5.フェイ・テンユィの誰も気にしない気苦労
腕を組みながら、テッジエッタはやや渋い顔をする。
(う~ん……ユキシロ、意外に苦戦してんね)
ステファニーはその大きな手でユキシロを掴まんと伸ばすが、彼は後方に跳んで間合いを測る。
消極的になっているのは、殺さずに倒す方法が見つからないからだろう。
ユキシロは条理を逸した魔偽術を構成できるが、反面、加減や応用はまだ熟せない。
彼の言うところの簡易魔偽術では、術の精密さと柔軟性が向上するものの威力が足らなくなる。
威力を伴う高位魔偽術は上級術者のソラノアなら可能だが、テッジエッタでさえできないのだからユキシロに期待するのは酷というものだ。
(殺せる力を持っていても、倒せる技術がないか)
ユキシロ自身、己の戦闘における未熟さには気づいているだろう。が、いざ直面すると焦りと苛立ちは如実に表れる。
そして、戦いに慣れているステファニーはそこを外さない。
(こと戦闘に関しては、まるで馬鹿にできないわよね。あの〝魔炎〟アジュペイトランクリは)
技術もそうだが、根本的にその単純な暴力が出鱈目だ。
並の魔偽術でも壊れない壁に叩きつけられても、潰れもせずに平然としていられる肉体。それと同質の床を叩き壊す筋力と骨。それらがあっても傷がつくことのない皮膚。おまけに魔偽術を弾く受術耐性までも備えている。
挙句に、瞳には魔偽甲が埋め込まれているとまで来たものだ――見分けが難しいが、術図式が確かに輝きを見せる。
(恐らくは……)
テッジエッタは状況から一つの答えを導き、自らの計算の甘さを修正する。
(こりゃ、少し無理をさせ過ぎたか?)
この戦いで求める情報の打算点を探りつつ、テッジエッタはどのタイミングで戦闘を打ち切るかを見極める。
正直、収穫は芳しいものではないが、このまま続けてユキシロの不利を露呈していく方が好ましくはない。
「ところでソラノア・リスフルーバさんはいないのかい?」
「なんで?」
テッジエッタが不躾に返答したのは、率直に邪魔だったから。
「そりゃ、可愛い女性は一人でも知ってきたいじゃないか?――もちろん、君のこともじっくりと知りたいね」
「キモい」
「辛辣だ」
フェイが肩を落としたのは視界の端には入った。
少ししか見えなかったがものの、それでもどこかムカついた。
「まぁ、さっきもソウタと仲が良かったようだし、常に行動しているのかなってさ。隙あらば口説きたいしね」
テッジエッタに構わず話し始めたことでさらに苛立つ。
この男はそれを狙っているのか? 少しでも見落としをせるために。
「本気なら全力で邪魔してあげる」
「嫉妬かい?」
「……言っておくけど、一連の会話も全部記録してるからね? あんたらに見せなくても婉曲的に伝える方法、結構あるわよ?」
「残念だけど、ステファニーとは君が思っているほど深い仲じゃないさ」
「あっそ」
腹の探り合いは得意であるが故に、このフェイ・テンユィという男がいくら腹を掻っ捌いたところで、決して何も出てこないことが分かってしまう。
(だからといって、黙っておくわけにもいかないか)
ユキシロの負担を減らすため、テッジエッタは行動する。
「じゃあフェイ。あたしからも一ついい?」
「試合の邪魔にならない程度なら」
どの口が言ってんだ?――テッジエッタは漏れかけた言葉を呑み込み、訊ねる。
「あたしの情報だと【連星会】側の『魔物』は二体とも【ローハ解放戦線】の討滅に向かっているんだけど。今も」
「そうさ。実のところ、任務から抜け出してきたんだ」
「……島からは一週間近くはかかるけど?」
「そこはまぁ、企業秘密――でもベッドの上だったら、ぽろっと漏らしちゃうかもね」
「何? 老化現象? おむつくらい穿きなさいよ。自覚症状ある内に習慣づけた方がいいわよ? それこそ〝筋肉しか愛せない悲しき女〟にお願いしなさいよ」
変な方向に行きかけた話を無理矢理折り、テッジエッタは考える。
(素直に言葉を信じるなら、その異常は〝魔弾〟か〝魔炎〟の能力が関係している?)
特異な場所での戦闘を素直に受け入れ、質問に対しては黙秘せずに仄めかす。
どうも、『ユキシロを見極める』ないしは『殺す』のが目的とは思えない。特に殺すためなら、今の戦況から二人で攻めれば勝機があるのは明白なのだから。
(この『魔物』達は何が目的なの?)
