4.少女、ソラノア・リスフルーバ
「敵を滅ぼす力はあるようだな」
ソラノアの父が玉座から立ち上がる。
その顔にはなんの感動もない。自分から嗾けたというのに、まるで興味がない。
「ノーグ・チェリオ。五日後。予定通りお前の隊を中心に〝魔人〟を使い、〝魔剣〟ビロゥガタイドを奪う。準備をしておけ。フェフェット・フェブラ。お前はこれ以降の予定を変更させ、『無望の霧』の調査隊に合流し、例の真偽を確かめろ」
「はっ」
「了解しました」
玉座の左右それぞれに立つ白装束の二人が声を発す。どちらがどちらかなのかは分からないが、両方とも女性であった。
ソラノアの父がこちらへと向かって歩くが、白装束達や宗太をまるで見ない。
近づけば近づくほど、宗太の心臓の鼓動が激しくなる。
もう何もすることはないと分かっていても、何かしらの恐怖は抱かざるを得ない。
そのまま真横を通り過ぎようかというタイミングで、視線がこちらに向いた。
「ソラノア。お前の処罰は追って伝える。フェフェット・フェブラの代わりに、テッジエッタ・マラカイトのところまで連れて行け」
「……分かりました、お父様」
「おい! 処罰ってなんだよ!? 罰する必要はあるのか!? 結果として、その子が〝魔人〟を召喚したろうが!」
ソラノアの返答から間髪容れず宗太が抗言する。
怖くないわけがない。身体も声も震えている。だというのに、どうしてもそれを口にしてしまった。
対し、ソラノアの父は立ち止まらない。だが去りながら返答はして来た。
「お前がさっき言ったばかりだろう? 失敗した儀式だと。その通りだ。それになんのため、それをここまで育てたと思う? 他でもない、〝魔人〟の器にするためだ」
そう淡々と告げると、一拍置き、突如としてソラノアの父が肩越しに振り返った。
しっかりと宗太と目を合わせ、はっきりと続きを言う。
「確かに、そういった意味では私の失敗かもしれないな。使えないものを作ってしまったという」
皮肉を口にしてもなお、その鉄面皮はまるで変らない。故に冗談とも本気とも取れる不気味さがあった。
そして、再び静かに靴音だけが室内に響く。
「あんた……」
「おやめ下さい! お父様の失敗などではありません! 全て私の力が足りなかったせいです!」
ソラノアが宗太の裾を摘まみ制止しつつ、父へと必死に叫ぶ。
これ以上突っかかるのは、彼女の立場を悪くしかねない。宗太に残された抵抗は黙ってソラノアの父の背中を睨む程度。
だが睨まれた当人は、もう一切の興味を示さない。
沈黙の中で男が壁に触れると、そこに光の粒が浮かび上がって連なる。と、壁に穴が開く。いや、開いたのか?
ソラノアの父はそのまま光の先へと姿を消す。
再び壁が閉まると、白装束達は各々動き始める。やや緊張感が解れた様子で。
「立てる?」
「はい……すみません」
手を差し伸べると、ソラノアはそれを支えに立ち上がる。
身長はそれほど高くはなく、宗太に比べて頭半分くらい低い。宗太の身長が平均身長並みなので、一五〇より高めくらいだろうか。
「でさ。君は確か、ソラノアでいいんだっけ?」
「はい。ソラノア・リスフルーバです。オルクエンデ様」
「いや、それ俺じゃないから」
宗太は手を振り、訂正する。
「俺の名前は、雪城宗太」
「分かりました、ユキシロソウタ様」
「様づけなんてやめてくれ。宗太でいいよ――いや……」
宗太は腕を組み、ソラノアの幼さが窺える顔を眺めながら、自らの顎を摩る。
日常に於いて髭の感触を指で確かめながら思考するのが、いつの間にか癖になっていた。
「ソラノア、君はいくつ?」
「私は恐らくは十六歳くらいかと」
「年下か……」
恐らくという言葉に色々と想像するが、今はそれに対して言及すべきではないだろう。
「じゃあ、宗太さんだな。うん。年功序列って割と重要」
「ですが……」
「いや。マジで様づけとか勘弁して。恥ずかしいし。それにむしろ、イジメられてるように思えてくるから」
「はい。分かりました、ソウタさん」
ソラノアはそれを命令と取ったのだろうか。どうも主従関係が拭えていない。
