1.雪城宗太の割とどうでもいい望み
日が傾き、ムーンフリークの街は橙に染まり、転々と灯が浮かぶ時間。
チェリオ隊としての仕事を終えた宗太は、千星技術学院の前でソラノアを待つ。
〝魔剣〟ビロゥガタイドの力を手にして、すでに一週間が経過しているが自身に特別な変化は感じられない。オルクエンデにも訊ねたが特段、変化はないとのこと。
(変わったのは、俺の中の小さな世界だけだな)
『魔物』の一柱が倒れ、『魔法』の修復へと一歩進んだというのに、街は変わらずにあり続ける。
この世界に大きな影響を与えたというのに、それを知るものはほんの僅か。そもそも、この世界が破滅の危機に瀕している。それを知るもの自体が少ないのだから。
ただ、宗太を取り巻く環境は劇的ではないが、それでも変異した。
まずは仕事だ。【千星騎士団】内では、宗太はチェリオ隊の新人団員という扱いになっている。
〝魔剣〟討伐前は研修団員として。現在はジンクが教育係となって警邏などに当たっている――昨日、手術があったのでこの二日は休みをもらっていた。
ジンクとは二日ほどは仕事以外の会話はしなかったが、ジンク当人が沈んだ雰囲気に耐え切れず、【テーブルスナッチ】に関する一連のことを謝罪して来た。
宗太も気遣い、頭を下げた。
それでも『あの時の判断が間違っているとは思わないようにしている』と伝えると、ジンクは宗太の意見を受け入れた上で、『俺は認められない』と返答してくれた。
頭ごなしの否定ではなく、互いの意思を尊重した上での対峙であるため、今では戦い以前よりも距離が縮まったようにも思える。
一方、【凶星王の末裔】内での仕事は今のところはない。
だた、組織内で宗太に対する評価は二つに分かれていることは、肌で感じ取れた。
一つは単純に〝魔剣〟を倒したことへの賛辞。〝魔人〟という救いの権化への崇敬を向ける者達がいる。
それらと同じくらい、真逆の感情を向ける者達もいた。
行われた虐殺こそ、現場にいた一部の人間しか分からない。
が、その多くの者が内容を語らない――大陸条約違反なのだから、口が裂けようともいえるはずがないが――どころか、歓喜ではなく陰鬱に近しい感情を見るのだ。あとは自ずと、どういった戦いだったのか想像できる。
「お待たせしました」
声がかけられ振り向くと、ソラノアが駆け足でやって来る。その胸には今日も、宗太が上げた勲章がついていた。
「じゃあ、早速行こうか」
「はい」
いつもなら夕食の買い出しに行くのだが、今日は別の用事がある。
なんとはなしに、宗太は失われた右腕を意識する。
今日はこれから、新しい右腕を受け取りに行くのだ。
街を歩く中、宗太は自身の世界の小さな変化がもう一つあったことを思い出す。
ただそれは、【凶星王の末裔】に限ったことではなく、〝魔剣〟との戦いも関係ない。
(いい加減、石くらい投げられるかもな)
不可視の攻撃が突き刺さっていることを、宗太はなんとなく自覚している。
可愛らしいソラノアだ。当然、彼女に好意を抱く男は多いだろう。それを急に現れた男が当り前のように隣にいる。その現状が面白くないわけがない。
その怨嗟の心情が日を増すごとに、突き立てる力が強くなっているのを肌で感じていた。
ただ、悪い気はしない。むしろ、それらが強くなるほど優越感が強くなる。
(ああ。好きなだけ恨むがいい。憎むがいい。ただそんなもので、ソラノアの隣を譲ると思うなよ?)