テッジエッタはどうも、この二体の『魔物』――特に〝魔弾〟モーフィスシャイトの掌の上で踊らされているようでならない。
それは癪であるが、もしこの状況から盤上をひっくり返したら、それこそぽろっと何かを漏らすかもしれない。
「ねぇ? ところで確認なんだけど。この戦いのルールって『ステファニーが降参するか、飽きるか』だけよね?」
「そうだけど。それだけのルールにした意味は、この戦いを見ただけで分かると思うんだけど?」
「混ざる気はないわよ――でも、口出しはいいでしょ?」
フェイは少なからず、自分達に何かしらの災いが降りかかることを察したのだろう。
ただ、やはりと言うべきか止める素振りは見せない。
確約を得てテッジエッタは、ユキシロに声をかける。
「ユキシロ! そいつは恐らく『キメラ』だ! だから殺すくらいの威力じゃないと倒せないよ!」
「『キメラ』!?」
「そう! 魔偽術で肉体を後天的に改造・強化したやつのこと!――それが改造人間!」
「いや、確かに改造人間だけど殺すくらいでやられたら、さすがのステファニーも死んじゃうよ?」
「そん時はあんたが助けなさいよ! ルール上、問題ないんでしょ!」
テッジエッタが大声で言う。ユキシロに聞こえるように。
にやりと悪魔のように笑う。ユキシロとテッジエッタが。
二体はその意味を理解する。
しかし、盤は逆転している。
「吹き飛べ!」
ユキシロが構成した魔偽術は特大の熱衝撃波となり、ステファニーを包み込んだ。
◇◆◇◆◇◆
熱衝撃波は広範囲を焼き尽くし、壁面を爆発させ、一帯を煙で包んだ。
そこからすぐ。真っ先に宗太の目に入ったのは、ゲホゲホとむせながら煙から脱するリーリカネット。その双眸には明らかにこちらを向き、怒気が纏っているのが分かる。
しかし、そんなことはどうでもいい。
宗太は煙が立ち込める壁ではなく、部屋の別の場所を探る。
すると、熱衝撃波の軌道位置から外れた、部屋の隅でステファニーといつの間にか移動していたフェイが縮こまっていた。
(……大体、分かっていたさ。俺の渾身の一撃はだいたい喰らわないことくらい)
〝魔剣〟との戦いのあとでソラノアに愚痴ったことで分かったことだが、どうやら速度こそあれど、単純であるが故に容易に読み取れてしまうらしい。
(で、今のは瞬間移動か何か?)
単純に名前から判断すれば〝魔弾〟の能力だろうか。
ただ宗太の魔偽術が広範囲であったがため、無傷とはいかなかったようだ。フェイは。
平気な顔をして立ち上がるステファニーの顔に、宗太は小さな恐怖を抱かざるを得なかった。
何せ、不気味なほど嬉しそうに笑っているのだから。
と、彼女の周りに光の粒子が集まり始めた。
「不壊の河。不滅の雫。千変の海から脈々と流れ、無限なる一滴を絞り落とす――」
《厄介な星隷を召喚するつもりだ! 止めろ!》
(あたぼうよ!)
詠唱を止めるべく、宗太が左腕を突き出して魔偽術を構成する。
「ユキシロ! 攻撃ストップ! ソラノアの水着写真あげるから!」
「――っ!?」
意志は確かに魔偽術を放とうとした。が、何故か――それこそ超常的な力か――宗太の身体が止まってしまう。
《お前は馬鹿か!?》
「――天空に滲み入れよ、愚かなる水の隷僕。やがて星王へと降るがいい」
オルクエンデが怒鳴る頃にはもう詠唱は終わり、術図式はクラゲのような形へと変異していた。
が、すぐにステファニーの足元に崩れ落ちる。そして、まるで助けを求めるかのように袴の中へと潜り込む。
《おかしい……》
(何がだよ?)
《いや、水星隷キーヒガウゥはあんな動きはしない》
(失敗……な、わけないな)
ステファニーに狼狽はなく、左足を半歩退いて戦闘態勢を取った。
互いに出方を伺う中、その沈黙をフェイの「はぁ……」という溜め息が破った。
「そうも手の内を次々晒すのはどうかと思うよ、ステファニー?」
「何言っているの!? 全力で戦わないと失礼でしょう!?」
顔を覆うフェイにステファニーは構えたまま叫ぶ。
一方、宗太の疑念は、ますます膨れる。
フェイは手の内をバラすステファニーに呆れこそするものの、強引に止めたり情報収集の妨害をしようという素振りを見せない。
(そもそも、この戦いはなんなんだ?)
心が読めるのか、宗太が真正面の敵以外のことを考えた矢先、ステファニーが飛び出す。
手を組みながら、真上へと跳躍する。
「連なれよ星々――」
光の粒子がステファニーに集まり、組んだ手を宗太の脳天目がけて振り下ろす!
「魔偽術じゃねぇのかよ!?」
咄嗟に、宗太はダブル・アックス・ハンドルを右腕で受ける。
「いえ。魔偽術よ――《潰圧座》!」
宗太の周囲に光の粒子が集まると、ズンッとまるで上から押し付けられるかのような圧力を感じる。
動けないわけではないが、彼女に対しては命取りだ。
ステファニーは宗太の腹部目がけ、ニー・リフトを繰り出す。
「――っ!?」
右腕で止めようとしたが、あろうことかステファニーの脚そのものが宗太の身体をすり抜けた。
わけが分からずにいると、ステファニーはいつの間にか宗太の足首を抱えている。
そのまま引かれ、為す術なく倒れて後頭部を打ちつける。
頭部への痛撃が原因というわけではないが、宗太は今の光景にますます混乱する。
(今、あいつの下半身どこにあったんだ!?)