そういった関係性を好む者もいるだろう。しかし上下関係ならともかく、そこまでいき過ぎるのは、宗太にとっては慣れていないのも相まって居心地が悪かった。
とはいえ、今すぐにどうにかできるものでもないだろう。最低限、彼女にとって宗太は超人なのだから。
「でさ。まずはこの服どうにかできない?」
「そうですね。衣裳室に案内します」
穴だらけの服を引っ張り、宗太は誘うように苦笑いする。
しかし、というよりは、やはり、か。ソラノアは真剣な面持ちで返す。
(なかなか、上手くは行かないか)
ソラノアが壁に触れる。
壁に光の粒が浮かび上がり、星座のように連なる。ただ、ソラノアの父が通った時と文様は明らかに違った。
だが、それ以外は先程と同じように開いた。
「みなさん。処理をお願い致します」
白装束達に一度頭を下げると、ソラノアは外へと出る。宗太もそれに続く。
近づいて分かったが、開いたのではなく壁が見えなくなったようだ。そして、通るのではなくすり抜けて移動する。
通過し終えれば、自分が壁のどこから来たのかもはや分からない。
儀式部屋に繋がっていたのは、これまた本棚に埋め尽くされた部屋。室内を狭く感じるのは、天井まで埋まる本棚があるからというだけではなさそうだ。
本棚のほとんどは書類などをまとたのであろうファイルが入っており、ここが資料室か何かと宗太は想像する。
(文字は漢字とひらがなの中間って感じかな? なんとなくだけど読めるのは、オルクエンデの影響か?)
並ぶ本の背表紙には『星皇歴七〇〇~七二〇年降水量データ』や『星皇歴七二五年・農業資料』など。また棚プレートには『ローハ地区』や『チョイミキモ共同地区』。少し離れると『帝都政策』『【連星会】の動向報告』など様々。
と、ソラノアがロッカーから白衣を取り出した。
「ひとまず、埃から守るための白衣ですけど羽織っておいて下さい」
「ありがとう」
白衣を羽織って、前を閉める。やや薄汚いがボロボロよりは幾分かはマシだ。
「もしかして、出入り口っていっぱいあるの?」
「はい。でもどうして?」
「いや、ソラノアと君のお父さんが開ける時の壁の星座みたいな模様が違ったからさ」
「そうなんです。魔偽術によって出入り口を偽装しているんです。目的地以外にも、人目のないところに自動的に繋がるようにしたりもできます。私が今使ったのが後者です」
そう説明する彼女は少し嬉しそうにも見えた。
必要とされたことに喜びを抱いているのか。それとも単に魔偽術が好きなのか。どちらにせよ、そういった年相応の顔の方がソラノアには似合っていると宗太は思う。
部屋を出ると、この建物が学校のような造りであることを知った。
長く広い廊下にいくつもの部屋が並び、制服を着た大人や子供など幅広い年齢層の人間の出入りが多い。
「他にも気づいたことや分からないことがあったら、私に訊いて下さい」
「といってもなぁ。分からないことだらけだしなぁ……」
顎を摩りながらまず始めに思ったことが、髭剃りがどこにあるか、だった。休日だったので剃らずにいた。
横を並ぶソラノアの頭頂から爪先までを一通り眺め、
「ソラノアのスリーサイズは?」
「へ?」
まさかの問いにソラノアは立ち止まり、物凄い勢いで、それこそ首が取れてしまうのではないかと心配になってしまうほどの速さで振り向く。
だが、彼女は聞き間違いかどうか判断しかねている。無理もないだろう。いきなりの質問だ。
だから宗太は、真剣な面持ちではっきりと口にする。
「ソラノアの、スリーサイズは?」
「えっと……それは、必要なことなのでしょうか……?」
「スリーサイズは?」
必要なこと以外口にしない。それだけで事の重大さは伝わる。
答えるのに躊躇いがあるのか。ソラノアは俯き、手をもじもじさせ、何かを小さく呟いている。
戸惑う彼女に、宗太はゆっくりと低い声で追い打ちをかける。
「スリーサイズは?」
「……86、57、87……です……」
「――っ!? なっ、なかなかのものを……」
ぼそぼそっ、とか細い声を聞き逃すことのなかった宗太は、思わず『86』が示す部位を凝視してしまう。
そんな宗太に対し、ソラノアは両腕で抱えるように身体を隠す。
