない胸の中に広がる靄を、大声を上げることで無理矢理吐き捨てる。
それでも気が晴れるわけでもない。
無性に泣きたくなるが、今はそれどころではない。
いつの間にか止まりかけていた脚を、意識して動かす。
(本当に、世界は戦争に向けて動き出している……)
空を見上げるが先の場所から離れているため、鬱蒼と茂る木の葉に遮られていた。
闇はとっくになくなったというのに、背後からどんどん迫ってくるようだ。
まるで暗黒から逃げるように速度を無意識に上げていると、ガサガサと乱暴に草木を掻き分ける音が横からする。
距離的には遠いものの、音の間隔からして鉢合わせるのはすぐだろう。
この島に獣は存在しない。一般住人もいない。
戦った【ローハ解放戦線】や【千星騎士団】とは打って変わり、現状を介さない雑な移動から考えると、可能性が高いのは〝ゴースト〟だ。
ステファニーはあえて気づかぬ振りをする。当然、音の出だけでなく一帯に気を張りながら。
あと数秒で接触する。
見た目では分からないが、先手を打てるようステファニーは身構えた。
「見つけたぞ、〝魔炎〟!――〝筋肉しか愛せない悲しき女〟!」
飛び出してきたのは、目を爛々と輝かせる少年。
本能が〝ゴースト〟ではないと警鐘を鳴らすと同時、察する。
それが敵であると。
それが常識を逸した異物なのだと。
それが自分ですら相手できるか分からぬ、最悪の脅威なのだと。