宗太が見たのはステファニーの上半身だけが床の上にあり、下半身が喪失しているというちょっとした怪奇現象。
だが、ステファニーはその違和感の突き止めを許さない。
瞳に映ったのは天井ではなく、それを覆い隠さんばかりに広げるステファニーの身体そのもの。
さながらダイビング・ボディプレスだ。
「くそがっ!」
宗太は衝撃波の魔偽術を推進力にして、強引にその場から離脱する。
それから間もなく、ステファニーの身体は床を砕くほど強く叩きつけられた。
――その一瞬だったが、確かにステファニーの下半身が消滅していたのを宗太ははっきりと見る。
《あいつまさか、キーヒガウゥを脚として使っているのか?》
(どういうことだよ?)
《俺にもどういう理屈か分からんが、あいつは自分の脚を星隷にしているんだ》
(それによって何が起こんだ?)
《推測だが、星隷の力や能力を自分の体の一部として、意のままに扱える――今のは液体状の下半身を延長させて、クッションの代わりにしたんだろう。ちなみにキーヒガウゥは猛毒を持っているぞ》
ただですら肉体を改造し、理不尽な暴力を兼ね備えた『魔物』だというのに、星隷という異形の力まで有している。
これほど絶望的な状況があるだろうか――と、それを少し冗談として胸中で思えたのは、オルクエンデに余裕があるのが分かったから。
《だが弱点は知っている――キーヒガウゥは液体だ》
「干乾びろ!」
オルクエンデが示すよりも先に、答えはすでに伝わった。
すぐさま起き上がったステファニーが仕掛けたスライディングは、カニ挟みを狙っているようだった。が、魔偽術が迫ると床に腕を叩きつけて、強引に止まる。
そして、一度距離を置いてから迫る術図式をマッスル・バリアー――そうステファニーが叫んだ――で叩き消した。
これで分かったのは、星隷の能力なども得られるが弱点などの不利も得てしまうということ。
また、マッスル・バリアーはすぐにはできないということ。あと叫ばないとできないのかもしれない。
これで有利になったというわけではないが、それでも宗太には精神的な安堵が少し湧いた。
そう。この化物――〝筋肉しか愛せない悲しき女〟は決して倒せない敵ではない。
ステファニーと言えば、弱点を看破されても乱れる様子はない。むしろ嬉しそうだ。
「すぐに攻略あれちゃうとはね――いよいよ。必殺技を使う時が来たわね」
「なっ!?」
動揺の声を上げたのは、意外にも今まで飄々としていたフェイであった。
「ステファニー! それは駄目だ!」
「それは無理よ、フェイ! 止めるなんて野暮なことしないでよ!」
「それこそ無理だ! 人間には耐えられない!」
「なら、一瞬で終わらせるからいいでしょ!?」
フェイの静止を完全に無視して。ステファニーは両腕を天に向かって広げると、それを交差させつつ振り下ろす。
それに呼応するように、部屋の四隅に火柱が天井を焦がさんばかりに昇った。
一瞬にして炎色に染まる部屋。その赤き世界の中心に立つステファニー・ジェイソンの姿は、地獄の使者を彷彿させた。
「くそ! 一瞬でもよくはないんだよ!――連なれよ星々!――《遮殻層座》!」
フェイが毒づきながら魔偽術を構成する。
術図式は不透明な壁となり、フェイとその横にいるテッジエッタと後ろにいるリーリカネットと、交戦中の『魔物』二体とを隔てた。
一方、宗太の全身が急激に冷え、吐息が白くなるどころか身体中が寒さに震え出す。
「《傀我儡座》!」
宗太が魔偽術を構成すると、光の粒子が身体中を覆う。
《傀我儡座》によって思い通り動くとはいえ、寒さに思考が鈍る可能性はある。
故に、一刻も早くケリをつけるしかない。幸い、理由こそ定かではないがステファニーも同様だ。
次の一撃で、この戦いは終わる。
勝負の一撃――ステファニーが真正面から跳ぶと、宗太は右半身を退いて対する。
「いい加減! やられっ放しなのは癪なんだよ!――《暴餓獣座》!」
宗太の義腕――魔偽甲〔アンタイオス〕が発動し、攻撃と防御によって蓄積されていた魔力が一気に解放される。
「ああああああぁぁぁ!」
ステファニーは雄叫びを上げながら、一分の動揺もない正拳が迫る。
「おおおおおおぉぉぉ!」
宗太は獣のように吠え、《暴餓獣座》によって集まった魔力全てを純粋な衝撃力の魔偽術として変換し、それが込められた右拳で応戦する。
拳と拳が激突した時。
――勝負は決した。