胸中で高笑いする宗太。
そんな彼の隣にいるソラノアは、ふと思ったことをそのまま口にした。
「思うんですけど、私も一緒に行く必要あります?」
「酷い……いつから僕達、そんな冷え切った関係になったの……?」
およよ……と泣き崩れる宗太。
だがソラノアは特に相手することなく続ける。
「関係とかではなく、ソウタさんが取りに行っている間に私が夕食を作っておけば、帰ったあとにすぐに食べられますよ?」
「確かにそれもいいけど。でも俺は! 一秒でも長くソラノアの傍にいたいんだ!」
「ちょっと!? 何言ってるんですか、急に!」
周囲に聞こえるよう声を張り上げる宗太に、ソラノアは顔を真っ赤にして戸惑う。
いきなりの大声に何を言ったかまでは分からなくとも、注目される。
「ああ! 愛しのソラノア! 僕は君のいない時間が、どれだけ苦しいか分かるかい!? この張り裂けんばかりの胸の痛みが伝わっているかい!? 日が昇るのをどれだけ恐れるか知ってくれるかい!?」
「なんなんですか、その変な口調は!?」
ミュージカル風に振る舞い始めた宗太のお蔭で衆目の的となり、ソラノアはますます慌てる。
「だってそうだろう? 朝が来るということは、僕らが離れ離れになる時間が迫るということだ!」
「何を大袈裟に言っているんですか!? 仕事に行くだけでしょう!?」
「このまま夜の帳が閉まり続ければいいのに! そうすれば僕らはずっと一緒にいられる! ああ! 僕らを引き裂く、あの太陽が憎い!」
即興劇にくすくすと笑い声が漏れ、野次馬が徐々に集まる。刺さる視線は生暖かい。
劇の登場人物の一人であるソラノアの肩は、心なしか震えている。
「そうだ! 僕らの愛で空を覆い隠そう! そうすれば太陽が昇ろうとも朝が訪れることはないのだから!」
跪き、ソラノアに左手を差し伸べる。
「さっさと行きましょう!」
その手を真っ赤な顔をしたソラノアが思いっきり叩く。
宗太に有無を言わせず、彼の左腕を掴んでその場から強引に離れるのであった。
――続く沈黙。
まだ若干怒っているソラノアに、宗太は真面目な話でこの気まずい空気を払拭しようとする。
「しかし、魔偽甲って本当に便利だよな。思いの通り動く義腕って、俺がいた世界じゃまだないんじゃないのかな?」
「でも頼りすぎれば弊害が出ます」
「それって魔力の枯渇?」
まだ少しムッとしていたソラノアだったが、宗太の一言に険しくも真剣な面持ちになる。
恐らく、イサラの最期が脳裏に過ったからだろう。少なからず宗太には、彼女の今際が浮かんだのだから。
「それもありますし、単純に便利なものに頼りすぎると、当然別の不便が出てきますから」
「まぁ確かにそうかもね。なんやかんや言って、漢字を書こうとしても思い出せないこともあるしね」
「漢字って、ソウタさんの世界の文字でしたっけ?」
「そ。まぁ、このアルトリエの文字と成り立ちは一緒で、仕草や形を取って文字にしているやつ」
宗太の世界の文化はソラノアとの会話でよくすることだ。
幸運にも極端な差異が少ないため、宗太は異世界という想像を絶した場所でも普段通りでいられる。
「でも、これから着ける義腕も魔力が必要なんだろ? 利き腕だから少し不安だな」
「まぁ、よほど酷使しない限りは平気ですよ」
「酷使しすぎなければ、か……でも――」
「……でも?」
「いや! なんでもないよ!」
宗太は背中に嫌な汗を感じつつ、漏らしかけた言葉を胸の奥底まで押し込んだ。
危うく『でも、俺は普段は右手でマウスをいじって、左手でいじるから。問題ないな』なんて最低なセクハラ発言をかますところだった。
(まぁ、マウスなんて言ったって分かんないだろうけど……)
とはいえ、今から言うことでもない。自制は必要だ。