「で! 今のはなんの参考になったんですか!?」
「いや、もう。予想以上に大収穫さ。ソラノアがナイスバディだっていう、これほど有益な情報を得られるとは思わなかったよ」
耳の先まで真っ赤にしていたソラノアは、宗太の思ってもいなかった発言に目を丸くしたまま固まる。ぽかんと口まで開ける始末。
それを見て、宗太は素直に可愛いと思う。実に悪戯心をくすぐる顔だ。
「……それは……つまり……?」
「うん。特に意味なし。折角、俺のことを誰も知らない世界に来たんだし。ちょっと、はっちゃけようかと思ったんだよ」
最高の笑顔ができたと、宗太は自覚する。
これまた首が取れてしまうのではないかという勢いで、ソラノアは正面を向く。唇を少し尖らせ、やや不貞腐れた。
「ごめんごめん。まぁ、ちょっと真面目に言えば、スリーサイズってもんが伝わったってのはあるかな? それに対して、恥ずかしがるっていう文化があったりとか。あと、数字も一緒だ! 単位がセンチメートルかどうか分からないけど、大きさや長さの基準も同じっぽいしね! うん。割と意味あった! 見つけた!」
「じゃあ、結局は意味がなかったことですよね?」
半眼で睨むが凄味はない。むしろ可愛い。
宗太はいつ以来かさえ――というか、あったかすら――思い出せない、女子との微笑ましい会話のやり取りに胸を熱くさせる。
「悪かったって。でもさ、君の本当の顔が見たかったっていうのはあるんだよ?」
「もう信じません! あそこの部屋が私も使ってる研究室ですので勝手にどうぞ! 今日は誰もいませんし!」
遠くの部屋を指差し――どこを示しているのか、さっぱりだ――、ソラノアは速足で進む。完全にへそを曲げてしまった。
「いや、さすがにこれは本当だって! 様づけもそうだけど、さっきまでのソラノアの特別視はやめて欲しかったんだよ! 俺は〝魔人〟の力を持ってるけど、君達となんら変わらない人間なんだ。だから、ソラノアと全く違う存在に見られているようで……正直、辛い」
頬を掻きながら、宗太は苦笑する。
それにソラノアはハッと我に返った。
「すみません」
「いや。俺も悪ふざけが過ぎたね」
普段なら絶対にやらないことだったからか、羽目を外し過ぎたことを宗太は反省する。
「ソウタさんって、凄く冷静なんですね。状況を把握して戦えたり、ソウタさんの方が大変なはずのなのに、私なんかに気を遣ってくれたり……」
ぼそっ、とソラノアが口にする。
「そうでもないさ」
なんとなはしに窓の外を見ると、小学生ぐらいの年齢の男女がグラウンドのような場所で楽しそう遊んでいる。
自分がかつてした光景と、見たことがある光景となんら変わりない。
「本当は目に見えるもの全てに怒りをぶつけて、喚き散らしてやりたいよ。殺されそうになったし、殺すしかなかったし……」
一度溢れた言葉は、最後まで吐き出し終えるまで止まりそうになかった。
「とにかく気分は最悪だ。それに明日はバイトが入ってるから、今すぐにでも帰りたいしよ。でも、そんな風に現実から目を背けてもどうにもならないってのは、あの状況からなんとなく察したから」
「ごめんなさい」
「謝ることじゃないさ。もう、どうしようもない。でももし、それでも謝罪したけりゃ、今すぐにでも元の世界に戻してくれって話さ――そうだよ。考えてみりゃ、テレビ消してねぇし」
「ごめんなさい」
特にソラノアに言っているつもりはなかったが、そう捉えられてしまったようだ。
だが、それもそうか――と、宗太はいまさらながら配慮がなかったと自責する。
彼女からすれば、宗太をこちらの世界に招いてしまった張本人だ。もしかすれば、それを負い目に感じ、距離を取っていたのかもしれない。
そんなソラノアに宗太はあえてそれを口にする。
「一つ忠告。謝り過ぎるのって、むしろ相手の神経を逆撫でかねないぞ?」
「ごめんな――」
「これ」
痛みのない程度に、ソラノアの頭を軽く小突く。
「でも、どうすれば……?」
上目遣いで、今にも泣きそうなソラノアに宗太は優しく微笑む。
「そうだな――よし。デートだ」
みっともなく声が上ずったのは、人生で初めてのデートの誘いだったからだ。