2.「ユキシロは間違ってる」
夜闇はより深くなり、獣の遠吠えがどこからか聞こえる。
みなが宗太の作戦に乗り、準備している中で宗太は独り離れて星空を眺めていた。
自分の仕事は必要なものが揃った時に初めて始まる。それまでは、精神をできるだけ穏やかにさせていた。
《正気なのか?》
静寂を殺さぬ程度のオルクエンデの問い。
(どうだかね? 傍から見りゃ狂ってるんだろうな)
痛む頬を摩りながら、宗太が返す。
宗太の作戦に激昂したのがジンクだ。
彼の正当な怒りはそのまま、固く握られた拳となって宗太の頬を抉った。
本当なら簡単言避けられたのだが、理性が宗太の身体を硬直させた。
自身、それを喰らうべきだと。しかるべきだと思ったから。
ジンクは一切、間違ってなどいなかったから。
《お前の世界のことは、『天使』が開いた扉によってある程度は認識している。少なからずお前の住んでいた国では、そんなことは日常では起こりえないんだろ?》
(なんかお前。急に優しくなったな――そんなルートいらねぇぞ?)
《なんの道とかは知らねぇが、俺は今、お前とどういう理屈でお前の肉体を共有しているのか、分からなくなっているからな。お前の精神がぶっ壊れた影響で、俺にまで支障がでるかもしれねぇからな》
この非道な作戦は確かに、普通の人間なら気が狂ってでもいない限り思いついてでも口にしないだろう。
ましてや率先して実行し、責任を一身に背負うなど、まともではやれるはずがない。
だが……
(……大丈夫なんだよ)
これから行うことに、やや実感が薄いということはある。
だが、この落着きはそういったものに起因するわけではないだろう。
(俺さ。ロヒアンを殺した夜。特に悪夢を見ることなく、仕事行く日みたいにいつも通り起きられたんだ。で、【テーブルスナッチ】の人間を傷つけ殺した今でも、割と落ちついている。別に、俺自身を正当化しているわけじゃなくってさ。改めて振り返っても、これからのことを考えても、この状況下では正しいって思えるんだよ)
そうは言うものの、宗太の心のどこかでは言い訳をしているだけだと、冷めた部分がある。それは恐らく、内に潜める良心と良識から来るものなのだろう。
人を殺すということ。
『殺す』『死ね』――殺意に近しいものが湧いたことなどがないというのは嘘になる。が、実行しようなんて思いもしない。その罪罰を重々理解しているから。
(もしかして、あれか? 罪に問われないってどこかで思って、箍が外れてんのか?)
《だが、これからやることは間違いなく、大陸条約に抵触することなんだろ?》
(そうなんだよな。なら、異世界の人間って割り切っているのかもしれねぇのかな)
《その弱音は俺じゃなくて、ソラノアに言え。気持ち悪いぞ》
(酷ぇな、おい)
残念(?)ながらオルクエンデ・ルートのフラグは立っていなかったらしい。
とてつもなく、どうでもいいが。
馬鹿馬鹿しい考えさえも思いつくほど、宗太の心境は平常だ。
(俺の肉体を強化した際に、精神まで強化したってことはないのか?)
《『天使』どもが初めから、俺に精神支配させないよう仕組んでいたのなら考えられる。が、それはあくまでも戦闘に耐えうる精神強化であって、根幹を変質させるのは考え難い。それをやれば結局、肉体は俺のものになるしな》
(そこは嘘でもついてフォローして欲しかったな)
《慰めならソラノアに頼め》
(人を殺す覚悟はあっても、あの胸の谷間に飛び込む勇気はないんだよなぁ~。そういうところはへたれだよな、俺)
へらへらと笑う宗太。
そんな彼に、オルクエンデがきっぱりと言い放つ。
《お前は誰にも、本当の顔を見せないんだな》
その一言に、宗太の表情は戻る。
いや、むしろ先程よりも陰が濃くなった。
(それは違うぞ。俺はほとんどの人間に本当の顔を見せてる)
《嘘を吐くな。今、俺に対しても本心なんか見せてねぇだろ》
言われるが、オルクエンデの見解は正しくもあり、間違ってもいる。
そして、痛いところをついていた。
(嘘じゃないさ。ただ、そうだな。接客業をやってたからかな? その時、その状況に適した顔と精神はいつでも見せられるんだ)
《なら、お前はお前自身さえ、本当の顔を見せていないんだな》
(……なんか、妙に突っかかってくんな?)