そんな後ろ暗い宗太をよそに、ソラノアはどこか穏やかな面持ちでこちらを見ていた。
「どうしたの?」
「正直ホッとしてます」
「何が?」
「〝魔剣〟を倒した直後は辛そうでしたし……何より、あれ以降いつも通りでいようと無理しているんじゃないかって思っていたので……」
「……うん。心から心配してくれてるのは伝わるし、嬉しいんだけど。ただ、今さっきの俺を見て、無理してないって思われるのは少し心外だな」
やや引きつるように口角を上げる宗太に、ソラノアは少しだけばつの悪そうな顔になる。
宗太は自らの右掌を見ながら――幻視があるわけではないが、気持ちとしての仕草はその動きだった――、心境を少しだけ漏らす。
「ま、まだどこかしこりのようなものはあるけど、それでもいつまでも悩み続けるわけにもいかないから」
戻れるわけなどないのだから。取り戻せるわけでも、やり直せるわけでもない。
もう進むしかないのだ。
言い訳を探しながら、逃げられることではないのだから。
隣を歩くソラノアは、やや伏し目がちだった。
だから宗太は彼女の顔を覗き込んで、実に純な瞳で言う。
「でも俺、ソラノアがチアガールのコスプレとかしてくれたら元気出そう!」
「……ん?」
突発的に湧いたわけの分からない発言に、ソラノアの理解が完全に遅れる。
「いや、他にもソラノアに似合うものがあるんじゃないのか……?」
腕を組み――右腕がないので、結局は右肩を掴む様になったが――、宗太はいつにないほど真剣な面持ちでソラノアを見つめながら逡巡する。
「水着。メイド。もしくはバニーガールか?――待て! スポーツ系もありなんじゃないのか? 健全な感じがまたそそるよな? テニスとか弓道とかラクロスとか……」
当然、宗太の脳内では彼女は、様々な格好をさせられているわけだが……
「まだ早まるなよ、俺。ここはあえて、もこもこの冬服なんてのもありか? それはそれで可愛いよな? 首を縮めて、ちょっと寒そうに悴んだ手に息を吹きかける姿! いいじゃん! ソラノア、ちょー可愛い!」
そこで宗太は「ハッ!」と何かに気づく。
「着ぐるみ! それもありだな! 可愛いソラノアが可愛いのを着たら可愛くならないはずがない! ヤバイ! ソラノア可愛すぎ!」
「あの……」
テンションの高い宗太に、自然と視線が集まり始める。
ソラノアは直感的に、悪夢が再来することを察した。
「ソラノア、どうしよう!?」
「病院に行きましょう」
目を爛々と輝かせる宗太に対し、死んだ目をしたソラノアが一切の感情を込めずに言い切る。
「ナース!? 白衣の天使か! ベタだけど全然問題ないよ! だってソラノア、可愛いもん!」
「問題しかありません」
傍から見ればいちゃつくカップルか何かだ。
先とは違い、集まるのは冷ややかな視線である。
「なんでソラノアはそんなに可愛んだ! いいの!? 法的に許されるの!? 取り締まらなくっちゃまずくない!? そうするならぜひ、俺の腕の中という檻に入っておくれ! この胸でなら、罪深さを泣いていいから!」
解釈不能(というか、したくもない)の宗太に、はあ、とソラノアは大きめに嘆息する。
「ソウタさんがコスプレするのもありじゃないですか?」
「気分転換に? まぁ、それもありかもしれないけど、やっぱソラノアにしてもらいたいなぁ~。あっ、でも! 恥ずかしいなら、一緒にしてもいいよ?」
「……そうですね。一緒にしましょうか」
「マジっ!?」
まさかの返答に宗太は、「イエス!」と何度も何度も叫びながら、人差し指を天に突き上げ続ける。
ありがとう。なんかよく分からないし、誰の都合かは分からないが、いい塩梅に共通している文化と習慣。
そして、美少女の傍に召喚してくれた者にも最大の感謝だ。