《だってそうだろ? お前自身、自分の心の内を理解できていないじゃないか?》
(あのよ。こっちの文化はどうか知らねぇけど、まだ出会って数日しか経っていない人間に対して、そうも安々と胸の内の全てを晒すもんなのか? そうだって言うなら、残念だけど俺はそこまで人間ができちゃいねぇよ。それに自分のことを十全に理解しているやつなんていんのか? いたら呼んで来い。気味悪ぃって言ってやるから)
《少しは晒すようになったじゃないか》
宗太の苛立ちにオルクエンデが揚げ足を取る。
彼の顔こそ見えない代わりに、宗太自身のしたり顔がこちらを見た。
ばつの悪さに、宗太は頬杖をついて黙り込む。だが、〝魔人〟のくつくつという潜めた笑い声は確かに届く。
もしかしたら本当に、こっちの世界の者達は簡単に心の内を晒すのかもしれない。宗太は少しだけ思った。
◇◆◇◆◇◆
みなが館や周辺から〝魔剣〟討滅の準備をする中、ジンクは独り浮かぬ顔で立ち尽くしていた。
仲間の視線が時々刺さるが、それはサボっていることを責めているのではないと分かる。
今、ユキシロの立案の元で行われているのは、館や林道などから鎧や武具、それに最重要道具が、この九十九鳥居から離れた林道に集められている。
と、回収されたモノを分別しているソラノアに、ジンクはどうしようもないと理解していてもなお話しかけた。
「ソラノア」
「ジンクさん。どうしたんですか?」
「何か、他の策はないのか……?」
ユキシロの立案は誰がどう見ても間違っている。
いくらみなに説得されようと、自分の信念が。正義がそれを許そうとは思わない。
「あいつは〝魔人〟の力を手にしただけで、実際はただの人間なのだろう!? しかも、あいつと何度か話したけど、召喚される前までは平和な場所に住んでいたんだろう!? なんでそんなことができる? なんでそんなことを、わざわざ選ぶんだ……?」
「……異世界から来たからかもしれません。そして最後には何もかもを、それを理由に背負込もうとしている……」
それは返答というよりも、ただ胸の内を漏らしたようだった。
自らを責めてさえ見えるソラノアに対し、どうすればいいか。
慰めればいいのか。励ませばいいのか――それができる立場ではないが故に、ただ黙り、気まずい空気の中に身を委ねるしかない。助けが来ることを待ちながら。
「ユキシロが言ってやつ揃ったよ」
二人を救ったのはテッジエッタ。
やや疲れを浮かばせながら、こちらに近づく。
「テッジ、ご苦労様――じゃあ、すみませんがジンクさん。私はソウタさんに伝えて来ますので」
一度頭を下げ、駆け足でユキシロの元へと向かうソラノア。彼女の背中はどこか小さく見える。
そのソラノアと入れ違ったテッジエッタが、瞳の端だけでジンクを見る。
「つーか、ジンク。あんたも働けっての。ウジウジしてんじゃなくてさ。納得してないの、あんただけじゃないわよ?――特に、どこかの誰かさんに自分の役割を横取りされた人は」
すでに見えなくなった少女の姿を、テッジエッタはまだ見続ける。正面にいるどこかの誰かを責めるように。
「なら、お前はどうなんだよ?」
「あたしはあいつの作戦よりもいいものなんて浮かばないし、考えてる時間もないからね。しょうがないって言えばしょうがないわね」
「……なんでお前は割り切れる?」
八つ当たりに近い口調だったとジンクでさえ気づいた。
だが、テッジエッタは責めることなく答える。
「まー、私。汚れ仕事、割と慣れてるからね。綺麗事だけじゃどうしようもないことは、いくらでもあるし」
「だけど、これは……」
「そうだね。はっきり言うと、ユキシロは間違ってる。この作戦は頭狂ってんじゃないかってほどおかしい。それに対して、メリットが大きいからって賛同する私達もどうかしてる。ジンク。あんたは紛うことなく正常よ。それは揺るがせない方がいい」
宗太が平然とこの作戦の話した時、ジンクの頭の中は徐々に白んでいった。
世界が怒りに染まったのだ。
そして、それを思い知らせるかのように手が出た。
ジンクの暴挙を誰も止めなかったのは、みなが賛同しているからだと数秒は思った。いや、確かにジンクと同じ感情を持っていた。
が、すぐに場違いな行動をしたと自覚した。
みなの視線はどこか、憐みと羨望に近かったから。
「ユキシロにも言われたでしょ? 『俺は今後も同じようなことをするから、お前は常に俺を正しさで咎めてくれ』ってさ」
ユキシロが怒りを受け入れたことで、ジンクの孤立を浮き彫りにさせた。
場の誰もがジンクが正しくも、間違っていることを分かっていたのだ。
「じゃあ、一つきついことを言ってやろう。戦闘で人を殺すのと、無抵抗の人間を殺すの。違いある?」
「あるに決まって――!」
「ないわよ」
きっぱりと言い放つテッジエッタに、ジンクは言葉を呑み込んでしまった。
彼女はジンクがそう答えると、始めから踏んでいたのだろう。
「どんな状況だって、理不尽に殺されるのに変わりないじゃない? 死にたくもないのに。生きていたいのに。未練残して死ぬのは同じでしょ? 普通の人間ならどんな精神を持っていようが、末尾にあるのは『生きたい』っていう根源的な願いよ――そして、殺しはそれら全て踏み躙る」
彼女の持論を否定することはできる。
だがしかし、それができないのは、彼女の言葉をどこかで納得してしまった部分があるから。
死闘の中で、敵対者の顔をいくつも見て来たから。
その顔を……
「ま、あくまでも倫理的なものを抜かした話だけどね」
ひらひらと手を振って、テッジエッタもまた自らの仕事に向かう。
彼女は自分よりも年下だ。ユキシロだってそうだ。
だというのに、どうして人の死に対してそこまで達観できる? 割り切れる?
すると、ソラノアに呼ばれていたユキシロが独り、やや駆け足で前を通る。
「ユキシロ」
「ん?」
呼び止めると彼は、駆け足のままこちらに来る。
だが、自分自身どうして彼を止めたのか。何かを言おうとしたのか分からない。
「いや、なんでもない……」
「……分かった」
そうして、ユキシロは平然と集めたモノの元へと小走りで行く。
少し離れた場所でユキシロの様子を窺うジンク。
ユキシロは当たり前のようにそれを見比べ、魔偽術によって自らの仕事をこなす。テッジエッタと軽い談笑をしながら。
果たして、自分がおかしいのか?
自分が、間違っているのか?
ジンクの自問に対する回答など、当然のことながらあるわけがない。
ただ、過ぎ行く時間を。迎えるべき結末を。なす術なく噛みしめることしかできない。