召喚主こそソラノアだが、確か『天使』とかいうやつの差し金だったはずだ。
色々と因縁はあるし、深い理由こそ知らないが、今この瞬間だけは礼を言っておこう。本当にありがとう。今から俺、幸せになります。
「じゃあ、私がオルクエンデをやりますので、ソウタさんは肉塊になって下さい」
「……ん?」
突発的に湧いたわけの分からない発言に、ただでさえハイテンションだった宗太の理解が完全に遅れる。
「始めましょうか。連なれよ星々――」
「いやいやいや! それコスチュームプレイと違わない!? ごっこ遊びにしたって、なんで魔偽術組んでるの!?」
「違いませんし、なんなら私はもうとっくにしていますよ? 見えませんか? 私の額から角が生えているの?」
いつものように愛らしい笑顔だが、そのこめかみには青筋を立っている。
そして不思議なことに、彼女の額からニョキっと何かしらが生えているような幻覚さえ見えてくる……
「それにソウタさんは肉の塊という格好になるんですから。ほら、立派なコスプレですよ」
「ごめん! 調子に乗りました!」
「いいえ。今日は許しません。ソウタさんは一度、痛い目に合わないと駄目だと思うんですよ?」
「つい先日、腕なくなるほど痛い目にあったんですけど!」
「私からじゃないのでノーカンです――《炸痺座》」
「嘘でしょ!?」
事態を事実として受け入れる間もなく、衝撃波が宗太を包みこんだ。
周囲から冷たい視線が突き刺さる。
その理由を宗太は分かっていた。
何せ、今の彼の服装はボロボロで、やり過ぎたパンク状態。おまけに髪の毛も若干焦げている。加えて、隣を歩くラノアはそれを一切気にせず、平然――それこそ何もなかったかのよう――としているのだから。
千星技術学院の前からリーリカネットが待つ鍛冶屋まではそう距離はないのだが、とても長い時間だった気がする。
「本当に撃って来るとは思わなかったよ……」
「信じてましたから、宗太さんのこと」
「その満面の笑みと発言は、できれば違うシチュエーションで味わいたかった」
「そういう状況にした人に言われたくはありません」
ソラノアはすっかりへそを曲げている。
そんな彼女の魔偽術技能の高さを、文字通り肌で感じる羽目になったわけだが。
(俺の受術耐性を読んだ上で、最善の魔偽術を選択し、微調整したんだよな……)
そんな精微な技術を無駄に発揮するところは、なんだかんだで年相応の部分もあるようだ。
と、半眼のソラノアがこちらの顔を覗き込んでいることに気づく。
「反省してます?」
「はい」
「一切、調子に乗りませんか?」
「はい。乗りません」
「……分かりました。でしたらコスプレしてあげてもいいです」
「今度はどの『魔物』?」
喜ぶどころか、ビクビクと怯える宗太。
「違いますよ。今度は着る方です」
「着るって俺の生皮剥いでとか?」
「そんなことしませんって! 本当に服ですってば! さっきは私もやりすぎました」
慌てて諸手を振るソラノアだが、宗太の疑念が晴れることはない(少しからかっているだけだが)。
「ちゃんと服を着るタイプです。なんなら、今度買いに行く時は宗太さんが選んで下さっても構いません!――その代わり、衣装代はソウタさんが出して下さいね?」
「それなら! そんなの全然いいよ! 出す出す!」
「よかった。次の任務地は寒いので、新しい防寒具や道具が欲しかったんですよ」
「……えっ?」
「寒冷地用の服って高いですしね」
思っていたものと違う方向性に、宗太が止まる。
まじまじと笑顔のソラノアを見、訊く。
「今、魔女か何かのコスプレしている?」
「どっちかって言うと、悪魔かもしれませんね?」
そうやって小悪魔な笑みを浮かべるソラノアはやはり可愛かったので、ここは素直に折れておこうと思えた。




